2008年12月23日

地域の病院

病院の経営が行き詰っているようです。

「銚子市立病院 休止のお知らせ

子どもからお年寄りまで、市民の皆様一人ひとりが、健やかに安心して生活するために、地域医療の充実が必要なことは誰もが願うことであります。
市立総合病院は、こうした「市民の命と健康を守る」地域の病院としての大きな役割を担ってまいりましたが、平成20年9月末日をもって一旦休止することにいたしました。
私としては、市立総合病院を公設公営で存続させるべく、医師を確保し続けるための引き揚げ防止や派遣の要請など、関係機関に対しあらゆる手を尽くしてまいりました。
そのなかで、公設公営を含めた市立総合病院の方向性について、知事と会談し、その後、県・市・コンサルタントの3者で協議を進めてまいりました。
この結果、
(1)関連大学などからの医師派遣が極めて困難であること
(2)今後の診療体制のなかで、外科医1名、内科医も1名になることなど、医師の減少によって入院の受け入れや救急対応が困難となり、収入が大幅に落ち込むこと
(3)更に医師の退職が想定され、現行の診療体制が維持できないこと
(4)大幅な経営改善を行っても多額の追加支援が必要となり、市の財政状況では支援が困難であること
(5)年度途中に到来する資金不足に、県の財政支援が受けられないこと
などから公設公営での存続はできないと判断いたしました。
開設者として、市民の皆様をはじめ市立総合病院に関係するすべての皆様に深くお詫び申し上げます。私としても、この苦渋の決断につきましては断腸の思いであります。
今後は、患者の皆様の転院に全力をあげて取り組むとともに、病院の再開につきましても、公設民営または民間譲渡により、なるべく早い時期に対応したいと考えておりますし、市立総合病院の医療従事者のなかには、地域医療に対する使命感と高いモチベーションを持つ多くのスタッフがおりますので、それらのスタッフを、地域医療を支える財産として活かしていきたいと考えております。
また、本市の救急医療につきましては、県の支援を得ながら市医師会との十分な協議を進め、近隣病院への協力もお願いするなど、市民の皆様が安心できる体制整備に奔走していく覚悟であります。
市民の皆様や関係各位のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。 平成20年7月7日                   銚子市長  岡野 俊昭」

5つの休止の理由のうち3つが医師の逃避が原因のようです。

近年は「患者本位の経営」が目指されている中で、医者の労働、研究環境をないがしろにしてきたことのつけでしょうか。

「岡崎市民病院 患者さんの権利と責任
・患者さんは、良質の医療を平等に受けることができます。(適切な医療を受ける権利)
・症状・検査・治療について十分な説明を受けることができます。(知る権利)
・十分な説明を受けた後、治療や検査を受けるか受けないかを決めるのは患者さんです。(自己決定の権利)
・医療機関を選択することができ、必要な情報も受けられます。(医療機関を選択する権利)
・医療上の個人情報は保護されます。(プライバシーが保護される権利)
・医療関係者と力を合わせ、患者さんにも治療に参加していただきます。(医療に協力する責任)
                                  病院長」

嘘っぽさも、責任放棄にも見える部分はありますが、、、、これが責任を積極的に取り込まない一般的な公立病院の姿かもしれません。岡崎市民病院でも赤字経営の問題と同時に医師離れが大きな問題となっているようです。しかも、有能な医師が離れてゆけば、同時に患者も離れてゆきます。離れてゆく先は周辺市町村の優秀な医師のいる病院ということになってしまいます。

ところが、同じ公立病院でも大きな理念ときめ細やかな対応を行っているところもまた多くあります。
兵庫県北部の八鹿病院では、地域医療の再生に向けて、地域の医療ネットワークを整備するとともに医師の働く環境を整えているようです。多くのメディアにも取り上げられています。

http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/

そこには医療のあるべき姿を、とれる姿を、1歩も2歩も踏み込んで、具体的、かつ自分たちの言葉で、考えられています。戦略と戦術のコンセプトがたっぷり含まれていて、とても、おもしろいですね。

