2009年7月30日

神戸復興のシンボル「鉄人28号」

「阪神大震災の復興のシンボルとして、神戸市長田区の公園に建立される漫画「鉄人28号」の巨大モニュメントの頭部が27日、大阪府岸和田市の製造会社からこの公園に搬入された。鋼鉄製で直径2.5メートル、重さ約0.9トン。9月末には、5階建てビルの高さに相当する約15メートルの鉄人が長田の街にそびえ立つ。

鉄人28号は神戸市出身の漫画家・故横山光輝さんが56年に発表した作品。震災で住宅や店舗の多くが全半壊・焼失した長田を元気づけようと、地元商店街などでつくるNPO法人「KOBE鉄人プロジェクト」が06年に企画し、寄付や市の支援を得て総工費約1億3500万円のほとんどを集めた。 」(http://www.asahi.com/national/update/0727/OSK200907270024.html より)
それは大きな道祖神のようでもあり、また現代におけるパブリックアートのようでもあります。
道祖神とはコミュニティ全体で豊穣を願う信仰のシンボルでもあり、同時に村の領域を作り、地域や道の境界を形づくるものでありました。
パブリックアートも、立川ファーレで見られるように単調で無色な町並みの中に場所を意味付け、領域を形作り、町を身近なものにするオブジェとして様々な場所で見られます。
また、オブジェではありませんが、東京の山手線の高田馬場駅では鉄腕アトムのテーマ音楽が流れていて、音による場所の意味付け、すなわち風景づくりが行われています。
震災の復興のシンボルとしては、気合が入り過ぎていて安定感が悪そうで、耐震性能上若干心配ではありますが、、、、。

2009年7月29日

体温のないマーケティング

おちまさと氏の「企画の教科書」は企画を生み出す生の瞬間をとらえていて、デザインが生まれる瞬間、イノベーションが生まれる瞬間を描こうとしている私にとって実に興味深い、現場から生まれた教科書です。

挿絵や口調は面白おかしく書かれたように見せていて、実のところ、本当に真髄を表わしているように感じられます。多くの人、企画など言葉でしか知らない行政の職員やこれから社会に出てゆく大学生などにも大人の教科書として使えるようなものです。

企画とは、そのアイデアの創出はデザインの方法やイノベーションの態度そのものです。

「記憶は企画の構成パーツ」と言いい、企画とは記憶をつなげ合わせ、複合化することを意味しています。イマジネーションとは何か一気に壮大なアイデアを作り出すことではなく、一つひとつの記憶の連続であり、ジグソーパズルのようにつなぎ合わせてゆくようなものと僕も考えています。

そして、成功する(した)企画とは社会の特性を打ち破るもの、感動を与えるような大きな変化をもたらすもの、多くの人の興味を持つ普遍性を持つこと、そして、社会を裏切り、やられた感を生み出すこと、であると説いています。



それこそが価値のイノベーションのことですね。


そしてなにより大切な視点がマーケティング、消費者に対する構え方です。これはいろいろな場面で役に立つでしょう。

マーケティングはマスとしての消費者ではなく、一人ひとり顔のある消費者の複合体であるという認識を持つことから始まりますが、マスの消費者としてしか見ていないもの、それを彼は「体温のないマーケティング」と言います。

データとしての数値でそのまま商品を企画するのは誰でも、コンピューターでもできる。まず数値を疑うことから始めるのだそうです。

それはマーケティングやその分析とは結果ではなく、これからの手段であり、戦略になるということです。

平均化された数値を鵜呑みにすることはないでしょう。そこにどんな問題が潜んでいるのか、懐疑的、分析的になるはずです。そして、どこに消費者の本音があるのか、そこを自らの目で掘り下げることが企画の真髄と言えそうです。

それを彼はこう表現しています。
「受け手の明確な意思がないのに、送り手が勝手に『こんなもんでいいでしょ』と思いこむ、これこそが体温のないマーケティングなのです。おばあちゃんが『私は分からないけど、若い人はこう言うのが好きなんでしょ?』と近所で買ってきた甘いだけのケーキを出す感じです。」

市民の多数意見というものを自ら作り上げ、それをそのまま実行する行政の在り方とは180度異なる戦略と言えます。しかし、それが、本当の消費者の姿を発掘しないと生きていけない民間の切実な戦略のあり方なのです。

2009年7月28日

ボートマッチ VoteMatch

ボートマッチ(VoteMatch)とは有権者と立候補者、または有権者と政党の考え方の一致度を測定することができるインターネットを活用したサービスであり、日本では2007年7月に行なわれた参議院議員から行われたようです。


「「日本版ボートマッチ」は、あなたの政治的立場や意見に最も近い政党を知ることができる投票支援ツールです。「スタート」をクリックすると、現在の重要な政治的、社会的な争点一つ一つについて、意見を尋ねていきます。

「賛成」「中立」「反対」「わからない」の中から、自分の考えに最も近いものを選んでください。結果画面で、 これらの争点に対する主要な政党の立場とあなたの意見の一致度が分かります。

「日本版ボートマッチ」を利用することで、どのような政策がいま重要視されているのかが、わかります。また様々な質問に答えることで、あなた自身を知るチャンスにもなるはずです。ぜひご利用ください。」
http://vote.yomiuri.co.jp/より)


25の政策について判断を下してゆき、どの政党と考えが近い、どの政党と離れているかが、最後に点数とグラフによって一目でわかるようになっています。また各政策ごとに自分自身と各政党との考えの違いがわかるようになっており、各政党の政策が立体的に説明されているようで、(メディアが作った)これまでの政策の争点をよく理解することができました。


意外に面白かったです。


政策、政争とは右か左か、○か×かという定形型に陥りやすく、国民が政治を選択する上で明確にどこまで問えるか疑問です。私たちは投票所へ行って、政党や立候補者を現実に選択しなければならず、絶対的な選択ではなく、相対的に誰が好ましいかを判断するしかない、、、、、のですね。


それを国民の大きな責務であると言うマスメディアの責務もそれ以上に大きいように感じます。国民に責務を煽る恐怖型のジャーナリストも中には見受けられます。所詮選挙は相対性理論。向こうもぶれているし、こちらもぶれている、その揺れているギャップの中で理想をすり合わせしてゆくしかないことも、今回のボートマッチでよくわかりました。


1憲法
現行の憲法を維持すべきである

2選択的夫婦別姓
選択的夫婦別姓制度を導入すべきである

3公務員の天下り禁止
公務員の関連企業への再就職(天下り)を全面的に禁止すべきである

4組織犯罪の防止強化
共謀罪を導入すべきである

5地方への補助金廃止
国から地方への補助金を全廃すべきである

6警察官の大幅増員
警察官を大幅に増員すべきである

7北朝鮮への経済制裁
北朝鮮に対する経済制裁を継続すべきである

8大企業への課税
大企業への課税を強化すべきである

9増税による財政再建
財政再建のためには歳出削減だけではなく増税もやむを得ない

10高校・大学教育の無償化
高校・大学教育の無償化を進めるべきである

11愛国心教育
国を愛する心を養う教育を実施すべきである

12病院による介護の転換
老人介護の担い手を病院から老人保健施設など居住サービスの提供者や各家庭に転換すべきである

13後期高齢者医療制度の廃止
後期高齢者医療制度を廃止すべきである

14消費税の年金財源化
基礎的な年金の財源は消費税を充てるべきである

15年金制度の一元化
自営業者の所得比例年金を含む年金制度を一元化するべきである

19パート・派遣社員の均等待遇
パートタイム労働者や派遣社員と正社員との均等待遇を法律で義務づけるべきである

20農家の所得補償
すべての農家に対して所得補償を行うべきである

21大規模農家の支援
農業への支援は、規模の拡大や効率化を進める農家を優先的に行うべきである

22脱ダム
ダムに頼らない治山・治水(緑のダム)を進めるべきである

23高速道路の無料化
高速道路の利用料金を無料化すべきである

24環境税の導入
二酸化炭素の排出を抑制するため環境税を導入すべきである

25企業・団体献金廃止
政党・政治家への企業・団体献金を廃止すべきである

(Powered by Japanese VoteMatch Working Group 技術協力: 静岡大学情報学部佐藤研究室)

