2007年6月30日

商店街の憂鬱

商店街の再生ということがどこでも言われていますが、商店街の活性化とは何でしょうか。
かつての小売業とは異なる形態も数多く出てきています。ファーストフード、携帯ショップ、100円均一、コンビニ、それから旅行会社、英会話学校や受験塾、スポーツクラブ、多様化したというより、ニーズやマーケットが変わったというべきではないでしょうか。

コンビニだって、まちをつくる重要な要素です。均等に同じようにではなく、ある意図を持って配置されているし、広場のような駐車場を持っていて、空間的にもまちを特徴づけ、また場所によって扱うもの、扱い方も大きく異なり、マーケットとしても単純なものではなくなっています。コンビニはまちの拠点、広場となっています。

このように考えると、今や商店街ではなくて、商店スポットなのかもしれません。拠点となって、点在し、つながり、ゆるやかに広がっている。まちのネットワークとなっています。縦に一直線につながる商店街ではなく、縦と横とに面的に広がる拠点型の特性を持つ。ここに、多くの機能が集まり、町の拠点が形成されてゆくことでしょう。今どき、身近な買い物だけで用はすまないのではないか、主婦も主夫も多様化し、ボランティア活動に走り回り、生涯学習講座にも出席し、カフェで団欒(団結)し、パソコンのデータをアウトプットもするでしょう。
また、学生たち若者の感覚と言えば、今年の住環境デザインの卒業生、厚海君の卒業制作は古い商店街の再生を目指し、ストリートバスケットやサッカーを行う広場をあちこちに挿入し、学生の通学路となるよう同窓会ギャラリーを付け加えました。それが若い人たちの柔らかな発想です。

まちって線じゃなくて、面なんですね。全国の商店街の元になっている銀座だって、1丁目から8丁目を一直線に歩く人はもういないと思うのです。

パリのパサージュも、イタリアのギャラリアも、日本の商店街もその姿は変わりつつあるのではないでしょうか。それを知っているのは今のところ、もうひとつの柔らかな発想の持ち主であるコンビニと自販機かもしれません。そのコンビニと自販機を描いたウォーキングマップがもうすぐデビューします。

ただ、もう少し根本的な視点から考えると、僕たちはネット販売やTVショップ、通信販売の方を多用しており、その実績や信頼は上っています。また、書籍はアマゾンで買うことも多いし、ジュンク堂や丸善でもネットで注文をし、書店へとりに行くことを常時行っています。古書さえ(古書だからこそと言うべきかもしれませんが)ネットで押さえています。

今や、書店では本を買うことよりも本に親しむことが求められ、公演会や学習講座が行われ、立ち読みならぬ、非購入品を座ってくつろいでコーヒーを飲みながら読むことを許されています。そうすると店舗とは物を売る場所ではないのですね。そこで物を売ろうと思うから、それで売れないから嘆くことになるのではないでしょうか。

商店とは何でしょうか。

2007年6月29日

過疎地のまちづくり

岡崎市企画政策部の石川氏、黒川氏と面談し、近年、岡崎市と合併した旧額田町の下山学区のまちづくりについて打ち合わせました。下山学区は豊田市との境に位置し、山間部の過疎地200世帯ほどの集落です。トヨタの研究所やテストコース設立の構想があり、この機会にまちをどう考えてゆくかを考えることになりました。

担当のお二人と話すうちに目指すべき方向性が見えてきました。いろいろと、これまでの経緯や関係もあり、こうした機会に専門家が介在して取りまとめることはむしろスムーズにまちづくりが動くのではないかと感じられました。
これからの社会で重要になるのは、「純粋な中間性媒体」なんだなぁ、、、。

過疎地の柔らかなコミュニティを無理やりつなぎ合わせることも慎重にしなければなりません。まちづくりとは関係性をどうつくるか、あるいはどう見出すかということです。ゆるやかに、繊細につながっているだけに細心の注意が必要です。関係性の網の目のなかに入ってゆく意識が実感できます。CGの画像がメッシュでできているように、おぼろげに見える集落がメッシュの姿をして、目の前に現れてきて、かつて、武蔵野大学の同僚だった、建築家であり、CGデザイナーの風袋宏幸氏が長時間CGを描いていると周りがメッシュで見えてくると言っていたのを思い出します。

うまく進めば、あるものを介在させながら、歴史と地域と人とをつなぐ、どこにもないまちづくりが生まれそうです。(今はまだ秘密です。)講演、企画、ワークショップ、その準備づくりが始まります。

中心市街地活性化構想

長久手まちづくり研究会では青森市の活動も報告されました。直接現地へ行って視察されています。

コンパクトシティの成功した事例は極めて少ないようですが、青森市は数少ないその一つと言われています。しかし、青森のコンパクトシティは中心地だけの政策ではなく、地域をインナー、ミッド、アウターと位置付け、それぞれで効果的に、総合的に進められています。いろいろな活動を拠点として、そのひとつとして、カーリングチーム青森をシンボルとしたカーリング文化による活性化もまちづくり活動の一つです。

雪国という風土だけの問題ではなくて、中心市街地といって視野を狭めることなく、青森全体を考えていたからこそ、成功したのでしょう。

一方、それに追随し、政府の掛け声に反応するだけの自治体は中心部の活性化のために、図書館や高層のマンションを建ててゆきます。しかし、それだけではなく、これまで整備した中心地周辺の老朽化したとはいえ、重要な施設を同時に解体するのです。そこでは、これまで長い間続いていた市民の豊かな活動も休止に追い込まれています。

コンパクトシティという豊かな理念であろうが、あくまでスクラップアンドビルドとなってしまうのです。その根本理念を解さず、単に経費削減、成功例を近視眼的に見ることが横行します。こうした中心市街地活性化計画は愛知県でも30近い行政で計画実行されています。

こうした動きに中心市街地の古い商店主たちも呼応します。彼らは真剣です。でも、周辺をないがしろにして中心の商店街が栄えることはありません。

今、その中心市街地活性化の中に、市民も巻き込まれてゆくようです。「岡崎市中心市街地活性化協議会」に委員として呼ばれ、協働化を迫られる商店主たちの小さな人間的な店舗も、大きな公共施設や高層マンションが立ち並ぶなかで廃止に追い込まれなければいいのですが、、、、、。