強いリーダーシップがあるべき姿を描き出すのだとあらためて感じています。

オープン外来
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=99361badae5463c4e85af41a01c835e9
医療機器の共同利用
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=f2f5c784e9dddd8ba3c13f6c9249a2ec
小児科休日診療(ドクターバンクによる)
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=7b2421b8b4fd6a92e9fcae3d64573673
診察の予約(FAXによる)
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=2b20f0f4bfabc813c8787373a7db493e
救急受診
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=e0cb446422bbd8fa29443bf73d931e1d

また、研修医に向けての広報や
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/kensyui/qa/qa.html
その理念を書いた募集要項、
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/kensyui/kouki/tokutyo/index.html
患者に向けた意見箱によって、きめ細かな意見にも応えています。http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=305f57666e1d053156c3a64b3a6c0b4f


NPO法人「蕗の薹」の理事長である栗木宏美さんは岡崎で、医療行為のできるケア施設設立に向けて、多くの壁にぶつかっています。しかし、この八鹿病院のことを考えると、やりたいことやらねばならないことは何でも出来るように見えてしまいます。

地域にとってのあるべき戦略とそれを実現するための具体的な戦術とに取り組む必要があります。「患者さんの権利と『責任』」など、、、どこにも書いてはいませんね。

2008年12月22日

グリーンスポーツ鳥取

グリーンスポーツ鳥取(GST)の活動は、広場や校庭を芝生化してゆくことでよく知られています。それは、これまでのような日本の芝によるものでもなく、また、これまでの造園手法によるものでもなく、西洋芝の一種であるティフトン芝の苗のポットを一定の間隔で植え、茎が延びてゆく芝自体の成長力によって、つくりあげるものです。数か月で全体が芝生の広場になっています。また、芝生化の過程で、市民自ら集い、芝生をつくりあげるものです。 http://www.greensportstottori.org/lawn/modules/myalbum/

日本各地における芝生化の動きに合わせて、メディアでも取り上げられ、注目を集めています。

しかし、彼らの活動の紹介には、芝生化に多くの視線が集まっていますが、むしろその根本は地域のスポーツ活動の場を提供してゆくことで、地域の運営を進めてゆこうとするもののようです。その事業活動が次のように示されています。

・スポーツの啓発普及に関する事業
・競技者、指導者及びボランティアの育成に関する事業
・スポーツ大会、スクール等の主催及び運営、その受託に関する事業
・地域代表競技チームへの支援
・新しいスポーツの普及活動(ペタンク等)
・幼稚園、学校や企業の運動会の支援
・野外音楽演奏やイベントの支援
・地元住民が企画したイベントの支援(例えば盆踊りや地元祭り)

その場を芝生にすることで、目に見える形で地域の拠点が生まれます。活動の場所となる芝生の広場やグラウンドを作り、その場所の利用を生み出すと同時に、日常の生活の場としても活用する、、、市民が集いつながりを持つための場が必要なのです。

また、ペットの管理やゴルフの練習など社会で問題になっていることを、それを締め出すのではなく、受け入れることで、そのルール作りをすることでコミュニティの再生を目指しているようです。混在することをあらかじめ避けたり、そのような場所を作らないことへ向かう、行政や行政の出先機関NPOのやり方とは大きく異なっています。
多くの地域では市民を豊かにする活動の芽は生まれ始めています、この活動を持続させる場の提供、成熟が今望まれているのではないでしょうか。


それは、GSTではすでに始められていて、彼らの活動の特色に表れています。
・豊かで美しい地域社会は地元住民が行政任せではなく、自らの努力で築き上げることを活動の基本としていること
・県が公有土地を市民団体(NPO)に長期間無償で貸し付けるわが国初の事例であること
・安全に遊べて,スポーツの練習が出来る芝の管理は会員(GSTや傘下クラブ)が自ら作業することで維持管理コストの大幅削減を目指していること
・除草剤などの農薬を一切使用しないで,安全性,環境保全を重視していること
・地域の子供からお年寄りまでが安全、健康的,かつ趣味としてスポーツを楽しめる新しい「地域密着型」の交流拠点を目指していること
・住民が地域社会の主役であるとの自覚を持って、行政官庁としっかり対話できるパートナーシップの確立を目指していること

行政の柔軟な役割も必要ですし、市民の高い意識も必要のようです。

2008年12月21日

円高

円高が進み、日本の屋台骨を支える企業の根本が揺らいでいる、と言われています。


かつて、日本は資源がないから、資源を輸入し、製品を輸出するのであると教えられてきました。製品を輸出する、すなわち、外部社会から利益をフローする、ことで国が豊かになるということでした。しかし、製品を輸出することを優先し、内部の多くの資源を失ってしまったのではないでしょうか。内側からの豊かな利益がかけてしまっていることに今気づいたようです。

