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2010年4月11日

大阪都

「大阪府の橋下徹知事をトップに4月に旗揚げする地域政党「大阪維新の会」が訴えの柱とする「大阪都構想」案が24日、判明した。

 全府域を「大阪都」とし、大阪市と堺市を分割して周辺9市とともに計20の「都区」(仮称)に再編。東京都と23特別区のように、各市の広域行政機能を新都に集約し、各都区には公選制の区長と区議会を置くとしている。5年以内の実現を目指す。」(2010年3月25日 読売新聞)

橋下知事には少なからず期待していました。しかし、東京への傾倒は大阪のアイデンティティを見失ってしまうことでしょう。これまで何度も繰り返してきた愚行です。山手線にならった放射状の拡大化、水の都を台無しにした湾岸副都心開発、成田のような遠隔地空港、、、、など大阪の地盤沈下の原因の一つかもしれません。

府と市の一元化は必要かもしれません。しかし、もっとリベラルなやり方で、東京とは異なる新たな都市モデルを見出すべきです。それはマンハッタンのような高度に周密化し、それらがもたらす利便性や効率性、そして自由性から生み出されるものなのではないでしょうか。

かつての北、東、南、西の4区とそれらを縦につなぐ、南北の都市軸のなかにすべてを詰め込んでゆく、大きな特別区1区を、自立性と領域性を持った都市国家のように、また自由と集中とを特権とした香港のように、あるいは特別の機能のみに特化されたワシントンのように、、、、、、、新たな発想を持ったビジョンの構築が求められています。

2009年7月24日

選択的認知と選択的非認知

「問題が起きていることを認めないと、「選択的認知」といって、自分に都合のいい情報ばかり認識するようになって、問題解決からどんどん遠ざかってしまいます。虫歯の例はその典型で、初期なら、ほんの少し歯を削るだけで済んだはずなのに、悪化させて神経を抜かなければならなくなったりするのです。

それでは、問題を認めると、どのような、いいことがあるのでしょうか。
問題を認めると、逆に、それを解決するための「選択的認知」を始めるようになります。なぜなら、その問題は不快なので、なるべく早く解決しようとするためです。 」

問題は当事者が認めるまで悪化するのだと勝間和代さんは書いています。

(http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.htmlahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.htmlahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.html より)

問題が起きていることを認めていながら、それゆえにその問題を隠蔽したり、正当化しようとする動きが多々あります。 むしろ、選択的非認知。

それは自閉性組織の末路です。そこにはいくつものベールに包まれ、真実を覆い隠している何かがあります。専門家や有識者で構成されるお雇い委員会の所在です。閉鎖性回路をさらに強固にしてゆきます。

「公共事業の無駄の判断は難しいものです。東京に住んでいる身としては、静岡空港は無駄に見えますが、静岡県の何人かの住民にとっては必要不可欠なインフラなのかもしれません。」(JMMへの投稿より抜粋/メリルリンチ ストラテジスト菊地正俊氏)と言われる、 先月開港した「人と自然にやさしい」人工台地のような富士山静岡空港。これだけの環境破壊をやれば1900億円くらいはかかったでしょう。専門家もその数字の妥当性を認めています。

何人かにとって必要不可欠であることは間違いないでしょう。しかし、何人の住民がどこへ行くためのインフラなのでしょうか。一日12-3便、それも千歳、小松、福岡、熊本、鹿児島、那覇、ソウル、シャンハイ行きだけで利用者の要求を満たすことができたのでしょうか。

空港建設の経緯は、昭和62年 12月 空港建設予定地を榛原・島田に決定し、平成10年 11月 本体工事起工式 がとり行われたにもかかわらず、ここで県民から反対運動がおこり、平成13年 9月 臨時県議会にて住民投票条例案を否決し、平成14年 1月 空港タウンミーティング、空港専門家委員会での検討を経て空港の必要性を検証し、そして、開港しました。

その空港専門家委員会では様々な検討がなされていますが、問題は1点、1900億円に対する需要効果のはず。(報告書 https://www2.pref.shizuoka.jp/all/file_download1130.nsf/7DBA66CFCC0F65E849257398002C6F13/$FILE/iinkaitorimatome.pdf
空港専門委員会 http://www.pref.shizuoka.jp/kuukou/contents/ayumi/kaigi/senmon/index.html )

突っ走る閉鎖性組織、それを諌め、止めるのは倫理観を持った有能な専門家であるはず、、、、、。彼らの役割は静岡のアイデンティティを常に発掘し、その確かなビジョンを構築することにあります。それを社会に還元することが専門家や有識者の大切な役割です。

僕は東海道新幹線で毎週東京と愛知を往復していますが、通り過ぎる駅はと言えば、掛川も静岡も富士も三島もどの駅もみな同じ形、さびしい駅ばかりです。しかも静岡のアイデンティティ富士山、その山麓の工場地帯のひどさは相変わらずです。これでは誰も寄り付かない。弥次さんも喜多さんも嘆いていることでしょう。

東京と関西を新幹線で往復する観光客も、ビジネスマンも驚くほど多いはずです。いつの時代においても日本の重要なインフラであることは間違いでしょう。その東海道を豊かにし、活性化させることが江戸期以来のこの地域の役割であり、課題なのではないのでしょうか。そこに静岡の生き残る道がある、、、、。普通に選択的認知を行えば、そうなるはずなのですが。

2009年7月18日

地方分権の先鋒

地方分権の先鋒、東国原知事と橋下知事。いくら権限や財源を地方に取り込んでも、それを行使する体制ができているのかどうか、、、。宮崎県と崖っぷち大阪府の地方分権の取り組みは進んでいるのでしょうか?