2007年6月28日

NPOの運営基盤

長久手の近くの小さなまち、御嵩町でもまちづくり運動が進んでいます。計画を推進している田中氏より研究会発足の報告がありました。

自分たちの構築するネットワークメディアを基盤に運営と展開を行ない、市民とのつながりを作ると同時に、基金や収益によって確実に、継続して運営が行えるような組織が目指されています。また、ここでは総会に最終決定権を置く一般のNPOとは異なり、理事会に代表権を持つ事業型NPOが構想されています。1年に1回の総会で重要案件を決めてゆくことの機動性のなさや不安定さは大きな問題ですし、何より、組織の運営基盤をしっかりとつくる考えには同感です。彼らはその両面からの基盤をネットワークメディアの共有に託そうとしています。

こうした運営基盤の予算化はボランティア活動を行う人たちには理解をしてもらうことが難しいとよく聞きますが、しかし、十分な活動体制を築くことは、社会的使命を果たすためには不可欠のものと考えます。

僕たちのコミュニティシンクタンクも運営、研究、調査を十分に行うための資金調達も課題の一つです。が運営基盤とは資金面だけではなく、活動の場もそれ以上に重要です。御嵩町ではネットワークメディアによって、同時にそれらを構築しようと考えられているのです。
つまり、どこで活動の価値を形づくるか、どこへその価値を提供できるかを考えなければなりません。

2007年6月27日

NPOの自立

今日本の多くのNPOが危機に瀕しています。 田中弥生氏が「行政の下請け化に未来はない」で、行政からの委託が運営のほとんどを占めることによって、その根本的使命が喪失してしまう状況を訴えます。一時的な組織の運営には、公的資金は必要かもしれませんが、しかし、そのことが結局、市民に支えられるという基盤が失われ、運営そのものが弱体化してゆくのだと提言されています。NPOが継続して有意義な活動を続けるためには自立が必要とされるのです。

また、同様のことがボランティアによる市民活動の中にも現れています。意図する、しないにかかわらず、コーディネート、というより管理されることによって、地道な活動が間違って方向付けられてしまったり、最悪の場合には結局は休止に追い込まれたりしてしまうこともあるでしょう。

NPOとは法制上は市民による公益活動を促進することを目的に、市民の自発的で自由な活動に対して広く法人格を付与することにあるとされ、また、事業を運営し、組織を経営するという点が欠けていると言われます。

コミュニティシンクタンクはNPO法人なのかパートナーシップなのか、どのような方向を目指すべきか、その具体的な形態はまだ見えていませんが、彼女が紹介するNPOを表すドラッガーの言葉を借りると、「コミュニティシンクタンクとは自発的で自立的な活動を、市民に支えられて活動し、市民や社会から信頼を得るために、しっかりと自分たちの使命を説明することにある。」
その時に市民からの、社会からの評価が組織を継続させてゆくのだろう。

2007年6月26日

ものづくりとまちづくり

高浜の都築氏は本物のものづくりの精神を持ち、もののしくみを自ら解明しようとし、屋根の研究を続けてきた人ですが、またそうした本物を見る視点からまちを見ている一人の市民でもあります。
高浜市内にある方向から入ってくる道路の景観の貧困さを謳えた。ひとつは市長の視点と市民の視点は違うことと、もうひとつは樹木を単に植えればいいと発想が貧困な景観をつくっている。植栽のプロの職人が見れば、育たない理由は明らかであるとのこと。
結局、彼は市長に提言するのではなく、地域の二人の区長に声をかけ、自分たちで整備を進めていったというのです。

まちのいたるところに存在する、こうした市民の無数の目が生かされた時、発想の豊かなまちが出来あがるだろうし、その発想を具体化する動機もまた本物になるはずです。ものづくりとまちづくりはとても近いところでつながっていることが再確認できました。岡崎でもものづくりが盛んに言われます。しかし、「ものづくり」とは研究対象でも観光振興の対象でもないのです。本物を見る目なのです。そうした目を市民一人ひとりが養うことがまちづくりにとって最も重要なのです。

2007年6月25日

長久手まちづくり研究会

長久手まちづくり研究会の合同ミーティングがあり、参加させていただいた。MLでは何度かやり取りさせていただいていたが、代表である渡辺氏と都築氏は、 初対面でありながら、温かく迎えてくださった。
この二人のパートナーシップが長久手のまちづくりを支えているようです。

ミーティングは研究会の活動の方向や参加メンバーの進行中のプロジェクト報告やそれの意見交換などよって、問題点やそれに対する意識を共有しながら進められていきます。共通の価値観が全体を覆うここちよいミーティングでした。こうして、つぎつぎとつながりができてゆくのでしょう。周辺の地域のまちづくりをも刺激し、さらにそれが伝播してゆくのだろうと推測できます。
こうしたつながりが地域全域に広まった時こそ、市民からの、地域からの、同時発生的な波となって、中部RCEといった拠点が見えてくるのでしょう。
シンポジウムにより活動を開始した僕たちの次の方向が見えてきました。

また、内井事務所で設計をした高浜市瓦美術館の前に屋根の会社を構えている都築氏(代表の都築とは別の方)も参加され、ものづくりの視点からまちについて述べられた。ものづくりとは岡崎でも盛んに交わされる言葉ですが、間接的にはまちづくりにつながるものと考えていましたが、こうして本物のものづくりに直接接すると、そうしたものづくりの目は直接まちづくりにかかわってくるのものだと実感しました。まちづくりにかかわる人たちが単に業務として遂行するためだけではなく、もののしくみにこだわり、本物を目指すことで随分とまちはよくなるはずです。

2007年6月24日

本と人とをつなぐそらまめの会

鹿児島の二つの図書館で指定管理者制度が導入され、その運営にNPO法人「本と人とをつなぐそらまめの会」が選ばれました。
http://inochinotabi.jugem.jp/?eid=241
このそらまめの会は、指宿の図書館を活性化しようと結成されたボランティア団体でしたが、利益優先の県内外の企業に図書館を任せるわけにはいかないと、NPOを結成し、メンバーの研修を重ね、新しい図書館づくりに乗り出すことにしたそうです。

