2009年8月15日
「給食パン」やや小型にしたら食べ残し半減
食べ物の無駄をなくすための珍しい試みといい、1学期全体では44・8トンの減少。学校給食の食べ残しの扱いは各地で課題になっており、ほかの自治体からは「導入を検討したい」という声も出ている。
市教委によると、市立146小学校と69中学校の給食では、文部科学省の基準に沿い、パンの小麦粉を小学1・2年50グラム、3・4年60グラム、5・6年70グラム、中学生80グラムと設定。しかし、1学期は気温が高くて食欲が減退しがちで、入学間もない小学1年や、パンが大きくなる小学3、5年、中学1年を中心に食べきれない子どもが続出。廃棄されるパンは3学期の約2倍に上っていた。
市教委は市内の児童生徒に必要なカロリー摂取量を試算。細身で通学距離も短いことなどから、全国平均より1食約30キロ・カロリー少なくてもよいと分かり、小学1、3、5年と中学生用の小麦粉を毎日10グラム減らした。パンは子どもで2口分ぐらい小さくなったという。」(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090814-OYT1T00710.htm より)
給食のパンの小麦の分量に至るまで文科省の基準があって、今までそれを遵守してきたとは驚きです。基準があることも、それを守っていることにも、、、。基準値とは大切なものかもしれません。小学生の基準摂取量も決められたものがあるのかもしれません。ただ、それは平均値であり、標準値ですから、すべての生徒に同じように基準値をあてはめる、それが健康の糧にはならないのではないでしょうか。
給食はかつてよりおいしくなったと聞きますが、基準分量を基準時間で、お決まりの作法で食べなければならない小学生も大変です。だから、シェフの給食は楽しくて楽しくてしようがないのでしょうね。(ref:シェフによるスーパー給食 http://community-thinktank.blogspot.com/2009/07/blog-post_14.html)
マニュアルの給食から脱するためには専門家たる学校栄養士の勇気と努力が不可欠です。
2009年8月9日
フランチャイズのゆくえ
そして「コンビニ」はフランチャイズというシステムによって瞬く間に「いつでも、どこでも」を実現しました。フランチャイズとは一握りの起業家とそれを支える多数の店舗オーナーとのコラボレーションと言えるかもしれません。
「フランチャイズとは、「フランチャイズは英語で「販売権を与える」という意味があります。フランチャイズビジネスにおいては、その権利を与える企業を“フランチャイザー”、“本部”といい、与えられる側を“フランチャイジー”、“加盟店・加盟者”といいます。
つまりフランチャイズチェーンとは、営業の象徴となるマークを利用し、システム化された経営のノウハウを用いて、同じ商品の販売などを行なう権利を提供するするフランチャイザー(本部)と、それを利用して店舗運営をしていくフランチャイジー(加盟者)が構成する集団のことで、お互いに利益を得ようとする共同体といえます。フランチャイジーは見返りとしてフランチャイザーに一定の対価を支払います。フランチャイザーとフランチャイジーの経営責任は別で、それぞれが独立企業です。 」
(http://www.franchise-navi.jp/beginner/begin11.html より)
しかし、意外なところ、消費期限のある弁当の販売からほころびを見せようとしています。また、フランチャイジーたるオーナーが会社従業員のように労働組合を結成したとも報じられています。
消費者にとっては、「いつでも、どこでも」の替わりに定価でもいいから購入するわけですが、オーナーにとっては本部から決められた卸単価でいつもの商品を購入し、それを定価で販売するコンビニ経営はうま味のない経営かもしれません。
しかし、弁当の販売数など、一般の経営者なら、天候や気象条件、地域性、購買履歴など神経を研ぎ澄ませて、需要を予測するのではないでしょうか?仕入れた弁当が大量に余るなど経営者失格です。
そして、定価の破壊は「コンビニ」店舗という、その経営をもっと大きな競争の海の中に飛び込ませてゆくことになりはしないでしょうか。また、労働組合は「オーナー」という自らの立場を単なる従業員とおとしめるものではないのでしょうか。