経済とは、内側からの利益は同じ経済地域の中ではエンタルピーが変わらないので、利益も経済においては、著しい効果は見られず、外部の地域から利益を導入することで、言い換えれば搾取することでしか、著しい成果を得ることができなかったのではないかと感じています。

この外部から内部へのフロー、を重視することで、内部でのフローが止まってしまったようです。このフローを再び生み出すことが、今見直されています。それは地域に目を向け、これまでのやり方を変え、新たなフローとプロセスとなって現れるものではないかと考えています。地域を拠点とし、地域のつながりを生み出してゆくことで、渦を巻いてゆきます。その一部はベンチャーとなって、社会起業家として、チェンジメーカーとして注目され始めています。

2008年12月20日

官僚組織考察へ

官僚の天下りシステムに問題を提起されていますが、その改革は全く進んでいないようです。
http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200812180387.html

官僚という、ピラミッド型の組織に対して、終身雇用の雇用システムが効果的ではなかったということですね。底辺×高さ÷2が三角形(ピラミッド)の面積ですから、ちょうど半数が不要の人材ということになります。この余剰人員、不要人員をどうするのかではなく、システムそのものの形を考えないといけないのではないでしょうか。

社会ではなく、上司の指示に従いかねない、上意下達型の指示系統型を独立型、協働型、ゲリラ型のシステムに変えねばなりません。ピラミッドからアメーバ―へ。 (ただ、決められた答えを競う国家公務員上級試験から変えねばなりませんが)

ところで、地方の公務員はどのように余剰人員を処理しているのでしょう。

2008年12月19日

地方自治法

地方自治のあり方を表わしているのが、地方自治法であると言われます。

さまざまに書きすぎていると感じられますし、同時に地方の自治については何も書いていないとも感じられます。地方の自治の基本理念が描かれているであろう、地方自治法について少し俯瞰してゆきたいと思っています。

「第一条
この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。 」

その総則の第1編、第1条には上のように書かれていて、地方行政と市民との関係を描いたものではなく、地方行政と国との関係を描いたものであることがわかります。だから、ルーティンワークのことが延々と書き連ねてあるのですね。

また、第2編、2章には住民のことも簡単に描写されていますが、、、生きている生の姿ではないですが、ある程度の権利も描かれているようです。

地方自治法 第二編 第二章 住民

第十条
市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。
住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。

第十一条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の選挙に参与する権利を有する。

第十二条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の条例(地方税の賦課徴収並びに分担金、使用料及び手数料の徴収に関するものを除く。)の制定又は改廃を請求する権利を有する。
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の事務の監査を請求する権利を有する。

第十三条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の議会の解散を請求する権利を有する。

日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の議会の議員、長、副知事若しくは副市町村長、選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会の委員の解職を請求する権利を有する。

日本国民たる普通地方公共団体の住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の教育委員会の委員の解職を請求する権利を有する。

第十三条の二
市町村は、別に法律の定めるところにより、その住民につき、住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならない。

2008年12月18日

フリーターからハケンヘ

今話題の非正規雇用社員。派遣社員、契約社員、嘱託雇用など今日、多様な雇用(雇用と呼べるものかどうかは怪しいですが)が問題となっています。

かつて、バブル前夜には、多様で独立的な立場をもった、フリーターという言葉が生み出されました。フリーターとは小杉礼子氏によると 、1980年後半、アルバイト情報誌『フロム・エー 』によって造られた新語であり、初めは「フリー・アルバイター」といっていたが、略して「フリーター」と呼ばれるようになったということです。

フリーター以前、私の学生時代は自らをモラトリアムと呼んでいました。何もしないでいるというよりは建築を目指して、自らの立場と価値観とを模索していた時代でもあったように感じられます。大学院に進み、留学する人も多かったのではないでしょうか。

モラトリアムとは、もともとは経済学の用語で、「支払猶予期間」のことを指すそうですが、心理学の用語として、「大事なことを引き延ばしに引き延ばして、やらない状態」のことをいうようになったようです。しかし、人間のとしての成長の中で社会的責任を猶予されると同時にそれをを育む大切な期間であったと感じられます。