このNPO団体は純粋に官と民の協働を目指したものと言えるのではないでしょうか。


岡崎の図書館交流プラザという複合施設のあり方に対し、昨年、僕は有機的横断型ユニットによる協働組織を考察しました。行政施設の縦割り型施設の中に、縦割りのブロックをつなぐ市民組織を挿入するのですが、少し時期が早すぎたようです。

しかし、今図書館行政が悲惨な状況にあることを考えるとき、才津原氏や巽氏、渡辺氏のような館長を育成することも、また、十分に登用することも必要です。また、そうした人間性も豊かな優秀な館長のプロデュース能力を組織としてその機能を果たすことも必要ではないかと考えています。

書物やその世界を愛しているのかわからないような、ただのサラリーマン的(優秀なサラリーマンには失礼な話ですね)図書館長が多い中で、ボランティアに関わるほとんどの図書館支援者は図書館が好きで関わっているのです。そうした人たちこそが専門的、経営的能力を身につけ、図書館運営に関わっていくことがとても重要なことで、この「本と人とをつなぐそらまめの会」の活動は勇気を与えてくれることでしょう。実際の運営がどのようになっているかは広報されていないのが残念ですが、ぜひ、鹿児島まで出向いてみたくなりました。

2007年6月21日

集団創造性 Collective Creativity

デザインとは関係性を見つけることであり、新たな関係性を築くことであると考えています。つまり、個人の壁を打ち破り、また、制度や社会の壁を解体してゆくことで、人が動き出し、さまざまな関係性が生まれ、そうして初めてデザインが、あるいはコミュニテイデザインが生まれるのではないでしょうか。

二コレットモールやラブジョイプラザの設計でランドスケープアーキテクトとして有名なローレンス・ハルプリンが実はオープンタイプのワークショップの先駆者です。彼の目指していた集団創造性、集団による創造行為をつくりだすことがワークショップの原点です。
また、それがデザインの原点でもあるのです。

壁を解体し、何でも受け入れることからワークショップは始められる必要がある。それでも優れたデザインが生まれるし、そうしたものこそ優れたデザイン、コミュニティのデザインなのではないでしょうか。

豊かなワークショプのあり方を数多く提言している木下勇氏の「ワークショップ」には、
1.構造づくりの段階で住民参加のプロセスを経ないで、構想後の実施段階で住民参加を行っていたり、
2.ワークショップがハードの事業に付随する義務として考えられ、担当者や参加者が受動的に参加し、本来の住民主体となっていない、
3.ワークショップを固定化した条件やマニュアルで行い、流動的に行えず、創造性を減じている、
など現在の日本におけるワークショップの形骸化した危機的状況が伝えられています。

2007年6月19日

マスターアーキテクト

多摩の南大沢ベルコリ-ヌへでかけた。ここは住宅都市整備公団の開発した住宅群で、我が建築の師、内井昭蔵がまちづくりのコーディネート役として建築家の新たな役割を作り出したプロジェクトです。竣工以来なので、17年ぶりくらいになります。それぞれの住棟を設計するのは、別の建築家たち、大谷研究室や坂倉建築研究所、現代計画研究所、アルセッド建築研究所などそうそうたるメンバーで、内井は彼らを総合調整して、ひとつのコンセプトを持ったまちをつくりあげたのですが、それはマスターアーキテクトMA制度と呼ばれ、MAである内井がブロックアーキテクトBAであるそれぞれの建築家に対し、デザインコードを用いて、ひとつの共通するまちをつくったと言われています。しかし、本当のところはそんなに単純ではありません。

内井事務所に公団から仕事が持ち込まれた時には設計はほとんど終わりに近づいていて、そこから新たに設計をするようなものでしたし、BAも簡単にはMAの言うことは聞いてくれないりっぱな建築家たちばかりでした。豊かな道と赤瓦の屋根とレンガの外壁という共通したコンセプトを共に試行錯誤しながら、コンセンサスを得ていったのです。
デザインコードでまちづくりができるなら苦労はしません。まちも生きているし、心も持っている。
内井さんは僕たちスタッフと仕事を進める時も、「島崎さん、どう思う?」からやり取りが始まり、まずじっくりと話を聞いてくれます。それでは建築家としてやりたいことができないと思われるかもしれませんが、設計とは、デザインとは対話から生まれるのです。スタッフや発注者、施工者との対話、さまざまな状況をすべて聞いたうえで、内井らしさが出てくるのです。僕らはお釈迦様の手のひらの孫悟空のようなもので、内井さんのデザインから離れて設計しようとどんなに考えて振舞っても、結局は手のひらの上なのです。
内井さんが晩年、まちづくりの調整役に情熱を傾けたように、僕もまちづくりに向いたいと思います。でも、彼を見ているとまちづくりには人間性がとてつもなく現れるんだなぁと感じます。人間力を鍛えなくてはとてもまちづくりなどできないだろうな。

2007年6月18日

まちづくり業務

まちづくりとは何だろう。

このまちづくりにかかわり、市民活動団体と行政との調整業務が行政から別の市民活動団体との間に結ばれた委託業務契約に基づき実施されることが多くなりました。その契約内容は、例えば、以下のように決められていることもあります。
1.特定の市民活動にかかわる交流会を年6回開催する。
2.特定の市民活動にかかわる団体の世話人会を運営する。
3.特定の市民活動にかかわる団体を支援する。(状況の把握と助言)
4.特定の市民活動にかかわる情報管理する。(広報活動)
5.その他(特定の市民活動団体が所属するまちづくりとの調整等)

多くの場合、行政との契約に基づいた特定の市民活動団体のコーディネートはするが、それ以外の団体にかかわる業務は行わないようです。 過不足なく業務を行わないと次の契約が交わされないものであろうし、また、もともと信頼に基づきコーディネートを行っているわけではないので、契約範囲を超えることは、それも難しいのかもしれません。しかし、契約に決められたことだけやっていてもまちづくりにはなりません。まちづくりって、もう少し神聖な、真摯なものではなかったでしょうか。
コーディネートする側も、またコーディネートされる市民の側にも難しい業務だろうと感じます。

