2007年7月31日

町を描くことから1

オカザキウォーキングマップ(Okazaki WKMP) ~町を描くことから町づくりへ~の第一部、「ウォーキングマップとは」がまとめて掲載されました。現在は第二部の校正中、第三部に向けてマップを制作中です。 岡崎の地域の新聞社、コミュニティシンクタンクの大きな力となってくれるだろう、東海愛知新聞社、その一面に、6月20日から29日にかけて7回のシリーズで連載されています。

その第1回から順にここに掲載してみたいと思います。まちづくり、コミュニティシンクタンクに運営に不可欠な視点と考えています。まちに対する視線だけではなく、僕のまちづくり、市民活動に向けた視線であり、価値観です。

1.町とは何か。

私たちは岡
崎という町に面白さを感じ、どのような町なのか、その面白さはどこから生じているのかを明らかにしようと考え、町を描く作業をスタートさせた。研究室のメンバーが岡崎の町に出て、町の面白い形、気になる場面、活気のある場所などを自ら町を歩き、発掘し、地図に記録するのである。最初はどこも活気がない、興味がわく場所が少ない、何を見つけたらいいのかわからないと悩み、作業が進まなかったこともあった。しかし、何を見つけてくるのか、また何を撮ってくるのか、初めは見えてなくても、歩き回るなかで次第に見えてくるものだ。何も見えないと思えた場所においても、何らかの岡崎らしさを発見しようとする意志を持つことで、多くのメンバーが岡崎の何かをつかまえるようになった。このようにして地図に描いた町の姿を私たちはウォーキングマップと呼んでいる。

昨年11月には成果の一部を10枚のパネルにして発表し、私たちの進む方向性もはっきりと見えてきた。今回は成果の全体像を明確にし、私たちの視点から描いた岡崎の町の姿を3部構成でお届けしたい。

まず、第1部はこの町を描くウォーキングマップの基本となる考え方を7回のシリーズで提言する。それは町とは何かを表す新たな発想であり、町を自分たちの視点で語る新しい町づくりの理論である。町に住まい、活動する人たちが町に向ける人間的な視点でもある。
次に第2部として、メンバー一人ひとりが町を探索し、制作したウォーキングマップをそのテーマごとに紹介する。歩いた軌跡や写真や簡単なコメントなどを表したマップによって町の隠れた断片を描き出す。最後に第3部では個別テーマの中からいくつか選定し、町の全体マップを発表する。現在、メンバー全員で町全体を歩き回って制作中であるが、一つの完成形となって、はっきりと町の形や領域が見えてくるはずである。

私たちの作るウォーキングマップは歩くための道しるべではなく、自ら町を歩き、探索することによって見つけた町の姿を記録した地図である。

町とは身近なものである。そこに住まい、生活を行う場所であると同時に、歴史や文化、風土などの拠り所となるものである。また、同時に私たち一人ひとりの力ではどうにもならない、何か有機体のようなものでもある。

そうした生きている町の姿をそのまま描いてみたいと考えている。町を記録した地図は数多くある。しかし、その多くはいずれも抽象的な側面や観念的、計量的な側面から町の一面を明らかにするだけで、真の町の姿を映し出してはいないと感じる。目指すのはこうした地図ではない。

町をつくる視点は様々にあっていいが、町が抽象的な視点からその方向性を定められていることが問題なのである。このような町への視線は町を数字や記号やモデルに置き換えてゆくという抽象化の過程で町の身近な姿や豊かな形を失わせてゆく。町づくりには町そのものを見ることが必要である。町とは普段は見ているようで見えていないものであるが、自ら町に向い、それを感じとり、肌で感じた町の姿を見つめることが大切である。

生きた町をそのまま記録することで新たな町の形を描く地図-ウォーキングマップを構想したい。それは岡崎の本当の姿を映し出し、次代の岡崎へとつなぐ指針になるに違いない。岡崎とはどんな町かと考えてみる、いや見つめてみる必要があるのだ。」

岡谷から

岡谷に行ってきました。信州という地域は周囲をなだらかな山々に囲まれ、初めて訪れた時から、とても豊かな空間性を感じてきた地域です。心地よい囲繞感なのです。広い平原が赤城や筑波まで続き、むしろ、さまざまな地点から大きな富士を視線に感じることで、空間性を感じ、同時にまちの共有意識を作っていた東京とはまた、異なるシンボル性を持っています。

特に、岡谷は諏訪湖に面し、周縁性と中心性を持った明快な町です。諏訪湖がシンボルであると考える時、それが精神性などという視点でも、また、ひとつの大きな歴史性といった視点だけでもなく、具体性を持った、今の生きる人たちの視点に変わる時、その湖岸が周囲約16km、4時間程度で散策できるまちの回廊となり、諏訪湖を中心とした行政上の3つのまちは共有のシンボルを持った、協働の場となるのではないかと感じます。

まちの特別の風景の中には人々の活動の姿が内蔵されているのだと考えています。そして、それはどこのまちにも共通して潜在しているものなのではないかと思うのです。

2007年7月30日

教育の功罪

まちづくりにかかわりだして、「こうあらねばならない」などと宣言していると、新しい発想がわいてこないような気がしています。大きな不安を抱いています、手が動かなくなるのではないかと心配しています。

実はこのことはある作詞家のことを本にするという企画があって、彼が教育的な企画をやって以来、作詞という創作活動から離れてしまい、面白くなくなってしまったのではないかと考えたことにその発端があります。

しかし、他人事ではなくなってきました。それを自分に置き換えると、正義や不合理さを、社会に問い続けていると、知らないうちにかなりのスランプに陥っていることが、突如わかることがあります。

何かを、誰かを教育しようとするのは、もしかしたら人から発想や想像力を失わせるものかもしれません。「教え」、「育む」とはとても畏れ多いことばです。 教育の可能性があるとしたら、もっと、別な方向のはずです。

そう言えば、芸術家で教育的な人はいないですね、むしろ非教育的と言うべきかもしれません。しかし、教育的と非教育的、その境界は難しいものです。芸術家はその作品や活動によって社会を啓蒙します。僕たちはその背中を見て、古い社会に立ち向かう勇気や闘志を学ぶのだと気がつきました。

大切なことは学ぶための素直な心、共に学ぶという姿勢でしょうか。先日、まちの公園のあり方を考えていて、その方向性がすぐには見えなくて焦っていたのですが、そこでの市民のさまざまな具体的活動が見えてきたことによって、豊かな公園のあり方が見えるようになってきました。

その硬くなった考えを解きほぐしてくれるのが、多様な市民の柔らかな考えだったり、学生のどことなく頼りなさ、不安げな、しかし、何者にもとらわれない無垢な発想なのですね。

2007年7月29日

まちの風景

大学での講義、住環境デザイン論は、環境やデザインにかかわるための入門的な講座です。僕たちの生活の場となっている身近な空間がうまれてくるその瞬間について語ってきました。