オーナーが自らを全国展開企業の支店長と考えるか、それとも独立企業のオーナーと考えるか、、、そこに大きな分かれ道があるように感じます。従業員としての待遇を守るのではなく、オーナーとしての使命を死守することが必要なのではないかと感じられます。
そこにこそ、経営という大きなモチベーションがあるのではないでしょうか。「コンビニ」と言えど、スタッフの対応も、品ぞろえも、店の雰囲気も様々です。1オーナーがやるべきことも山のようにあるはずです。
セブンイレブン本部もそのように考えているようです。
「私たちのフランチャイズ・ビジネスは、加盟店さまと本部が対等の立場で、独立性を保ちながら取り組む共同事業です。その信頼関係の基盤になっているのが、3つの制度とシステムです。まず、小規模な資金で事業をスタートさせ、安定した事業運営を進められるように考えられた決済・融資の仕組みである「オープンアカウントシステム」。加盟店さまと本部が売上げ総利益を一定の割合で分け合う「荒利分配方式」。そして、オーナーさまに年間の総荒利益額を保証する「最低保証制度」。セブン-イレブンのお店の安定した運営と着実な成長は、ここにベースがあります。」(http://www.sej.co.jp/corp/aboutsej/franchise.html より)
2009年8月4日
PR ピー・アール
「PR(パブリック・リレーションズ)とは
PRはパブリック・リレーションズ(Public Relations)の略語で、文字通りに解釈すると「企業や団体が、公衆=パブリックとの間に(良好な)リレーションズ=関係をつくっていくこと」を意味します。社会の一員である企業・団体にとって、周囲との調和を取ることが大切であり、そのために自分のことを良く理解してもらうために語り(広報)かけ、同時に社会の意見や考え方を聴き分析して正しく認識すること(広聴)が必要です。こうした双方向のコミュニケーションをPRと呼んでいます。」
(http://www.dentsu-pr.co.jp/what より)
PRとは自己ピー・アールと呼ばれるように一方的な売り込みの行動だと思っていたのですが、それでは成功しないようです。どの組織も広報と言えば、一方的な情報の発信、その戦略を考えがちですが、公衆とわが身との関係を分析し、わが身のスタンスを決めることから始めなければならないわけですね。
同じような言葉にパブリックコメントPCがあります。こちらは言葉通り一方的なもののようです。
「意見公募手続とは、行政機関が命令等(政令、省令など)を制定するに当たって、事前に命令等の案を示し、その案について広く国民から意見や情報を募集するものです。これは平成17年6月の行政手続法の改正により新設された手続です。 なお、これまでは「規制の設定又は改廃に係る意見提出手続(平成11年閣議決定)」に基づいて意見提出手続(いわゆるパブリック・コメント手続)が行われてきましたが、行政手続法に意見公募手続の規定が設けられ閣議決定の趣旨が引き継がれたことから、平成18年4月1日にこの閣議決定は廃止されました。」
(http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/tetsuzukihou/iken_koubo.html より)
2009年8月2日
広汎性発達障害 (Pervasive Developmental Disorders)
そのFD・SDセミナーが開かれ、臨床心理学を指導し、臨床心理士でもある同僚から学生指導におけるPDD(広汎性発達障害)などの問題について講義を受けました。
彼らは人とのコミュニケーションが苦手だったり、変わっているとからかわれたり、言葉の比喩や言い回しが理解できなかったり、など周囲から理解されることがなく、孤立化しています。また、特別の分野には強い興味を示し、マニアックな一面もあるようです。
日常の中でパターン化されたことは進められるが、少しの変化に対する対応、柔軟さや臨機応変さが欠けているとも言われます。
こうした少数の人たちへの理解を進めることが重要と言われます。彼らへの教育は早期に症状として認知することが重要であり、情報を構造化し、視覚化する訓練を受ける必要があるのだそうです。