ただ、こうした契約業務をこなすことで、陰でどれだけの多くの市民活動が休止に追い込まれたり、多くの市民の自由性を奪ってしまったか、など客観的に共有する課題を実感することが重要ですが、それは契約業務には入っていないものです。しかし、いまやどこの企業でも必要としている、そうした市民(消費者)のありのままの情報を提供できる組織をこそ、行政は大切にしなければならないのではないでしょうか。

つまり、狭く閉ざされたマーケッティングではなく、開かれたオープンな真のマーケティング。
まちづくりの現場はどこにもない常に新しい試みであり、どこのまちもはじめての、ある意味で実験の場であるべきなのです。そこにコミュニティシンクタンクの存在意義があるのかもしれません。

2007年6月17日

パートナーシップマインド

まちづくりにおいて、またコミュニティシンクタンクの運営において、パートナーシップマネージメントは重要な概念となってきます。

協働による業務の遂行、パートナーシップによる新たな企業運営が日本でも広まってきました。パートナーシップマネージメントの著者、橋口氏によると、2005年8月に「有限責任事業組合契約に関する法律」が施行され、日本でもLimited Liabilty Partnership有限責任事業組合などのようなパートナーシップによる事業が認められたことや働く人たちの意識も会社依存型のヒエラルキーの強い縦型社会からフラットな個人中心のスタイルとそのネットワーク化に変わってきたことも大きな要因です。

僕たちの考えるコミュニティシンクタンクも「多組織間の連携と協働」を目標とし、その活動形態もパートナーシップ的なプロセスをとるように感じられます。
しかし、パートナーシップによる協働とは互いが独立し、同じ価値観を目指す相互の信頼のもとに、協働を行うことです。「Give and more Given」が基本です。ここに純粋な中間性媒体の方向が見えているように思います。

しかし、今行われている協働はこうした基本の部分がまだ成立していないのではないでしょうか。縦型のヒエラルキー社会、管理をしようとする社会でいくら協働を叫んでも、「Give」だけの、一方からの片思いだけで終わってしまうように感じます。ヒエラルキーマインドじゃなくて、パートナーシップマインドが必要なんですが、、。

2007年6月16日

まちの緑







ウォ-キングマップWKMP連載、第二部の原稿のまとめに奮闘中。マップに掲載する場面の写真一枚一枚の最後の確認をしています。確認といってもチェックではないし、ダメ出しでもない、撮ってきた学生たちの表したいものは何か、描かれた町の断片が何を物語っているかを再確認したいのです。
そのひとつ、映画好きで感性豊かな学生である4年生榊原さんの岡崎の「緑」をテーマとした100枚ほどの膨大かつ面白いショットに岡崎のまちのすばらしさを再度実感しました。

ここには多様な生命感あふれる植物の姿が現れています。岡崎はまち全体がこのように身近な緑にあふれているのです。建物は解体されて駐車場になっても内部にあった大きな樹木は残っているケースも多々あります。そして、重要なことはこのまちのあふれる緑を支えているのは市民独自の活動であることです。

しかし、そのような豊かな岡崎にも例外が一箇所あります。中心部、最も整備がゆきとどいている地域はこのようにさびしげな通りです。街路樹もきれいにカットされ、ここでは樹木は管理される「もの」として扱われ、豊かにまちを形づくる協働者になっていないように感じられます。

ただ、単に業務を遂行するだけでは魅力のある町はできるはずもありません。


市民活動も同じように考えられるかもしれません。それまで、地道に、かつ精力的に行ってきた活動が行政の助成を受けたり、協働化されると、市民活動は方向付けられ、規制を受けてしまうことになります。また活動の評価を受けなければなりません。行政にとっては市民と協働することは大きなテーマのようです。
それでも市民の側は、今まで持ちえなかった発言の場所が具現化するのではないかといちるの希望を抱き、我慢強く対処しています。

まちの緑に現れる人と緑の豊かな協働。市民と行政の協働。協働とは何でしょう。

2007年6月15日

市民の石垣

昨日は4年生のゼミの第二課題の舞台となる本宿小学校へ行ってきました。とはいえ、人間環境大学のお隣ですが、昨年よりゼミ生が本宿小学校改築計画に取り組み、年末の小学校の作品展にその作品を展示させていただくようになりました。今年も優秀作品を派遣することになりそうです。 見学の前に校長の太田先生からお話を伺いましたが、現在の状況だけではなく、 いろいろと話してくださいました。

岡崎では小学校区がまちづくりの基本とのことです。中学校区は併合等があるけれど、小学校は各地区の中心として考えられてきたそうです。 そう言えば、今、僕がまちづくりに向けた講演会の依頼を受けている地域は額田町(近年岡崎市と合併)の下山学区といい、ここでも小学校区がまちの基本単位であることがわかります。

本宿小学校は前の道路から3m程度上がったところが敷地です。野積みのようにやわらかく積みあげられていますが、この石垣はかつて、校地の整備のために、市民が一つひとつ石を持ち寄り、積みあげたのだそうです。皆でつくり、また地域にも開放され、まち全体で育ててきた小学校と言えます。まちの基本です。
しかし、その小学校も防犯上のため市から指導を受け、昨年より、閉鎖的に運営せざるをえなくなったようです。

コミュニティシンクタンクの拠点はどこかと考える時、もちろんネット上のコミュニティも重要ですが、学校や図書館を拠点としたコミュニティが当然考えられるべきです。かつて、地域に根ざして設計活動を行っていた「象設計集団」は小学校をその拠点とし、越後妻有で行われている大地の芸術祭(アートトリエンナーレ)でも地元の小学校がボランティアメンバーの活動拠点となっています。また、京都マンガミュージアムは都心の小学校を改修したものです。多くの人を包み込む空間と人の記憶を呼び起こす場。まちづくりにはそのような拠点が必要なのではないでしょうか。

しかし、今、多くの図書館だけでなく、学校も閉じられてゆくようです。

2007年6月14日

図書館とマーケッティング

まちや図書館のさまざまなマネージメントを考えていたら、図書館をマーケッティングの視点からコメントしているこの人のブログにたどり着きました。
http://soslibrary.exblog.jp/ 「真夜中の図書館」の著者、辻桂子氏。(先日購入したままで、まだ読めていないのですが、、。)