空間も、そしてデザインも僕たちのすぐそばにある身近な空気のような存在です。しかし、誰にも同じように見えているわけではありません。見えるものが違うから、まちづくりやデザインは人それぞれです。市民の姿もそれぞれ、見る人、組織によってまったく異なって見えています。 そうした見る目が町の風景をも変えて見せてくれるのだと考えています。

風景とはどこにもあり、身近に見えている、感じている存在です。しかし、特別の風景、町を形づくる、むしろ町によって作られる特別の風景があるのです。 前期課題レポートのテーマは、この町を見る目によって、地域を作る風景や景観を発見することを課題としました。自らの視点をはっきり持って、写真と簡単なコメントによってレポートをまとめるのです。









これは半田と蟹江の町、町の豊かさが伝わってきます。町をよくとらえてくれたいいレポートです。 東海というこの地域では、川を中心に工場や住まいや緑地が混在して、町のいい風景をつくっていることがわかります。生活に近接して、それらとなじみ一体となった昔からの工場が今も町の特別のかたちとなって現れています。ものづくりの町なんだと感じます。

そして、最高点をつけたのが、この「水色の町」を見い出したレポート。町が水色になる瞬間をとらえています。これくらい新鮮な視点を持てれば、町はよくなるはずなのですが、この視点は多くの人が失っているだろうなぁ。


2007年7月27日

ものづくりからの改革

1ヶ月ぶりに、長久手まちづくり研究会の第9回合同ミーティングへ参加してきました。このミーティングは先月初めて参加させていただいて以来、僕たちのコミュニティシンクタンクの方向性に大きな影響を与え、同時に確信が得られたすばらしい会です。

今回は僕のほうからも、岡崎の現況、課題、岡崎図書館倶楽部の人たちとの協働である地域の図書館づくり、シンクタンク構想の組織モデルを発表してきました。どなたも図書館に対する質問も多く、地域にとって大きな関心事であることもわかりました。

また、なさら農業にかかわっている小林清氏がその活動の状況を紹介されました。
腐朽菌による土壌改良を行い、無農薬、無肥料の抗酸化野菜づくりに携わっておられます。その事業の展開は販売から授産施設の自立支援、食品の循環、リサイクルへ向かい、排出される有機物を土に戻し、自給自足的な生産体制を目指されています。

こうしたものづくりに真剣にかかわる人たちに共通するのは、既成のいろいろなものに振り回されずに、本当に有効な手段を純粋にやり遂げていくという気概を持っておられることです。「正しく考える人が正しく情熱を持って一石を投じれば、どのような波紋も必ず大きくなる。」というのが彼の信念です。

前回発表された高浜市の都築氏にもそうした印象を持ちました。本物のものづくりが直接町を変えてはいけないのではないか、と考えていました。が、具体的につくられる結果だけではなく、それも重要ですが、それ以上にそれを成し遂げるやり方、お決まりのやり方ではなく、絶えず、既成の習慣や制度にとらわれず、有効なやり方をとってゆくという、その情熱とプロセスにこそ、まちづくりの本質、市民の町を快適にするという業務の本質を踏み外さない、重要な役割を担うのだと感じました。

2007年7月26日

見るものから見られるものへ

東京は、門前仲町にある門仲天井ホールで、「音”りたくてしかたがない」~現代音楽に即興に ピアノとマリンバでおどりだす~ 赤羽美希氏(ピアノ)+正木恵子氏(マリンバ)と矢作聡子氏率いるダンススペースGによるコンテポラリーダンスとのセッションを体験してきました。

近年はどの分野も即興的表現を加え、やわらかな、身近な表現を行っている。即興的に作曲された音楽に、これまた、即興的な要素を強くもった踊りを加え、しろうとっぽく、危うさを抱かせながら、音楽やダンスの生まれる瞬間を表現しよう、音楽やダンスのテーマにして行こうとした試みであると感じました。

最後には、観客席の幾つかが椅子ごと舞台の中に引きずり込まれ、見ていた人が突然見られる人へと、演じる人へと転換させられて、ホール全体がひとつの舞台となり、騒然とした、大きな渦の中へ投げ込まれたような雰囲気のなかにいました。好むと好まざるにかかわらず、(このセッションに来ていた人たちはたぶんそれほどの驚きもなく)舞台に引き上げられたのです。

ここには人の活動の本質的な形が表わされています。見ること、と見られること。演じること、と観客でいること、それはそれほど大きな差のあることではないのです。たとえ、クラシック音楽にしても演奏している、音楽を作っているのは演奏者だけではなく、そこで聞き入って、体の中に音楽を感じている人なのだと思うのです。

そのことが新しい音楽、即興的な音楽やコンテンポラリーダンスから直接的に感じることができます。
今の社会のさまざまな活動はどちらが主体で、どちらが客体などという、区別は必要なく、両者が融合して初めて、活動が動き出すのではないでしょうか。

矢作氏の舞台が渦を巻いて客席を取り込んでゆく時、観客は度胸を決めなければならなくなります。見るものから、見られるものへ、演じるものへ。
しかし、一度体験すると、演じるものの面白さは誰でもが共有でき、楽しめ、病みつきになると思います。

そんなことがまちづくりにも、ものづくりにも、さまざまな活動にも言えるのではないかと思っています。

2007年7月25日

六供町街並み調査










岡崎市六供町は小さな路地が迷路のようになって集まってできている、とてもすばらしい感動的な街です。
六供町は「ろっくちょう」と読み、仏教の教えにその名前に由来があるとお聞きしたことがあります。その細かな路地とお寺とが密接に関係しあって、作られてきた町です。戦前にはもっと多くのこうした町が残っていたはずで、京都よりも寺の多い町、岡崎が身近な歴史を元に築かれてきた町であることがよくわかります。

岡崎の町にはウォーキングマップによって丘の周辺に多数の小道があり、それらが末端神経のように町の境界を現していることはわかっていたのですが、こんなに完全な形でまちを形成しているとは驚きです。イタリアの小さな町、アルベロベッロやロコロトンド、マルティナフランカなど、同じような迷路のような街を訪れたときと同じ感動です。今度の調査のリーダー役の一人後藤君も鳥肌が立ったというくらいです。
この六供町の街並み調査がスタートしました。来年2月までの活動となります。

日本では建築基準法によって道路の幅員は4mと決まられていて、多くのまちではこのような2m程度の路地は消し去られる運命にあります。しかし、道路を4mと規定し、否応なく拡張してゆくことはコミュニティの破壊につながるものと考えています。

防災、救急、ごみ収集などの点から道路の拡幅は必要とも言われています。しかし、上記のロコロトンドでは小さな幅のごみ収集車が細い路地を行き来していました。高層ビルが町にできると新しい消防車を導入するわけですから、町に適した消防車や救急車、防災に対する対策をとればいいのではないかと思います。

六供町の街並みのすばらしさを伝え、新たな保全の姿を描こうと考えています。
濃密なコミュニティの形を持ったこの街の姿を生き生きと描けたとき、その次の活動が始まるのだと思っています。

