2009年6月27日

CO2削減について

日本ではCO2排出量削減に一生懸命です。すべての活動がCO2に換算されて、あたかも抽象的な偏差値のようにも感じられます。それどころか貨幣価値のように基準となって、ものの価値を代弁し、売買の基準にさえなろうとしています。(表はhttp://automoney.sakura.ne.jp/lohas/200/ent258.htmlより)


しかし、このようにCO2の削減量だけにとらわれていいのでしょうか。私たちは騙されていないでしょうか。私たちは世界を欺いていないでしょうか。












これはデンマーク、コペンハーゲン中央駅から電車で20分ほどの住宅地です。
世界に目を向ければ、ユーロッパもアメリカも都市さえ豊かな自然環境を保っています。東アジアも豊かな水田地帯を持ち、都市も少ないながら身近な緑を大切にしてきました。
今議論していることは日本の貧しい都市環境には全く触れず、目の前の排出ガスのことばかりで、エネルギーの合理化、省エネルギー化のことです。CO2で語られることは私たちが住まう生態系にかかわる仕組みを論じているものではなく、エネルギーをどれだけ最小にできるかという経済の仕組みそのものと言えるからです。それはエコロジーのことではなく、エコノミーにつながることなのではないでしょうか。

一人ひとりの価値観が変わってゆくことは大切なことですが、CO2削減がゲームのように単なるエコノミーにかかわることであれば、コスト削減による余剰のコストはどこかで使われ、CO2に変化します。また、それを規制すると世の中のキャッシュフローが滞り、不況となって、政府の対策としてキャッシュが出回り、またそれもCO2に変化するのではないでしょうか。どちらにしてもエコノミーの領域である限り、CO2から逃れられないのでは?

一方、計算上はマイナスばかりを集計するのですから、日本の削減量は素晴らしいものになるはずですが、、、、、しかし、実態はそうはうまくはいかないのではないでしょうか。国民が躍るだけになりはしないでしょうか。残るのは貧しい都市環境ということになります。

環境への視点とは生きた生態系の中で様々なつながりを想像することです。農産物の生産量を上げるために農薬を使う、そのために虫や鳥や生物までもいなくなる、当然それは人間の生命にも及んでくる、、、、社会はつながっているのです。それがレイチェル・カーソン「沈黙の春」での貴重な提言です。

CO2だけにとらわれると、
原子力発電の少ない中部電力が東京電力より削減率が悪くなり、車や冷蔵庫などはわずかな省エネ商品への買い替えに走り、こうこうと眩しくまた、ちらちら目が疲れる蛍光灯ばかりになって水銀の廃棄処理に困ってしまったり、、、、、、。

CO2ばかりに目を向け、独り歩きをし、数値目標に徹底して取り組む側面は日本人の得意とするところですが、どこかに間違いがあるのではないでしょうか。

2009年6月26日

地域の防災

豊かな町には、古いが人間的な町並みが潜んでいるものです。どこの町にも見られるのだと思います。

しかし、その多くの町は道路の拡幅などで解体の恐れがありますし、それが当然のように行われます。それを審議するはずの有識者でさえ、道路は法規の上の広さが必要であり、町の解体も当然であるという認識です。彼らにとって道とは昭和25年に制定された建築基準法による幅4.0m以上の平坦な通路ことでしかないようです。

道とは向かい合い、隣り合い、コミュニティを育むものであって、車のシステムに人の生活を合わせるのではなく、人の生活に合わせて道をつくり、町をつくるべきなのです。

防災のために道を広げられ、結果的にコミュニティは解体されてゆきますが、豊かに住まう人やコミュニティの安全を守るのが防災であるはずです。

町のスケールに消防ポンプ車やゴミ収集車を合わせればいいのです。高層ビルができれば新たにはしご車が購入されるのですから、小さな町には小さな車があればいいのです。

消防バイク、ミニ消防車、小型消防車、、、消防車も多様化しています。

http://www.signalos.co.jp/html_sharyou/sharyou_index.html


消防車とは消防ポンプ車のことです。地域の消火栓や消火水槽から放水するために駆けつけるのです。地域には水槽や消火栓があればいいのではないでしょうか。ポンプを配送すればいいだけです。常備していてもいいでしょう。



災害から人を守るのは濃密な人と人の関係、コミュニティであることは神戸の大震災から私たちが学んだことではなかったのでしょうか。やるべきことは道を広げてコミュニティを解体することではないはずです。

イタリアの小さな町、ロコロトンドでは、こんなかわいいごみ収集車に出会いました。

2009年6月24日

市民記者

市民の市民による市民のためのメディア「JANJAN」では市民記者を募集しています。

http://www.janjan.jp/

■ すべての市民は記者である ■
「記者」というと難しい仕事のように思われるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。『JanJan』は「すべての市民は記者である」ということに気づいたことから誕生しました。みんながニュースを発信する市民メディアです。
自然のこと、家族のこと、地域のこと、日本のこと、世界のこと、どんなことでも、あなたがみんなに知らせたいと思うことはニュースです。
ニュースの書き方は新聞や雑誌の真似をする必要はありません。友だちに話す要領でよいのです。記事を書く時間がない方は、情報を送るだけの市民記者でも結構です。その情報に基づいて編集局が記事を作成します。

その市民記者規約 4条には遵守すべき〈市民記者コード〉が記されています。

(1)記事は市民記者個人の責任で書きます。
(2)情報は正当な方法で収集し、事実関係を十分確認します。
(3)盗作など他人の著作権を侵害しません。
(4)名誉毀損、人権侵害や言論の暴力的な記事は書きません。
(5)差別的な記述や品格を欠く記述はしません。
(6)取材対象から金品を受け取るなど不当な行為はしません。
(7)編集権は本社にあることに同意します。

プロの記者同様の責務と規範があるようです。サイトに掲載されている記事も大メディアの記者のような気分が表れています。

一方で、YOUTUBEのような画像投稿による自由なサイトも生まれています。それによって、今イランや中国の内陸で何が起こっているのか、私たちは身近に知ることができます。検閲し、編集するのは市民自ら、という考えです。

