6人の同人と準備を進め、4月からその活動を正式スタートさせたコミュニティシンタンクが次第に姿を現してきました。
コミュニティシンクタンク「moco」と組織の名称を決定し、5月から月2回、第2および第4金曜日夜にギャザリングと名づけた定例会を行います。また、6月22日には「岡崎の再生とは」をテーマに岡崎市竜美丘会館でシンポジウムを開催します。ぜひ、ご参加ください。
「moco=もこ」とは、三河地方の古い方言で「水が地下水道を通って出てくる所」を意味します。地層の豊かな水が溢れでてくるように市民やその豊かな活動と交流してゆきたいと考えます。
また、「moco」はMothership of Community /地域の母体機能を担う拠点として、市民のネットワークを築き、市民と市民、市民と行政や社会との間に立って連携し、協働する中間性触媒組織として活動します。
「moco」とはコミュニティシンクタンクです。その設立の理念は次のように考えています。
「岡崎市では多くの市民活動が活発に行われ、豊かな町であると実感しています。しかし、その多くは具体的な成果が見えなかったり、まちづくりに生かされていなかったり、また、活動そのものが困難な状況に追い込まれています。それは市民にとってはもちろん、行政や企業にとっても不幸なことと言えます。
私たちはこの豊かな市民活動を行政や社会に直結した有意義なものとし、その豊かな活動や柔らかな発想を大切にし、多様で人間的なまちづくりを実現したいと考え、私たち市民が自ら立ち上がり、市民と行政や社会とを真に、有機的につなぐコミュニティシンクタンク「moco」を設立しました。
私たち「moco」は市民や市民活動団体と交流し、支援し、その活動を推進させる触媒的組織、コミュニティシンクタンクです。これまでのような最大公約数としての市民でもなく、地方という画一的視点でまちを俯瞰するのでもなく、一人ひとりの市民の視点から地域の多様な課題を探求し、市民自らその解決する方向性を発見できるよう協働します。
私たちは「岡崎からコミュニティを考える市民グループ」です。社会の課題を地域から発信します。」
2008年4月22日
2008年4月8日
琵琶湖の小さな島の小学校

古い環濠の残る豊かな町である滋賀県近江八幡市は宣教師であり建築家であったヴォーリズによる近代建築もまた数多く残されています。また、周辺の豊郷町には近年その保存が期待され大きく取り上げられたヴォーリズ設計の小学校が残されています。
沖島小学校は写真に現れているように木造のすばらしい、堂々とした建築です。松本市の開智学校のような先進的な雰囲気も感じられます。沖島は琵琶湖に浮かぶ小さな島のようですが、こんなところにも当時の教育に対するまちの意欲や先進性が窺われます。
近江地域は古い街並みが残り、また図書館行政もとても豊かで先進的な地域です。ヴォーリズのようなすばらしい宣教師のもたらした新しい文化を受け入れ、またその次に現れる新たな価値に目を開く力を持っていたのではないかと感じられます。社会や地域が豊かであるためには価値を共存させる力、絶えず新たな価値を掘り起こしながら古いものと新たなものを共存させる、想像力と先見性が不可欠です。
先進性とはすべてを解体して、新たな開発することではないのですね。
2008年4月7日
市民によるコミュニティバス

多くのまちでコミュニティバスという名のバスが運行され始めていますが、その多くは行政が運行会社に補助金を与えて運行させたり、委託したりすることによるもので大きな違いが明確にはなっていないように感じられます。また、一般の路線バスでも経営が難しいなか、コミュニティバスの企画はどのような方向へ向かうのでしょうか。
この場合のコミュニティとは「地域限定の」、「地域独自の」というような意味を持ったものかもしれません。しかし、既存の路線と競合する部分を避けたり、市役所を発着点にこだわることなどによって本当に必要な部分にバスを走らせることができない事例も多いのではないでしょうか。名前や形だけのコミュニティバスであり、目的は市民の利便性や地域の活性化などを真剣に考えたものとは別のところにあるような気がします。
本来の地域のなかを小さなバスが縫って走るというきめ細かなケースはどれだけあるのでしょうか。