宮崎県ではいくつかのビジョン策定が行われているようですが、行政改革自体はまだまだ、意識の改革、それも談合事件からの脱却、信頼回復期との捉え方です。しばらくは、マンゴーに頼るしかなさそうです。

行政改革は3つの改革が実施されています。(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000085554.pdf より)

1 意識改革「お役所仕事」からの脱却や入札談合事件等の不祥事により失墜した県政の信頼回復のため、公務員倫理の確立や法令遵守(コンプライアンス)を徹底するとともに、職員一人ひとりの意識改革を推進し、柔軟な発想と明確なコスト意識を持って職務を遂行するという組織風土の形成を図ります。

○ 公務員倫理の確立(「職員倫理規程」等の制定、コンプライアンス推進体制の整備、「公益通報制度」の充実強化、 公共工事の入札・契約業務等に係る談合の記録、公表)
○ 組織風土改革の推進(各職場で、ワンランクアップの県民サービス向上の取組み、「部局マニフェスト」の実施、「職員提案」の実施、職員の自主的な地域活動参加を促す指針の作成、程度)
○ 人材育成の推進( 自己啓発支援、職場研修及び職場外研修の充実、職種間交流や外部との人事交流)

2 経営改革  はコストダウンだけですべてを黒字にしようとする大胆な試みです。県立病院の経営も経費削減で患者や医師が戻ってくるなら、苦労はありません。

3 協働改革  といっても、知事と県民との交流が中心で、「県民ブレーン座談会」、「県民フォーラム(公開討論会)」の開催。職員の姿が見えてきません、、、、、。

一方、大阪府ではもう少し改革が進んでいるようです。意識の改革から、実践へ取り組み始めているようです。部局長マニフェストと3人の副市長による6つの部局横断課題のマネージメント。
http://www.pref.osaka.jp/kikaku/b_manifesto/home.html より)

「大阪府では、この4月から、組織強化を図るため「戦略本部体制」をスタートさせています。
私は、この体制の下で、大阪府庁という組織が一丸となって「変革と挑戦」を続けるような仕組み、府民の視点で施策の効果を点検し、改善点を見出し、反映させる仕組みを確立したいと考えています。
その肝となるのが「部局長マニフェスト」です。
これは、部局長自身が、府としての大きな方向性の下で、自らの部門が遂行する戦略目標や具体的な成果指標を掲げ、知事である私との間でその実現を “約束”し府民の皆さんに公表するものです。」

それはアウトプットとアウトカムを区別して考えられたものです、、、、。

しかしながら、その重要なアウトカムを(課題→アウトカム)の順に見ていると、

1.大阪の地域力の再生→住民や地域団体等の地域活動への参加拡大により、府民の「地域力再生」の実感の向上を目指します。

2.大阪・関西発“地方分権改革”の推進→地方分権に関する府民の認知度・期待度の向上を目指します。

3.都市魅力創造→府民の大阪への「愛着心」や「活気・にぎわい」などの満足度向上を目指します。

4.新エネルギー都市大阪づくり→「エコカーの普及」についての府民の実感の向上を目指します。

5.障がい者雇用の促進→「障がい者が働き、自立した生活を送ることができる社会づくり」に対する府民の実感の向上をめざします。

6.大阪の高校教育のあり方→大阪の高校教育に関する府民の満足度の向上を目指します。

となります。でも、認知度、期待度、実感、満足度、それらは具体的な成果ではありませんね。

意識の改革だけが先行するのではなく、意識と実践とを同時に改革してこそ、改革が進むのではないかと考えます。実践の中でこそ、鍛えられると思うのです。府民の期待も、財政の窮乏も待ってはくれないはずです。

横断課題を全局をあげて取り組む意欲があるのかどうか、そのためには何を解体し、何を融合しなければならないのか、、、、、組織の創造的改革なしに、創造的な回答を提示することは不可能です。

「これまでの府政運営では「目標設定と責任の所在が曖昧」「PDCAサイクルの機能が不十分」といった課題がありました。
「PDCAサイクル」とは、Plan(立案・計画),Do(実施),Check(検証・評価),Act/Action(改善・見直し)の頭文字を取ったもので、計画から見直しまでを一環して行い,さらにそれを次の計画に活かす仕組み。この点を改善し、府としての組織目標を全庁で共有し、その達成を目指すため、「部局長マニフェスト」を制度化しました。 部局長マニフェストは、施策の取組段階ごとに目標を設定し、PDCAサイクルを常に意識しながら、その達成を目指す仕組みです。」

PDCAサイクルとは高度成長期に、製造業での生産管理や品質管理の効率化を推進するために考案された戦術であったはずです。いまどき、「PDCAサイクル」なんて言っているのは地方自治体くらいじゃないでしょうか。Plan→Do→Check→Act/Action、そんなにまっすぐには進みませんし、Planの前に膨大な分析が入り、Doの前に何度もCheckが入るものです。

やはり、まだまだ民間の先進企業の業務意識や体制とのずれは大きいのではないでしょうか。

地方分権

今、多くの政治家が地方分権、道州制に動いています。

それ自体は異論のないものと感じられますが、財源がどちらへどの程度傾くかだけが焦点のようで、具体的な行政改革、組織の改革は進んでいないようです。宮崎県も、大阪府も。