しかし、そこには、とにかく知らしめるのだという、ジャーナリスト魂が見えています。大も小もない、格も見栄も何もない、メディアそのものの心意気が溢れています。

社会はもっと市民のすぐそばで起っていることを期待しているのではないでしょうか。
本当のジャーナリズムが求められているのではないでしょうか。

所詮、メディアの情報とはその多くは様々な所を通り、検閲され、編集され、出てくるものなのでしょうから、、、、。

2009年6月23日

市民の現実性

政治家は現実的であると言われています。政治家自身もそのように述べて、規制の権益の中に飲み込まれてゆきます。

実は市民も現実的であると自ら言います。現実のさまざまな、目の前の権益に飲み込まれ、つながりを保とうとします。「私たちはここで生活をしているのだから、、、」だから、飲み込まれてしまうということです。行政ににらまれてはいけないし、コーディネーターと仲良くしないと、、、、。飲み込まれないあなたはよそ者、そんな意識が見え隠れします。目の前の現実性を問えば問うほど近視眼的にまちを見てしまいます。

権益や帰属意識に飲み込まれると、誰が見ても古ぼけた建て替ざるを得ない駅の改築も前に進みません。目の前の人や権益や因習に飲み込まれるから進まないのです。考えるべきはそのような権益でも帰属意識でもなく、もっと広い視野を持った、駅を総合的に考える展望です。

駅とは通勤客の単なる乗降場所ではありません。まちの玄関であり、顔であり、人々が集う居場所であります。まちそのものと言えるのです。 まちづくりも、公園づくりも、駅を改築することも、目の前の狭い現実性ではなく、地域の文化や風土、そこに集う人たちの本質を問うことが不可欠です。

2009年6月22日

ブックオフと地域の古書店

ブックオフで アンドレ・プットマンの古書を105円で手に入れることができました。
価格:¥ 1,890 国内配送料無料
ハードカバー: 152ページ
出版社: 阪急コミュニケーションズ (2007/11/1)
ISBN-10: 4484072297
ISBN-13: 978-4484072296
発売日: 2007/11/1
商品の寸法: 17.6 x 13.6 x 1.8 cm

プットマンとはシャルロット・ペリアン、アイリーン・グレイとともに世界的に有名な女流インテリアデザイナーです。 ただ同然でこのプットマンを売るとは、、、、手放し方にも問題があるようです。

一方で近くの古書店では、森鴎外など地元にゆかりの作家本から、現象学、芸術建築系まで含めておいてあります。私が行けなかった3年前の展示会のパンフレットが定価3000円→4000円で出されていて今迷っています。が、新品同様で、たぶんそのうち買うことになるでしょう。
この古書店は神保町で見られるような、本が積んであって何がどこにあるかわからないような古本屋ではありません。ブックカフェのようなう雰囲気さえ漂わせていて、表にはコンセプトを象徴するかのように「ソトコト」のバックナンバーが置いてありました。私もこれを見てこの店に興味を抱かされました。
何かのこだわりが違うのでしょう。それは何だろうか。全体の利益はブックオフのほうが大きいかもしれないけれど、この小さな古書店の持つ役割は大きいように感じられます。少し高くても、自分が欲しいものをきちんと用意してくれている古書店は不可欠です。ここでは、いつも多くの人たちが立ち読みをしています。中身を見て買うのですね。

資本主義とは様々なものの価値を一律の貨幣価値という抽象的な数値に置き換えた。そのことによりものの価値が相対的になり、多様なものの価値が誰にでも一目でわかるようになって、利用価値が大きく広がったのです、、、、、。しかし、同時に捨てるものも大きかったはずです。

地方の図書館でも書籍や資料の本質的な価値は判断せず、貸し出し回数が少ないということだけで貴重な資料を地元の古書店に出してしまうことがあるそうです。地元の郷土史資料など、そうめったに借りられることはありませんが、個人が所有するものなどではなく、共通で所有すべきで、図書館が手放す類のものではないはずです。

このように未だに、中身を見ないで、その価値の本質を見ないで、画一的評価や基準、尺度を運用するすることにどれだけの意味があるのでしょうか。

2009年6月21日

コミュニティシンクタンクとは


「コミュニティシンクタンク」で検索すると本ブログがYAHOOで3位、GOOGLEで4位にランクされています。組織の数が少ないのか、まだ概念が浸透していないのか、、、、。現実のシンクタンク活動は難しいのかもしれません。

Yの一位は「コミュニティシンクタンクふじ」富士市の市民によるシンクタンクです。
設立趣旨は

「・ 市民ニーズ(課題)を吸い上げ、それに関する調査研究に基づき政策提言を行う  ・ 行政から特定課題を受託し、それに関する調査研究に基づき政策提言を行う  ・ 独自に考え出した事業を社会実験的にコーディネートし、自ら実施する  ・ 行政が実施する各種施策について市民の意向を調査し、その内容を検証、評価することを目的に、」と掲げられています。

現在は主に以下の活動がおこなわれているようです。


Gの一位は「評価三重」。事業評価を基本業務として組織されたシンクタンクです。

その趣旨が
「私たちは、「評価」に関する情報を調査・研究し、「評価」に関するシステムを開発し、「評価」に関する私たちの知見を普及するといった地域からの情報発信を通じて、あらゆる公益に関わる市民活動団体・NPO及び行政の組織マネジメントの向上や事業の質的向上に資することを目指します。」と記載されています。
ただ、数年サイトの更新がされておらず、ここのところの活動が定かではありません。

市民が自ら企画運営するシンクタンクの難しさは実際、「moco」を設立してわかってきました。市民のありようから地域に根ざした課題が眼前に現れてきます。たぶん、市長も行政マンもとても認識できていないでしょう。近視眼的な地域の権益者も同様です。

一方で、市民の立場は脆弱でまわりの関係性に制約を受けます。制度、因習、おつきあい、、、、。それらを振り切って、真正面から発言したり、提言したりすることはとても困難だと感じました。本当はすべてを捨てて、社会のために取り組まなければならないのですが、「そこに生活する身」にとっては厳しいことになるようです。