2009年7月27日

イオンの農業参入

イオンが農業に参入するようです。首都圏に2.6ヘクタール。まだ第一歩のようですが、農業に風穴が開くかもしれないと期待されています。

「イオンは企業が自治体から農地を借りる「農地リース方式」を使い、茨城県牛久市の2.6ヘクタールの土地で小松菜や水菜、キャベツなどを9月から生産する。参入のための新会社を10日付で設立した。生産した野菜は青果市場を通さず自社の物流網活用などでコストを削減し、店頭価格を抑える。初年度は約300トンを収穫し、茨城県や千葉県などの「ジャスコ」15店でPBとして販売する。」(http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090719AT2F1704F17072009.html より)

徹底した減反政策という閉鎖性回路や農業の担い手がいないにもかかわらず、農地は開放されてこなかった閉塞感などが私たちと農業や農家とを遠ざけてきたのかもしれません。が、イオンがその代替となることで、身近なものになるかもしれません。

早朝出勤や休日出勤、長期休暇なしが当たり前の農業にとって、企業がどのように 経営するのか期待も大きいでしょう。

一方、生産者が有機農業を通じて、「つくる」「ふれあう」「知る」「買う」などをキーワードに消費者との関係を独自に構築しています。

また、農業を媒体として、地域の農業にかかわる生産者やメーカーの横のつながりを展開しようとしている人たちも多くなっています。

イオンと地域の生産者、その経営理念は直線性と多面性、低価格と付加価値、と異なるのかもしれませんが、作り手の「野菜を丹精こめてつくる」という理念は変えられないでしょう。こうした活動が地域のコミュニティや農業コミュニティを活性化させ、生産者と消費者とが豊かな関係を築けるのかどうか、日本の未来がかかっています。

かつて、都では白川女(しらかわめ)が、現代においても常磐線や京成線からは、千葉や茨城の農家の「おばあちゃん」たちが大きな背負子や風呂敷を背負って、とれたての野菜を都内で行商しています。とてもみずみずしくおいしいです。それは私たちと農を身近に感じさせる接点であり、その豊かさを実感できる場所でもあります。

2009年7月26日

公務員の道

「地方公務員の中途採用試験で、年齢制限を撤廃する動きが急速に広がっている。横浜市では、昨年度の「社会人採用試験」で受験可能年齢を31~59歳と広げた結果、この春に50代前半の職員も誕生した。厳しい雇用情勢が続く中、地方自治体に新たな活躍の場を見いだす道も開かれつつある。」

「横浜市では、「組織を活性化し、市政への多様なニーズに応える」(人事委員会事務局任用課)ため、2006年度から実施している社会人採用試験を受験上限年齢59歳に引き上げたところ、2723人の申し込みがあり、95人を採用したといいます。合格者はメーカー、金融、情報システムなど様々な業界からの転職者であり、「自分の能力やキャリアをどのように生かすか明確なビジョン持っていた」という。」(http://job.yomiuri.co.jp/news/special/sp_09072301.htm?from=yoltop より)

民間で鍛えてきた専門的能力を持つ彼らが閉鎖性組織の解体のきっかけとなるのか、それとも硬い殻の中に取り込まれてしまうのか。

肥大化し、硬直化した組織を解きほぐし、再構築することなど至難の業ではないか、むしろ金融マネージメントや情報システム、医療ネットワークや環境保全ネットワークなどこれまで行政にはなかった総合的かつ専門的な領域に携わる職員を特別に配置することでしか、組織の横断と融合とが図れないのではないかと切実に感じています。

組織改革の旗手であるトップと中途採用で組織に組み込まれる触媒体とがどのように地方自治に風穴を開けるか興味深いところです。

2009年7月25日

ブルー・オーシャン

競争のない世界を創造する。という「ブルーオーシャン」が今、経営者や起業家の間で話題となっているようです。かつては大競争時代が予見されていたのですが、この流れもひとつの競争の表れかもしれませんし、それはもっと厳しい競争の形と言えるかもしれません。

「企業が生き残るために、既存の商品やサービスを改良することで、高コストの激しい「血みどろ」の争いを繰り広げる既存の市場を「レッド・オーシャン」、

競争者のいない新たな市場でまだ生まれていない、無限に広がる可能性を秘めた未知の市場空間を「ブルー・オーシャン」と名づけています。

この「競争」とは無縁のブルー・オーシャンという新しい価値市場を創造し、ユーザーに高付加価値を低コストで提供することで、利潤の最大化を実現するというのが、この戦略の狙いです。」(http://www.climb-plus.com/word/word.php?category=1&line=5 より)

シェア拡大(低価格化)という体力勝負でもなく、差別化(付加価値化)という努力型でもなく、マーケットの枠組みを変えたり、新たなマーケットを開発するという、顧客啓蒙型と言えるかもしれません。

新たな価値の創造に直結した変革、バリュー・イノベーションという困難な課題を成し遂げるのは現実的には大変です。 しかし、一定の枠組みの中で行動や発想を考えるのではなく、市場の境界も業界構造も一定ではなく、そこで活動する企業などの行動や発想しだいで変わると考えることで案外簡単に現実化できるかもしれません。それは再構築主義(reconstructionism)と呼ぶことで理解が進みそうです。

詳しい分析や理論よりも、そこで紹介されている「シルク・ドゥ・ソレイユ」や「イエロー・テイル」、「ニューヨーク警察本部」の成功例がよりわかりやすいでしょう。「iモード」も紹介されています。

デザインや設計も相反する条件を同時に解決できる方向を指し示すことができるものです。新しい価値やアイデアを生み出すために、既成概念を捨て、自由な視点を求めて、日頃は遊んでいるかのようにも見え、あるいは書斎にこもりっきりというような仕事ぶりです。

徹底的に描きあぐねた後、ふとした拍子にとらわれていたことから解き放たれた時、新たな価値を生み出すアイデアが見えてくるものです。

二つの相反する価値を折衷するのではなく、つまり、x軸とy軸のどこかに答えを見つけるのではなく、そのどちらでもないz軸の方向に総合的な新たな回答を発見する。それがデザインなのです。

デザインとはイノベーションと言えるのではないかと考えています。

最後の章にイノベーションに不可欠な、戦略実行にともなう組織面の4つのハードルが書かれています。

・意識のハードル:現状に浸りきった組織
・経営資源のハードル:限られた経営資源
・士気のハードル:やる気を失った従業員
・政治的なハードル:強大な利害関係者からの抵抗
そして「常識」を書き換える。

どのような分野にも、どのような戦略にも、同じように越えなければならないハードル、阻害要因があるようです。

組織においても、また地域においても、多くのステイクホルダー(stakeholder / 利害関係者)があって、利権やなれなれしさを要求してきます。企業が顧客の本当の姿をとらえることによって、ブルー・オーシャンを発掘するように、地域においてはステイクホルダーの本当の姿を見極める必要があるようです。

目の前のステイクホルダーをひとつはずしてみればいいのではないでしょうか。
まずは、環境整備と意識改革。ブルー・オーシャンへの道のりです。

2009年7月24日

選択的認知と選択的非認知

「問題が起きていることを認めないと、「選択的認知」といって、自分に都合のいい情報ばかり認識するようになって、問題解決からどんどん遠ざかってしまいます。虫歯の例はその典型で、初期なら、ほんの少し歯を削るだけで済んだはずなのに、悪化させて神経を抜かなければならなくなったりするのです。

それでは、問題を認めると、どのような、いいことがあるのでしょうか。
問題を認めると、逆に、それを解決するための「選択的認知」を始めるようになります。なぜなら、その問題は不快なので、なるべく早く解決しようとするためです。 」

問題は当事者が認めるまで悪化するのだと勝間和代さんは書いています。

(http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.htmlahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.htmlahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.html より)

問題が起きていることを認めていながら、それゆえにその問題を隠蔽したり、正当化しようとする動きが多々あります。 むしろ、選択的非認知。

それは自閉性組織の末路です。そこにはいくつものベールに包まれ、真実を覆い隠している何かがあります。専門家や有識者で構成されるお雇い委員会の所在です。閉鎖性回路をさらに強固にしてゆきます。