しかし、権力が地方に降りてきた場合に、きちんとそれを受け取る準備はできているのでしょうか。


官僚のあり方には弊害が生じてきていますが、国家のありようを問うために目指して勝ち取った国家公務員(今でもどれだけの人がその気概を持っているのかわかりませんが、、、)に勝る能力と意欲が地方公務員にあるのかどうか。地方公務員による官僚組織はもっとかたい殻を持った組織と言えるのかもしれません。

そうした集積し、巨大化したその組織を現実の動く機能的な組織に変えることができるのか、肥大化した、無用の長物をどこまでスリムにし、活動的にできるのか、、、、いくら、国以上に首長の権限が大きいと言えども首長一人の個性や能力で改革できるのか、持続して行けるのかはなはだ疑問です。


組織の改革、とは難しいものです。私の建築の師「内井昭蔵」は個性を生かしながら組織の仕組みを作っておりました。創造的な建築を作るためには創造的な組織のあり方が不可欠であると。


創造的な地方自治のあり方とは何か、それを実現するための組織のあり方とは何かを考える必要があります。それが首長の責務です。


組織とはコンセンサスで成り立っているものです。そのコンセンサスを得てゆくプロセスはすべての組織の宿命です。係員、係長、課長、部長、局長、、、、と書類の右上に配列される承認印が示すような、かたい殻の中の一元的、一直線的なプロセスではなく、多元的な、多次元的な、プロセスが必要ではないでしょうか。

そこにピラミッド形式の組織のあり方を緩めてゆく手がかりがあるように感じています。


地方公務員には「国家のありよう」といった国家公務員の崇高な志は必要ありません。むしろ、市民や地域がどうあるべきかと視点を下し、自分たちのライフデザインをどうするのか、それをともに考える土壌が必要です。

地方自治とは市民に直結しています。市民一人ひとり、職員一人ひとり、が上下の関係を捨てグループセッションのようにコンセンサスをとってゆくことが必要ではないでしょうか。個人を生かし、個人がチームとしてつながり、セッションのように合意形成してゆく、そんなイメージを抱いています。

2009年7月2日

副市長公募

豊岡市では副市長を公募しました。東京や神戸でも公募の説明会が行われています。http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1244178688617/index.html


豊岡は出石や城崎を含み、人口約89000人、市の職員約990人ほど、コウノトリの町として有名な兵庫県北部の山間の町です。

中貝宗治市長は、副市長をコーチと位置付けています。プレイヤーとしての職員と監督としての市長との間に立って、コーチの役割を果たすのだというのです。一見、中間管理職的な印象も受けますが、、、、難しい役どころです。



「豊岡市役所の職員たちは、素質は充分で、故郷を愛する強い気持ちをもっています。このチームを、民の目でさらに鍛えて、市民との連携をさらに強化すれば、目標は必ず達成できると信じています。そこで今、私たちの夢の実現に向けて、副市長として、夢を共有し、一緒になって汗を流していただける人材を探しています。求めている副市長像は、「優れたコーチ」です。」

市は行財政改革の真っ只中、そこに改革のメスならぬ、コーチの手腕を入れたいようです。財政逼迫という状況の中で市も、市民や活動団体も苦しんでいることがわかります。多くの声も寄せられているようです。

補助金や運営費などの削減や中止が市から提案されていますが、同時に地域の活動の活性化は進みつつあり、また進めなければならないというジレンマもあるようです。

でもそのジレンマの中にこそ、解決の糸口はあるのではないでしょうか。どちらかを切り捨てるのではなく、その両方を解決する斬新で、思ってもいない戦略が求められています。

それには経費削減に長けた経済専門家の経営戦術を必要とするのでも、財政逼迫を市民とともに痛みを分ける交渉術を必要とするのでもありません。

戦術の問題ではなく、行革そのものの、組織のあり方をどのように変えてゆくかが問われているのであり、新たな有機的組織の運営へ向けて職員の視線を変えてゆくことがコーチたる副市長に求められているのではないでしょうか。

そこにこそ次代のタウンマネージメント、新たな民主主義の姿があるのではないでしょうか。

2009年6月14日

タウンマネージャー

まちづくり福井株式会社では、タウンマネージャーを募集しているようです。


「タウンマネージャー募集!福井市中心市街地のまちづくりや商業の活性化を行っていただける方を募集します 」
◇業務内容  福井市中心市街地のまちづくりや商業(個店)の活性化を支援する業務全般
◇募集人員 1名
◇雇用期間 平成21年7月~平成24年3月 (年度毎の更新となります)
◇勤務地 福井県福井市中央1丁目4-13 響のホール6階  福井市中心市街地活性化協議会(まちづくり福井株式会社)
◇応募資格 学歴不問・年齢不問 百貨店やSC等で商業やサービス業での実務経験を有する方、店舗等のマネジメントの経験を有する方
◇給与等 396,000円 (当協議会の規程によるものとします)
◇社会保険 個人負担となります
◇交通費 実費支給
◇勤務時間 12時~18時 週3日(基本出勤曜日/月・水・金)
◇応  募  【締  切】  平成21年6月10日(水)  必着
        【提出書類】 ○ 履歴書○ 職務履歴書○ レポート  テーマ 「中心市街地の商業活性化の可能性」(800字程度)