しかし、コミュニティシンクタンクとはそこを明らかにせねばなりません。

Y4位、G5位にランクされているNPOセンターではコミュニティシンクタンクを次のように定義されています。

「1.コミュニティ・シンクタンクとは(1.3.1)
 コミュニティ・シンクタンクとは、地域や生活の現場に根ざして、生活者の視点、納税者の視点、社会的弱者の視点、地域コミュニティ再生の視点から、住民の生の声、地域内外の英知や専門知を総合編集して、地域の問題・課題を解決する政策形成力をもったシンクタンクである。
また、社会実験・協働型政策形成・政策評価・フォローアップという、結果責任を回避しない倫理感をもった実践・行動型のシンクタンクでもある。 行動のイメージとしては、住民や行政、関係者を巻き込んで試行的な実験を行いながら、政策の有効性、優先性の判断を決定するとともに、政策の立案・決定・実施に至るプロセスで行政との協働関係を構築、あるいは市民と企業、行政の協働関係をプロデュースする。
また、政策評価だけではなく政策の提案後、あるいは事業実施後も可能な葉にで(本文のまま)フォローアップを行なうというイメージである。 行政からの独立性や対等性・対抗性としては、NPOとして活動実績、テーマの先駆・先見性、住民や専門家のバックアップ力、そして提案具現化力がその担保になろう。」

また、その機能も次のように記述されています。

「2-2 機能
 コミュニティ・シンクタンクの役割と機能を整理すればおおよそ次のとおりである。

○住民、NPOの政策立案、形成力の支え(住民自治のサポーター)
・ 市民活動団体の課題解決のために行なう調査研究を、専門的な立場から支援する。
・ 住民・NPOに対する政策支援・政策形成力の強化機能
・ 地域活動、市民活動に関する情報センター、「まちづくり」センター
・ 地域の情報センター、地域学の研究所
・ さまざまな市民活動、活動人の力を総合するための舞台
○地域に根づいた政策研究機関として、公的課題(行政課題)についての調査研究を行なう。
・ 行政へのアドバイス、コンサルティング、市民的視点からの代替案の作成
・ 地方行政システム、地方行財政改革、地方分権の監査役
・ 政策に関わる情報デタベース機能
○新しい形のインターミディアリー組織(市民、企業、行政をつなぐ)
・ まちづくりをすすめる市民と企業・行政のパートナーシップのコーディネイト
・ 新しい「まちづくり」システムの開発、参加のデザイン開発
・ 議会、企業、大学、マスコミ、シンクタンクとのパートナーシップ  」

こうした本質的部分に取り組むためには、市民の声を集積しながら、いったん市民の立場を留保しつつ、代弁的な、中立的な、専門的な立場を前面に出して、コミュニティシンクタンクを運営する必要があるかもしれません。

市民活動団体についても次のように定義されています。
「市民活動団体の定義
 私たちは、NPO(NonProfit Orgnization)の日本語訳として「市民活動団体」を用います。 

ここでいう「市民活動団体(NPO)」とは、政治団体・宗教団体を除く次のような団体と考えます。

(1)目的性・公的利益性 公益(不特定多数)もしくは共益(特定多数)の寄与を目的とする団体。
(2)継続性・民間性 目的の社会的達成のため、民間により公式に設立・維持(その活動の継続性を確保)される団体。(ただし、任意団体も含み、かつ法人格は不問)
(3)自主性 有志による自発的かつ民主的な運営と、意思決定の自主性が保たれ、かつ活動に関して開かれている団体。
(4)非営利(利益不配分)性 目的達成に必要な活動資金(事業費・専任スタッフの報酬等)を得るための事業からの収益は、役員など個人に対して配分せず、本来活動のために再投資する団体。 なお、市民とは「より良い地域社会づくりに参画すべく志を持つ人々」と考えます。」

そこに住まう身の市民自ら、NPOセンターが指摘するようなコミュニティシンクタンクとして、真に中立的組織<インターミディアリー組織>となって、公的課題(行政課題)についての調査研究し、成果をあげてゆくには今しばらく熟成が必要のようです。

2009年6月20日

「アニメの殿堂どう思う?」

日本の新しい芸術分野を発信する「国立メディア芸術総合センター」(仮称)の計画に賛否が渦巻いて、政争の道具にも利用され始めました。

発信拠点か予算のムダか?(http://www.asahi.com/politics/update/0614/TKY200906130280.html)

このようなステレオタイプの言葉こそが大切なものを見失わせることになります。意図的に見失わせるのではないかとも感じられます。

有能な学芸員/キュレーターが研究を行い企画を推進する美術館では絶えず発信を繰り返し、市民を、利用者を巻き込んでいきます。それは東京都現代美術館、仙台メディアテークなどの活動からも明らかです。地域の子供たちを積極的に受け入れてきた金沢21世紀美術館では金沢アートプラットフォームを立ち上げ、展示空間や活動領域を地域の中へと展開し始めています。

まず117億の建築体が先にあるのではなく、企画運営を行う組織を確立し、適切で有能な館長を確保することです。どのように芸術を支援するのか、それをどう生かすのか、コンセプトを打ち立て、それらの活動を生み出すソフトとハードを具現化する建築を企画する必要があります。

トキワ荘で社会の古い通念を解体し、新たな人間的な夢を表現してきた漫画家たちや日本では限界を感じ、海外で認められたメディアクリエイターたちをこんな固いコンクリートやガラスの箱に閉じ込めては伝えるべきものが伝わらないように感じます。

東京都現代美術館開館時には、現代アートを理解しない多くの利用者から批判も大きかったと聞きます。世界で認められていた絵が漫画だとして認められなかった、、、、。そのような国民や社会に対し、エヴァンゲリオンの社会性を分かってもらう必要がありそうです。

メディアとは常に新しい感性を身にまとってゆくものです。メディアとはいったい何なのか、本当の新しいメディアを伝えてゆくことが不可欠です。

2009年6月18日

別府現代芸術フェスティバル

湯の町別府では、「混浴温泉世界」と題し、現代別府芸術フェスティバルが6月14日まで開催されていました。湯煙の立つ町のいくつかの場所を舞台に、芸術作品をまちに入り込んでゆくひとつの接点として考えられています。アートレジデンス、ダンス、音楽、裏町散策など。

芸術とはよくわからない行為と思われているかもしれませんが、案外、まじめで素朴な視線をもって、まわりのいろいろの環境と対峙しているのです。そのまじめさが、古い利権や制度に結びついた帰属意識いっぱいのまちづくりから見るととても新鮮で、素直で、すがすがしく感じられます。そして、そのまじめさゆえに成功するのでしょう。

多くの地域や町では、芸術活動を取り込んでまちづくりへ向けた情報発信を行っています。それは創る人である芸術家を育てるだけではなく、見る人、取り込まれる人の感性を磨いています。現実に作品を創る人の真剣な姿から学ぶことはとても多いのだと思います。こうした活動が実際のまちの、地域の活性化にも大きな役割を果たしています。