A。概要
迷路のような路地に囲まれたコミュニティのデザインや意味を明らかにする。六供町の住まいのすばらしさを写真と図面に現し、市民に公開する。豊かな町の保全を訴えると同時に再生をめざした提案を行う。

B。作業工程
0)事前調査 全体地図を片手に六供町全体を歩き回り、その面白さを各個人が体験する。:8月
1)フィールドワーク:みちを中心にその周辺のさまざまな生活の形や住まいの痕跡を調査し、記録と写真に表す。:9月から10月 
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ班が3つの地域A,B,Cに別れて活動する。A→B→Cと順次回ることですべての領域を担当する。 1回の調査後は3班が集まり、情報交換して、全体を網羅できるようにする。 班に分けるが、分担性を超えて、積極的にかかわること。
2)記録を図面化する。(イラストレーションのように生き生きと表す。):11月
3)図面をもとに歴史家の市橋さん、地元住民とのワークッショプを行う。:12月 
町の姿にから、その住まいの持っている意味を検討する。 
歴史や実際の生活のなかから、コミュニティの意味を発見する。 
町のコミュニティがどのように出来上がっているか、どのようにつながっているかを考察する。 
地元の民家を活用した石原邸でのミーティングを企画する。地元住民との意見交換。
4)民家再生案を制作する。:1月 
民家や路地を再生し、地元の伝統産業を広報するブティックやギャラリーを計画する。
5)研究発表ならびにギャラリーでのパネル展示。:2月

2007年7月23日

図書館の合理化

90年代後半、バブル崩壊後民間企業のリストラが続いたように、図書館をはじめ、公共施設の合理化が進められています。

合理化は必要だろうと思います。本来のリ-ストラクチャーも当然必要です。しかし、図書館の合理化というと、積層周密書架や機械式収蔵庫など収蔵機能の密閉化、バーコードをかざすだけの貸出業務の短縮化、司書削減によるレファレンス機能の低下、大手図書販売会社への選書機能の投売り、、、、。

しかし、本来の機能(と思っていないからなのですが、)である、書物を通じた交流の場所、活動の場所の提供、市民生活の支援などの側面には、合理化が進められないのです。

民間では在庫をなくす、見えるところに陳列して倉庫を削減する。POS(Point of Sales)システムが導入され、レジ業務が商品動向の確認の手がかりとなり、また、マーケッティングを早く、広く、深くすることで業務の拡大につながります。それは利益を上げるための、仕事を増やすための、そのための合理化であり、新たな役割を果たせない設備や人材はリストラされてゆきます。

業務の志向が180°間違っているような気がします。どこに力を注ぎ、どこを削減し、いかに考えるか。

まずは図書館長となる有能なリーダーによる図書館のリストラが必要です。あるいは、有能な人材がなければ、組織化されたサポートシステムによって、たとえば市民や有識者の持っているネットワークによって、マネージメント、プロデュースを支援し、代行する、館長機能の法人化が必要かもしれません。

マネージャーやプロデューサーたる有能な館長のその人材は限られているでしょう。誰でもできるわけではありません。

しかし、有能な司書は星の数ほどいるのではないでしょうか、出番を待っているのです。また、それを渇望する市民も、また、それを支援する図書館ボランティアも星の数ほどいます。

2007年7月21日

オープンオフィスから

木河氏や小野氏、寺田氏、岡崎市財産管理課の皆さんに完成したばかりの岡崎市東庁舎を案内していただきました。目の回る、猫の手も借りたい、嵐のような忙しい時期なのがよくわかっているので、本当に恐縮しながらの1時間でした。かかわった人たちが出来上がった、言わば自分の作品を案内して回るのは頑張れた証、やり遂げた充足感の証なのだと思います。

オープンなオフィス空間が黒を基調色にして色彩計画がまとめられています。ここが公共の執務空間ではなかった新しさです。サインは黒の背景に白やアクセントカラーの文字となっています。回廊となっているブリッジから3階の玄関に入り、ロビー、EVホール、そこから吹き抜けを介して、向こう正面のミーティングスペース、その周囲には執務空間が展開されています。建築空間にうまくサイン計画がおさまっていて、スムーズに視線と視点が続いてゆきます。本当は最後にサイン計画に建築空間を合わせてもらったのですが、うまくできあがっています。

下山学区のまちづくりでお世話になっている、石川氏も黒川氏にもお目にかかれました。

しかし、まだまだ、オープンなオフィスを全部署が使いこなせているわけではありません。インテリアから執務のあり方へ、組織のあり方へ木河さんは考えておられるようです。新しい執務のあり方が次の空間をつくり、今度はそれが執務のあり方、組織の未来を新しくしてゆくという、醍醐味の真最中、本当はこれからが勝負です。

明治学院大学の計画でも、オープンなスタッフラウンジやミーティングスペース、オフィスをオープンにする段階的なファイルシステムなどなど、、、僕たち建築家とともに作りあげてきた管財部の皆さんがそれをモデルとして、リーダーとして、組織の意識改革へ向けて、その使い方を実践されました。かっこいいなぁ、働きやすいなぁ、見られているっていいなぁ、と皆が感じることで、考えていたように空間は変わってゆきます。

オープンなオフィスに相変わらずの日本的なデスクの光景。民間の企業も同様かもしれませんが、このデスクの配置が解体されてゆく時、次の時代が始まります。

2007年7月20日

模写/スケッチ

かつての同級生と共に高校時代の恩師にお会いしました。当時、国語の先生で、今は退職されて、http://nostalz.exblog.jp/「のすたる爺の書斎から」というブログを書いておられます。絵画や芸術にも、そしてもちろん文学にもその造詣の深さ、広さがうかがわれます。

何かを作るときには、形をなぞり、手を動かすことから、新しい何かが生まれるのだと話したところ、絵の世界でも模写が大切だと言われました。建築のデザインを始めて以来、「スケッチ」や「スタディ」と呼び続けていますが、「模写」と聞いて、ずいぶん懐かしい思いがしました。たぶん、絵画でも先生の分野である文学でも同じなのだろう、そして、ものづくりも同じだと思います。不思議と自ら手を動かすことで、見えてくる何かがあるものです。

形をなぞるだけで、新しいこと、個性的なことは何もありません。ひたすらなぞるだけですが、ある時、その筆緻タッチが大きく揺れる時があり、新たな形が現れてきます。 なぞりながら、形をつくるための条件を探り当てようとしているわけですが、条件を探り当てた時、それらが飽和した時、その瞬間は訪れるのではないかと感じます。

先日、視覚障害者が絵を描いているところに出会いました。彼は蝋をインクとして作られた万年筆を用いて描いていました。僕たち健常者が目で追って描くところを、蝋で盛り上がった軌跡を指先で辿りながら、追いながら、次の筆を進めるのです。たぶん、模写にはもっと真剣であるだろうと思います。だからこそ、障害がありながら、あるいはあるからこそ、心に訴える絵や書が描けるのだと感じます。デザインも、まちづくりもすべて同じで、真剣に模写をする必要があるのです。