週3日×6時間でこの給与は特別待遇ものですね。


このタウンマネージャーに必要な能力とは何でしょうか。百貨店やSC等で商業やサービス業での実務能力や店舗等のマネジメントの能力があれば、地域の運営ができるのでしょうか。あるいはまちづくり会社においてその役割のごく一部を担えばいいということなのでしょうか。

このタウンマネージャーなる概念のもととなるTMO(Town Management Organization )とは有名な街づくり三法、なかでも中心市街地活性化法(中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律)において定められたまちづくり機関であり、商工会、商工会議所や特定会社若くは公益法人であって政令で定める要件に該当する組織のみが対象となりました。

それゆえ、TMOとは、まちの運営を横断的・総合的に調整し、プロデュースする「タウンマネージメント」という本質的な視点からではなく、中心市街地における商業まちづくりをマネージメントするための限定的な視点から運営されているのではないでしょうか。

このまちづくり福井株式会社もTMOのひとつで自治体が50%を超える出資者となって運営されています。ここでも他の地方自治体と同じように中心市街地というごく限定的な地域を対象とした「活性化基本計画」が構想されています。


中央政府の多大な助成金が地方自治体へ、それが直接、都心再生協議会など地元の利権を背負ったTMOへ下請けされ、委託を受けた中央のシンクタンクがどこにも同じような基本構想案をでっちあげる。でっちあげられた構想案はその逆の道筋でストレートに中央政府へと上げられる。


ここにはタウンマネージメントという、本来、地域が有機的に自立し、連携し、地域全体の活性化を促すという、市民にとって不可欠な基本能力が欠如していることがわかります。通産省や建設省によって提起されたTMOではなく、まち全体、地域全体のビジョンを宿した組織と構想が必要です。

2009年5月26日

協働から生まれる形とは

閉鎖的であったり、また開かれていても同じ志向を持つ組織からは豊かな、多面的な思考は生まれてこないものです。そうした貧困さを打開するために協働という組織の形態が生まれてきました。

デザインや設計の世界では昔から多くの人との協働で、そして屈託のない意見交換により、新たな発想を生み出してきたのです。今そのような方向がコミュニティにおいても重要となってきています。縦割りの閉鎖的な行政組織では様々な利用者である市民や専門家の期待にとても応えられないからです。
しかし、協働の中で市民の声を聞いてつくるとはどういうことかがまだわからないようです。市民の多様な声を聞いて、アイデアを膨らませて作れば、そっけない、何もない、すました、ガラス張りの図書館にはならないのが一般的です。

岡崎市図書館交流施設。このさびしい施設の状況は協働を拒否した悲しい結果なのではないでしょうか。建築とは人の思いが込められたものなのです。その思いは訪れた人にもわかってしまいます。

また、窓のないガラス面は、近くのせせらぎの川風を引き込むことなく、鳥のさえずりを異次元のものとしてしまいますし、ましてや、窓のない理由が、利用者が本を外に盗み出さないようにとの配慮からだと聞くとあきれるばかりになります。建築家の倫理はどこへ行ってしまったのか。。。

本来はそこ、ここに市民の居場所となるいろいろの、行政マンには想像もつかないような、抽象論しか語らない設計者には思いもつかないような豊かな場所と場面が用意されているはずなのです。

このようながらんどうの図書館は声を聞かなかったことの象徴でもあります。

広まってきた市民協働、官民協働とも言いますが、形だけで終わっているようです。かけ声、ないしはポーズ、あるいはガス抜き、、、、、。

協働によって生まれてくる形とは、統一された既成の完成美などではなく、多くの価値観にあふれ、多面的でむしろ雑然としたような人間的な様相を持ったものになるはずなのです。統一的、抽象的秩序が市民にとって必要であるならば、市民の声など最初から聞く必要はないのです。

悲しいことに、どこの町でも中心地の整備された歩道は単調でさびしい舗装となっていたり、樹木も貧相な様相を呈していたりで、人間性に欠けています。それは緑政課や土木課が実際の町そのものや人や樹木や敷石を見ないで、ユンボで掘って、固めただけの代物だからなのです。

しかし、協働によって生まれる形とは、それは古くからある住民が自ら育ててきた街並みのようなものです。なんとなく統一が取れているようで、でも、個性は至る所に溢れている。それが町のエネルギーになり、生命力になると思うのです。

福岡で会った小さな町の職員は話し合いの相手が見つからないから、町に出向いていく、営業や取材に出掛けて行くと自ら語ってくれます。対話によって豊かなものが生まれてくるものなのです。

2008年12月20日

官僚組織考察へ

官僚の天下りシステムに問題を提起されていますが、その改革は全く進んでいないようです。
http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200812180387.html

官僚という、ピラミッド型の組織に対して、終身雇用の雇用システムが効果的ではなかったということですね。底辺×高さ÷2が三角形(ピラミッド)の面積ですから、ちょうど半数が不要の人材ということになります。この余剰人員、不要人員をどうするのかではなく、システムそのものの形を考えないといけないのではないでしょうか。

社会ではなく、上司の指示に従いかねない、上意下達型の指示系統型を独立型、協働型、ゲリラ型のシステムに変えねばなりません。ピラミッドからアメーバ―へ。 (ただ、決められた答えを競う国家公務員上級試験から変えねばなりませんが)

ところで、地方の公務員はどのように余剰人員を処理しているのでしょう。

2008年12月19日

地方自治法

地方自治のあり方を表わしているのが、地方自治法であると言われます。

さまざまに書きすぎていると感じられますし、同時に地方の自治については何も書いていないとも感じられます。地方の自治の基本理念が描かれているであろう、地方自治法について少し俯瞰してゆきたいと思っています。