しかし、それはむしろ人間の本質を表しているような気がします。多くの人がある程度はPDDの気質を持ち、孤立化しているのではないでしょうか。情報の構造化も視覚化も誰にも不可欠な能力であり、誰もが訓練を受ける必要があります。
「ちょっと待っていて」というと、詳細な待ち時間を尋ねられたり、「何度言ったらわかるのだ」に対し、その回数を答えたり、、、、、。それはPDDのほんの一面かもしれませんが、むしろ「ちょっと待っていて」や「何度言ったらわかるのだ」の方こそ、現代の社会においては通用しないのではないでしょうか。「何時にどこで」、「どこがわからないのか」を明確にする必要があるように思います。
人の認知の基本に立つこと、それは習慣や間違いに気付く大きなチャンスなのではないでしょうか。
2009年8月1日
集団行動が苦手な高校生の手紙
「16歳の女子高校生。学校へ行くのがとてもつらいです。集団行動が苦手で、社交的ではないので、親しい友達が少ないです。もっとみんなと仲良くなりたいと思っていますが、うまく話せません。
私は人と話す時、相手の顔色ばかり気にします。嫌われたくないので、話を合わせてしまいます。こんな自分がとても嫌で、前向きな気持ちになれません。もっと自分を主張できるようになりたい。・・・・・(東京・I子)
◇(精神科医 野村総一郎氏の回答)
青年期に、いや、ある程度年をとってからでも、あなたと同じ悩みで苦しんでいる人はものすごく多いですよ。私の見るところ、現代社会には「明るく元気に!」という姿勢が過度に強調される傾向があって、内向的な人が多少無理を強いられているという側面があります。
あなたも自分を主張し、楽しく騒がねばという思いが強すぎて、かえって暗くなっている。うまく話せないから皆と仲良くなれない、焦りがある。しかし、これを解決するためには自分の性格を変えねばならないと思っても、空回りするばかりではないでしょうか。
性格は変えるより、その強みを生かそうとする方が大事なのです。あなたは相手の顔色を見て、相手に合わせる。これは確かに苦しいけど、それこそがあなたの強さかもしれない。むしろこれを徹底して、相手の話をよーく聴き、誠実さで勝負してみては? おとなしく社交的でない素のあなたで十分なんです。大切なのは今のあなたを生かしたままの粘りだと私は思います。」
現代建築もオープン化、透明化へ。コミュニティは昔からおつきあいと村八分の世界。地方自治も中心市街地活性化や定住自立圏構想など中央からの一方的な通達に一面的に応えるばかり。一方向的、一元的社会が広まりつつあります。
一方で新しい有能な企業組織は個人プレーとグループセッションによる独自性を重視した業務を進めています。それは新しいアイデアや企画が必要な分野には以前より不可欠な方向でした。
人も組織も、地域も自らの特性も持っています。それを見極めることが不可欠ですが、実際は高校生I子さんのように「相手の顔色ばかり気にします。嫌われたくないので、話を合わせて」しまっているのではないでしょうか。
今精神科医による組織の分析が必要かもしれません。
2009年7月29日
体温のないマーケティング
おちまさと氏の「企画の教科書」は企画を生み出す生の瞬間をとらえていて、デザインが生まれる瞬間、イノベーションが生まれる瞬間を描こうとしている私にとって実に興味深い、現場から生まれた教科書です。挿絵や口調は面白おかしく書かれたように見せていて、実のところ、本当に真髄を表わしているように感じられます。多くの人、企画など言葉でしか知らない行政の職員やこれから社会に出てゆく大学生などにも大人の教科書として使えるようなものです。
企画とは、そのアイデアの創出はデザインの方法やイノベーションの態度そのものです。
「記憶は企画の構成パーツ」と言いい、企画とは記憶をつなげ合わせ、複合化することを意味しています。イマジネーションとは何か一気に壮大なアイデアを作り出すことではなく、一つひとつの記憶の連続であり、ジグソーパズルのようにつなぎ合わせてゆくようなものと僕も考えています。
そして、成功する(した)企画とは社会の特性を打ち破るもの、感動を与えるような大きな変化をもたらすもの、多くの人の興味を持つ普遍性を持つこと、そして、社会を裏切り、やられた感を生み出すこと、であると説いています。
それこそが価値のイノベーションのことですね。
そしてなにより大切な視点がマーケティング、消費者に対する構え方です。これはいろいろな場面で役に立つでしょう。