そして近年、それらを支える人、パートナーと呼ばれる地元企業やサポーターと呼ばれるボランティアの人たちが注目されるようになりました。越後妻有、大地の芸術祭でも頑なだった地域をほぐし、成功へ導いたのはこうしたボランティアの真剣な姿だったと言われています。

何ものにもとらわれない、自由で独立した意識を持ち、やりたいという意欲で取り組む彼らこそが地域を真摯に見つめ、目の前の現実性によって硬く凝り固まってしまった地域性や帰属性を解きほぐし、閉じた目を大きな世界に向ける役割も担っているのではないでしょうか。

2009年6月15日

消費者の需要

ユニクロを展開するファーストリテイリング g.u.から990円ジーンズが発売されました。
「消費者の需要を発掘する」 というのが柳井氏の発想です。消費者の需要によって商品を販売する、というのとは少しニュアンスが異なります。
消費者の需要を調査することによって、売れる商品が誰にでも開発できる、ということはありません。商品開発においてマーケティングは重要な項目の一つですが、マーケティング調査とそれから得られる回答が誰にでも得られるものではないだろうと考えます。
発掘するとは、条件(コンテクストやマーケティング)を想定し、仮説(コンセプト)を立てて検証することです。その検証を独特の企業理念、経営理念で直感しているのでしょう。このことはすべての商品開発やデザインにも当てはまることです。予条件ですら公平ではありません。それは誰にでも予め、同じように与えられるものではないからです。何を発掘するするか、腕と知恵、つまり技術力と企画力にかかわってきます。

だから、消費者が求めたことではなく、経営者柳井氏が求めたことなのでしょう。

しかし、それは本当に消費者のためなのだろうか。あるいは社会のためなのだろうか。それを実現していいのだろうか。これからの企業は文化性や人間性をも織り込んだライフサイクルコスト(Life Cycle Cost)が要求されるように感じてならないのですが、、、、。
990円ジーンズが大量生産、大量消費の産物ではないことを祈るばかりです。それらは大量廃棄につながっているのではないかと考えるからです。

消費者の安ければいいという発想をどこかで打ち破る新しい価値観が必要なのですね。(もちろん、誰にでもできることではありませんが、、、誰にでも取り組めるものではあります。)

2009年6月14日

タウンマネージャー

まちづくり福井株式会社では、タウンマネージャーを募集しているようです。


「タウンマネージャー募集!福井市中心市街地のまちづくりや商業の活性化を行っていただける方を募集します 」
◇業務内容  福井市中心市街地のまちづくりや商業(個店)の活性化を支援する業務全般
◇募集人員 1名
◇雇用期間 平成21年7月~平成24年3月 (年度毎の更新となります)
◇勤務地 福井県福井市中央1丁目4-13 響のホール6階  福井市中心市街地活性化協議会(まちづくり福井株式会社)
◇応募資格 学歴不問・年齢不問 百貨店やSC等で商業やサービス業での実務経験を有する方、店舗等のマネジメントの経験を有する方
◇給与等 396,000円 (当協議会の規程によるものとします)
◇社会保険 個人負担となります
◇交通費 実費支給
◇勤務時間 12時~18時 週3日(基本出勤曜日/月・水・金)
◇応  募  【締  切】  平成21年6月10日(水)  必着
        【提出書類】 ○ 履歴書○ 職務履歴書○ レポート  テーマ 「中心市街地の商業活性化の可能性」(800字程度)

週3日×6時間でこの給与は特別待遇ものですね。


このタウンマネージャーに必要な能力とは何でしょうか。百貨店やSC等で商業やサービス業での実務能力や店舗等のマネジメントの能力があれば、地域の運営ができるのでしょうか。あるいはまちづくり会社においてその役割のごく一部を担えばいいということなのでしょうか。

このタウンマネージャーなる概念のもととなるTMO(Town Management Organization )とは有名な街づくり三法、なかでも中心市街地活性化法(中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律)において定められたまちづくり機関であり、商工会、商工会議所や特定会社若くは公益法人であって政令で定める要件に該当する組織のみが対象となりました。

それゆえ、TMOとは、まちの運営を横断的・総合的に調整し、プロデュースする「タウンマネージメント」という本質的な視点からではなく、中心市街地における商業まちづくりをマネージメントするための限定的な視点から運営されているのではないでしょうか。

このまちづくり福井株式会社もTMOのひとつで自治体が50%を超える出資者となって運営されています。ここでも他の地方自治体と同じように中心市街地というごく限定的な地域を対象とした「活性化基本計画」が構想されています。


中央政府の多大な助成金が地方自治体へ、それが直接、都心再生協議会など地元の利権を背負ったTMOへ下請けされ、委託を受けた中央のシンクタンクがどこにも同じような基本構想案をでっちあげる。でっちあげられた構想案はその逆の道筋でストレートに中央政府へと上げられる。


ここにはタウンマネージメントという、本来、地域が有機的に自立し、連携し、地域全体の活性化を促すという、市民にとって不可欠な基本能力が欠如していることがわかります。通産省や建設省によって提起されたTMOではなく、まち全体、地域全体のビジョンを宿した組織と構想が必要です。

2009年6月6日

市議会傍聴報告

岡崎市議会本会議一般質問を傍聴しました。手前が市議39名の座席、正面中央が上から議長席、演壇、記録席、左右は市長、副市長はじめ40-50名程度の市長部局からなる執行機関席です。

日本の議会を見るたびに暗くて、さびしげで、なんて威圧的なんだろうと不思議に思います。ドイツの連邦議会はボンにあったときからベルリンにある今も、日差しも明るく入り、暖かい感じのする生命感あふれる会議場です。ストックホルムの市庁舎は民族の歴史や文化を感じさせるばかりでなく、ノーベル賞授賞式が開かれます。

一部に若干の私語はあるものの静かに始まりました。午前中は一人50分の質問応答時間が二人分。
一人目は野党市議。「憲法25条を暮らしに生かす市政について」をテーマに、1)高すぎる国民健康保険料の引き下げ、2)子どもの貧困をなくすこと、3)高齢者福祉の充実について、、、3つの質問です。