「第一条
この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。 」

その総則の第1編、第1条には上のように書かれていて、地方行政と市民との関係を描いたものではなく、地方行政と国との関係を描いたものであることがわかります。だから、ルーティンワークのことが延々と書き連ねてあるのですね。

また、第2編、2章には住民のことも簡単に描写されていますが、、、生きている生の姿ではないですが、ある程度の権利も描かれているようです。

地方自治法 第二編 第二章 住民

第十条
市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。
住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。

第十一条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の選挙に参与する権利を有する。

第十二条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の条例(地方税の賦課徴収並びに分担金、使用料及び手数料の徴収に関するものを除く。)の制定又は改廃を請求する権利を有する。
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の事務の監査を請求する権利を有する。

第十三条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の議会の解散を請求する権利を有する。

日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の議会の議員、長、副知事若しくは副市町村長、選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会の委員の解職を請求する権利を有する。

日本国民たる普通地方公共団体の住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の教育委員会の委員の解職を請求する権利を有する。

第十三条の二
市町村は、別に法律の定めるところにより、その住民につき、住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならない。

2008年12月17日

インターチェンジのごとき駅前再開発

1960年代、ペデストリアンデッキを縦横に配した新たな都市の形が構想されました。

その都市構想の手段は時代遅れとなりながらも多くの地方都市でいまだ作り続けられています。その多くはモータリゼーションを、これも死語になってしまった感はあるのですが、モータリゼーションを中心とした区画の整理(非人間化)によって、人間的な地域の形を破壊してきました。

そのモータリゼーションの行きついた形が、インターチェンジのような車用の道路を中心とした新たな駅の構想となって現れました。名鉄東岡崎駅です。
駅前は新たな区画整理によって作られ、大きな道路に疎外されたアイランドとなっています。この時代錯誤は設計者の勉強不足なのか、企画の側の価値観なのか、自動車関係業者の圧力なのか、、、、、、、。

今この開発の是非が問われています。しかし、論点がゆがんでいます。賛成派はもちろん現在の古く老朽化した時代遅れの駅を変えたい、反対派は街を破壊するような独善的、前時代的な開発を回避したいという思いです。賛成派と反対派との利害が真っ向からぶつかっているわけではありません。

問題はそのやり方なのです。保守的な地域の課題は常に共通しています。
この状況をとりまとめるのではなく、あくまでこのまま前に進めるためにアンケートによる分析も用意されています。しかしながら、広く是非を問うものではなく、狭い視点の中での選択肢を選択するものでしかないようです。アンケートの問いの何番を選んでも結果は変わりはありません。









2008年12月16日

政策プラットフォームに向けて

「地域の代弁者(081125)」で次のコメントをいただきました。

そうですね!!共感します!!!その基盤となるプラットホームはどうやったら構築できるのでしょうか??

プラットフォーム構築に向けて、現在の状況を答えています。

コメントありがとうございます。
コミュニティシンクタンクmoco(http://www.mocomoco.ws/)設立し、実践を開始いたしました。地域の課題に対し、課題を市民の手で解決すべく、その体制を作り上げることではないかと考えています。

現在は岡崎市における課題の一つである「旧本多邸の移築保存の是非」に取り組み、地域の文化資産にかかわる全体構想に取り組み始めました。地域の課題の本質はすべてに共有しているものであり、それゆえ、それは同時に次なる多くの課題に対する第1歩であると考えています。

この構想を、ヴィジョンをいかに市の政策の中に取り込んでゆけるか、、、、構想を実現に移す次の体制作りを思案しているところです。市民組織によって官僚組織のプロセスを、価値観を変えねばならないと考えています。

2008年11月25日

地域の代弁者

地方自治が変わり始めています。

古い地方都市には、総代会といった伝統的な地域の代表があり、これまで市政に大きな影響力を持っていたようです。それは地域ごとの利権代表であり、調整役でもあります。また、地域の代表である総代ごとにその情熱や発言力が異なり、継続性や地域の全体性、ヴィジョンを持ちえていないように感じられます。

しかし、今日では、彼ら地域の代表が集まると60代以上の男性ばかりが結集することにもなり、地域の偏った情勢を表わすことにもなりかねないようです。

また、近代的な地域の代表として市議会議員がいます。37万人くらいの地方の中核都市でも、2500票も獲得すれば当選できるくらいであり、当然、支援される地域の団体の利権を代表せざるを得ないのでもあるようです。

しかも、代表としての議員も、当選回数によって、訴える力が異なるという、不合理性を持ち、意気盛んな新人議員も団体に飲み込まれてしまします。もちろん、地域をかけずりまわって、その声を集めている大切な議員もなかにはいますが、一部の議員は市政に巻き込まれ、既成の事実に追随するように議会答弁するようなことにもなっています。とても地域全体の利益やビジョンを目指すことのできる代弁者ではありません。

それゆえ、市民自ら声を上げる時代がそこに来ているのではないかと感じられます。
次は市民の時代であり、市民協働の時代と言われる所以です。しかし、市民協働といっても、行政のおかかえとなっていたり、出先機関となっているNPO を通じて、市民を集め、市民を強制し、結論の決まった、既成の事実へと市民を誘導するだけなのではないでしょうか。

地域の伝統的システムでもなく、近代的システムでもなく、次は市民協働であるという時、市民を誘導することでむしろ行政の独善的市政が行われようとしているとも言えるでしょう。