マーケティングはマスとしての消費者ではなく、一人ひとり顔のある消費者の複合体であるという認識を持つことから始まりますが、マスの消費者としてしか見ていないもの、それを彼は「体温のないマーケティング」と言います。
データとしての数値でそのまま商品を企画するのは誰でも、コンピューターでもできる。まず数値を疑うことから始めるのだそうです。
それはマーケティングやその分析とは結果ではなく、これからの手段であり、戦略になるということです。
平均化された数値を鵜呑みにすることはないでしょう。そこにどんな問題が潜んでいるのか、懐疑的、分析的になるはずです。そして、どこに消費者の本音があるのか、そこを自らの目で掘り下げることが企画の真髄と言えそうです。
それを彼はこう表現しています。
「受け手の明確な意思がないのに、送り手が勝手に『こんなもんでいいでしょ』と思いこむ、これこそが体温のないマーケティングなのです。おばあちゃんが『私は分からないけど、若い人はこう言うのが好きなんでしょ?』と近所で買ってきた甘いだけのケーキを出す感じです。」
市民の多数意見というものを自ら作り上げ、それをそのまま実行する行政の在り方とは180度異なる戦略と言えます。しかし、それが、本当の消費者の姿を発掘しないと生きていけない民間の切実な戦略のあり方なのです。
2009年7月27日
イオンの農業参入
「イオンは企業が自治体から農地を借りる「農地リース方式」を使い、茨城県牛久市の2.6ヘクタールの土地で小松菜や水菜、キャベツなどを9月から生産する。参入のための新会社を10日付で設立した。生産した野菜は青果市場を通さず自社の物流網活用などでコストを削減し、店頭価格を抑える。初年度は約300トンを収穫し、茨城県や千葉県などの「ジャスコ」15店でPBとして販売する。」(http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090719AT2F1704F17072009.html より)
徹底した減反政策という閉鎖性回路や農業の担い手がいないにもかかわらず、農地は開放されてこなかった閉塞感などが私たちと農業や農家とを遠ざけてきたのかもしれません。が、イオンがその代替となることで、身近なものになるかもしれません。
早朝出勤や休日出勤、長期休暇なしが当たり前の農業にとって、企業がどのように 経営するのか期待も大きいでしょう。
一方、生産者が有機農業を通じて、「つくる」「ふれあう」「知る」「買う」などをキーワードに消費者との関係を独自に構築しています。
また、農業を媒体として、地域の農業にかかわる生産者やメーカーの横のつながりを展開しようとしている人たちも多くなっています。
イオンと地域の生産者、その経営理念は直線性と多面性、低価格と付加価値、と異なるのかもしれませんが、作り手の「野菜を丹精こめてつくる」という理念は変えられないでしょう。こうした活動が地域のコミュニティや農業コミュニティを活性化させ、生産者と消費者とが豊かな関係を築けるのかどうか、日本の未来がかかっています。
かつて、都では白川女(しらかわめ)が、現代においても常磐線や京成線からは、千葉や茨城の農家の「おばあちゃん」たちが大きな背負子や風呂敷を背負って、とれたての野菜を都内で行商しています。とてもみずみずしくおいしいです。それは私たちと農を身近に感じさせる接点であり、その豊かさを実感できる場所でもあります。
2009年7月25日
ブルー・オーシャン
「企業が生き残るために、既存の商品やサービスを改良することで、高コストの激しい「血みどろ」の争いを繰り広げる既存の市場を「レッド・オーシャン」、
競争者のいない新たな市場でまだ生まれていない、無限に広がる可能性を秘めた未知の市場空間を「ブルー・オーシャン」と名づけています。
この「競争」とは無縁のブルー・オーシャンという新しい価値市場を創造し、ユーザーに高付加価値を低コストで提供することで、利潤の最大化を実現するというのが、この戦略の狙いです。」(http://www.climb-plus.com/word/word.php?category=1&line=5 より)
シェア拡大(低価格化)という体力勝負でもなく、差別化(付加価値化)という努力型でもなく、マーケットの枠組みを変えたり、新たなマーケットを開発するという、顧客啓蒙型と言えるかもしれません。