それはまちの姿、人の生活の姿を見ることから、記録することから始まります。
まちの活動の姿がまちをつくるのです。

2007年7月19日

まちをつなぐもの

まちをつなぐもの。 それは小さな道。人の道が大切になる。

ウォーキングトレイル、フットパス、などヨーロッパでは、健康志向で 自然な形で整備されてきました。日本では、古道の鳥居や鎮守の森、路傍の道祖神など、古くから身近に展開されています。自分のいる場所や領域を確かめ、その方向性を定めるアンテナのようなものです。

道にはいろんなものが付随する。そうしたものとともに生活があり、それらを見失わないようにつないでおかなければならないのです。今過疎地でもまちづくりを考えています。手がかりを探しています。

多くの新しいまちではパブリックアートによりまちに場面を埋め込み、越後妻有ではアートトリエンナーレ大地の芸術祭によって、土地に場所を刻んでいます。そうして、まちをつないでいます。人の活動の痕跡を残していかねば、そして見つけていかねばならないのです。

それが風景となって独自の町の姿を表すのではないかと考えています。

2007年7月18日

まちなみ水族館

愛媛県喜多郡長浜町に「まちなみ水族館」があります。しかし、ここには大きな施設としての水族館があるわけではありません。実は、家庭や店舗から郵便局、高校といった公共施設にいたるまで、それぞれが水槽を設置し、自分たちでさまざまな魚を飼っていて、それを公開しているのです。円立寺、豊茂郵便局、白滝郵便局、喫茶&スナックさぶ、長浜高等学校、丸井鉄工所、中野印刷工業所、大野家、、、、、、入館者はマップを持って、各水族館を巡ってゆくことになります。

ここにはさまざまなまちのアイデアが隠されています。まちなみの具体的な形には未だ至っていないかもしれませんが、しかし、しっかりとしたネットワークとしての水族館は存在しています。それがまちの形なのですね。

そして、何より大切なことは、それぞれが水族館長であることです。

まよなか、まちなか、まちなみ、まちの形は見えてきました。

2007年7月17日

地域の図書館

まちを支えるのは何か。と考えています。

そうした視点から、岡崎の図書館支援を行ってきた図書館倶楽部の人たちとミーティングを行いました。いろんなものに振り回されずに、身近な活動を推進し、研究開発してゆくべきと考えていたからです。

まちとは何だろう?。市民とは誰だろうか?。と考えるとき。
ごった煮のように中心に集め、周辺との関係やこれまでの歴史との関係を断ち切るやり方は町を破壊するもの、市民をないがしろにするやり方であると思えてなりません。

しかし、それを打ち破る方向が見えてきました。
まちをつなぎ、市民をつなぐ、そんな場所作り、ネットワーク作りの方向が見えてきました。それこそが地域の図書館です。図書館とは書籍の収蔵場所でも、書籍の貸出場所でも、本を読むだけの場所でもありません。もっと重要なことがあり、市民ボランティアたちはそれに邁進しているのです。書物の世界を通じたつながり、書物の世界を語り、提供する、レファレンス的、プロデュース的世界が目の前に広がってきました。

それがまちをつくり、市民をつくり、そうしてできるネットワークこそがコミュニティシンクタンクの出発点になるのです。

真夜中の図書館

今日、図書館に行った。それは真夜中の図書館、「ま・よ・と」。

それは、普通に住まうための、生きるための、自己実現のための施設を描いたものです。そのことが辻氏の「ま・よ・と」には現されています。

つまり、「ま・よ・と」とは図書館のオープン化、さまざまな境界をなくすことではないでしょうか。日本がまだ貧しかった時代につまらない図書館のイメージができてしまいました。それこそが今でも図書館だと思っている、そういう人も多いことを実感します。しかし、図書館とはそれとは根本的に違うと思う。こうした閉鎖的な図書館像を打ち破らなければならない。のです。

辻氏の書いているICチップによる本の簡単な手続き方法は、入り口の概念をなくし、開かれた図書館を作り出すものとなります。図書館の内部と外部の厚い壁がなくなり、町に広がってゆくはずです。
このICチップの入り口は岡崎の図書館が本を盗まないように窓が閉じられていたり、本を持ち出せないような読書の小径が計画されていたりすることに腹立たしくて、僕が図書館メーカーの人と共同で開発して科研費の助成を受けようとしたものです。(残念ながら採択されませんでしたが、、)このICチップも図書館のつまらない境界を吹き飛ばしてしまうものになります。
同じようなことを考えているんだなぁ。

僕が設計に携わった明治学院大学、大学の設計も同じです。大学とはこういうものだという、学生にはこんなものでいいといった、古い考えがあって、それを解体するのが大変でした。しかし、それを解体したのは、町にあふれる普通のカフェやジム、ギャラリーやブティックのあり方だった。そんなところで今、学生たちは過ごしています。大学だけがいごこちが悪くてどうするのだ。

また、一方で学生たちの巣窟であった部室も解体し、ショーウィンドウのように開かれた共有のサークルルームに変えました。自己閉鎖するのではなくて、自己表現するべきと学生たちに訴えて実現しました。
大学にも境界がなくなってきているのです。

真夜中の図書館とは境界のない、どこまでも続く、まちなか図書館。

2007年7月16日

市民による運営/岡崎市婦人会館

岡崎市婦人会館では市民活動団体が自主運営グループを形成し、自らその運営を行ってきたそうです。

その由来は以下のようなものと聞いています。
1971年に婦人会館が開館し、定期講座が開講されてきましたが、運営経費を抑えるために定期講座の終了後に会館の運用をしていくために、行政から薦められ、運営のための自主グループが出来上がっていったようです。
行政側からは優先的に継続的に場所の提供を約束し、自主運営グループでは営利目的にならないように、あくまで受講生で組織し、講師をお願いする。
また、借りている場所はきれいに使わせていただきましょうと清掃奉仕活動が始まったとのことです。

そして、その運営内容は次第に確立されたようです。
昭和57年5月11日に施行された会則の2条にこの会は、グループの相互連絡提携と親睦を図り、岡崎市働く婦人会館の設置目的を理解し、グループ活動の円滑な推進に努めることを目的とする。とされ、

また、第6条ではこの会は、第2条の目的を達成するため次の事業を行なう。 と書かれており、以下のような事業が実際に市民の手により行われてきました。
1)リクレーションと親睦(館外研修や講習会)
2)学習発表(毎年3月に行なわれる“やよい展”)
3)グループ間の連絡提携と機関紙の発行(『ふれあい新聞』)
4)その他(相互グループのふれあいの中から生まれたボランティアグループ“ふれあい” での老人ホームの花壇のお手入れ、一人暮らしの老人へ毛糸のひざ掛けのプレゼント)、(やよい展即売会の収益金の一部を寄付したり、会館の草取り奉仕作業)