まだ、建築家の修業時代であった私たちは、このフリーという言葉にあこがれたものでした。フリーランス、フリーアーキテクト、それらは私たちの目指したものでありました。

本来のフリーターと現在のハケン、その違いはそのフリーランスたる独立性と強さにあるのではないかと感じられます。

地域での市民活動にもフリーランスが求められています。

2008年12月17日

インターチェンジのごとき駅前再開発

1960年代、ペデストリアンデッキを縦横に配した新たな都市の形が構想されました。

その都市構想の手段は時代遅れとなりながらも多くの地方都市でいまだ作り続けられています。その多くはモータリゼーションを、これも死語になってしまった感はあるのですが、モータリゼーションを中心とした区画の整理(非人間化)によって、人間的な地域の形を破壊してきました。

そのモータリゼーションの行きついた形が、インターチェンジのような車用の道路を中心とした新たな駅の構想となって現れました。名鉄東岡崎駅です。
駅前は新たな区画整理によって作られ、大きな道路に疎外されたアイランドとなっています。この時代錯誤は設計者の勉強不足なのか、企画の側の価値観なのか、自動車関係業者の圧力なのか、、、、、、、。

今この開発の是非が問われています。しかし、論点がゆがんでいます。賛成派はもちろん現在の古く老朽化した時代遅れの駅を変えたい、反対派は街を破壊するような独善的、前時代的な開発を回避したいという思いです。賛成派と反対派との利害が真っ向からぶつかっているわけではありません。

問題はそのやり方なのです。保守的な地域の課題は常に共通しています。
この状況をとりまとめるのではなく、あくまでこのまま前に進めるためにアンケートによる分析も用意されています。しかしながら、広く是非を問うものではなく、狭い視点の中での選択肢を選択するものでしかないようです。アンケートの問いの何番を選んでも結果は変わりはありません。









2008年12月16日

政策プラットフォームに向けて

「地域の代弁者(081125)」で次のコメントをいただきました。

そうですね!!共感します!!!その基盤となるプラットホームはどうやったら構築できるのでしょうか??

プラットフォーム構築に向けて、現在の状況を答えています。

コメントありがとうございます。
コミュニティシンクタンクmoco(http://www.mocomoco.ws/)設立し、実践を開始いたしました。地域の課題に対し、課題を市民の手で解決すべく、その体制を作り上げることではないかと考えています。

現在は岡崎市における課題の一つである「旧本多邸の移築保存の是非」に取り組み、地域の文化資産にかかわる全体構想に取り組み始めました。地域の課題の本質はすべてに共有しているものであり、それゆえ、それは同時に次なる多くの課題に対する第1歩であると考えています。

この構想を、ヴィジョンをいかに市の政策の中に取り込んでゆけるか、、、、構想を実現に移す次の体制作りを思案しているところです。市民組織によって官僚組織のプロセスを、価値観を変えねばならないと考えています。

2008年12月15日

議員の役割

参院決算委員会が開かれていますが、元金メダリストの議員が質問に立っていました。

まず、周辺へ丁寧なくらいにあいさつを行う、これでまず2分ほど。書類を読み上げて、始まりますが、7分ほど数枚のうち2枚は、自分の経歴や、総理の経歴を重ね合わせることで過ぎてゆきます。そして、危機の時こそ、基本立ち返ると言い、競技の基本、公務員の基本、金融の基本と続き、そして、金融対策を総理に「お聞きする」。抽象的質問。ここで7分の総理の答弁。

というより、、、この15分ほどの時間は何だったのだろうか。
基本は信頼、信用、、、、。ここで総理の展開の場となります。この議員の役割は何であったのでしょうか。人と人が対峙していないのです。

そして、この時期にオリンピックにおける日本人の活躍を総理に述べる、、、、、。5分の答弁。この特別の時期に、すべてが金融に集中する必要はありませんが、、、もっと政治に、国民の目線に立って欲しいですね。

そして独立監査法人スポーツ振興事業団の予算の問題へ。ここが本題なのでしょう。しかし、30分ほどの質疑時間のうち、20分ほどがご挨拶程度のレベルのものでした。議員の役割とは何か、国政も地方行政も同じことが繰り返されているようです。