冒頭から早口で原稿を読み上げられるので聞き取るのが精一杯でしたが、聴衆は原稿を見ながらの確認のようで、皆がいっせいにページをめくる姿は微笑ましくもありました。

数多くの質問が投げかけられ、精力的に取り組まれていることは想像できましたが、福祉などにかかわる基準となる現状の数値を執行機関に細かに質問され、その数値の低さから問題点を執行機関に理解させ改善を求めようという意図のようでした。しかしながら、その膨大な質問量に対する時間の不足と執行機関との認識の相違からほとんど議論になりませんでした。現況数値の応答などあらかじめ公開されていれば不要のものと考えられ、実質的議論に欠けるものでした。

二人目は与党新人議員。まず挨拶に1分半。最近自転車通勤を始められたようでエコに取り組んでいるとのアピールでした。質問量ははるかに少ないものでしたが、50分で2度の質疑応答に対し、十分な議論を行うにはこの程度だなと感じさせられました。

1)芸術文化の振興について、2)伊賀川周辺水害対策について、3)消防団員の福利厚生及び健康促進について、、が質問内容です。

芸術関係のホールの一元的な企画や広報、販売方法について尋ねられました。取り組み方によっては深く、そして重要な課題です。が、担当部長からジャズやクラシックをテーマとしていること、インターネットを利用した広報や販売についての説明、ピアによる委託のこと、有識者による委員会によるスケジュール決定などが説明されました。表面的な回答で具体的な戦略に欠けるものでしたが、質問者はいたく納得され、「インターネットでの一元的広報は良く存じていました。」と応えてしまいました。知っているなら質問するな、と言いたいところでしたが、、、。

最後は10分ほど時間が余り、市長から防災についての方針が述べられましたが、原稿を読み上げるだけの議員の主張とは異なり、自身の言葉による問いかけがずっと深い意識を投げかけたように感じられました。ゆっくりとした、しかし強い意識を持った主張が必要のようです。

市議が足を使い、地域を駆け回って、大切な市民の声を集める役割なのであれば、つまり民生委員や自治会長的レベルのものであれば、もっと多くの市議が必要ですし、一人50分×39名×年間4回のやりとりでは全く不十分です。また、市議団が市民の声を集積し、十分な企画や政策を策定する役割なのであれば、少数精鋭であって、何人かの研究員や秘書も必要でしょう。あるいはグループセッションのような組織として政策に関与する必要もあるように感じます。

市議会や市議団はどちらの方向を目指すのか、国会の相似形のような、形式的な市議会にはどのような意味があるのか。ディベートすらない、ブレンストーミングなどとはとても呼べない、静かな会場が、もっとホットに、固定デスクを取り外すくらいに、実質的な議論の場となり、アイデアの宝庫となることが必要なのではないでしょうか。

2009年6月3日

GONPO

特定非営利活動法人、NPO法人とは市民活動に一定の枠組みを与えた貴重な組織形態です。それは市民自らの手によって生まれた活動団体であることを意味し、その活動が独立し、また自由であることを保証するものです。

しかし、なかには、行政が立ち上げ、あるいは密接にかかわり、支援するNPO組織も少なからず存在しています。本来、行政と市民の中間に立場をおき、市民をサポートすべき中間支援組織と呼ばれる組織に、行政サイドに立ち、なかば出先機関のようにふるまっているNPOがあります。それらはたいていは弱者である市民側には立たず、行政の意向に従い、市民の動向をある方向へ誘導しようとします。

今、社会ではそれらを官製NPO、GONPOガンポと呼び、一般のNPOとは区別する動きが始まっています。

GONPOとは、まち育て、人育てなどと言いながら、管理し、誘導し、行政側で決まっている既成の事業をあたかも市民で決めるなどと市民を集め、既定路線を追認させようとするものです。まちづくりの正義も倫理性もあったものではありません。

行政からの委託費用で運営が賄われ、行政から自立し、対等な関係にあるなどとはとても言えない、行政の出先機関のように、市民を囲い、誘導する組織です。市民はよく目を開き、偽善を見抜かなければなりません。

市民の声が行政に届かないで滞り、また行政からの情報が正確に市民に浸透せず、それらは、むしろ市民と行政が真に協働するための阻害要因とも言えるのです。真のまちづくりへの第一歩はその阻害要因を除去することのように感じられます。

このGONPOによる行政の市民管理は今後、各地に蔓延するかもしれません。行政にとって、開きたくない部分を開いているかのように見せる都合のよい組織だからです。

2009年5月28日

企業通貨

ポイントカードが企業の連携によって、企業通貨としての価値を帯だしています。他カードへポイント変換のできる「ポイ探」なるサイトもあって、消費者は企業間の乗り入れ、コラボを意識し始めています。通貨に近い形になって、目に見える身近な価値の認識が広がってきたようです。見方を変えれば企業の連携が具体的に消費者の立場にまで降りてきたということかもしれません。

そのひとつがJR東日本発行のSUICAです。ビックカメラでの購入で溜まったビックポイントでSUICAをチャージできるようです。ヨドバシでも同様のようですね。 ビックカメラやヨドバシカメラがSUICAと連携するわけ、それは同業の巨大なヤマダ電機の存在があるようです。

「企業分析力養成講座」で山口揚平氏は小売業種の熾烈な競争原理によって純粋な小売業は仕入れの拡大とマーケットの拡大へ走らざるを得ないことを説明しています。彼の分析は一般人が経営と分析と聞いて陥りやすいB/SやP/L、キャッシュフローだけではない、もっと多角的な9つの視点から複合的な関連性を示しています。

企業の拡大ではヤマダ電機のMAで分野全体が一段落しかけており、ビックカメラの戦略としては小売業の土俵を変えることと分析されています。次の段階へ向かう必要があったのだと。

それが駅前、駅近の大型店舗に活路を見出すことであり、JR東日本との連携につながりました。また一方、JR東日本としてはエキナカ、エキビルという付加価値の部分で活路を見出そうとしていて、両者の連携が進んだようです。

ここにおいて、企業通貨、つまりポイントカードはこれまでのOTAKUによる狭い領域の奥の深い物語ではなく、誰にでも共通する普遍的価値を見出したようです。つながること、目に見えることの重要なポイントです。

一方で地域通貨は?と言えば、、、地域は3万人の町も40万人の町もコンパクトシティと都心再生で花盛りです。都心再生というごくごく一部のみに焦点を当て、近視眼的に町を見るようになっています。