こうした市民自ら運営している事業は官と民との協働事業です。また、一般の貸し館業務のなかでは成しえない、本来の市民の支援活動ではないかと感じます。30年以上も前から行われていたとは、驚きです。むしろ、昔のほうが館と民との良好な関係が築かれていたのかもしれません。

しかし、その活動が休止に追い込まれました。中央に新館を作ることで、周辺の既存の施設が廃館となり、同時に活動も終焉を迎えることになってしまいます。

いったん、その基盤を失い、休止に追い込まれた時、再生させるのは最初の立ち上げ時より困難が伴うものです。

市民に対する母性

市民と接すると、人が悪くなる。堅くなる。


子どもと接すると、その人柄が出てくると言います。管理しようとしたり(あれはダメ、それもダメ)、見下したり、危なっかしいと感じたり(母性本能かもしれませんが)、、、、。本当は子どものほうが感性豊かで想像力豊かです。相手が弱いから、相対的にこちら側が強く見えるのかもしれません。(このような場合、大学ではアカハラ、ハラスメントと言われます。)


同じように市民に接すると、多様な市民に接すると、人柄や能力が変わってしまうのでしょうか。市民とは何をしでかすかわからない人たちなのでしょうか。あるいはこちらがわの目が厳しくなるのでしょうか。

2007年7月15日

職業としての都市計画

かつて、僕が学生だったころ、多くの友人が都市計画をやりたくて、’60年から’70年にかけて構想された壮大な都市物語に魅せられて、建築学科に入ってきました。しかし、その多くは途中でその夢を捨ててしまいました。都市計画を行うための働く場所がなかったのです。都市計画が不毛の時代だったのかもしれません。
また、この都市計画不毛の時代に多くの負の制度や意識が確立されてきたように感じます。それもまた、夢がなくなった理由かもしれません。

今の時代であれば、都市計画がまちづくりという視点に変わり、多くのチャンスが広がってきたようにも感じられます。壮大な大きな視点ではなく、市民一人ひとりの感じる視点を共有するまちづくり人として、だれでもまちを論じることができるようになったのですね。かつて、夢を抱いていた人たちが今一度まちに戻ってきてくれたらいいと思う。そうしたチャンスは確実に広がっているのではないでしょうか。

しかし、不毛の時代は続いているのかもしれません。

職業人としてのまちづくりは、NPOのような組織に活路を見出しますが、ボランティア状態か、行政の出先機関のようでないと一定の収入が得られない、多くの固定化した制度や意識がまちづくりを阻む、自分たちの利権を守るためにまちづくり団体を標榜する、など、さまざまな障碍が横たわっています。
職能としての都市計画はこれまでの障碍となっている制度や意識をいったん解体し、再構築できる職能意識を持ったプロのまちづくり人、都市計画人が必要となるでしょう。

都市の理論で都市を語っていた、あるいは生命の壮大なストーリーを都市に当てはめていた時代の言葉ではなく、市民の視点による都市物語、ストーリーづくりが必要であり、市民の一つ一つのストーリーを束ねること、束ねて大きなストーリーにする能力が不可欠です。夢を語り、夢を実現するまちづくりへ向かう、もう一度、夢を抱く時代が要請されています。

2007年7月14日

ポストイットによる管理

現代ではICチップなどにより、商品などに多くの情報を埋め込むことができ、瞬時に追跡することが可能になっています。物流として正確さや迅速性が必要とされる場合には有効でしょう。また、書籍の管理においてもICチップを埋め込むことによって、瞬時に情報を管理でき、書籍管理がスムーズ行われ、またそのチェックも可能になるとされています。

しかし、相手がモノではなく、思考を伴っている場合にはその対応を考えねばなりません。管理という側面には、管理する側の重要な理念が現れてきます。

阪神淡路大震災時がボランティ活動に対する認識を大きく変えたと言われます。日本におけるNPOの活動の可能性が現実のものとなった契機とされています。その活動と実際に向かい合った状況が田中弥生氏の「行政の下請けに未来はない・NPOが自立する日」に次のように描かれています。

「一日に400人、多い時には700人をさばくため、また、現場のニーズも刻々変わってゆく中で、 事前登録制のようなやり方では対処できないので、管理しないでボランティをコーディネートしようと考えられ、
1.ボランティア希望者は受付時に大判のポストイットが渡され、名前、住所、参加回数、得意技術をそれに記する。
2.そのポストイットをボランティア待機者パネルに貼り、仕事パネルを待つ。
3.一方、事務局は当日必要とされる仕事を仕事パネルに記する。
4.仕事パネルには仕事の場所、種類、ボランティアの人数(男女別)が記されている。
5.ボランティアは待機パネルに貼った自分のポストイットをとり、仕事のパネルの自分の希望する仕事があればその場所にポストイットを貼る。
6.仕事パネルには定員が記されているが、貼ってあるポストイットの数によって必要数に達していることがわかる。
7.ボランティアの仕事を終えて帰ってくると、ポストイットを仕事パネルから剥がし、受付に戻る。

このようにして、一件の事故を起こさずに大勢のボランティアを同時に一挙にさばくことができたようです。 」

このICチップにも負けないポストイットには自らの意思を持ったボランティア活動をその意識を低下させず、 柔軟性、即応性を伴った本当の意味での管理という理念が表されているようです。

2007年7月9日

フィードバック

昨年11月にサイン計画監修の依頼があった岡崎市東庁舎が完成目前となり、次週にでも見学させていただくことになりました。

当時、岡崎市財務部の木河氏を始め、担当の方たちからサイン計画の説明を受けました。熱意を持って頑張られた様子をひしひしと感じたものでした。実はサイン計画自体はよくできていて、修正する部分はほとんどなかったのです。しかし、大切なことはその優れたサイン計画に基づいて建物本体の計画にフィードバックすることであると提案しました。つまり、工事中の建物の設計変更を行う必要があったのです。

問題はハードとソフトのずれなのです、いくらすばらしいサイン計画でも本体とずれがあっては効果的ではありません。どんな分野でも同じで、だからフィードバックを行うのです。内井昭蔵事務所ではいつも当たり前のように変更作業を行っていました、リデザインと言っていましたが、僕たちは楽しみながらやっていました。
これはまたとても面倒なことでもあるのですが、でも、建築の質に大きくかかわるのです。だから、やらねばならないのです。

間違いやずれは必ず生じてくるものであり、それはないと言い張るのではなく、修正してゆく、フィードバックすることが重要です。思考を重ね、フィードバックすることで新たな価値、それまで見出せなかった方向が見えてくることも多々あります。
今回担当された木河氏たちはこの面倒な、行政ではなかなか取り組めないと思っていたことを実行に移されました。多くの障害をクリアされたのだと思います。
少し元気が出てきました。

フィードバック(feedback) とは、絶えず自己を見つめ、相互に情報交換、応答を行うことであり、自律的組織であるかどうかの評価を行う指標となるものではないかと考えます。