「公共事業の無駄の判断は難しいものです。東京に住んでいる身としては、静岡空港は無駄に見えますが、静岡県の何人かの住民にとっては必要不可欠なインフラなのかもしれません。」(JMMへの投稿より抜粋/メリルリンチ ストラテジスト菊地正俊氏)と言われる、 先月開港した「人と自然にやさしい」人工台地のような富士山静岡空港。これだけの環境破壊をやれば1900億円くらいはかかったでしょう。専門家もその数字の妥当性を認めています。

何人かにとって必要不可欠であることは間違いないでしょう。しかし、何人の住民がどこへ行くためのインフラなのでしょうか。一日12-3便、それも千歳、小松、福岡、熊本、鹿児島、那覇、ソウル、シャンハイ行きだけで利用者の要求を満たすことができたのでしょうか。

空港建設の経緯は、昭和62年 12月 空港建設予定地を榛原・島田に決定し、平成10年 11月 本体工事起工式 がとり行われたにもかかわらず、ここで県民から反対運動がおこり、平成13年 9月 臨時県議会にて住民投票条例案を否決し、平成14年 1月 空港タウンミーティング、空港専門家委員会での検討を経て空港の必要性を検証し、そして、開港しました。

その空港専門家委員会では様々な検討がなされていますが、問題は1点、1900億円に対する需要効果のはず。(報告書 https://www2.pref.shizuoka.jp/all/file_download1130.nsf/7DBA66CFCC0F65E849257398002C6F13/$FILE/iinkaitorimatome.pdf
空港専門委員会 http://www.pref.shizuoka.jp/kuukou/contents/ayumi/kaigi/senmon/index.html )

突っ走る閉鎖性組織、それを諌め、止めるのは倫理観を持った有能な専門家であるはず、、、、、。彼らの役割は静岡のアイデンティティを常に発掘し、その確かなビジョンを構築することにあります。それを社会に還元することが専門家や有識者の大切な役割です。

僕は東海道新幹線で毎週東京と愛知を往復していますが、通り過ぎる駅はと言えば、掛川も静岡も富士も三島もどの駅もみな同じ形、さびしい駅ばかりです。しかも静岡のアイデンティティ富士山、その山麓の工場地帯のひどさは相変わらずです。これでは誰も寄り付かない。弥次さんも喜多さんも嘆いていることでしょう。

東京と関西を新幹線で往復する観光客も、ビジネスマンも驚くほど多いはずです。いつの時代においても日本の重要なインフラであることは間違いでしょう。その東海道を豊かにし、活性化させることが江戸期以来のこの地域の役割であり、課題なのではないのでしょうか。そこに静岡の生き残る道がある、、、、。普通に選択的認知を行えば、そうなるはずなのですが。

2009年7月23日

衆議院解散

「衆院は21日午後、解散された。 政府は21日午前8時の定例閣議で、憲法7条(天皇の国事行為)に基づく衆院解散を閣議決定した。

皇居で天皇陛下から解散詔書への署名を得た後、午後1時からの衆院本会議で、河野衆院議長が詔書を朗読して、衆院は解散された。

これを受け、政府は臨時閣議を開き、第45回総選挙を「8月18日公示―30日投開票」の日程とすることを正式決定する。

衆院の定数は480(小選挙区300、比例代表180)。 総選挙は、小泉政権下で自民党が圧勝した2005年9月以来、4年ぶりの実施となる。8月の衆院選は戦後初めてだ。」(http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090721-OYT1T00410.htm?from=top より)

衆議院本会議場で万歳を表明する各議員。全会一致で賛同されたようです。

議長を中心に500名近い議員が居並ぶ本会議場はギリシャ劇場や大学の円形教室のようでもあり、建築空間的にはとても議論を行う場ではありません。大学でなら、とても授業にはなりません。

議長がすべてを見渡すことができ、YESかNOか、確実に判断できることにその空間的意義があります。そこでは居眠りをしているかどうかなど問題ではなく、必要な時に意思を表明しさえすればいい場なのです。

その意思を表明する場も、入場した時にはその意思すら決められていて、欠席や退場によってしか自分自身の意思を表明できない非情の場なのです。

国会の本会議場を見ていつも思うことですが、そろそろ、議会の形を変えねばなりません。固定座席を解体し、円卓があちこちに散らばるような形式が必要です。そう、披露宴やドラフト会議のスタイルです。六カ国協議もそうです。(円卓ではなく6角形ですが)

ある時には一つのテーブルに各党首が席を並べ、また、ある時には党の幹部が顔を突き合わせる。そんな、ダイナミックな議場が必要になるのではないかと思うのです。

でも、万歳三唱したり、3本締めしたりする儀式の場なのですね。もう少し、エレガントにテーブルを囲みませんか。

2009年7月22日

アニメの殿堂 その後

「文化庁は17日、アニメやマンガの「殿堂」国立メディア芸術総合センター(仮称)のあり方について、一般から募集した意見の概要を公表した。1週間の募集で387件の意見が寄せられ、センター建設への関心の高さを示した。

 「コスプレ体験と記念撮影ができるコーナーを設ける」「手塚治虫らがいた『トキワ荘』を再現」「アニメやマンガの名シーンを原寸で再現したテーマパークに」など、楽しめる施設を求める意見が目立った。管理運営にかかる費用は国がある程度負担すべきだとの声や、センターは「不要」との意見も34件あった。
 「希少書籍や絶版本の保存・データ化」「海外の研究者への資料提供や助成」など研究拠点としての要望や、人材育成の一環として「センターでのアニメ作品の制作」「アニメーターのハローワーク的な事業の実施」を望む声も寄せられた。 」(http://www.asahi.com/national/update/0717/TKY200907170404.html より)

恐れるべき方向へ行きそうな気配です。アニメの殿堂とは作家の過去の姿を復元するものでも、テーマパークでも、お遊びの疑似体験コーナーでもないでしょう。 国民の感度が悪いのか、ばかげた、それ故簡単に具体化できる意見だけを抽出しているのでしょうか。

「国立メディア芸術総合センター(仮称)」と呼びましょう。 アニメの殿堂とメディアが騒ぐから間違えるのであって、政治記者では書けないレベルのものかもしれません。

東京都現代美術館を設立するときに、ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)を理解できなかった国民の文化度がそのまま現われているのでしょうし、はたして奈良美智や村上隆、ヤノベケンジなど理解されるのでしょうか。

文化庁のメディア芸術プラザでは現在進行中のいくつかのメディア芸術展覧会が紹介されています。
http://plaza.bunka.go.jp/information/exinfo/

対象をどこに置き、どのような学芸員を募集し、どう活動させるのか。
いつも、規模と場所が先に決まり、独り歩きをし、大切な活動方針は先送りされる、、、、。

2009年7月21日

CO2 狂想曲

丸山茂徳  『地球温暖化論に騙されるな』

まずは著者自身も断っている。こういうことを書くからといってCO2削減や省エネルギー自体を問題にしているのではないと、、、、。

最近こちらの方が本物のような気がしてきました。

空気は窒素と酸素でほぼできていて、窒素が3/4、酸素が1/4であり、組成率は99%ほど、小学校の理科の時間に習いましたが、その後も大きな変化はないようです。一方CO2は0.054%。それほど少ないCO2が地球に影響を与えるのか不思議です。

わずかなCO2によって温暖化が起こっているのなら、気温の上昇が海水温上昇によるCO2の増加を引き起こし、さらにそのCO2が温暖化を引き起こしてゆく、更なる温暖化を呼びCO2の生じる割合は加速度的に大きくなり、不可逆的なサイクルに陥ります。46億年のこれまでの歴史のなかでそういうことはなかったのでしょうか。

本書は科学のいろいろの側面を描いてあります。CO2温暖化論とは、スーパーコンピューターを使ったシミュレーションによる警告です。気温の変化にもっと重大な影響を持つ雲の発生は発生量を定量化できないゆえにネグレクトされているそうです。温暖化により、グリーンランドの氷がすべて解けて海面が6m上昇するという予測も、一元的な入力だけだは、スーパーコンピューターの神話的側面と言えるだけでシミュレーションとは言えないでしょう。