図書館づくりとまちづくりの違いはありますが、(でも図書館もまちもそう大して違いはないはず。)同じような考えを持った人であることが実感できます。
実は彼女は、能登川図書館長だった才津原氏と一緒に静岡にお伺いした時に、「九州に行ってこんど前原図書館の辻氏に会うことになっています。」と言って彼が楽しみにしていた、その辻氏だったのです。

市場化、マーケッティング、ドライブスルー、ヘッドハンティング、デザイナーズ図書館、おとなの部活動、図書館を経営するセンス、、、、、。

ここには、さまざまな、それも膨大なヴォリュームの楽しい思いが真剣に重ねられていて、それが直接伝わってきます。
デザインプロセスに例えると、さまざまな問題マップを壁に張り出したところでしょうか。これから、このマップすべてを実現する図書館像、アーキタイプを発見し、具現化してゆかなければなりません。

でも彼女の頭の中には、あるいは日常の実践の中にはリアルに見えているはずです。
彼女の望む、「利用者の視点を生かしたデザイン 図書館は快適空間」となるデザイナーズ図書館。それはもちろん、市民も望んでいるものです。そして何より、建築家も望んでいる、やりたくてしようがないプロジェクトなのです。仕事は楽しくなくては、、、、。
でも、世の中にはそれを阻んでいる何かがあるのです。

来年完成する岡崎の新しい図書館は、環境にやさしくと言いながら、閲覧室の窓が開かないのは市民が本を盗まないためであるらしい、また、図書館のシンボルとなるはずであった市民のはぜの大木は簡単に伐採され、町の縁側をつくるはずなのに、縁側のような外と内の接点などどこにもない。
でも、それを改めさせるのが本物の専門家たる、建築家の職能なのですが。

2007年6月13日

子どもたちとのマップづくり

昨日はわんぱく寺子屋の内田氏と面会し、岡崎を中心としたその活動や今後の進め方をお聞きしました。まずは7月1日。岡崎のもとの岡崎城の外郭に沿って、歴史や現在の面白さを持ったものを発見し、地図に描いていこうという試みに参加することになりました。そう、それはオカザキウォーキングマップWKMPにつながる活動です。そしてそれは岡崎のまちづくりにもつながります。僕もこうした子どもたちとマップづくりがしたいと考えていて、今回の活動がその第一歩になるのではないかと思っています。
これがわんぱく寺子屋のサイト。
http://www.wanpakutera.info/aboutus_wanpaku.html 
岡崎にはこうした多くのすばらしい活動があり、豊かな感性を持った市民たちがそれらを支えているのです。彼ら、彼女らでつくるまちは素敵なものになるはずなんですが、、。

シンクタンクのビジョン

昨日は豊田市から岡崎市へ、移動が多い日となり、一日、「社会企業家フォーラム」を主催する田坂広志氏のこの「プロフェショナル進化論」を読んでいました。読んで励まされ、刺激を受け、コミュニティシンクタンクとはコミュニティに寄与し、コミュニティの方向性を考えるシンクタンクであると同時に、それだけではなく、最も大切なことはコミュニティによってつくられるシンクタンクをめざすべきなのだと教えられました。

コニュニティとシンクタンクとのつながりはできるだけ中性化した、客観性を持ったあり方をめざさなければ、多くの市民活動を支える中間性媒体にはなりえないのではないかと考えていました。しかし、同じ志を高く、強く持ったネットワークをつくり、共に学び、共に成長することで、コミュニティシンクタンクが機能を発してゆく。それが純粋な中間性媒体への手がかりになるのだということも実感しました。また、そのためには、僕のこれまでのデザイン経験から得られるビジョンやコンセプトを語り続けてゆくことがその一歩となることも自覚しました。
ともあれ、「コミュニティ デザイン宣言」

2007年6月12日

顧客調査と営業評価

コミュニティのさまざまな情報に触れることで、市民と行政の具体的な状況や関係が身近に伝わってきます。 そうした情報が最も必要な場所、それは市民だけではなく、行政のトップなのではないでしょうか。

行政や公的機関でもトップの意向が隅々まで、末端の部署、スタッフまで浸透しているかどうか。トップが豊かなで複合的な図書館をつくりたいと考えても、担当する部署やスタッフがどこまで理解できているでしょうか。こうしたことは僕たちの身近にも感じられます。

消費者の動向をつかむため、市場調査を行い、その成果に対し、自ら評価を行う、それはどこの民間企業でもやっていることです。市民が何を欲しているか、行政スタッフがトップのコンセプトやビジョンを理解してサービスしているかどうかなど、それは本来は行政トップが行うべきことであるが、十分にできているのでしょうか。また、それはサービスの受給者である市民が本来はその評価を発信するべきなのであるが、それを専門的立場と第三者性を持った中間性媒体であるシンクタンクが代弁する。

市民活動団体との連携を図るコミュニティシンクタンクの大きな役割となるではないかと考えています。

2007年6月11日

本物の図書館

先週土曜日は関係する行事がいくつか重なっていました。その一つがおかざき図書館倶楽部の例会。
例会報告を見ると、そこでは僕のブログの言葉を紹介していただいていたようです。

>「市民一人一人を見据え」は大切なこと。「市民活動を支援しながら、市民と行政を繋ぐ」も大事なことだと思います。それを踏まえたうえで、倶楽部として何をしたら良いのか。

しかし、この「市民一人ひとり」という言葉は倶楽部の人たちと視察に行き、その場で講演をお願いした滋賀県東近江市能登川図書館の館長であった才津原氏の言葉です。中央の大きな図書館よりも中学校区の歩いてゆける図書館とそのネットワークを基本と考え、一人ひとり、すべての市民と向き合うことで、そこからつながりをひきだし、図書館で何でもやってしまう館長です。一つのレファレンスからも大きな書物の世界を広げることができます。そして、その分野の専門家とつながることにより、実際の世界に触れる展示会や講演会がいつも行われ、それがまた次のつながりを生み出しているようです。彼の図書館は「魂の図書館」と呼ばれています。図書館とは書籍の収蔵場所であり、そしてそれに触れる場所でありながら、それを超える人と人が書物の世界を通じて触れ合う場所なのです。また、図書館長という役職もその世界を構築するプロデューサーとしての能力が必要とされるのです。

