GOOGLEのストリートビューが、その是非が、話題になっています。
ストリートビューとはGOOGLEのマップ上で、東京や大阪などの都市部を中心に道から見た風景が360°のパノラマで見えるようにしたものです。通常のマップや地図のように上空からの視点からではなく、道を歩く人の視点からまちを表したものです。
今ここに公私の問題、プライバシーの問題が提出されていています。実際に風景が削除されている場所もあります。
そこではいかさか過剰気味に日本の都市空間の本質にまで言及されています。その批判の方向は、「僕らの生活スタイルは、公開するようにはなっていない」ため、「他人の生活空間を撮影するのは無礼」であり、また、それは「ややこしいこと」であり、「モラルに欠けた行動である」ということになっているようです。
ここには日本の都市空間の本質とは別の、いつのまにか閉じられてしまった都市の、道の空間のあり方が見えてくるのではないかと感じられます。
西洋の都市空間は日本とは異なり、公私がはっきりと区別されていると言われます。しかし、道においても、公園においても明るく、オープンで、誰もが集い、豊かなコミュニティが繰り広げられています。
コミュニティとは人と人がつくるいわば「なわばり」として考えられるでしょう。しかし、それは個人の空間だけではなく、個人と個人が重なり、重なりのなかの領域であり、その境界です。それら、境界はまた次の境界が重なり合って、まちが生まれてゆきます。そこを曖昧にするから、公園はひっそりとした誰も憩わない暗い場所となり、道には人の目が行き届かない危険な場所になってしまうのではないでしょうか。
プライベートな空間が接することによって、コミュニティが動き出します。「私」のないところに、コミュニティは育たないし、「私」をないがしろにしたり、包み隠してしまうところでまちは育たないと言えます。
かつては、日本の路地にも豊かな私が溢れ、開かれた私空間が公共をつくっていました。左の写真は細かな路地に溢れる古いまちの姿です。かろうじてコミュニティの原点が残されていますが、ここにも解体の波が押し寄せています。閉鎖性からはまちの豊かさも、安全性も、生まれないことでしょう。
いつものことですが、黒船が日本の公共性を鍛えなおしてくれるのではないかと感じています。
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