商店街は自分たちの足元だけにとらわれ、どのような消費者がどこから来て、どのような行動をとってゆくか、何を求められていて、どのような要望があるのか、など通常のマーケッティング探索機能さえ、果たしていないように感じられます。都心再生事業の欠陥であり、地元の利権と利害が絡んだ都心再生構想の破綻です。

これでは、古い商店街の活性化も夢と終わりますし、地域通貨などとてもできないでしょう。
生き残りに必死になって、目を見開いた企業のあり方を取り入れる必要がありそうです。

2009年5月26日

協働から生まれる形とは

閉鎖的であったり、また開かれていても同じ志向を持つ組織からは豊かな、多面的な思考は生まれてこないものです。そうした貧困さを打開するために協働という組織の形態が生まれてきました。

デザインや設計の世界では昔から多くの人との協働で、そして屈託のない意見交換により、新たな発想を生み出してきたのです。今そのような方向がコミュニティにおいても重要となってきています。縦割りの閉鎖的な行政組織では様々な利用者である市民や専門家の期待にとても応えられないからです。
しかし、協働の中で市民の声を聞いてつくるとはどういうことかがまだわからないようです。市民の多様な声を聞いて、アイデアを膨らませて作れば、そっけない、何もない、すました、ガラス張りの図書館にはならないのが一般的です。

岡崎市図書館交流施設。このさびしい施設の状況は協働を拒否した悲しい結果なのではないでしょうか。建築とは人の思いが込められたものなのです。その思いは訪れた人にもわかってしまいます。

また、窓のないガラス面は、近くのせせらぎの川風を引き込むことなく、鳥のさえずりを異次元のものとしてしまいますし、ましてや、窓のない理由が、利用者が本を外に盗み出さないようにとの配慮からだと聞くとあきれるばかりになります。建築家の倫理はどこへ行ってしまったのか。。。

本来はそこ、ここに市民の居場所となるいろいろの、行政マンには想像もつかないような、抽象論しか語らない設計者には思いもつかないような豊かな場所と場面が用意されているはずなのです。

このようながらんどうの図書館は声を聞かなかったことの象徴でもあります。

広まってきた市民協働、官民協働とも言いますが、形だけで終わっているようです。かけ声、ないしはポーズ、あるいはガス抜き、、、、、。

協働によって生まれてくる形とは、統一された既成の完成美などではなく、多くの価値観にあふれ、多面的でむしろ雑然としたような人間的な様相を持ったものになるはずなのです。統一的、抽象的秩序が市民にとって必要であるならば、市民の声など最初から聞く必要はないのです。

悲しいことに、どこの町でも中心地の整備された歩道は単調でさびしい舗装となっていたり、樹木も貧相な様相を呈していたりで、人間性に欠けています。それは緑政課や土木課が実際の町そのものや人や樹木や敷石を見ないで、ユンボで掘って、固めただけの代物だからなのです。

しかし、協働によって生まれる形とは、それは古くからある住民が自ら育ててきた街並みのようなものです。なんとなく統一が取れているようで、でも、個性は至る所に溢れている。それが町のエネルギーになり、生命力になると思うのです。

福岡で会った小さな町の職員は話し合いの相手が見つからないから、町に出向いていく、営業や取材に出掛けて行くと自ら語ってくれます。対話によって豊かなものが生まれてくるものなのです。

2009年5月25日

グローバルアリーナ

グローバルアリーナは、これまで日本には少なかったスポーツ人材育成を目指し、地域のスポーツ振興事業に取り組む企業です。駅から も近く、山と広々とした芝生に囲まれた競技場や宿舎は、滞在型の豊かな環境を持っていました。
ここにあるパン工房やカフェ、それらに付属した小さな図書館に興味がわいただけでなく、その運営や経営に注目し、視察に行ってきました。
青少年のスポーツ大会や合宿を中心に滞在型の人材育成を行うほか、少年サッカー大会や4日で1万人が集まるというスポーツイベントを開催するなど、現在は年間10万人程度の集客があるそうです。滞留型複合施設を併設しているため、一日ここで過ごしてゆく参加者も多いということです。
中心となっている芝生の広場に、レストランや高級食材を置いたショップ、パン工房や図書館があります。図書館は年間70万円ほどの予算で、休館日がなく、11-19時または10-20時の運営となっています。健康やスポーツ、ガーデニングや交流のある国の書籍を中心に、宿泊者や滞在者に貸し出されています。蔵書のボリュームではなく、いかにテーマを絞ることができるか、そうしたことも地域の小さな図書館にとっては大変重要なことであると知りました。
当初、地元企業の創業者の上場益によって設立されたのですが、その後、独立採算となり利用者の会費やゲストの宿泊を財源にして経営されています。スポーツ施設でありながら、また経営的な組織体でありながら、若者への情報発信や文化学術への志向など、文化を財産として捉え、次世代を視野に入れた長期展望を持つ運営を考えているようです。パン工房や図書館も文化の情報発信源として考えられているようです。
まだまだ、この分野は日本には根付いてるとは言えず、経営的財源が限られているのは仕方がありませんが・・・。将来への人材育成や青少年の交流に力を注ぐことで、市民や地域へ無形のものを還元し、さらにそれらをマーケットと考え、コンベンションを起動して都市機能をも取り込む考えです。次世代への発信、文化や学術への貢献、公共的、NPO的経営基盤など、スポーツ事業の裾野を広げることで10年後の収益を視野に入れているようです。
この小さいけれど居心地の良い図書館を軸に、芝生でくつろげるワークショップ型ブックモビールを展開する発想が生まれてきました。発想が次なる発想を呼ぶ。これが次なる創造を生み出すのだと思います。

2009年5月19日

北九州市戸畑図書館-地域による図書館運営

辻桂子氏から戸畑で面白い人が図書館長をやっていると聞き、北九州市戸畑図書館、館長伊藤豊仁氏にお目にかかりに行きました。図書館の運営を尋ねると言うよりも、経営者にその経営理念を聞いたようなような印象が強く残っています。

北九州市では2005年に指定管理者制を導入したのを機に、地域の青年会議所がNSK日本施設協会を組織して、地域に根ざした情報発信のための新たな図書館理念を掲げ、その館長に伊藤豊仁氏を招聘したようです。