市民協働の時代において、市民は強いメッセージを発信することが不可欠です。そして、そのための基盤となるプラットフォームを構築する必要に迫られているのです。

2008年11月10日

町の執行機関としての町長と職員/ニセコ町づくり基本条例

ニセコ町づくり基本条例 では、市民の多大な役割と議会の責務については数多く記されていますが、町長と職員については簡潔に述べられています。それは多くの地方都市のように肥大した、執行機関としての役割を超えたものではありません。本来の役割をしっかり、迅速に成し遂げるためのあり方が記されているのです。

町長は、「町政の代表者としてこの条例の理念を実現するため、公正かつ誠実に町政の執行に当たり、まちづくりの推進に努め」とあり、職員については、「その権限と責任において、公正かつ誠実に職務の執行に当たらなければならず、」「まちづくりの専門スタッフとして、誠実かつ効率的に職務を執行する」こと、「まちづくりにおける町民相互の連携が常に図られるよう努める」こととされています。

まちづくりは市民が主体であり、その意向を議会が形あるものとし、執行機関がそれらを実践すること、と明らかにされています。このように明快な組織においては「町の組織は、町民に分かりやすく機能的なものであると同時に、社会や経済の情勢に応じ、かつ、相互の連携が保たれるよう柔軟に編成されなければならない。」ことも同時に具現化されることでしょう。

多くの地方都市では市民をないがしろにした、結果ありきの市政が行われています。その結果を作ろうとするから、ますます、市民とかけ離れてくる。施政は議会が構築し、市民がそこに協働する、、、まちづくりとは本来、そんな単純なものであるはずです。

2008年11月9日

町の意思決定機関としての議会/ニセコ町づくり基本条例

また、ニセコ町では、議会の役割を町の意思決定機関として明確に記されています。

地方議会では議員の役割が質疑の応答に偏り、市政のチェック機関としての役割しか果たされていないように感じます。本来は立法を行う役割は議会と首長に与えられているはずなのですが、首長の立法権限はとても大きいものであり、それはつまり、行政の管理に携わる職員からの立法につながっているのではないでしょうか。

立法に携わる行政職員とその管理に専念する議員、そこには施政のプロセスの逆転現象が起こっています。しかも、議会で通してしまったことを市民に報告などしないものなのです。立法にかかわる能力がなければ、せめて、その程度の活動は行うべきと思うのですが、、、、。

ニセコ町では、議会を、「町民の代表から構成される町の意思決定機関である」と定め、「議決機関として、町の政策の意思決定及び行政活動の監視並びに条例を制定する権限を有すること」、「議決機関としての責任を常に自覚し、将来に向けたまちづくりの展望をもって活動し、広く町民から意見を求め、議会における意思決定の内容及びその経過を説明する責務を有する」とその役割と責務を明らかにしています。

また、「そのための政策会議を設置し、まちづくりに関する政策を議論する」とあり、「議員は政策提言及び立法活動に努めなければならない」と結んでいます。

ここには、市民とつながり、その代弁者としての役割を持った立法や政策のための大切な機関とその能力が描かれています。

2008年10月25日

自らが考え行動するという自治の理念/ニセコ町まちづくり基本条例

ニセコ町まちづくり条例は次のように制定されています。それぞれに強いメッセージが込められています。そこに新たな、次代の自治の意識や姿が見えているような気がします。

「情報共有」と「住民参加」を基盤とし、「市民」として主体的に考え、主体的に行動する、町づくりが方向づけられています。

第1章では、
まず、まちづくりの目的が「町民の権利と責任を明らかにし、自治の実現を図ること」と明確に市民の立場から述べられています。

この1章で提起された、町人の権利と責任とは4章において、町民は「まちづくりの主体であり、まちづくりに参加する権利を有し」、「その参加においてお互いが平等であり」、同時に、「町の不当な関与を受けない自主性及び自立性が尊重される」権利を持つこと、「まちづくりの主体であることを認識し、総合的視点に立ち、まちづくりの活動において自らの発言と行動する」責任に触れられています。


第2章では、
その目的を実現するため、町民がまちづくりに関する情報を共有することを基本原則とし、

町人は情報の提供を受け、自ら取得する権利を有する、一方で、町は、その企画立案、実施及び評価のそれぞれの過程において、その経過、内容、効果及び手続を町民に明らかにし、分かりやすく説明する責務を有するとされ、それぞれの過程において、町民の参加を保障しています。

つまり、「町は、町政に関する意思決定の過程を明らかにすることにより、町の仕事の内容が町民に理解されるよう努めなければならない」とされ、まちづくりの意思決定が市民と共にあることが明確に定められているのです。(第3章 情報共有の推進)

現在、多くの地方行政が自分たちだけで町の方向を決定し、議会で早々に決定し、その既決事項を粛々と、みせかけの市民会議や市民ワークショップやパブリックコメントにより市民を誘導してゆくやり方とは大きな違いがあります。また、市民協働のためのルール作りが推進されようとしていますが、それは情報を公開せず、市民の権利をないがしろにした上で、市民に責務だけを課す、一方的なやり方とも大きな違いがありますね。