CO2削減論やその戦術には単なる経済的視野のもの、自己広告的なものも多数含まれています。バイオマスの専門家である私の友人は低炭素化社会に向けた運動や事業には玉石混淆、嘘も多く、「見分ける目を持たねばならない」と言っています。

一元的で盲目的な加速度の行く先はどうなるのでしょうか。科学者が言っているのだから間違いがないというのは間違いでしょう。むしろ。まだまだわからないことの方が多いのではないかと思います。わからないことをわかったことのように決めつけてゆく、脚色してゆくことの方が怖いことです。

科学といえど、政治的な、あるいは経済的な政略に理論を誇張することもあるのではないかと感じられます。科学理論もいろいろの理論を無節操につまみ食いしてゆけば、新たな、そして歪んだ理論も構築できてしまうのではないでしょうか。

世界で政治的リーダーシップを取れない日本が唯一取れるテーマ、それが「京都議定書」の遵守であり、地球温暖化防止に向けた活動かもしれません。環境省もここぞとばかり驚くほど強い口調で不安を駆り立てるかのように主張しています。宗教的ですらあります。テーマが抽象的でステイクホルダーが見当たらないのかもしれません。http://www.env.go.jp/earth/ondanka/stop2008/full.pdf

一元的な犯人探しで、一度決めたら一途に邁進。それがどのような意味を持とうが家計簿の1円までもそぎ落としてゆくように取り組む。不要なものは落とせばいいが、却ってデメリットもあるはず。

ここに大きな問題が潜んでいるようでなりません。もっと、根本的なエコロジーの考えや生活スタイルが重要だろうと感じます。

一心不乱にCO2の削減に取り組んでゆく姿は百鬼夜行のようでもあり、もっとゆるやかに社会と接する必要があるのではないでしょうか。低炭素化社会を語る一部の経済至上主義者に騙されずに、本当のエコロジーを見つめてゆきませんか。

2009年7月20日

黙示録

建築の黙示録は写真家宮本隆司氏が廃墟となった建築を撮影したものです。

浅草松竹映画劇場や汐留駅、サッポロビール恵比寿工場など多くの朽ちた建築の姿をカメラに収めています。


なぜ、と思われるかもしれません。しかし、朽ちた姿からは意外に新しく、斬新な印象を持ってしまうのです。


表層の身にまとっていたものをすべて落とし、完全な形をしていた時には気がつかなかった建築の面白さが見えてくるのです。特に構造体、空間構成、透過性。それから、光、写真ではわかりませんが、たぶん風なども感じられるのでしょう。劇場などの場合、オーディトリアムは完全遮光、遮音の閉じられた世界ですが、廃墟の中では屋外の中庭のような光あふれ、視線の集まる空間となっています。


なぜ、廃墟か?現代では忘れられてしまった、躍動的な、構造的な建築の姿が新たな空間として見えてくるのです。新しい建築の発見、、、つまり、もう一度孵化過程へ。


黙示録とは、新約聖書の最後の一書であり、95年ごろローマの迫害下にある小アジアの諸教会のキリスト教徒に激励と警告を与えるために書かれた文書とのことです。

この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で描かれたもので、ヨハネ黙示録が有名です。


つまり、「終末と未来」とを象徴的に現すものであり、将来を啓示するものなのです。


廃墟の中にこそ本質が見え、あるべき姿が見えているということなのですね。そこに私たちが魅かれるのです。

ハドリアヌス帝の離宮だったローマ郊外のヴィラ・アドリアーナ。私の一番好きな建築です。

2009年7月19日

富山水ビジョン

福井平野を飲み込むようにして流域を形成している九頭竜川の水系図です。この地域は、その名の示す通り、暴れる水との闘いであったようです。

しかし、同時にその豊かな水系の恩恵にもあずかってきたようで、きめ細かな入り組んだ水系のネットワークからは自然としての、文化としての、生活としての水の豊かさが伝わってきます。

こうした地域の状況は北アルプスの山の麓に位置する北陸地方では共通するようです。

富山県でも水系に着目し、地域のビジョンを描こうとしています。

「富山水ビジョン」策定の趣旨は
「本県が豊かな水の恵みを受けられることとなったのは先人たちの努力の賜物であり、今後ともふるさとの貴重な財産として県民全体で守り育むことが大切

21世紀は「水の世紀」と言われ、水施策の総合的な推進が重要な課題

「天然の円形劇場」ともいわれる本県は、ほぼ独立した水循環系を有しており、水ビジョンの推進により健全な水循環系の構築においてモデル県をめざす」とされ、

その役割として
「水に関わる各種施策を総合的、横断的に推進するための指針
 健全な水循環系の構築に向けて各主体が取り組む際の指針」が示されています。

水ビジョンの推進により健全な水循環系の構築においてモデル県をめざそうとするものです。

水とは富山の人たちの生活のしくみ、コミュニティのありようを作ってきたのです。その水に取り組むことで多くのものを横につなぎ、総合的に取り組むための手段とすることもできるようです。

http://www.pref.toyama.jp/sections/1711/mizu/mizu_vision/vision_yakuwari.html


それを視覚的に表わしたものが、左の図です。
川から、用水路へ、排水路へ、そして、地域の水田の用水路や地域の洗い場へ、、、そしてまた川に帰ってゆきます。いくつもの種類の水系が組み合わさってより密接な、生活文化に溶け込んだ末端神経のようなネットワークが地域のコミュニティの中で築かれています。

水文化という視点からきめ細かく表わされた素晴らしい調査と研究です。ビジョンに描かれているように水のネットワークから導かれる、「人づくり」「地域づくり」「仕組みづくり」の視点を持つことによって富山の将来は保障されるように感じます。



膨大で緻密な、志の高い報告書ですが、最後の今後のまとめが、今後の取り組みについてがイマイチ消極的です。水ビジョンとは県民にとって好ましいはずのものですが、、、工業団地や産業団体にいらぬ配慮があるのかもしれません。

このまま水系を守り、そして活用してゆく、そこに富山の、北アルプスを抱く地域のアイデンティティがあるのではないでしょうか。もっと積極的に県民に方向性を与え、同じアルプスのを水源とする福井や石川までを含めた大きな取り組みにすべきではないかと感じさせられました。



施策展開の基本姿勢

1 水循環に関する情報ネットワークの構築富山県における地域の水環境保全活動等を、インターネットやイベント等を活用して情報発信する。水循環に関するポータルサイトを構築し、本県独自のバーチャルミュージアム※としての水博物館や環境科学センターなどの行政機関、富山大学などの高等教育機関、さらには、㈶環日本海環境協力センターなどと連携しながら、水循環に関する情報を国内外に向け発信する。



2 推進体制水に関する施策は、広範囲で多岐な分野が密接に関係するため、循環資源である水に対する共通の認識に立ち、連携を取りながら推進する。流域を単位とした取り組みや地域に密着した取り組みなど、国や市町村との連携や役割分担により施策を推進する。

3 県民の参画と協働施策の推進にあたっては、自治会や地域団体、民間団体、ボランティア組織、NPOなど様々な形での県民の参画と協働を得る。節水や水の有効活用、水質の保全、水源の涵養、防災活動、水を通じた交流と連携など、水の役割や大切さ、様々な水問題、水に関する事業や取り組みなどの情報の収集・発信に努める。

4 進行管理学識経験者や関係団体代表等で構成されている「水ビジョン推進会議」を定期的に開催し、各種施策が適正かつ効果的に実行されているか、幅広い視点からの助言等を得て施策を推進する。水ビジョンの基本目標に向かって、各種施策がどのように実施され、成果を発揮しているか、定期的に検証していく必要がある。このため、「水ビジョン推進会議」において、設定した目標指標の到達度を評価し、施策の進行管理を行う。

2009年7月18日

地方分権の先鋒

地方分権の先鋒、東国原知事と橋下知事。いくら権限や財源を地方に取り込んでも、それを行使する体制ができているのかどうか、、、。宮崎県と崖っぷち大阪府の地方分権の取り組みは進んでいるのでしょうか?