それは中心地の周辺に3つの環状ルートを持つものであり、それぞれが相互につながりながら、既存の路線とも融合しているように感じられます。病院や美術館、公共施設や市場をつなぎ、さらに地域の商店街の中にまで入ってゆくようです。
また、金沢市では、これらの計画を更に一歩踏み込んだ形で車に依存しない新たな社会システムの試み:パークアンドライドシステムが実践されています。
それは、郊外の自宅から車でコミュニティバス路線までアクセスし、市中心部周辺の所業施設などの駐車場(Kパーク)に駐車し、そこから割安のバス定期によってコミュニティバスを利用できるシステムで、市中心部の交通システムと通勤システムを根本から考えようとする意欲と真摯な姿勢が見えてきます。
そこには規制のバス路線との妥協のなかから生まれるものではなく、そのような既成のシステムなどつくり変えてしまうような新たな交通システムが社会に要求されているのだと感じます。それが真に利便性を与え、経営が困難と言われるバス経営をも再生し、まちに活気をもたらすものとなるのではないでしょうか。
2008年4月4日
地方議会の役割
矢祭町では議員の報酬が議会開催期間だけ支払われるようです。では、議員の役割とは議会に出席している時だけのものなのでしょうか。そうであるならばその役割とは、政治とは大きく隔たりのあるものであるように感じてなりません。
政治とは社会のしくみを考え、つくりあげることです。それは法律の文面、と社会の意識を作り上げることによって成し遂げられるものではないでしょうか。
地方議員の議会での役割とは何でしょうか。質問権や議決権行使、動議の提出など、首長や行政のチェック機関としての機能しか見えてこないようにも感じられます。
また、議員の活動を見ていると、中心地域再活性化などについては、地域の状況や歴史に関わらず、政府が一律に声高に唱えることが地方にとって大きな問題となっているのに、批評なく中央政府の宣言をそのまま掲げている人も見かけられます。現実が見えていません。
また、地域の人のネットワークづくりに腐心し、地域の現実に目を向けている人も多いです。しかし、その声をマスタープランとして、政策としてどのように具現化しようとしているのか。構想力、戦略がいまいち見えてきません。
矢祭町議会の現実は地方自治にはチェック機関としての議会のみを必要とし、立法政治を行なうための議員は不要なのではないかと感じざるを得ません。
地域の自治とは、案外創造性を欠如したものかもしれません。
政治とは社会のしくみを考え、つくりあげることです。それは法律の文面、と社会の意識を作り上げることによって成し遂げられるものではないでしょうか。
地方議員の議会での役割とは何でしょうか。質問権や議決権行使、動議の提出など、首長や行政のチェック機関としての機能しか見えてこないようにも感じられます。
また、議員の活動を見ていると、中心地域再活性化などについては、地域の状況や歴史に関わらず、政府が一律に声高に唱えることが地方にとって大きな問題となっているのに、批評なく中央政府の宣言をそのまま掲げている人も見かけられます。現実が見えていません。
また、地域の人のネットワークづくりに腐心し、地域の現実に目を向けている人も多いです。しかし、その声をマスタープランとして、政策としてどのように具現化しようとしているのか。構想力、戦略がいまいち見えてきません。
矢祭町議会の現実は地方自治にはチェック機関としての議会のみを必要とし、立法政治を行なうための議員は不要なのではないかと感じざるを得ません。
地域の自治とは、案外創造性を欠如したものかもしれません。
2008年4月3日
CTTの組織化
準備に約1年かかりましたが、4月より、コミュニティシンクタンクCTTが正式に活動を始めました。6人の市民有志が同士となって、つまり同じ目的と情熱を持ち、独立性と自由性を有した個人の集団として進めて行こうと考えています。
市民活動団体の中心に位置すべく、まず、5月よりギャザリングを開催することによって、それぞれの問題点や成功体験を共有することを試みます。何かを指示するわけでも、支援するわけでもなく、それぞれが、自ら自覚することによって、その方向性を探求し、発見してゆくものです。
このギャザリングという集会(月例会)がCTTの基盤をなすものとなります。その広報を始めたのです。
ただ、名称と具体的な組織化が目下の検討事項ですが、、、
その組織化の方向が最重要課題です。僕たちは自らソーシャルベンチャーたる立場を確立しようと考えているのですが、またベンチャーたりえない限り、CTTなど運営できないと考えていますが、NPO法人化を想定すればするほど、組織が見えなくなってしまいます。
僕たちは6人の個人が自立して連携し、協働する集まりです。それはNPO法人の理事でも、事務局でもありません。それを同人と呼び続けています。NPO法人が適当なのか、LLPやLLCが適当なのか、その組織のかたちは確定できていませんが、同人の自由な集まりをかたちにした組織化を模索中です。
しかし、こうして活動の理念をかたちにするべく考えていると、世のNPO法人は組織化がうまくいっているのやらと心配になってきます。果たして、NPO法人とは形骸化した理事の集まりなのか、あるいは理事に仕える、理念や倫理を捨てた事務局員の集まりなのか、、、、、。
もちろん、どちらにも流れないようにしなければなりません。
市民活動団体の中心に位置すべく、まず、5月よりギャザリングを開催することによって、それぞれの問題点や成功体験を共有することを試みます。何かを指示するわけでも、支援するわけでもなく、それぞれが、自ら自覚することによって、その方向性を探求し、発見してゆくものです。
このギャザリングという集会(月例会)がCTTの基盤をなすものとなります。その広報を始めたのです。
ただ、名称と具体的な組織化が目下の検討事項ですが、、、
その組織化の方向が最重要課題です。僕たちは自らソーシャルベンチャーたる立場を確立しようと考えているのですが、またベンチャーたりえない限り、CTTなど運営できないと考えていますが、NPO法人化を想定すればするほど、組織が見えなくなってしまいます。
僕たちは6人の個人が自立して連携し、協働する集まりです。それはNPO法人の理事でも、事務局でもありません。それを同人と呼び続けています。NPO法人が適当なのか、LLPやLLCが適当なのか、その組織のかたちは確定できていませんが、同人の自由な集まりをかたちにした組織化を模索中です。
しかし、こうして活動の理念をかたちにするべく考えていると、世のNPO法人は組織化がうまくいっているのやらと心配になってきます。果たして、NPO法人とは形骸化した理事の集まりなのか、あるいは理事に仕える、理念や倫理を捨てた事務局員の集まりなのか、、、、、。
もちろん、どちらにも流れないようにしなければなりません。
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