○ニセコ町まちづくり基本条例 平成12年12月27日 条例第45号
目次
前文
第1章 目的(第1条)
第2章 まちづくりの基本原則(第2条―第5条)
第3章 情報共有の推進(第6条―第9条)
第4章 まちづくりへの参加の推進(第10条―第13条)
第5章 コミュニティ(第14条―第16条)
第6章 議会の役割と責務(第17条―第24条)
第7章 町の役割と責務(第25条―第35条)
第8章 まちづくりの協働過程(第36条―第39条)
第9章 財政(第40条―第45条)
第10章 評価(第46条・第47条)
第11章 町民投票制度(第48条・第49条)
第12章 連携(第50条―第53条)
第13章 条例制定等の手続(第54条)
第14章 まちづくり基本条例の位置付け等(第55条・第56条)
第15章 この条例の検討及び見直し(第57条)

2008年10月20日

矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」

今、小さな町の気概に圧倒されるのではないかと思います。矢祭町、ニセコ町、、、、。しっかりとした自立の理念を持ち、自らのビジョンを掲げ、本当の民主主義、市民主導のまちづくりを目指しているようです。

「町民とともに立たん」と宣言された矢祭町議会の決意です。http://www.town.yamatsuri.fukushima.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020004&WIT_oid=icityv2_004::Contents::1270

国の目線によって、ふらふらとぶれる多くの地方都市に比べ、そこにはぶれないビジョンとその方向を見極めるべき議会の役割が明確に刻まれています。

矢祭町議会は平成13年10月31日、議員提案により、「合併しない矢祭町宣言」を全国に先駆けて全会一致で議決した。町の羅針盤を高らかに宣言したこの檄文は、全国の地方自治体への励ましとなり、目標となり続けている。

「その当たり前の議員の姿勢と哲学がきしみを上げ始めていることを、我々は痛憤の思いで受け止める。だが、我々は看過しはしない。すべての地方議員に対して、自身の立ち位置とあるべき姿を改めて問い直し、警鐘を乱打するものである。

我々矢祭町議は、町民とともに立たんの決意をここに宣言する。今、議員たるのその原点に帰る。 国主導による「平成の合併」が雪崩を打つ中、我々の「合併しない宣言」は全国に熱烈な感動をもって受け入れられた。

だが、旬日を置かない同年11月13日、総務省行政体制整備室長が来町し、翻意を促された。室長曰く、「合併の何たるかを矢祭町の多くの町民に説明し、合併の方向へ翻ることを期待する」と。室長の語る合併のメリットは、「首長や特別職、議員などを削減することによって大きな財源が生まれ、その削減によって生まれた大きな余財を高齢化社会の軍資金できる」という内容だった。

だが、その言質からは、地方自治が担うべき民主主義をいかに為すべきかについて、ただの一言も言及されなかった。そして、国は我々の方向性を「町民に対する背信行為」「首長や議員の保身のため」などと、時に面罵し、時に誹謗した。我々が目指すのは、きめ細かな行政であり、住民の目線に立った行政である。かかる哲学以外に、行政のあり方を指し示す松明はない。「合併しない宣言」によって、我々矢祭町議は松明を手にした。この松明をたやすことは町民への背信行為である。もしこの松明の灯を消すことがあるとするならば、それは有権者たる町民の判断によってのみであり、その他の何者によっても妨げられるものではない。

今、日本の国全体に暗雲が立ちこめている。それは、指導者が国民の立場に立っておらず、自分本位の判断に終始しているからにほかならない。このことは国民にとって非常に辛いことだ。だが、ここ矢祭町に限っては、役場、議会、町民が三位一体となって町づくりを進めてきた。それを体現したものが、平成18年度から始まった「矢祭町第3次総合計画」である。「郷土愛」をうたい、共に支え合いながら暮らせる町づくりを推進し、「元気な子どもの声が聞こえる町づくり」を政策の中心に据えた。また、それを貫くために、町の憲法たる自治基本条例を制定し、平成18年1月1日から施行された。その第7条には町議の責務として「町議会議員は、町民の信託を受けた町民の代表である。議員は、町民の声を代表して、矢祭町の発展、町民の幸せのために議会活動に努める」とうたわれている。我々は常に町民の一人ひとりの立場に立って町政に参画しなければならない。町民の生活こそが、日々の議員活動の中で、最も気に掛けねばならない問題である。

我々が受ける報酬は、町民が汗を流してかせいだ税金であることを忘れてはならない。・・・・・・・・・・50年後、100年後もびくともしない矢祭町を作り上げるためには、議会はもう一度原点に帰らなければならない。我々議員は、町民の艱難辛苦を憂い、嘆く声を聞き、見たとき、現在の報酬制度にあぐらをかいているわけにはいかない。そして、我々は報酬制度を根本から考え直すことを決意した。その際、我々は世間一般の常識にとらわれない。矢祭町はいかにあるべきか、矢祭町議会はいかにあるべきか―― ここが我々の議論の出発点であり、すべてである。 

何よりも経費の削減によって生まれる余財を、町民生活を豊かにする町民密着の政策に差し向けることができることを我々は何よりも喜ぶ。この問題に真正面から取り組むことは、決して地方自治を卑しめるものではない。むしろ地方自治の本来の姿を体現するもので、全国の地方自治体に範を垂れることになると確信している。「合併しない宣言」を決議した矢祭町議会だからこそ、陋習に凝り固まった堅固な壁に風穴を開けることができる自負を持っている。今回の我々の決断が郷土を愛する全国の人たちに全的に歓迎されるに違いないと確信をもっている。今、我々矢祭町議は宣言する。町民とともに立たん。」(抜粋)