宮崎県ではいくつかのビジョン策定が行われているようですが、行政改革自体はまだまだ、意識の改革、それも談合事件からの脱却、信頼回復期との捉え方です。しばらくは、マンゴーに頼るしかなさそうです。

行政改革は3つの改革が実施されています。(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000085554.pdf より)

1 意識改革「お役所仕事」からの脱却や入札談合事件等の不祥事により失墜した県政の信頼回復のため、公務員倫理の確立や法令遵守(コンプライアンス)を徹底するとともに、職員一人ひとりの意識改革を推進し、柔軟な発想と明確なコスト意識を持って職務を遂行するという組織風土の形成を図ります。

○ 公務員倫理の確立(「職員倫理規程」等の制定、コンプライアンス推進体制の整備、「公益通報制度」の充実強化、 公共工事の入札・契約業務等に係る談合の記録、公表)
○ 組織風土改革の推進(各職場で、ワンランクアップの県民サービス向上の取組み、「部局マニフェスト」の実施、「職員提案」の実施、職員の自主的な地域活動参加を促す指針の作成、程度)
○ 人材育成の推進( 自己啓発支援、職場研修及び職場外研修の充実、職種間交流や外部との人事交流)

2 経営改革  はコストダウンだけですべてを黒字にしようとする大胆な試みです。県立病院の経営も経費削減で患者や医師が戻ってくるなら、苦労はありません。

3 協働改革  といっても、知事と県民との交流が中心で、「県民ブレーン座談会」、「県民フォーラム(公開討論会)」の開催。職員の姿が見えてきません、、、、、。

一方、大阪府ではもう少し改革が進んでいるようです。意識の改革から、実践へ取り組み始めているようです。部局長マニフェストと3人の副市長による6つの部局横断課題のマネージメント。
http://www.pref.osaka.jp/kikaku/b_manifesto/home.html より)

「大阪府では、この4月から、組織強化を図るため「戦略本部体制」をスタートさせています。
私は、この体制の下で、大阪府庁という組織が一丸となって「変革と挑戦」を続けるような仕組み、府民の視点で施策の効果を点検し、改善点を見出し、反映させる仕組みを確立したいと考えています。
その肝となるのが「部局長マニフェスト」です。
これは、部局長自身が、府としての大きな方向性の下で、自らの部門が遂行する戦略目標や具体的な成果指標を掲げ、知事である私との間でその実現を “約束”し府民の皆さんに公表するものです。」

それはアウトプットとアウトカムを区別して考えられたものです、、、、。

しかしながら、その重要なアウトカムを(課題→アウトカム)の順に見ていると、

1.大阪の地域力の再生→住民や地域団体等の地域活動への参加拡大により、府民の「地域力再生」の実感の向上を目指します。

2.大阪・関西発“地方分権改革”の推進→地方分権に関する府民の認知度・期待度の向上を目指します。

3.都市魅力創造→府民の大阪への「愛着心」や「活気・にぎわい」などの満足度向上を目指します。

4.新エネルギー都市大阪づくり→「エコカーの普及」についての府民の実感の向上を目指します。

5.障がい者雇用の促進→「障がい者が働き、自立した生活を送ることができる社会づくり」に対する府民の実感の向上をめざします。

6.大阪の高校教育のあり方→大阪の高校教育に関する府民の満足度の向上を目指します。

となります。でも、認知度、期待度、実感、満足度、それらは具体的な成果ではありませんね。

意識の改革だけが先行するのではなく、意識と実践とを同時に改革してこそ、改革が進むのではないかと考えます。実践の中でこそ、鍛えられると思うのです。府民の期待も、財政の窮乏も待ってはくれないはずです。

横断課題を全局をあげて取り組む意欲があるのかどうか、そのためには何を解体し、何を融合しなければならないのか、、、、、組織の創造的改革なしに、創造的な回答を提示することは不可能です。

「これまでの府政運営では「目標設定と責任の所在が曖昧」「PDCAサイクルの機能が不十分」といった課題がありました。
「PDCAサイクル」とは、Plan(立案・計画),Do(実施),Check(検証・評価),Act/Action(改善・見直し)の頭文字を取ったもので、計画から見直しまでを一環して行い,さらにそれを次の計画に活かす仕組み。この点を改善し、府としての組織目標を全庁で共有し、その達成を目指すため、「部局長マニフェスト」を制度化しました。 部局長マニフェストは、施策の取組段階ごとに目標を設定し、PDCAサイクルを常に意識しながら、その達成を目指す仕組みです。」

PDCAサイクルとは高度成長期に、製造業での生産管理や品質管理の効率化を推進するために考案された戦術であったはずです。いまどき、「PDCAサイクル」なんて言っているのは地方自治体くらいじゃないでしょうか。Plan→Do→Check→Act/Action、そんなにまっすぐには進みませんし、Planの前に膨大な分析が入り、Doの前に何度もCheckが入るものです。

やはり、まだまだ民間の先進企業の業務意識や体制とのずれは大きいのではないでしょうか。

地方分権

今、多くの政治家が地方分権、道州制に動いています。

それ自体は異論のないものと感じられますが、財源がどちらへどの程度傾くかだけが焦点のようで、具体的な行政改革、組織の改革は進んでいないようです。宮崎県も、大阪府も。

しかし、権力が地方に降りてきた場合に、きちんとそれを受け取る準備はできているのでしょうか。


官僚のあり方には弊害が生じてきていますが、国家のありようを問うために目指して勝ち取った国家公務員(今でもどれだけの人がその気概を持っているのかわかりませんが、、、)に勝る能力と意欲が地方公務員にあるのかどうか。地方公務員による官僚組織はもっとかたい殻を持った組織と言えるのかもしれません。

そうした集積し、巨大化したその組織を現実の動く機能的な組織に変えることができるのか、肥大化した、無用の長物をどこまでスリムにし、活動的にできるのか、、、、いくら、国以上に首長の権限が大きいと言えども首長一人の個性や能力で改革できるのか、持続して行けるのかはなはだ疑問です。


組織の改革、とは難しいものです。私の建築の師「内井昭蔵」は個性を生かしながら組織の仕組みを作っておりました。創造的な建築を作るためには創造的な組織のあり方が不可欠であると。


創造的な地方自治のあり方とは何か、それを実現するための組織のあり方とは何かを考える必要があります。それが首長の責務です。


組織とはコンセンサスで成り立っているものです。そのコンセンサスを得てゆくプロセスはすべての組織の宿命です。係員、係長、課長、部長、局長、、、、と書類の右上に配列される承認印が示すような、かたい殻の中の一元的、一直線的なプロセスではなく、多元的な、多次元的な、プロセスが必要ではないでしょうか。

そこにピラミッド形式の組織のあり方を緩めてゆく手がかりがあるように感じています。


地方公務員には「国家のありよう」といった国家公務員の崇高な志は必要ありません。むしろ、市民や地域がどうあるべきかと視点を下し、自分たちのライフデザインをどうするのか、それをともに考える土壌が必要です。

地方自治とは市民に直結しています。市民一人ひとり、職員一人ひとり、が上下の関係を捨てグループセッションのようにコンセンサスをとってゆくことが必要ではないでしょうか。個人を生かし、個人がチームとしてつながり、セッションのように合意形成してゆく、そんなイメージを抱いています。

2009年7月17日

43歳、働き盛り。3人の子の父親です。

「43歳、働き盛り。3人の子の父親です。」

「43歳、働き盛り。3人の子の父親です。」

「43歳、働き盛り。3人の子の父親です。」

「43歳、働き盛り。3人の子の父親です。・・・・・・・・・・。」

都議選での選挙カーによる連呼のひどさに驚いたものです。

何をやりたいのか?コンセプトは?マニフェストは?それとも体力勝負なのか?
67才現職議員に対抗する戦術だったようです、、、、、、。

彼らは政治家としての自負はあるのでしょうか?政治家だから目前の敵より1票でも多く、ということなのでしょうか。

もう、選挙のやり方を変えましょう。きちんと政策を語り、将来を語る能力を証明しましょうよ。

問題意識はどこにあるのか
どのように地域の情報を集積しているのか
ビジョンは何か
その構築力、論理力はどうか
どう具現化するのか
そのビジョンをどのように展開するのか