日本にはこのような本物の図書館は5%だけで、その他は単なる本を貸し出すだけの貸本屋のような図書館や「図書館」という看板を掲げた役所のような図書館に溢れていると、図書館研究家である菅原峻氏は提言しています。

このことがわかっていない行政は非常に多い。適当に図書館長を決め、ひどい場合には開館年度まで決めない行政すらあるのです。そして、指定管理者導入などという、主に出版流通や販売にかかわる組織に図書館運営をまる投げしてしまう暴挙が広がり始めました。これは市民参加や民営協働化とはまったく異なる由々しき状況なのです。

こうした状況のなかでおかざき図書館倶楽部は悪戦苦闘しています。


滋賀県の図書館組織は東京日野市図書館で活躍された前川氏が20数年前に赴任されて以来、すばらしい図書館行政が行われています。東近江市では能登川図書館の他にも永源寺図書館(巽氏)、湖東図書館(澤谷氏)、八日市図書館(3月で退官された巽氏)、東近江市に隣接する愛荘町(旧愛知川町)図書館(渡辺氏)とそうそうたる館長が揃っています。
近年、こうしたすばらしい先駆的な館長に接することや東京では建築家の藤原氏を中心とした図書館建築研究会での、図書館施設研究所の菅原氏、西川氏などとの交流から、そして、「静岡市の図書館をよくする会」の代表草谷氏などから本物の図書館とは何かを学んでいます。

2007年6月10日

フォーマット

昨日、ウォーキングマップの原稿の打合せを行い、第一部がほぼまとまり、6月20日から東海愛知新聞一面に七回シリーズで掲載されることになりました。
引き続き、学生たちの制作した13枚のマップを掲載する第二部の打合せを行ったのですが、学生たちのフォーマットがばらばらで、まとめに苦労することがわかりました。ウォーキングマップとはまちに住まう人を想定した、主観的観測によるまちの調査分析です。そのため、多様な可能性を残したくて学生たちへの制約を極力少なくし、多くの視点と表現方法を期待しました。 そこからでてきたものを素直に受け止めながらフォーマットを決めていく。それが今回のマップづくりのやり方でしたが、最後のまとめのところでその影響がでてきましたが、インターフェイスを僕のほうで調整することにしました。編集者も多様な表現にどのように切口をつくるか、楽しんでいるようでもありました。


ここにはフォーマットやインターフェイスは後から合わせるものという考えが現れています。
しかし、フォーマットを先に決める場合もあるでしょう、 インターフェイスを見ないうちから決めてしまうこともあるでしょう、そちらが主流かもしれない。しかし、それは排除の方向、取捨選択を強いられるケースが多いものです。
価値判断、取捨選択、編集、それらの基準を決める主体は、価値判断を決定し、取捨選択を下し、編集を行うものの側にあると思われがちです。しかし、それはいつも犯す大きな間違いの一つであって、決めるのは実はそこに集まる、あるいは集められる、さまざまなものの側にあるものなのです。
そこに、COMMUNITY-THINKTANK「純粋な中間性媒体」の大きな役割があるんだなと思っています。

2007年6月9日

口伝

4月から土曜日はお茶の授業を受けています。茶道というとマニュアルにしたがってお茶をいただくように感じるかもしれません。しかし、神谷先生の指導は畳の十六目に座りなさいと言われるのですが、そこに座っていてもだめを出される時もあり、常にこれでいいのかと自分自身を振り返りながら、所作を意識することになります。さまざまな角度から僕の所作の全体を見て、それぞれ感じたことを指導されます。すべてがこのように行いながら一つ一つ所作とその美意識を学んでゆくことになります。最初は不確かで、迷いもでますが、でも自分自身にあった美しい所作を獲得することができるようです。

これは密教のように口伝によって体得されるものです。少し時間はかかるが、いったん自分のものになったものは失うことはないし、更に進化を遂げることもできるはず。 マニュアルを憶えて、その通りに演じるよりも確実で早いかもしれません。
建築のデザインも口伝によってしか伝わらないものです。わが建築の師、内井昭蔵が設計事務所の組織化をめざしたが、結局はマニュアル化、組織化を排し、彼自身がスタッフと向かい合い、あるいはリーダーとなって言葉を発することによって、僕達は自立しながらもやわらかく建築の何たるかを教えられてきました。

でも、今社会では先にマニュアルをつくることも多い。所作が多くなればマニュアルを増やすことで対応し、間違いがでないように細かに分類することになって、それはつくっている本人でさえ、全貌がわからなくなってしまうのではないでしょうか。そして、利用者のさまざまな姿よりもマニュアルが重視される、そのようにしてつくられ、運営されている町や施設も多いのではないだろうか。

2007年6月8日

客観的な視点を持った純粋な中間性媒体

先に紹介したRSDSCのMLで長久手町のまちづくりを紹介いただいた渡辺氏とのやりとりのなかで
「仮に目的や目標は大きく異なっても、どこも同じ問題、課題を共有しているのではないかと、私自身は考えています。少なくとも岡崎の内部ではいろんな活動がありますが、共通した問題がいつも横たわっているように感じています。それを示すことこそ、シンクタンクの役割であり、またそこにこそ、まちづくりの方向性が発見できると思っています。客観的な視点を持った純粋な中間性媒体こそが目指すところです。RCEもそのように僕は考えています。」と書いたところ、中部RCEの設立に奔走されている中部大学の古澤氏より興味と疑問を提示していただいたので、少しまとめてみました。
「大変興味深く読ませていただきました。特に、「客観的な視点を持った純粋な中間性媒体」の部分です。・・・・・・・・が。RCEには膨大な数の”地域”の人々がかかわることになります、その中で、「客観的な視点を持った純粋な中間性媒体」ということになると、その客観的な視点は、どのように生み出されるものなのでしょうか。そして、どのように「客観性」が確保される(あるいは確保されたと人々がある程度認める)のでしょうか。 、、、むずかしい問題だと思いますが。。また、中間性媒体というのは、そういった組織、という意味でしょうか?」