新たな価値の創造に直結した変革、バリュー・イノベーションという困難な課題を成し遂げるのは現実的には大変です。 しかし、一定の枠組みの中で行動や発想を考えるのではなく、市場の境界も業界構造も一定ではなく、そこで活動する企業などの行動や発想しだいで変わると考えることで案外簡単に現実化できるかもしれません。それは再構築主義(reconstructionism)と呼ぶことで理解が進みそうです。
詳しい分析や理論よりも、そこで紹介されている「シルク・ドゥ・ソレイユ」や「イエロー・テイル」、「ニューヨーク警察本部」の成功例がよりわかりやすいでしょう。「iモード」も紹介されています。
デザインや設計も相反する条件を同時に解決できる方向を指し示すことができるものです。新しい価値やアイデアを生み出すために、既成概念を捨て、自由な視点を求めて、日頃は遊んでいるかのようにも見え、あるいは書斎にこもりっきりというような仕事ぶりです。
徹底的に描きあぐねた後、ふとした拍子にとらわれていたことから解き放たれた時、新たな価値を生み出すアイデアが見えてくるものです。
二つの相反する価値を折衷するのではなく、つまり、x軸とy軸のどこかに答えを見つけるのではなく、そのどちらでもないz軸の方向に総合的な新たな回答を発見する。それがデザインなのです。
デザインとはイノベーションと言えるのではないかと考えています。
最後の章にイノベーションに不可欠な、戦略実行にともなう組織面の4つのハードルが書かれています。
・意識のハードル:現状に浸りきった組織
・経営資源のハードル:限られた経営資源
・士気のハードル:やる気を失った従業員
・政治的なハードル:強大な利害関係者からの抵抗
そして「常識」を書き換える。
どのような分野にも、どのような戦略にも、同じように越えなければならないハードル、阻害要因があるようです。
組織においても、また地域においても、多くのステイクホルダー(stakeholder / 利害関係者)があって、利権やなれなれしさを要求してきます。企業が顧客の本当の姿をとらえることによって、ブルー・オーシャンを発掘するように、地域においてはステイクホルダーの本当の姿を見極める必要があるようです。
目の前のステイクホルダーをひとつはずしてみればいいのではないでしょうか。
まずは、環境整備と意識改革。ブルー・オーシャンへの道のりです。
2009年7月21日
CO2 狂想曲
丸山茂徳 『地球温暖化論に騙されるな』まずは著者自身も断っている。こういうことを書くからといってCO2削減や省エネルギー自体を問題にしているのではないと、、、、。
最近こちらの方が本物のような気がしてきました。
空気は窒素と酸素でほぼできていて、窒素が3/4、酸素が1/4であり、組成率は99%ほど、小学校の理科の時間に習いましたが、その後も大きな変化はないようです。一方CO2は0.054%。それほど少ないCO2が地球に影響を与えるのか不思議です。わずかなCO2によって温暖化が起こっているのなら、気温の上昇が海水温上昇によるCO2の増加を引き起こし、さらにそのCO2が温暖化を引き起こしてゆく、更なる温暖化を呼びCO2の生じる割合は加速度的に大きくなり、不可逆的なサイクルに陥ります。46億年のこれまでの歴史のなかでそういうことはなかったのでしょうか。
本書は科学のいろいろの側面を描いてあります。CO2温暖化論とは、スーパーコンピューターを使ったシミュレーションによる警告です。気温の変化にもっと重大な影響を持つ雲の発生は発生量を定量化できないゆえにネグレクトされているそうです。温暖化により、グリーンランドの氷がすべて解けて海面が6m上昇するという予測も、一元的な入力だけだは、スーパーコンピューターの神話的側面と言えるだけでシミュレーションとは言えないでしょう。
CO2削減論やその戦術には単なる経済的視野のもの、自己広告的なものも多数含まれています。バイオマスの専門家である私の友人は低炭素化社会に向けた運動や事業には玉石混淆、嘘も多く、「見分ける目を持たねばならない」と言っています。
一元的で盲目的な加速度の行く先はどうなるのでしょうか。科学者が言っているのだから間違いがないというのは間違いでしょう。むしろ。まだまだわからないことの方が多いのではないかと思います。わからないことをわかったことのように決めつけてゆく、脚色してゆくことの方が怖いことです。