そのような論理構築能力を証明するための選挙活動とはどのようなものでしょうか。
未だ、選挙ポスターのさわやかな笑顔と選挙カーの鶯嬢の透き通るような大きな声。
選挙看板に付属するボタン押したら、あるいはネット上のデータからクリックしたら、ビジョンを自ら語る映像が流れてくることなど簡単な社会になっているはずです。
もっと、もっと対話も必要です。

ただ、様々な議員がいてもいいのかもしれません、肉体派、子煩悩派、お色気派、、、、、。都民の声を御用聞きのように拾い上げるのにはそれもいいかもしれません。しかし、あげられた声は誰が共有化した課題としてまとめるのでしょうか。

都の職員なのでしょうか、知事なのでしょうか。そうであるなら、都議など不要であり、民生委員や自治会長で十分です。待遇と権限を担保してあげれば、都民の生きた声は多面的に集まってくるでしょう。

議会とは何か、議員とは何か?そこに尽きるのでしょう。

地方自治法には15の役割が記述されています。
 条例を設け又は改廃すること。
 予算を定めること。
 決算を認定すること。
 法律又はこれに基づく政令に規定するものを除くほか、地方税の賦課徴収又は分担金、使用料、加入金若しくは手数料の徴収に関すること。
 その種類及び金額について政令で定める基準に従い条例で定める契約を締結すること。
 条例で定める場合を除くほか、財産を交換し、出資の目的とし、若しくは支払手段として使用し、又は適正な対価なくしてこれを譲渡し、若しくは貸し付けること。
 不動産を信託すること。
・・・・・・・・・・・・・・・・

たいていは1と2と3、それも決まられたものを採決するだけ、、、、。のような印象を持っています。

自ら市民の声を聞き、、、、、そのすべてを議会で一般質問するような議員もいますが、、、、そうではなく、声に潜む課題を自ら抽出し、いくつかの課題を連携、総合させて、新たなビジョンを描き、法制化してゆく。それが議員の役目ではないのでしょうか。

調査、分析、ビジョン構築、シミュレーション、評価、実行、、、、一人ですべてを行わなければならないスーパーマンであるはずなのです。少なくとも地方議員は。

働き盛りというだけではとてもこなせないものですし、ましてや3人の父親で子煩悩であるだけで、少子化問題に取り組めるというほど甘いものではないはずです。

2009年7月16日

スターバックスによる評価

岡崎市は大きく南と北に分かれています。南は最近の町であり、北は古い城下町からの町。北は自らを都心と呼び、その再生に向けて多大な税金が注がれています。

岡崎市南部、竜美が丘にスターバックスが開店しています。なだらかな斜面にゆったりとした住宅地が広がっています。近くには大きなショッピングセンターや裁判所や警察署などが位置します。

スターバックスの店舗は近隣都市も含めて、最近は急激な増加傾向にあります。直営店ではなく、フランチャイズによる店舗の増加が著しいとも言われます。しかし、37万人都市岡崎にはそのショッピングセンター、イオン内の店舗を含めて2店舗だけです。

スターバックスが求められる理由は何でしょう?

コーヒーが安いわけではありません。いろいろの自らの好みに合うコーヒーをオリジナルで作ってくれます。ただ、これは何度も通わないとそこまでのオーダーは難しいです。また、店内禁煙です。

逆に、スターバックスは何を求めて出店するのでしょうか。安くもない、喫煙などできない規制の多い店舗が受けいれられる地域はどこなのか、そうした新たな価値感を持つ人や地域はどこなのか。

この環境に合う場所や場面を作り出すことに適切な地域に出店をするのでしょう。それにあう豊かな地域はどこなのか、それを消費してくれる市民はどこにいるのか、企業はすべて調査しています。シビアです、、、、。

ごまかすGONPOとごまかされる市民、時代に取り残される地域と次代へ向かう地域、、、、違いを見極めなければ、再活性化など不可能です。
新たな可能性を発掘するためのワークショップを合意形成のために無理やり押し付けられ、近視眼的な市民にそんな違いなどわかるはずもありません。ワークショップごっこに戯れている場合ではないはずです。

地域への評価、それは市民も行政マンも知らないところで、しかし、プロとしての的確な判断が下されているのです。違いとその可能性が見えている確かな企業が身近にいるのです。

違いと可能性を示すこと、それがコミュニティシンクタンクの役割です。近視眼的市民には厳しいものを突きつけることになるでしょう。

2009年7月15日

大臣政策室

舛添厚生労働相は厚労省に大臣直属の政策スタッフ組織「大臣政策室」を設けることを発表した。政策室はIT関連企業社長など民間人を含め、大臣が任命した「政策官」で構成。12人中7人を総務、法務、財務、経済産業など他省庁から集め、縦割りにならない意思決定を目指す。(http://www.asahi.com/politics/update/0701/TKY200907010328.htmlより)


大統領府、首相官邸、次は大臣政策室が整備されるようです。

大臣になったからといって、すぐさま適材となるブレインを集めることはできないでしょう。大臣になった時点でより高度な専門性が必要となる大臣政策室を立ち上げることは困難ではないか、立ち上げてもうまく機能するのかどうか疑問です。そうであるなら、むしろそれ以前の段階より、議員として、つまり政治家として、政策研究チームを持ってチームとして政治を考えてゆく必要があるのではないかと考えます。

それは、現代の政治家には分析力、構築力とそのスピードとが必要であり、多面化、複雑化した現況に対処するためにより高度でより迅速な対応が必要な時代となったからです。

医療や技術開発だけでなく、芸術やデザインですらすでにチームとして活動することが不可欠の時代になってきています。政治家にも専門家によるチームが必要なのではないでしょうか。

国会法により公設秘書2人と政策秘書1人が認められていますが、チームに必要な人材とはマネージメントを担当する秘書ではなく、政策研究のできる研究員です。ただ、有能な研究員には独立した立場が必要であり、チームに対して顧問としての関係や委託契約を介した関係を持つべきかかもしれません。

もっと、その先を見据えるならば、それは政治家と研究員という関係を持ったチームではなく、研究員の集合体としての政治チームとなるでしょう。もしかするとそれはコミュニティシンクタンクのような地域とのネットワークを持ち、新たな情報収集システムを携える組織かもしれません。

多くの個人の政治家よりも、数を少なくしたチームによる政治です。

選挙には政治家一人の資質が問われるのではなくチーム全体の能力が問われる。市民や国民はチーム全体の能力を見て、投票するようなシステムです。

それはブレインとしてのシンクタンクのような機能と役割が要求され、地域に根差した政治家にはコミュニティシンクタンクの登場が必要になるでしょう。

特に地方の政治では市議など、市長と対等に論議を交わすことのできる数人でいいと思うのです。

2009年7月14日

シェフによるスーパー給食

「残さず食べてもらえる給食を目指す東京都足立区の区立梅島小に25日、西麻布で高級イタリアンレストランを営む片岡護シェフ(60)の給食が登場した。

 大好評だったのがトマトソースのパスタ。レストランで出すものと同等だが、値段の手ごろなパスタを使うなどの工夫で予算は通常の1食254円に収まった。

 3回お代わりした4年生の嶋圭太郎君(9)の感想は「軟らかく、ちょっと硬くてもちもち」。自然に出てきた「アルデンテ」の表現には、片岡さんもびっくり。 」(http://www.asahi.com/national/update/0625/TKY200906250276.html より)

西麻布でイタリアンレストランを経営するシェフが1食254円の給食を提供したようです。給食などの安い予算ではとてもできないという感覚があったので驚きです。

シェフによる給食は、このほかにも多くの小学校、町でスーパー給食として取り入れられているようです。フレンチからイタリアン、和食中華ラーメンお好み焼きから、、、様々なシェフがいます(http://www.chojin-chef.jp/deproject/kyuusyoku/index.html より)

食物の栄養価の数値から食を作ってゆくのではなく、生きた食事を提供するという本来のプロの腕によって「おいしさ」が求められたのです。子供たちにはおいしさだけではなく、料理を作る楽しさが実感できたかもしれません。