2008年10月19日

場当たり地方行政

岡崎市では周辺のネットワークを解体しながら、巨大な箱ものを建設しています。分館がないのに100億円もかけた図書館交流施設、地域の文化財には目を向けず、解体に追い込んでいるのに、東京の文化財を5億円もかけて移築します。

次は新市民会館です。しかし、担当者なる行政マンは次のように語っているようです。

「まだ場所も決まっていないので、何も面白いことが言えない段階です」

「来年には土地を決め、だいたいの予算を決めてからパブリックコメントを出したいと思っています。」

「現在の市民会館からそう遠くないところで、具体的な候補地がないので案が進まない。」

「改築と新築のどちらがいいですか?」

「33億円の減収もあり、大規模なホールは考えていません。」


図書館も文化財も、そして市民会館にも、ビジョンすらないことがわかりますね。地域を見つめ、それらを再構築し、将来構想を企画する必要がある。それらがない限り、場所も予算も規模も、改築か新築かなど決まるはずはない。

市民劇場へ向けて、プラットフォームづくりを市民自ら始める必要があります。

2008年9月28日

市民と議員の条例づくり交流会議

議会は市民の代弁者であり、、、、ある意味で、中間支援組織であるとも言えます。行政と市民の間に立って、専門家として情熱と能力と倫理観を持って、職能意識を発揮することが求められます。

この中間支援組織のありかたが地域の姿を決めると言ってもいいかもしれません。多数の市民という保守的な面からしか市民を見ることができない行政と、一方で、さまざまな思惑や権益を持った多様な市民、、、、、そこをつなぐ、組織が重要となります。

ひどい自治体ではここに目をつけ、官製に近い、おかかえ、御用NPOを立ち上げ、行政のやりたい放題を市民に押し付ける役目を彼らに担わせています。擬似ワークショップや霊感商法のような夢見心地のスライド会などが使われます。

市民は自ら為政者を選んでいるはずなのですが、、市長と市議とを別々に選ぶ必要があり、、、、ややもすると、市長選には注目が集まるが、市議選は関心が少ない、といった状況にならないでしょうか。市議の方だって、「どこどこの渋滞を解消する」なんてことを公約にするレベルでもあります。

市議会の正常化、実効化が市民には最も近い道かもしれません。

この夏、市民と議員の条例づくり交流会議2008(第8回)が開催されていました。
http://www.citizens-i.org/jourei/index.htm

「市民と議員の条例づくり交流会議は、2001年から、各地で地域の課題解決に取り組み、条例づくりをめざす、市民や議員、自治体職員や研究者らが、知恵や経験を共有し、互いに学びあい提起しあう交流の場として、毎年夏に開催してきました。

8回目を迎える今年は、市民自治体をめざした、市民と議員の政策づくりを支える仕組みづくり、自治体財政・決算の改革、議会基本条例の現在・さらなる議会改革へ向けて、二元代表制における市民・議会・行政の関係―等々について、各地の実践を共有しながら、幅広い議論・交流を行っていきます。ぜひ、ご参加ください。 」


多くの人たちが市民自治体をめざして、市民と議員の政策づくりへ向かい始めているようです。

2008年9月27日

「地方議会を立法機関に」

政策集団せんたく(地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合)の北川正恭代表が「全国若手市議会議員の会」の研修会で行った講演でのニュースです。

「地方分権を進めるため、国と対等な「地方政府」が必要と強調。現状では「地方議会が(行政の)追認機関になっている」と指摘し、「監視機関だけでなく立法機関でなければならない」と述べた。議員には、議会のあり方を定める「議会基本条例」などの条例制定に取り組むよう促した。」http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/43407

条例とは、憲法により自治立法権に基づき定めたもので、条例は市民の代表である議員が議会で決定したもので、規則は市長が定めるものであり、また、条例の提案権は市長に専属するものと議員に専属しているものでもあります。条例案を作成後は議会の中の委員会で審議し、公布、施行となるようです。

どの程度の立法が地方議会議員によって立案されているのでしょうか。市民の目線で立案された条例はどの程度あるのでしょうか。

条例とは、市民が選択した市長によるものであるし、また、市民が選択した議員によるものである、、、、、にもかかわらず、議会で追認、承認してしまえば、後は一人歩きの部分でもあります。市民に近いものでもないように感じられます。

日本有数の豪雪地帯、新潟県旧中里村にはかつて、「雪国はつらつ条例」という条例がありました。

目的 - この条例は、雪の障害を克服し、雪と共存するとともに、雪を資源として積極的に活用する施策の基本となる事項を定めることにより、雪対策の総合的推進を図り、もって村民生活の安定向上と活力ある地域社会の形成に寄与することを目的とする。(第1条)

基本理念 - 雪対策は、村と村民が一体となって、克雪、利雪、親雪等の施策を長期的かつ総合的に推進することにより、すべての村民がはつらつとした活力ある村づくりを目指すものとする。(第2条)

村の責務 - 村は、総合的な雪対策を策定し、その施策の実施に努めるとともに、村民が実施する雪対策に対して適切な支援及び調整を行うものとする。(第3条)

村民の役割 - 村民は、お互いに力をあわせ、雪対策に創意と勇気を持って積極的に参加し、自ら雪による支障を克服するとともに、雪の資源を活用して他に誇れる雪国づくりに努めるものとする。(第4条)

かわいい、のどかな、でも切実とした条例ですが、、、
村民の責務を描いたものでもあるようです。村民の知らないところでこんな責務が決められたとするなら大変です。