「元来はサイバネティックスの用語である。生物の恒常性を支えるしくみにその原理が見られ、ある操作をおこなう系と、それへの入力と出力があるとき、その出力が入力や操作に影響を与えるしくみ。」(ウィキペディア(Wikipedia)より)といった原点の意味から、エレクトロニクスや製造分野で用いられるだけではなく、フィードバックは、医学やITの世界で頻繁に交わされる考え方になりました。

「私たちの心身は外界からの刺激に反応して時々刻々変化しています。外部に向けては筋肉を動かしてそれに反応するとともに,内部では自律神経系や内分泌機能などを通じて体内環境を適切に調節します。 ただ,その多くは無意識的に操作され,意識にのぼってくるのはごく一部です。したがって,体内状態を意識的に変化させる事態や必要性は,日常ではほとんどありません。そのため,私たちの体内状態を変化させることは意識とは無縁であると,長らく信じられてきました。たとえば,自分の体温を意識するだけで変化させることなどは不可能であると思われてきました。 ところが,このような体内状態を適切な計測器によって測定し,その情報を画像や音の形で自身が意識できるよう呈示することにより,従来制御することが不可能であると考えられてきた諸機能を意識的に制御することが可能であることが分かってきたのです。 このように,意識にのぼらない情報を工学的な手段によって意識上にフィードバックすることにより,体内状態を意識的に調節することを可能とする技術や現象を総称して"バイオフィードバック"とよびます。」(日本バイオフィードバック学会Hpより)

それはコミュニケーションを始め、多くの活動においても重要な考え方であり、意識をして自らの環境を調整してゆくことが必要なのだと思います。まちづくりにおいても、その手段のひとつが中間性媒体となるコミュニティシンクタンクなのです。

2007年7月8日

場所の力

岡崎のすばらしい景観の一つ、伊賀川畔の土手に桜のトンネルがあり、また周辺には大きなはぜの大木などが残っていました。この景観が今危機に瀕しています。

場所とはこれまでの積み重ねの中にいろんな意味が隠されたもので、それをどのように読み解いて価値を見出すか、が大きな鍵となります。それはこれまでも空間的要素の位置的、接続的関係を示す大地のトポロジーとも言われます。現実のまちにはこれに生きている意味的関係が付加されます。

地元の建築家、北野氏は次のように語ります。

伊賀川の桜には特別の思い入れがあります。
その1 川べりは、異界が垣間見せる場所。勝手野放図が許される場所。治外法権の場所でした。世界の歴史ある都市に、川のないところを探すのは容易でありません。都市は川によって生かされている共同体です。
その2 自動車世界No1企業の掟に、「桜をはじめ樹木の一本たりとも殺めるな」というものがあるそうです。工場内駐車場整備のために、桜の木を一本切った管理職が、突然いなくなったそうです。社員の間で、あの人はどうなっただろうかと、しばらくうわさになったそうです。 最悪、木がじゃまになる時は、費用を度外視して移植する。
その3 岡崎公園の伝説の場所が危機に瀕しています。これも駐車場関連ですが、浄瑠璃姫のお墓と、三州ばけ猫騒動(東映)の坂道が取り壊されます。城郭史の上からも意義のある遺構だそうです。 周りには大木が繁っています。史跡公園のひとつの史跡が、行政によって壊されようとしています。 
その4 三年ほど前、安城の炭焼き校長先生のお話を聞く機会を得ました。先生は、鹿乗川支流の土手に桜を植えようとしたところ、行政から禁止されたそうです。「治水上堤防は、舗装も植樹もしてはいけない場所」と、説得を受けたそうです。伊賀川をたとえに上げたところ、行政との合意はあって、例外事例のようだったとのことでした。

その5 さて伊賀川の桜 敗戦後一人の篤志家が個人で植えた桜がその起源です。私が高校生のころ、その篤志家が亡くなられました。桜の満開のころでした。むかし、火葬場は伊賀川の上流の稲熊にありました。井田小学校の近くで、煙突の煙を見るごとに、また一人と、小学生心に感じていました。 いまもむかしも伊賀川は、火葬場への道筋にあります。 川辺の満開の桜達が、最後のお見送りをしたと思ったことがあります。 中学生時代、葵中学の夏の行事に、伊賀川の草刈りがありました。全校一丸、鎌で草を刈り、リヤカーやオート三輪に乗せ、学校まで運び、堆肥を作る。1日授業を中断したイベントでした。汗をかき、苦しい思いをして、大変な一日でした。

と、さまざまな繋がり、物語がまちをつくっているのです。

2007年7月7日

社会的視点

4年生の卒業制作がいよいよスタートします。
題目提出が締め切り間近になった卒業制作の課題内容をゼミで討論しました。なかでも1ヶ月前に二世代住居の設計を行うと宣言した森さんのアイデアがうまく展開できていました。ある家族の住居はそれぞれの家族にフィットした特別の住居を設計すればいいので、卒業のための研究制作になるかどうか心配していたのですが、彼女の提案は多くの二世代の家族のためにまちに、協働で作業を行い、また語り合うコレクティブハウスのような共有の拠点をつくることへ方向づけられており、 個人の視点が社会的視点へと大きく成長したと感じました。コレクティブハウスとは北欧で発展してきた協働運営型の集合住居ですが、社会の問題を意識できた作品になることでしょう。

それは福祉や医療や高齢化、少子化や養育や教育、エネルギーや情報化、生態系や緑地など、多くの課題にかかわってきます。 それらを社会的視点でとらえる必要があります。

もはや個人がそのマネージメントを行うだけではなく、社会が、コミュニティがそのマネージメントを行わなければならない時期に来ました。そうしたマネージメントのための拠点がまちに必要になるのであり、言い換えれば、それがこれからのコミュニティになるのだと考えます。

市民活動も市民交流館や文化センターなどような貸館、貸会議室があれば運営していける時代は終わって、次のステップへ進まなければならないのではないでしょうか。それはマネージメントされる旧態然とした活動の形であり、いまや、自ら社会のなかへ出て、マネージメントする立場にたつことが要求されるはずです。そこにこそ市民活動を社会的視点でとらえる拠点が必要になるのではないかと思うのです。


活動のための拠点、マネージメントやネットワークの拠点となるような、協働のためのコレクティブハウスが必要になるのです。

授業でいつも紹介していた「コレクティブハウス かんかん森」http://www.chc.or.jp/project/kankanmori/は住民の皆さんが中心になって組織化を進められていました。いたるところで、社会化、協働化の波は大きくなってきたようです。個人の視点から社会の視点へ自らの目を広げる時代なのです。