建築も同じです。建築家に頼むと高くなるから工務店やハウスメーカーに頼む、建設会社に任せてしまうと考える人も多いかもしれません。安易にできてしまうかもしれませんが、安易さは隠れた不備や思わぬ欠陥も生じてしまいます。
住まいや建築とは、発注者と建築家とがともに一緒になって作ってゆくものです。手間を惜しまない建築家ならば、住まいにかかわるその人のビジョンを作り出します。
少し時間はかかるかもしれませんが、思いの込められた住まいは長く愛されるものになります。
プロフェッショナルとは、いかなる条件においても、最大の利益を生み出す力を持っています。その職能こそ、今後多くの社会で、多くの場面で必要になってくるものではないかと思うのです。

2009年7月13日

琴光喜と内川

琴光喜と内川、彼らに共通するのは、「愛子さま」がファンであること。

誰もが朝青龍や白鵬と言い、誰もがイチローやマツイやナカムラを応援するなかで、彼女の審美眼は印象的です。

多くの人たちがスーパースターやアイドルに「流され」がちで、また、メディアでの露出度の高いチームを応援する。メディアは常勝チームを作り、その均質化へのサイクルを加速する。

それはストレス解消のためなのか、コミュニケーションを保つための保身術なのか。あるいは、安心感なのかもしれません。

子供の頃、人と同じ感性や価値観を持っていることで、仲間はずれにもならず、孤立することもなかったかもしれませんが、それを顧みず、内面に深く入り込んだ彼女の洞察力は私たちにとって、貴重なものとなるでしょう。むしろ、子供たちの間で羨望の的となって欲しいのですが、、。


それは「オタク」と言われる「アマチュア専門家」としての能力の現れかもしれません。

「オタク」と「プロフェショナル」との違いは何でしょうか。大きいようにも感じられますし、「オタク」の知識の方が膨大な場合もあるでしょう。「プロフェショナル」は実践の中で鍛えられ、責務を負ってゆきます。閉じていては「プロフェッショナル」とは認知されないのではないでしょうか。

「オタク」がその自閉性を解き、「アマチュア専門家」として発言権を持ち、市民権を得てゆく時、日本の社会は大きく変わってゆくのではないでしょうか。

そこには均質性を持った市民や国民ではなく、メディアなど到底予測もつかないような、多元性を持った社会が見えてくるように思うのです。

オタクを研究するオタクもあるようです。こちらはプロフェッショナルと言うべきかもしれませんが、このような分類型の分析は面白くないですね。むしろ面白さは「オタク」の方が持っているものです。

オタクは遍在する――NRIが示す「5人のオタクたち」 (1/2)
オタク分析のパイオニア・NRIが新定義を打ち出した。オタクにはアニメやコミックマニアだけでなく自動車好きや旅行好きも含まれるとし、「5人のオタクたち」という典型像を示した。
 野村総合研究所(NRI)オタク市場予測チームは、オタクの特性を分析して再定義し、10月6日に発表した。オタクはいわゆる「アキバ系」だけではないとし、行動や消費の特性を抽出。アニメやコミックに加えて旅行、自動車マニアなどもオタクに含め、主要12分野のオタク人口を172万人、市場規模を4110億円と推計した。(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/06/news068.html より)

2009年7月7日

裕次郎23回忌

「87年に52歳で亡くなった俳優、石原裕次郎さんの二十三回忌法要が5日、東京都新宿区の国立競技場であった。一般向けには最後の法要で、ファンらが午後10時の閉門まで長い列をつくった。主催者の石原プロモーションによると計11万6862人が献花した。

グラウンドには、裕次郎さんの墓がある横浜市鶴見区の総持寺の本堂を模した高さ約17メートル、間口約36メートルのセットが組まれた。」(http://www.asahi.com/national/update/0705/TKY200907050141.html より)

本尊を総持寺より持ち込み、法要が行われたようです。

言わば、それは移動寺であり、ウォークする寺です。本尊のあるところ御仏がおわすということですね。キリスト教プロテスタントでは、聖書あるところすべて神の御心があり、十字架のような偶像や教会のかたちにはこだわらないのと同じようです。寺そのものです。

かつて、アーキグラムがインスタントシティやウォーキングシティを都市のメタファーとして提案していたことも思い出されます。建築までもユビキタスであるということを改めて認識できました。

仏の心を確かめる場所、その場所こそが法要の場所、寺であるのです。

東京遷都が模索されていた頃、師内井昭蔵は移動国会を提案しました。

内井は木構造の巨大なドームを解体、組み立てできるシステムを考案し、国会議事堂として、さまざまな場所での議会開催を考えていました。遷都という神がかり的なものではなく、現実的な、そしてより実効性のある多面的な国会像を提供したのでした。

先日まで東京国立博物館で開催されていた「阿修羅展」。美術品として博物館で展示されるのではなく、ウォークする移動寺として興福寺自体が東京へやってきてくれるとよかったのですが、、、、、、。

建築も都市もウォークするのですから。

2009年7月6日

アートビオトープ

アートビオトープという言葉が生まれています。アートビオトープ那須では自然の息遣いを感じるなかで作品を作ったり、講義を学んだり、さまざまな活動を行う環境を提供しています。

http://www.artbiotop.jp/


ビオトープBiotopとはBios(生命)+Topos(場所)というギリシャ語から生まれた概念です。本来は生物の生態域、普通に自然の中に持続している生物の生態域のことを言い、それらを保護、保全、復元、創出してゆこうとするものです。


近年、日本では、屋内や身近な環境の中に閉じ込められて人工的に作られている生物の飼育室や実験装置のような矮小化された小さな概念となってしまっています。残念ながら、、、、。

ビオトープもエコロジーと同じように、むしろ生態系をつなげ、広げてゆくことが重要であり、そのつながりを私たち自身の感性でまじかに感じることが必要なのだと思います。

アートビオトープとは、作品を作ることで、生命の息吹を感じ取ってゆこうとするものであり、同時に自然の息吹を感じることで新たな作品を作ってゆこうとする活動です。アートや芸術のまっすぐな側面が自然の生態系の厳しさ、難しさとあいまって育てられるということではないでしょうか。

アートが作品、すなわち、ものづくりを通して、人と自然との間に立ってつながりを生み出しているのではないかと思います。アートが地域と人とのつながり、人と自然とのつながりを発見させ、地域のの活性化や環境づくりへと向かう活動は大変多くなっています。

アートやものづくりとエコロジーとは、なかよしなのですね。
どれも数字で抽象化されるものではないし、視点が正しくないと見えてこないですし、自らの視線を通さないと見えないものですからね。

2009年7月5日

軽井沢訪問記/ヴォーリズ、レーモンド、吉村順三から原広司

ナショナルトラストサポートセンター主催のタリアセン(軽井沢塩沢湖畔)見学会に参加する機会がありました。

タリアセンには44年会館(旧軽井沢郵便局)や朝吹山荘(ヴォーリズ設計)、夏の家(レーモンド設計)など軽井沢の歴史を作ってきた大切な資産が移築保全され、レストランや美術館として活用されています。その活動の中心となっている軽井沢ナショナルトラストの藤巻氏に貴重な説明をいただきました。

旧軽井沢郵便局の保存活動をきっかけに藤巻氏はじめ地域の有志が軽井沢の別荘や教会などの文化資産を守るため、活動始めました。地域が自分たちの文化や歴史を後世にきちんと残そうと、それが自分たちの歴史であり、同時に自分たちの将来を形作るものとして考えられているのだと感じました。

また、軽井沢を歩いていると、いくつかの別荘建築には教育員会から委託された臨時職員の方たちがはりつき、残された施設を広報し、管理している様子も見られました。周辺の古びてきた別荘を今後どうしようか、愛情を持って自分たちのことのように真剣なまなざしを向けています。

どの地域も今、自分たちのアイデンティティがいかなるものか、生き残りの手段として切実になっています。5億円もの費用をかけて、東京の古い住宅を元藩主末裔の住宅というだけで、旧本多邸を研究者から押し付けられ、買わされ、一方で地域の歴史や文化資産には目もくれないという岡崎市は特殊事例でしょう。



この機会にいくつか、建築を見て回りました。順に、レーモンド設計の聖パオロ教会、ヴォーリズ設計の浮田山荘、吉村順三設計の山荘。
どれも存在感があり、今に引き継がれ、今後も軽井沢を形成してゆくことでしょう。