指定管理者とは、本来は市民の目線で、柔軟できめ細かなサービスを、というのを求めて導入されるものですが、どの地域でも実際にはコスト削減のために導入されており、サービスの空洞化へ繋がると批判が出ているケースが多いようです。

図書館の指定管理者には、図書館業務を遂行する全国規模の大手業者が請け負うことが多く、図書館を単に本を貸し出す機能としてしか考慮せず、地域の司書をアルバイターとして派遣するだけの運営になりがちですが、戸畑では自分たちの図書館を自らの経営理念で自分たちで運営しようと立ち上がったわけです。

現在は最初の1期3年が終了し、その成果が市から認められ、2008年度より2期目(5年)に入っているようです。

18人の司書職員(館内14人、4つの分館に4名)は90名の公募の中から選ばれたそうです。現在も大変苦しい運営状況・人的状況ですが、直営時には司書の資格を持った職員が半数しかおらず、業務が偏り、司書が図書館外部へも出かけてゆくなど、本来必要なはずの多様な運営を行うことができていなかったことに比べれば、むしろ現在のほうが効果的に業務が取り行われているということです。

伊藤氏は自ら企業家としての経歴を持ち、そのキャリアを生かし、図書館運営に地域のつながり、大学や学術団体との連携や市議会へのロビー活動などによてイベントや啓蒙講座を開いています。そこには、目指すべき図書館の姿があります。行動する図書館、情報を発信する基地、市民シンクタンクとしての図書館、、、、、。


伊藤氏には何事も、楽しまなければならないという、基本的な起業人の発想があるようです。リーダーの豊かで柔軟な資質とそれを支え登用した組織のバックアップがこの新しい図書館像を推進していると言えます。

本来の指定管理者制度の本質が見えてきます。

2009年5月9日

JR KYUSHU

新しい図書館構想をまとめたくて、福岡へ行ってきました。『真夜中の図書館』の辻桂子さんとの打ち合わせと北九州市戸畑図書館を訪問するためです。先に戸畑図書館の伊藤館長にお会いするのに小倉で下車。

新幹線を降りると、何か違う雰囲気がぐぐっと迫ってくる感じがしました。

近郊電車がかつての長距離電車のような重厚なデザインと雰囲気を持っているのです。丸みを帯びた堅牢な形状から感じ取れる素材の厚み、原色にはない濃厚な深い色彩、落ち着いたインテリアを創る小さな窓、控えめできらりと光るエンブレムなどにも目が行きます。、、、、、かなり思い入れのあるデザインであることがわかります。

東京を走るJR東日本のアルミ製の軽い通勤電車とは発想が全く異なっています。

国鉄が民営化されて20年経ち、ようやく地域性が現れてきたのでしょう。
JR九州は他のJR各社とは異なり、デザインに関する受賞歴が多く、またそれをきちんとWEBサイトに事業報告として掲載しています。

1988年「ホテル海の中道」のアートディレクションを手がけたことを契機にJR九州の車両デザインや広告のデザインに関わってきたデザイナーである水戸岡鋭治氏の存在がそこにはあるようです。地域振興・活性化の基盤を担う大きな戦略として成功を収めているように感じられます。

小さな地域での営業のため、JR東日本や東海などと比べて経営的には厳しいと思われますが、十分に社会的使命を果たし、地域の独自性を生み出しています。

■ハイパーサルーン 1989 ローレル賞(鉄道友の会選定)
■ゆふいんの森 1989グッドデザイン商品選定(通商産業省・Gマーク商品に選定)
■200DC 1992 ローレル賞(鉄道友の会選定)
■博多駅コンコース 1992 福岡都市景観賞(福岡市選定) 92商環境デザイン賞特別賞(日本商環境設計家協会選定) SDA賞(日本サインデザイン協会選定)
■由布院駅 1992鉄道建築協会賞入選(鉄道建築協会選定)
■熊本駅ビル「フレスタ」1992鉄道建築協会賞入選(鉄道建築協会選定)
■JR 九州の列車 1993公共の色彩賞(公共の色彩を考える会選定)
■787つばめ 1993ブルーリボン賞(鉄道友の会選定) グッドデザイン商品選定(通商産業省・Gマーク商品に選定) 1994ブルネル賞・長距離旅客列車部門(国際賞)
■つばめ客室乗務員制服1994ブルネル奨励賞・制服部門(国際賞)
■JR 九州の列車とバスの色 1995北九州都市の色彩賞(北九州市選定)
■ソニック883 1995グッドデザイン商品選定(通商産業省・Gマーク商品に選定)1996 H 8 ブルーリボン賞(鉄道友の会選定) ブルネル賞・長距離旅客列車部門(国際賞)
■ソニックの「動く彫刻」 1996ブルネル奨励賞・芸術の鉄道への適合事例(国際賞)
■会社案内など 1996ブルネル奨励賞・視覚情報グラフィックデザイン(国際賞)
■宮崎駅 1996宮崎市都市景観賞(宮崎市選定)
■美咲が丘駅 1997福岡県建築住宅文化賞貢献賞(福岡県選定)
■JR九州のデザイン活動 1998SDA特別賞(日本サインデザイン協会選定)
■新ゆふいんの森 1999JIDインテリアスペース部門賞(日本インテリアデザイナー協会選定)2001 H13 グッドデザイン賞((財)日本産業デザイン振興会)
■小倉駅 1998 鉄道建築協会賞入選(鉄道建築協会選定)1999照明普及賞九州支部賞(照明学会)2000グッドデザイン賞特別賞((財)日本産業デザイン振興会)公共の色彩賞(公共の色彩を考える会選定)
■JR九州 2000 国際交通安全学会賞(国際交通安全学会)業績部門:デザインを中心とした魅力ある鉄道づくりによる地域活性化
■長崎ターミナルビル2000 照明普及賞優秀施設賞(照明学会)
■885かもめ・885ソニック 2000照明普及賞優秀施設賞(照明学会)2001 ブルーリボン賞(鉄道友の会選定)ブルネル賞・長距離旅客列車部門(国際賞)グッドデザイン賞((財)日本産業デザイン振興会)
■815系近郊電車2001ブルネル賞・近距離旅客列車部門(国際賞) グッドデザイン賞((財)日本産業デザイン振興会)
■817系近郊電車 2001グッドデザイン賞((財)日本産業デザイン振興会)
■800系つばめ 2005ローレル賞(鉄道友の会選定)グッドデザイン賞((財)日本産業デザイン振興会)JIDAデザインミュージアムセレクション(日本インダストリアルデザイナー協会)
■JRホテル屋久島2006照明普及賞優秀施設賞(照明学会)
■日向市駅2007優秀木造施設 林野庁長官賞(木材利用推進中央協議会、農林水産省後援)鉄道建築協会 作品部門 入選・国土交通省鉄道局長賞((財)鉄道建築協会)2008建築九州賞一般建築部門 作品賞((社)日本建築学会九州支部)