2007年7月6日

ウォーキングマップ第二部

この1ヶ月ほど作成に追われていたウォーキングマップ第二部の原稿を先週末に新聞社に入稿した時に宿題になっていた部分を今朝、送信しました。第二部は写真データとイラレで作成したマップや図が中心で、データー量が大きい原稿になってしまいました。ただ、今は50MBまでを送信できるソフト「宅ファイル便」なるものがあり、3回に分けて送信し、とりあえず、原稿からは解放されました。今後は校正を行って、7月の終わり頃から掲載の予定です。12回の連載になりますが、学生たちがいろんな場面や場所や対象をプロットし、町の構造を描き出しています。
第三部はまち全体の総合的マップと考えており、まだまだ制作中ですので秋頃の掲載になりそうです。

二部はこんな素材で構成しています。僕の解説コメントからマップが始まる予定ですが、どれも変わった視点から、でもそれがリアルなものなのですが、岡崎の知られざる姿を描き出しています。

01.回遊/Loop
ウォーキングマップを手探りで始めた2年前の最初のマップです。岡崎らしさ、にぎやかさを感じる方向へ、交差点でどちらの方へ向うかを選択しながら歩いている。まちから何を感じたらいいのか、マップづくりの方向性を見つけ出してくれました。まちには惹きつけられる場所や遠ざかりたい方向があり、自らの視線の先に見えない境界線が表れてくる。この境界線をつないでゆくと中心性を持ったある領域が見えてくる。まちを巡る見えない都市回廊が隠されているようです。

02.小道/Path
手探りだったマップづくりのやり方を方向づけてくれたマップです。岡崎の周縁には大通りから住宅地に向けて、末端神経のように張り巡らされた小道のネットワークが描かれています。それらは細やかな人間の営みの集積であり、町の境界を形づくっているのです。

03.接点/Interface
様々な、生きた人と町との接点が描き出されていて、人間的な町の表情を追っていったウォーキングマップです。大通りよりも一歩入った内部に町の豊かな表情が残されていますが、これこそ、町と言えるのではないでしょうか。
しかし、今、町から人間的な表層の表情が除去され続けていると感じています。

04.丘/Hill
坂や階段と緑の斜面が次々につながり、丘という領域をつくっています。豊かな場面がつくられ、その様々な場面から見える緑は内部でつながっているようです。
丘と坂と緑が重なりあって、多面的な、人間性溢れる町が表われています。

05.交差点/Intersection
交差点とは交差している通りへと町が広がってゆく重要なポイントですが、それを視覚的に描いたマップです。岡崎の交差点は建物が角を向いて、明るさやにぎやかさを感じる場所が多く、何かが語りかけてきます。交差点とはそんな特別の場所なのですね。

06.緑/Plants   http://community-thinktank.blogspot.com/2007/06/blog-post_16.html でも紹介しています。
岡崎の市民がつくる樹木はとても逞しいです。それらが連続して小さな森となって連なり、緑のネットワークを生み出しています。それは新たな里森の姿です。

07.車止め/Stop
車と人との境界をつくる車止めを描いたマップです。それらの内側には歩行者の領域が広がり、周辺には人間的な風景が現れています。日頃は気にも留めない小さな物体、車止めを通じて、町に隠れている歩行者のための大きな公園のような空間が見えてきて驚かされました。

08.階段/Step
階段や段状の場所に注目し、丘の切断面を記録していったマップです。丘の斜面に人の生活を形づくってきた地層のようなものです。地層が連なって、岡崎の町がつくられています。

09.コンビニ/Store
コンビニはマーケッティングのもとに均一性と規則性を持った店舗であると考えていました。しかし、現実には特別に意味を持った集まりとして、広場のごとく町の中心をつくりだしていることがわかります。

10.自販機/Vending Machine
自販機も適当に必要に応じてランダムに設置されているわけではないようです。小さな道の入り口やちょっとした隙間や凹凸部分に置かれています。町に現れる襞の部分を描き出していると言えるかもしれません。

11.夜の光/Night Town
光に誘われ、光の壁面を追っていったマップです。光にあふれる場所をつないで行くと一つの共通の広がりを持った領域が現れます。アメーバーのような生きた空間の広がりを実感できるひとつの町なのです。

12.音/Soundscape
岡崎は多様な音が混在する町です。単に静かであればいいのではなく、静けさ、自然の音、人々の話し声、商店のざわめき、車の騒音など様々な場面が関わりあって、豊かな町をつくっているのです。音と場所の融合も環境をつくるのであり、そうした場面を思い描き、つなげる想像力が必要なのです。


こうした、12のまちの姿はいずれ、オカザキウォーキンマップとしても公開予定ですが、何よりまちづくりへの指針とし、まちの構想作りを行いたいと考えています。

2007年7月5日

関係性

さまざまな関係性の中で社会はできている。そのなかに身を置くことで、その関係性には波紋が起きる。新たな関係性、変化が生じることになります。 この関係性に波紋を起こさないように、この関係性を描くことが重要と思われます。どこの世界でも観察者が試験体をかき乱してしまうことはよくあることです。

まちづくりには今多くのコーディネーター(調整役といわれる)やファシリテーター(促進役といわれる)が関わるようになりました。しかし、その役割りは かき回すのではない、押さえつけるのでもない、導くのでもありません。また、支援するというと間違ってしまうでしょう。まちづくりの専門家と称する人がどこにも増えてきましたが、難しい役回りです。 むしろ、環境教育の分野で活躍しているインタープリターのような役割が必要なのかもしれません。


まちづくりとは関係性の渦の真っ只中にいて関係性を記述することから始まる。その網の目を肌で感じ取れるかどうかが鍵となる。鈍感力は通用しないのではないかと感じます。 記述とは市民自ら語るところから始まるのです。

2007年7月3日

ものづくり/本気布マジギレ

わんぱく寺子屋の子どもたちとのマップづくりで歩いたまちのそばに江戸期の民家「石原邸」があります。今度調査を行う六供町のそばでもあります。この民家を修復してカフェを開いている國枝敦子氏にお会いしました。今回は大勢の子どもたちと一緒で少しご迷惑をかけてしまいましたが、丁寧に子どもたちに古い民家のことを語ってくれました。彼女はこうして古い民家を守り、そして岡崎のさまざまな活動を見守っておられます。


そこには岡崎の古い木綿製品の再生に頑張っておられる「いなーき」さんの作品、本気布・マジギレが展示されていました。オカコミュというネット上のコミュニにティが岡崎に広がっていて、「いなーき」さんはその中(だけではありませんが)の友人です。ニックネームで呼び合っていますのでいなーきさんと書いておきます。

その彼が綿をその芽から育てているということを聞いて、興味を持った僕が、コンテナのインテリアをつくる作品で、こんどぜひ、協働してみたいとメールに書き込んだら次のように返信が帰ってきました。本当のものづくりです、彼は。