さまざまに行われている市民の活動を支援し、問題解決を共有化し、その問題を提言(発言)していこうと考えています。提言先は行政や企業や、あるいは自らの地域や社会全般ということもあるかもしれません。それはシンクタンクであり、フォーラムであり、ジャーナリズムの機能を持つものです。多くの問題を共有化するために、それぞれの地域で活動する団体、(あるいは個人)の活動の中間に位置し、「それぞれ」とつながる組織を考えています。
しかし、市民活動団体相互に利害関係が生じる場合もあるでしょうし、各地にできている都心再生活動のように視野を限った活動もあるでしょうし、また行政や企業に利用され、地域の弊害となっている活動もあるでしょうし、(もちろん、行政や企業、市民同士が共存できている活動も数多いと思いますが)それぞれに必要な視点を公正性、全体性、独立性、などと考え、まとめて、「客観性」という言葉で表現しました。誰かが主体となって間に立って、振舞わなければならないですので純粋な客観性というものは基本的にはありえないのですが、地域を真に活性化させるためにはこうした公正性、全体性、独立性が不可欠と考えました。
ただ、つなぐといっても無色透明な関係で、ビジネスライクな関係でつながることができればいいのですが、実際は地縁や人のつながりが必要にならざるを得ないと思いますので、中間性という位置付けは画一的なものではないと思っています。ですので厳密に、数値的に中間性や客観性というのは表現できないですが、アメーバーのようなものです。ただ、特に立ち上げ時には、地域の活動家たちの支援やつながり、意欲がないと進まないので、とかく一部の活動団体と積極的につながらざるを得ませんが、それが客観性を失い、一部の利益につながったり、後に続く団体から評価されなくなるのではないかと危惧します。難しい舵取りです。
ですから、僕は、地域で自分たちの活動を行っている"地域"の活動団体は基本的には中間性媒体とは考えていません。膨大な数の活動団体の間に媒体が入り込むのです。そしてつなぐのです。数の多さは基本的な問題ではありません。(多くなれば問題は複雑化、多面化しますが)、だからこそ媒体なのだと考えています。
それゆえ、中間性媒体の存在意義のためにも、客観性が必要と考えました。純粋な中間性媒体はありえないですが、数値では計れない高度の客観性、中間性が必要とされると考えるので、「純粋な」という装飾的表現としました。市民活動をコーディネートしたり、活性化したりする、公的な活動(RCEや今描いているシンクタンク組織)には不可欠だと思っています。

2007年6月7日

まちづくりデザインゲーム









先日、オープンキャンパスに来てくれた高校生を対象として「まちづくりデザインゲーム」を行いました。このゲームはヘンリー・サノフHENRY SANOFF氏が提唱するもので「DESIGN GAMES(日本訳;まちづくりゲーム)」として出版もされ、世田谷区などのまちづくりでも活用されているようです。昨年までは「高校キャンパスデザインゲーム」と言って、自分たちの通っている高校キャンパスを6色の型紙で表してもらっていたのですが、今年からまちづくりに向けた僕の実験も兼ねた試みとしました。
特に決められたやり方はないように思いますが、今回はまちの断片写真を分類することによって、まちのイメージを明確にし、それを実現するための具体的な形を型紙やブロックなどにより配置してまちを計画してもらいました。意外に形にこだわってくれて、楽しんでもらったように感じています。なかなか帰ってくれませんでした。
建築家の設計プロジェクトでも初期の段階ではこうしたビジュアルな方法でイメージする形を試行錯誤していて、設計事務所って結構遊んでいるようにも見えるところなんです。イメージが先行しがちな設計のデザインプロセスを客観的に振り返ることで、このようなデザインゲームに適用し、デザインの手法化(なかなかできるものではありませんが)もめざしています。
建築家は抽象的な言葉を語り、頭の中でイメージが組み立てられるものと思われる方も多いかもしれませんが、むしろプロだからこそ、ビジュアルな目に見えるイメージで検討を行うのであり、こうした具体的なイメージを多数提供することによって利用者や発注者と対話を繰り返して設計を進めてゆきます。
まちづくりデザインゲームはこうしたビジュアルなデザインプロセスを市民のレベルで広く行い、豊かで、多様なまちのイメージを表そうとするものです。 デザインって、意外に頭を柔らかくするものなんです。

2007年6月6日

パブリックマネージメント

中部地域は愛地球博後も市民活動が盛んに行われ、その活動もMLなどによってネットワークがつくられ、今も広く、緩やかに連携が行われています。そのひとつに、Reflection Samgha for Developing Sustainable Communitiesを表し、持続可能な開発のための知的実践共同体「サイバーサンガ」を標榜しているRSDSCなるグループがあり、ここに、小さな町での興味深い実践の報告が寄せられています。
「長久手町のケースでは、下からの盛り上がりを大切と考えて活動を続けていますが、頑迷な行政システムは、単純なアピールや住民のイベンツを成功させるだけでは効を奏さないので、議員、首長の教育が重要な課題であると考えています。住民は選挙権があるので、町議選では、立候補者に対するアンケートを取り、メーリングリストで配付、中日新聞による公職選挙法批判の上、次期町長選挙に対してはマニフェスト提案などを含め、住民サイドとしてできること精一杯に進めています。
まちづくり研究会のプロセスはよい町のイメージを共有し、住民でできる行動を具体的に実践することですが、よい町のイメージ(長久手町のローカルなイメージ)は、いままでの討議でほぼまとまり、次期首長選挙マニフェストの住民側の提案などに反映されています。」

市民活動を募りながら、その評価を行い、取捨選択している行政があるかと思えば、このように市民が主体となって、意欲的に取り組んでいる人たちもいるのです。 しかし、愛知だけではない。
静岡では、先の市長選に際し、市長候補者に公開質問状を送り、指定管理者導入等の図書館行政に対する姿勢を問いただした「静岡市の図書館をよくする会」が、先日「市民の図書館政策」なるものを発刊、公開されましたので、そこに記されている趣旨を紹介いたします。 今、図書館支援活動をきっかけに交流させていただいています。
「2007年2月に開催された第11回静岡県図書館づくり交流会で、「私の図書館政策」を公募しました。この市民の手づくり政策は、それに寄せられた原稿、及び当日のワークショップで出された意見の「私たちが図書館に望むこと」282項目、「私たちが図書館にできること」186項目という膨大な政策案をもとに、「静岡市の図書館をよくする会」でまとめたものです。
しかし、この政策はこれで完結ではありません。今後多くの市民の声を集め、関係の皆さんのご意見を伺い、官民協働でつくる「静岡モデル」として発展させ、よりよい図書館づくりに役立てたいと思っています。」