科学といえど、政治的な、あるいは経済的な政略に理論を誇張することもあるのではないかと感じられます。科学理論もいろいろの理論を無節操につまみ食いしてゆけば、新たな、そして歪んだ理論も構築できてしまうのではないでしょうか。
世界で政治的リーダーシップを取れない日本が唯一取れるテーマ、それが「京都議定書」の遵守であり、地球温暖化防止に向けた活動かもしれません。環境省もここぞとばかり驚くほど強い口調で不安を駆り立てるかのように主張しています。宗教的ですらあります。テーマが抽象的でステイクホルダーが見当たらないのかもしれません。http://www.env.go.jp/earth/ondanka/stop2008/full.pdf
一元的な犯人探しで、一度決めたら一途に邁進。それがどのような意味を持とうが家計簿の1円までもそぎ落としてゆくように取り組む。不要なものは落とせばいいが、却ってデメリットもあるはず。
ここに大きな問題が潜んでいるようでなりません。もっと、根本的なエコロジーの考えや生活スタイルが重要だろうと感じます。
一心不乱にCO2の削減に取り組んでゆく姿は百鬼夜行のようでもあり、もっとゆるやかに社会と接する必要があるのではないでしょうか。低炭素化社会を語る一部の経済至上主義者に騙されずに、本当のエコロジーを見つめてゆきませんか。
2009年7月14日
シェフによるスーパー給食
大好評だったのがトマトソースのパスタ。レストランで出すものと同等だが、値段の手ごろなパスタを使うなどの工夫で予算は通常の1食254円に収まった。
3回お代わりした4年生の嶋圭太郎君(9)の感想は「軟らかく、ちょっと硬くてもちもち」。自然に出てきた「アルデンテ」の表現には、片岡さんもびっくり。 」(http://www.asahi.com/national/update/0625/TKY200906250276.html より)
少し時間はかかるかもしれませんが、思いの込められた住まいは長く愛されるものになります。
2009年6月29日
WiMAX

(写真はニューヨークパブリックライブラリー周辺で撮影)2009年6月24日
市民記者
http://www.janjan.jp/
■ すべての市民は記者である ■
「記者」というと難しい仕事のように思われるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。『JanJan』は「すべての市民は記者である」ということに気づいたことから誕生しました。みんながニュースを発信する市民メディアです。
自然のこと、家族のこと、地域のこと、日本のこと、世界のこと、どんなことでも、あなたがみんなに知らせたいと思うことはニュースです。
ニュースの書き方は新聞や雑誌の真似をする必要はありません。友だちに話す要領でよいのです。記事を書く時間がない方は、情報を送るだけの市民記者でも結構です。その情報に基づいて編集局が記事を作成します。
その市民記者規約 4条には遵守すべき〈市民記者コード〉が記されています。
(1)記事は市民記者個人の責任で書きます。
(2)情報は正当な方法で収集し、事実関係を十分確認します。
(3)盗作など他人の著作権を侵害しません。
(4)名誉毀損、人権侵害や言論の暴力的な記事は書きません。
(5)差別的な記述や品格を欠く記述はしません。
(6)取材対象から金品を受け取るなど不当な行為はしません。
(7)編集権は本社にあることに同意します。
プロの記者同様の責務と規範があるようです。サイトに掲載されている記事も大メディアの記者のような気分が表れています。
一方で、YOUTUBEのような画像投稿による自由なサイトも生まれています。それによって、今イランや中国の内陸で何が起こっているのか、私たちは身近に知ることができます。検閲し、編集するのは市民自ら、という考えです。
しかし、そこには、とにかく知らしめるのだという、ジャーナリスト魂が見えています。大も小もない、格も見栄も何もない、メディアそのものの心意気が溢れています。
社会はもっと市民のすぐそばで起っていることを期待しているのではないでしょうか。
本当のジャーナリズムが求められているのではないでしょうか。
所詮、メディアの情報とはその多くは様々な所を通り、検閲され、編集され、出てくるものなのでしょうから、、、、。