「綿の花は七月から咲き始め九月くらいまで順次咲いてゆくと思います。岡崎の繊維産業の特徴は、リサイクル繊維を作ってきたことだと思います。綿を栽培し織物にし、使命を終えた布物が再び綿に戻され糸が再生され、再び織られる、その綿の命のサイクルを作ってきたことだと誇りに思っています。 誕生と死と再生は、いつの時代でも文学や美術のテーマになってきました。綿から糸、そして衣服へ、再び綿へ戻り糸を紡ぐ。永遠に紡がれるテーマとして、コンテナを「繊維の死と再生の繭」のようなものに出来ないでしょうか? 雲のような綿。太陽の光を受けてはじけるコットンボールからあふれ出す真綿。真綿は糸をひきやがて、白波のような木綿布になり、木綿布はやがて裂けて綿になり、再び糸になり木綿布に変じてゆく永遠の循環。 その循環を支えてきたのが、岡崎の繊維産業です。」

岡崎は伝統のまち、ものづくりのまちと呼ばれますが、本当のものづくりは伝統を生かしながら、自らの知恵と情熱でさらに自ら動かそうとしている人たちのことです。


文化の遺伝子を停滞させることなく、継続してゆくことこそ、本当の伝統であり、ものづくりです。そのように僕は考えています。

こうした活動にこそ、命が揺さぶられる思いがし、次の活動が触発されてゆくのです。それが新たな伝統であり、またそれこそが、気がつけば、文化となっているのだと思います。
http://www.geocities.jp/fanabis2001/index.html本気布のサイトです。

歴史的視点

以前、僕は岡崎では「岡崎城は歴史ではない」と会う人ごとに言っていて、郷土を愛する歴史家である市橋氏には顰蹙を買うのではないかと案じていた時期がありました。しかし、市橋氏も歴史家でありながら、岡崎のシンボルである岡崎城を重要視していないことがわかり、それどころかまちに埋もれるさまざまな歴史の発掘に邁進されており、その後いろいろと協働することになりました。

今年の後半は岡崎の古いまち並み、路地の細やかなネットワークによってコミュニティが作られた、六供町というまちの調査を協働で行うことになっています。六供町は南イタリアのロコロトンドやマルティナフランカのような感動を覚える鳥肌の立つような、まち、コミュニティです。

かつての岡崎はその城内を東海道が抜けてゆき、とても斬新なまちでした。城の周囲はかつての外堀として、かすかな痕跡が残っていますが、子どもたちは多くの痕跡を見つけてきます。それらは江戸時代を通じ、明治や大正、昭和と堆積されてきたものです。

こうした、痕跡こそが歴史であり、時間の重なりこそが、目に見えるその重なりこそが、市民とって、とても重要な、次への指針となるのだと考えています。そうした、重なりを残すことが重要です。だから歴史を大切に、人の生活を大切にし、その上に今の生活空間を重ねてゆくべきなのです。

ここにこそ、歴史家や建築家、それだけでなく、多くの市民が協働できる「まち」という舞台ができるのです。

2007年7月2日

子どもの視点

昨日、わんぱく寺子屋で活躍する内田真紀子氏と共に、歴史家市橋章男氏の先導で、岡崎城のかつての外堀跡の周りを回り、子どもたちとマップづくりを行いました。
岡崎城のかつての城郭や外堀を薄く描いた地図を持って、面白いもの、古そうなものを順に見つけて書きとめてゆき、その場所に番号の書いたシールを貼ってゆく、こうして、かつての外堀跡を辿ってゆきました。

子どもたちの見る目は面白い、なおかつ、 順応性は高いです。
「先生の言っている場所だけ書いててもダメなんだよう、自分で見つけてこないといけないんだよう」は6才のたけゆき君のことばです。自覚はできているようです。最初からやたらシールを貼りまくっていたこのたけゆき君をマークしながら、子どもがどのように反応するかを確かめるように僕も負けじと面白い場所を見つけて回りました。

彼らにとっては町はもっと大きく見えるのかもしれません。と同時にいろんな目を失っていないのです。成長するにしたがって(本当に成長しているのかどうかわかりませんが)、目が堅くなる、町はこういうものだと決めてかかる。
子どもたちはちょっとした道路の盛り上がりのヘリに、ソファのように休んでいる。これは既成の概念、枠組み、にとらわれず、対象が語りかけるように、新しく意味を見つけるようにして、行動を行っているのです。新たな生態学的心理学ではアフォーダンスと言われる、今多くの人たちが注目する概念です。

日常では、まちはこういうものだと決め付けてしまっています。まちだけではなくすべてに対しても同じですが、、。ある決まった枠組みで決め付けています。道、壁、窓、屋根、塀、、、、。しかし、人間の本能や感性では対象をそのように決め付けるのではなく、もっと多義的に、もっと自己中心的に、自分の中で反応しようとします。人は決められたように対象を見て行動するのではなく、もっと順応的に自分の意思に即して対応します。この順応性、子どもから学ぶことは多いと思うのです。

2007年7月1日

文化の遺伝子

古い記憶が手繰り寄せられなくて、最近は外部脳に頼ることが増えてきました。グーグルという外部脳です。生命的には、身体的にはやばい状況かもしれませんが、、。

人間の体を乗り物として世代を越えてゆく生命の遺伝子と、脳を乗り物としてこれまた世代を超えてゆく文化の遺伝子とが、脳が肥大してゆくことによって、いつからかこの二つは相反しだした。ここに、地球の生命を脅かすものではなくて、人間の生命を脅かすものとしての環境の問題があると、佐倉統氏は「現代思想としての環境問題」で論じている。
この佐倉氏の「文化の遺伝子」を一度整理しておきたかったのです。

そして、今人間の脳がコンピューターという巨大な外部脳を手に入れることによって、さらに肥大化した情報化の時代となっています。ある意味で脳が身軽になって、再び生命と文化がくっつくのか、身体から全く離れていって、生命と文化が相容れないものになってしまうのか、、、。大事な岐路に立っています。

環境問題には自然と人間と文化をつなぐ想像力、深い洞察力が必要となります。
環境とは自然と人間と文化の関係性が織り成す網の目、つまり、環境とは人と人との関係や自然や文化との関係がつくる場面や場所のことであり、身近なものと僕は考えています。

文化と生命とが離れてゆくことで、どちらも危機に瀕する難しい状況に陥ってゆくのではないかと案じます。身体と密接につながった、実感できる文化という認識が必要なのではないでしょうか。

しかし、まちでは「文化」は安易に語られます。最初が「経済」で、ちょっと遅いですが、今が「文化」、その次はたぶん、「環境」、、、。

文化を基盤にしたまちづくりと言われています。でも、それは、これまでのような大型ショップの集客を頼りにまちを活性化しようとするものではなくて、これからは大型公共文化施設で集客しようとするくらいの意味で使われているのです。、、、、、、残念ながら。 大型ショップによるまちづくりは失敗しました。それは大型ショップの開発にはなるがまちづくりなどにはつながらないからです。大きな新しい図書館も同じではないでしょうか。

ただ、魂をゆさぶるような図書館ができれば、まちは変わります。それが本物の文化であり、それが生命と文化をつなぐのでしょう。
魂をゆさぶる図書館長に来て欲しいなぁ。