ここにこそ、パブリックマネージメントの原点があるように感じます。パブリックマネージメントとは人まかせにはできないんだなぁ。
巷にはニューパブリックマネージメントが氾濫しているけれど、本当の「ニュー」たる所以はどこにあるのだろう。

2007年6月5日

ウォーキングマップ

ウォーキングマップという町の今の姿を地図に描くという作業に取り組んでいます。これまでの地図や町分析のように、定量的な視点や抽象的な記号によって書き表すのではなく、この試みは町を歩き、主観的に感じることから町を記録し、新たな(新しいというよりも新たに発見できる)町の姿を発掘しようとするものであり、主観的観測による町の調査分析なのです。岡崎の丘や小道からコンビニ、自販機も含め、音環境なども含んだウォーキングマップがある程度まとまってきたので、地元の新聞社から三部シリーズで掲載していただくことになりました。第一部が町に対する基本的な視点、第二部が実際の町の断片となるマップ、第三部が町全体を描き出したマップとなる予定です。今日、第一部の原稿の校正ができあがりました。
このウォーキングマップは、町に住まう人が直接、町に触れることによって、また、それらを記録することによって、町の本当の姿を発見しようとする試みであって、こうして、町を知り、その上に町を重ねてゆくことで本当の町づくりが始まるのだと考えています。
同時にそれは町づくりをそこに住まう人たちに取り戻すための手がかりとなるのです。

2007年6月4日

市民ワークショップ

市民の柔らかな声を行政に生かすために市民ワークショップが開かれることが多くなった。建築家の取り組む多くのプロジェクトにおいても巨視的な視点や抽象的なイメージを払拭するために行われ、大きな効果をあげている。 しかし、同時に建築家もすべてのものを取り込む覚悟とそれらから新たな価値をつくりだす能力とが要求される。
どこにおいてもこのように市民参加が一般的な手法となると、新しい姿勢を目指す行政だけでなく、古いままの体制でよいと考えている行政までもが、市民ワークショップに取り組まざるをえないことになる。ここに大きな悲劇が生じてくるのであり、市民はもちろんのこと、それに携わる古い体質の職員までもが身近にそうした矛盾に向わざるを得なくなってしまうのである。
「まちづくりは鍋物のように」と言って、多くの市民やその声を集めるのだが、結果的にはひとつの好きな具だけを食べ続けるという、市民やその声を選別することが簡単に行われてしまう。当事者の職員からも「議論が先鋭化しても困りますから、、、」、「職員がどれだけ消化できるか、、、」などと、新たな行政に取り組もうとする姿勢など、全くないことも多い。
目の前の現実のプランを改革することも必要であるが、しかし、それを実践するために根本的に組織をも改革しなければならない、という困難な局面に市民は立たされている。
市民の声がしかるべき場所に、あるべき姿で、届いていないのである。

2007年6月3日

RCE(Regional Centre of Expertise)

今日は中部大学名古屋キャンパスで「中部地域の持続可能な発展教育」拠点準備フォーラム設立のための会議が開かれます。僕はオープンキャパスのため参加できませんが、活動を共にしている柴田氏がディスカッサント(舌をかみそうですが)として参加しています。
愛地球博以降、市民によるさまざまな活動が活性化した中部地域ですが、今、国連大学の提唱する「持続可能な開発のための教育」(Education for Sustainable Development)に基づいた中部地域の「地域拠点」RCE(Regional Centre of Expertise)をユネスコに申請することになります。市民の持続可能な発展教育にかかわるさまざまな活動-ESDがあって、そのネットワークをつくるためにRCEを構築しようとするのですが、後からかかわることになった僕にとって、「地域拠点」RCEのしくみは、まだはっきりとは見えてこないのです。
市民中心といいながら、中部の特性とは何かという視点に立つと→ものづくり→トヨタということになってゆく。しかし、ふつふつと沸きあがっている市民の活動を前面に押しだして考えるのが自然であり、それこそが東京や京都とは違う中部の特性なのではないかと感じているのです。
市民のさまざまな活動が自立/自律していれば、あとは触媒的リーダーが存在することで、ネットワークが生まれ、次々とつながってゆくはず。それがRCEではないだろうか。それでこそ、多様な問題意識が共有できるというものである。
RCEは僕たちが今思い描いているモデルに近いところにあり、目標でもある。しかし、岡崎では自由な立場と公正な発言力を持ったCommunity-Thinktankが多くの支援を得て、市民活動のネットワークの拠点として、その役割を担っていかなければならないのだと考えています。

2007年6月2日

利休のデザイン

人間環境大学の教授であり、有名な名古屋の裏千家の師範でもある神谷先生についてお茶を習っています。毎回利休居士の四規七則を唱和して始まります。

茶は服のよきように点て
炭は湯のわくように置き
夏は涼しく冬は暖かに
花は野にあるように
刻限は早めに
降らずとも雨の用意
相客に心せよ

これって、たぶんデザインなんだな、もののあるべき姿がデザインということであり、あるべきものがしかるべき場所にあることがアメニティということなんですね。

2007年6月1日

コミュニティシンクタンク

市民本来のまちづくりをめざして、組織を結成しました。
不特定多数や最大公約数と言われるような「市民」ではなく、市民一人ひとりを見据え、市民活動を支援しながら、市民と行政をつなぐ「多組織間の連携と協働」をつくりあげるシンクタンク構想を実現します。

岡崎は市民活動が盛んであり、また、まちも市民の生活が絶え間なく重ねられてきたもので、とても面白い景観だと感じます。
市民と行政の関係が対立から共存へと変わったように言われますが現実は市民を取り込んでおきたい行政、方向づけられることが快感と感じる市民活動団体、第三者的立場でコーディネートしなければならないまちづくりNPO組織が行政に雇われた行政の出先機関のようなものであったり、悲惨な状況も垣間見えています。

こうした課題を打開し、本来の市民が主導するまちづくりをめざすべく、立ち上がり、声を上げようと考えています。