その存在感とは何か、、、、建築の姿が立ち現れる瞬間をどのように設計論として記録してゆこうか考えています。ここを歩くと、その答えのひとつと考える「素材と私たちの関係」が強くつながれていることがよくわかります。
どれも私たちに熱く、強く語りかけてきます。建築家が選んだ素材、それらを取り込むための構法やディテールが真摯に、大胆に現わされているのです。
語りかけられた私たちは敏感に反応し、そこに風土や文化、愛情や思いなど、、、、、、地域の普遍性を感じてしまいます。そうした素材と私たちの関係、その発想は師内井昭蔵から最も影響を受けた視点ですが、この素材と私たちの関係を生み出すことが建築が立ち現れる瞬間の一つではないかと考えています。

最後に86年、原広司によって設計された田崎美術館。

ここは素材そのものというより、光あふれる空間の中にほのかに模様を刻まれたガラスが幾重にも重なるように配置されています。軽井沢の透明感あふれる空気がデザインされ、再現されているように感じられました。

地域の透明感、これも風土です。かつて、それを求めて人々はやってきたわけですから。

しかし、その透明感も、ここ軽井沢でも失われつつあるように感じられました。それらを濁すような、けばけばしく、張りぼての見せかけの商業建築や別荘群が目についてきたのです。

古い文化や歴史の上に、そこに新たな感性が真摯に重ねられながら、地域は熟成してゆきます。
(ref→http://architect-studio.com/topic.html

2009年7月3日

サイクルトレイン

「えちぜん鉄道「サイクルトレイン」の運行について
公共交通機関の利用促進策、また、健康長寿バイスクル事業の一環として、えちぜん鉄道において、自転車を電車に持ち込める「サイクルトレイン」を運行しています。」
http://www.pref.fukui.jp/doc/sokou/bicycle/cycletrain.html より)


まだ、期間や期日限定であったり、サイクリング愛好者や観光客対象のイベント的な様相ですが、多くの心ある鉄道機関で試行されているようです。


秩父サイクルトレイン実行委員会+西武鉄道 http://navix.city.chichibu.lg.jp/

岐阜県養老鉄道 http://www.yororailway.co.jp/cycle/cycle.htm

滋賀県近江鉄道 http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/cycle/index.html

茨城県関東鉄道、地域のふれあいパートナーと謳われております。 http://www.kantetsu.co.jp/train/cycletrain/cycletrain_index.html

群馬県上毛電気鉄道 http://www15.wind.ne.jp/~joden/otokujoho/sub1.html

上毛電気鉄道では新たにパーク&ライドシステムが試みられています。
「自家用車等で駅まで行き、公共交通に乗り換えるパーク&ライドシステムを導入しております。上電利用者に限り、駅駐車場を無料化しております。

通勤、通学の方はもちろん今日だけ上電を利用したいといった方も対象として、駅駐車場を無料化しております。 ぜひ、自家用車と合わせて環境に優しい公共交通もご利用下さい。」


車社会一辺倒だと思っていた地域でも、本物のエコに向けて次代の試みが行われています。地方から社会を変えることができるかもしれません。サイクル&ライド、サイクルonライドで通勤する有能なサラリーマンの姿も日常的な光景になることでしょう。

ヨーロッパではすでに行われていますが、、、、。

2009年7月2日

副市長公募

豊岡市では副市長を公募しました。東京や神戸でも公募の説明会が行われています。http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1244178688617/index.html


豊岡は出石や城崎を含み、人口約89000人、市の職員約990人ほど、コウノトリの町として有名な兵庫県北部の山間の町です。

中貝宗治市長は、副市長をコーチと位置付けています。プレイヤーとしての職員と監督としての市長との間に立って、コーチの役割を果たすのだというのです。一見、中間管理職的な印象も受けますが、、、、難しい役どころです。



「豊岡市役所の職員たちは、素質は充分で、故郷を愛する強い気持ちをもっています。このチームを、民の目でさらに鍛えて、市民との連携をさらに強化すれば、目標は必ず達成できると信じています。そこで今、私たちの夢の実現に向けて、副市長として、夢を共有し、一緒になって汗を流していただける人材を探しています。求めている副市長像は、「優れたコーチ」です。」

市は行財政改革の真っ只中、そこに改革のメスならぬ、コーチの手腕を入れたいようです。財政逼迫という状況の中で市も、市民や活動団体も苦しんでいることがわかります。多くの声も寄せられているようです。

補助金や運営費などの削減や中止が市から提案されていますが、同時に地域の活動の活性化は進みつつあり、また進めなければならないというジレンマもあるようです。

でもそのジレンマの中にこそ、解決の糸口はあるのではないでしょうか。どちらかを切り捨てるのではなく、その両方を解決する斬新で、思ってもいない戦略が求められています。

それには経費削減に長けた経済専門家の経営戦術を必要とするのでも、財政逼迫を市民とともに痛みを分ける交渉術を必要とするのでもありません。

戦術の問題ではなく、行革そのものの、組織のあり方をどのように変えてゆくかが問われているのであり、新たな有機的組織の運営へ向けて職員の視線を変えてゆくことがコーチたる副市長に求められているのではないでしょうか。

そこにこそ次代のタウンマネージメント、新たな民主主義の姿があるのではないでしょうか。

2009年7月1日

エコとはecology ?

エコとは何でしょうか。


日本のエコ住宅って、外壁を密閉化し、内部の空間をできるだけ外気から閉ざし、高効率空間を作ろうとするものなのではないでしょうか。それは単なる省エネルギー住宅であったり、高密閉住宅であったり、徹底した工業製品化された住宅であったりします。

エコカーって、積載したエンジンの稼働力と遠くの町の発電所から送られてくるエネルギーによって動いているだけでは?

エコ家電って、ランニングコスト重視と言い、買い替えばかりを押しつける高度成長期と何ら変わりないのでは?などと考えてしまいます。


最近、どの企業も環境に対してなかよしだとか、やさしさだとか、配慮だとか、声高に語ります。そして、自己の効率度が一番であると社会にアピールします。


しかしながら、一つの交通手段の効率度を強調しても社会は変わらないでしょう。様々な交通体系、交通手段を連携させ、つながりをつくってゆくことが重要なのではないでしょうか。鉄道だけですべてを論じるなんて不可能です。

営業する自らの地域が何故、車社会から逃れられないのかを考えたことはあるのでしょうか。

同じ系列会社であるバスのサービスはどうなっているのでしょう。自らの利益のためにコミュニティバスに制約をかけたり排除しているようなことはないでしょうか。

現在禁止している電車の中にそのまま自転車を持ち込むことを許せば、あふれんばかりの自転車置き場の問題も、環境問題も、そして健康の問題も一気に解決してしまいますね。エコとは単なる企業の利潤追及の場ではないはずです。

どれもこれもエコがecology を起源とするものなのか、economyを起源とするものなのか分からなくなってきました。

エコとエコロジーは全く異なる概念なんだと感じざるを得ません。

エコロジーとは様々なつながりのなかに私たちがいることを認識する研究領域です。太陽の光が明るさを持ち込み、そのエネルギーを与えてくれる。森の緑が風を起こし、空気を浄化する。鳥や木々の生気を運び、人の生活を潤わせる。そうした人の生活はつながって森のようなコミュニティとなり、大きな力となって生態都市となります。

つながりを生み出してゆくこと、永続的に生み出してゆくことが持続可能な社会の始まりであって、エコロジーとはそのような永遠につながる連携のことではないでしょうか。

人の思いはアートと出会って、形を作ってゆく。そのものづくりのストーリーは次々とつながってゆくことでアートは深い形をなしてゆく。ものづくりのストーリーは正直であり、なすがままであり、自然なものであり、恣意的な間違ったプロセスからは素直な形は生まれないものです。

それらの所作は練習と情熱によって自然な形をなすようになる。それがものづくりの精神です。アートやものづくりと自然とはその筋道のところで似ているのだと思うのです。形を崩すのは人間の大げさな所作であったり、エゴであったり、、、、。

今社会を席捲しているエコとはつながりを排除し、つながりを閉ざすことによって高効率化や高エネルギー化を目指し、研ぎ澄ましてゆくものです。エコロジーとは少し異なるものと思う。そう、エコとはエゴ。