2009年6月22日
ブックオフと地域の古書店
ブックオフで アンドレ・プットマンの古書を105円で手に入れることができました。出版社: 阪急コミュニケーションズ (2007/11/1)
ISBN-10: 4484072297
ISBN-13: 978-4484072296
発売日: 2007/11/1
商品の寸法: 17.6 x 13.6 x 1.8 cm
2009年6月15日
消費者の需要
だから、消費者が求めたことではなく、経営者柳井氏が求めたことなのでしょう。
2009年5月28日
企業通貨
ポイントカードが企業の連携によって、企業通貨としての価値を帯だしています。他カードへポイント変換のできる「ポイ探」なるサイトもあって、消費者は企業間の乗り入れ、コラボを意識し始めています。通貨に近い形になって、目に見える身近な価値の認識が広がってきたようです。見方を変えれば企業の連携が具体的に消費者の立場にまで降りてきたということかもしれません。そのひとつがJR東日本発行のSUICAです。ビックカメラでの購入で溜まったビックポイントでSUICAをチャージできるようです。ヨドバシでも同様のようですね。 ビックカメラやヨドバシカメラがSUICAと連携するわけ、それは同業の巨大なヤマダ電機の存在があるようです。

「企業分析力養成講座」で山口揚平氏は小売業種の熾烈な競争原理によって純粋な小売業は仕入れの拡大とマーケットの拡大へ走らざるを得ないことを説明しています。彼の分析は一般人が経営と分析と聞いて陥りやすいB/SやP/L、キャッシュフローだけではない、もっと多角的な9つの視点から複合的な関連性を示しています。
企業の拡大ではヤマダ電機のMAで分野全体が一段落しかけており、ビックカメラの戦略としては小売業の土俵を変えることと分析されています。次の段階へ向かう必要があったのだと。
それが駅前、駅近の大型店舗に活路を見出すことであり、JR東日本との連携につながりました。また一方、JR東日本としてはエキナカ、エキビルという付加価値の部分で活路を見出そうとしていて、両者の連携が進んだようです。
ここにおいて、企業通貨、つまりポイントカードはこれまでのOTAKUによる狭い領域の奥の深い物語ではなく、誰にでも共通する普遍的価値を見出したようです。つながること、目に見えることの重要なポイントです。
一方で地域通貨は?と言えば、、、地域は3万人の町も40万人の町もコンパクトシティと都心再生で花盛りです。都心再生というごくごく一部のみに焦点を当て、近視眼的に町を見るようになっています。
商店街は自分たちの足元だけにとらわれ、どのような消費者がどこから来て、どのような行動をとってゆくか、何を求められていて、どのような要望があるのか、など通常のマーケッティング探索機能さえ、果たしていないように感じられます。都心再生事業の欠陥であり、地元の利権と利害が絡んだ都心再生構想の破綻です。
これでは、古い商店街の活性化も夢と終わりますし、地域通貨などとてもできないでしょう。
生き残りに必死になって、目を見開いた企業のあり方を取り入れる必要がありそうです。
2008年12月21日
円高
かつて、日本は資源がないから、資源を輸入し、製品を輸出するのであると教えられてきました。製品を輸出する、すなわち、外部社会から利益をフローする、ことで国が豊かになるということでした。しかし、製品を輸出することを優先し、内部の多くの資源を失ってしまったのではないでしょうか。内側からの豊かな利益がかけてしまっていることに今気づいたようです。
経済とは、内側からの利益は同じ経済地域の中ではエンタルピーが変わらないので、利益も経済においては、著しい効果は見られず、外部の地域から利益を導入することで、言い換えれば搾取することでしか、著しい成果を得ることができなかったのではないかと感じています。
この外部から内部へのフロー、を重視することで、内部でのフローが止まってしまったようです。このフローを再び生み出すことが、今見直されています。それは地域に目を向け、これまでのやり方を変え、新たなフローとプロセスとなって現れるものではないかと考えています。地域を拠点とし、地域のつながりを生み出してゆくことで、渦を巻いてゆきます。その一部はベンチャーとなって、社会起業家として、チェンジメーカーとして注目され始めています。
2008年12月18日
フリーターからハケンヘ
かつて、バブル前夜には、多様で独立的な立場をもった、フリーターという言葉が生み出されました。フリーターとは小杉礼子氏によると 、1980年後半、アルバイト情報誌『フロム・エー 』によって造られた新語であり、初めは「フリー・アルバイター」といっていたが、略して「フリーター」と呼ばれるようになったということです。
フリーター以前、私の学生時代は自らをモラトリアムと呼んでいました。何もしないでいるというよりは建築を目指して、自らの立場と価値観とを模索していた時代でもあったように感じられます。大学院に進み、留学する人も多かったのではないでしょうか。
モラトリアムとは、もともとは経済学の用語で、「支払猶予期間」のことを指すそうですが、心理学の用語として、「大事なことを引き延ばしに引き延ばして、やらない状態」のことをいうようになったようです。しかし、人間のとしての成長の中で社会的責任を猶予されると同時にそれをを育む大切な期間であったと感じられます。まだ、建築家の修業時代であった私たちは、このフリーという言葉にあこがれたものでした。フリーランス、フリーアーキテクト、それらは私たちの目指したものでありました。
本来のフリーターと現在のハケン、その違いはそのフリーランスたる独立性と強さにあるのではないかと感じられます。
地域での市民活動にもフリーランスが求められています。
2008年11月24日
二度と起こらないために
「二度と起こさせない」という決意はただ危ういだけのものでしかありません。言葉ではなく、具体的な処方が必要です。
社会にはいろいろのチェック機能が働き、事故や事件を未然に防いでいます。一つの大きな事故の背後には、その何倍もの多くの事故や事件の要因がすでに社会や組織に潜んでいるのだと思います。それらが飽和し、またチェックの網の目を逃れてきたからこそ、ひとつの大きな事故として現れたのではないかと感じるからです。
「二度と事故は起こさせない」 そこでは責任をきちんと問いただすことはめったにない。しかし、「二度目が起こらない」その保証はないはずです。
2008年10月18日
ストリートビユー
ここには日本の都市空間の本質とは別の、いつのまにか閉じられてしまった都市の、道の空間のあり方が見えてくるのではないかと感じられます。
西洋の都市空間は日本とは異なり、公私がはっきりと区別されていると言われます。しかし、道においても、公園においても明るく、オープンで、誰もが集い、豊かなコミュニティが繰り広げられています。
コミュニティとは人と人がつくるいわば「なわばり」として考えられるでしょう。しかし、それは個人の空間だけではなく、個人と個人が重なり、重なりのなかの領域であり、その境界です。それら、境界はまた次の境界が重なり合って、まちが生まれてゆきます。そこを曖昧にするから、公園はひっそりとした誰も憩わない暗い場所となり、道には人の目が行き届かない危険な場所になってしまうのではないでしょうか。
かつては、日本の路地にも豊かな私が溢れ、開かれた私空間が公共をつくっていました。左の写真は細かな路地に溢れる古いまちの姿です。かろうじてコミュニティの原点が残されていますが、ここにも解体の波が押し寄せています。閉鎖性からはまちの豊かさも、安全性も、生まれないことでしょう。
いつものことですが、黒船が日本の公共性を鍛えなおしてくれるのではないかと感じています。
2008年9月10日
メディアの視線
あるメディアは5人の候補をそろえ、さまざま質問を投げかけます。そして、最も重要な質問であろう、市民のファックスによる質問を用意していました。「格差の大きくなる中で消費税を上げるのではなく、なぜ、一般税を上げないのか」、「地元の病院では出産できなくて、何時間もかかる大学病院へ行くことになる」、、、、、、。
そこには具体的かつ基本的な、国民の生の声があげられていたのですが、キャスターは「福祉や年金の財源はどうするのか」「消費税はいつ上がるのか」、、、、など抽象的で陳腐な質問を投げかけてしまう。抽象的で陳腐な質問にはそれ相当の答えしか返ってきません。まるで、あらかじめ、質問の内容があらかじめ決まっているかのような、報道番組でした。
一方で、隣のメディアでは候補者の姿などありませんでした、、、、、が、もっと、もっと先を見ていました。
メディアの乱立によって、情報もあふれています。