2009年5月6日

アートディレクション

「アートディレクションの可能性」は現在活躍するグラフィックデザイナーによるトークセッションが収められたものです。

彼らの多くはグラフィックデザイナーというその名称から想像される枠をはるかに超え、もっと重要な役割を担って活動しているようです。パッケージやポスターのデザインやCMなどの映像制作に留まらず、商品開発や企業イメージのプロデュースまで行っています。

企業や製品の本質を捉えて、ありのまま描き出すことに (私たちには思いもよらない素敵な描き方ですが、、、) 成功していると言えます。
プロデュースし、ディレクションし、そしてビジュアライズするという3役を引き受けている彼らは、、、、、、自分たちを「物申すデザイナー」と位置付けています。

一瞬にして物の本質を表現するビジュアルコミュニケーションという分野での彼らの能力は、ライフスタイルの方向性、しいては現代社会の方向性をも形造ることができるのです。

私の専門分野である”建築”といった長大で孤高と言われがちな’とっつきにくい物’ではなくて、身の回りのそこここに存在する’あふれた物’によって、方向づけることが可能なのです。

たとえば、資生堂のTUBAKIという製品は、その名を「なでしこ」でもなく、また「さくら」でもなく、静かな庭に妖艶にたたずむ『椿』をテーマにしています。『椿』は1年を通してその深い緑の葉に光沢を湛え、花は色も形状も個性が強く、豪華に、時には清楚にその花を咲かせます。実はもちろん長く黒髪に愛されて来た椿油を蓄えています。

日本女性の奥深い美と資生堂という企業イメージとを同時に具現化し、多くの人の視線を釘づけにするあのCM。それは視聴者の意識を同じ方向へと導く強さを持ったものと言えます。

コミュニティをデザインするということは群造形に近い感覚だと考えてやってきましたが、方向性をつけるさらなる強さが必要のようです。多様なエネルギーを受け止めることのできる、プロデュース力とディレクション力そしてそれらをありのまま、ビジュアル化するという事が必要のようです。

2009年5月3日

閉じられたコミュニティでNOと言えること

閉じられた、しかも小さな地域のコミュニティの中では、NOを発することが難しいようです。 しかし、同時にそれは、YESとも言っていないことにも気づかされます。密接なつながりとあつれきや思い込みによって、生まれてくるようです。メディアであるはずの新聞社でさえ、そのようであると感じられます。

この、NOとも、YESとも言わないあいまいな姿勢が地域の、そして地方の政策をなんとなく形作っていきます。小さな社会で、その小さな部分しか視野に入らない閉鎖性を打ち破り、 NO、、、あるいはYESと言える環境づくりが地域の活性化には不可欠のようです。

コミュニティシンクタンクの次のかたちは、触媒としての中間媒体から閉鎖性を解放する仕掛けを与えてゆくプロジェクトへ、GATHERING から DIRECTION へと、その立ち位置を広げてゆきたいと考えています。

NOとYESの代弁者として。

思考再開です。

2008年12月23日

地域の病院

病院の経営が行き詰っているようです。

「銚子市立病院 休止のお知らせ

子どもからお年寄りまで、市民の皆様一人ひとりが、健やかに安心して生活するために、地域医療の充実が必要なことは誰もが願うことであります。
市立総合病院は、こうした「市民の命と健康を守る」地域の病院としての大きな役割を担ってまいりましたが、平成20年9月末日をもって一旦休止することにいたしました。
私としては、市立総合病院を公設公営で存続させるべく、医師を確保し続けるための引き揚げ防止や派遣の要請など、関係機関に対しあらゆる手を尽くしてまいりました。
そのなかで、公設公営を含めた市立総合病院の方向性について、知事と会談し、その後、県・市・コンサルタントの3者で協議を進めてまいりました。
この結果、
(1)関連大学などからの医師派遣が極めて困難であること
(2)今後の診療体制のなかで、外科医1名、内科医も1名になることなど、医師の減少によって入院の受け入れや救急対応が困難となり、収入が大幅に落ち込むこと
(3)更に医師の退職が想定され、現行の診療体制が維持できないこと
(4)大幅な経営改善を行っても多額の追加支援が必要となり、市の財政状況では支援が困難であること
(5)年度途中に到来する資金不足に、県の財政支援が受けられないこと
などから公設公営での存続はできないと判断いたしました。
開設者として、市民の皆様をはじめ市立総合病院に関係するすべての皆様に深くお詫び申し上げます。私としても、この苦渋の決断につきましては断腸の思いであります。
今後は、患者の皆様の転院に全力をあげて取り組むとともに、病院の再開につきましても、公設民営または民間譲渡により、なるべく早い時期に対応したいと考えておりますし、市立総合病院の医療従事者のなかには、地域医療に対する使命感と高いモチベーションを持つ多くのスタッフがおりますので、それらのスタッフを、地域医療を支える財産として活かしていきたいと考えております。
また、本市の救急医療につきましては、県の支援を得ながら市医師会との十分な協議を進め、近隣病院への協力もお願いするなど、市民の皆様が安心できる体制整備に奔走していく覚悟であります。
市民の皆様や関係各位のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。 平成20年7月7日                   銚子市長  岡野 俊昭」

5つの休止の理由のうち3つが医師の逃避が原因のようです。

近年は「患者本位の経営」が目指されている中で、医者の労働、研究環境をないがしろにしてきたことのつけでしょうか。

「岡崎市民病院 患者さんの権利と責任
・患者さんは、良質の医療を平等に受けることができます。(適切な医療を受ける権利)
・症状・検査・治療について十分な説明を受けることができます。(知る権利)
・十分な説明を受けた後、治療や検査を受けるか受けないかを決めるのは患者さんです。(自己決定の権利)
・医療機関を選択することができ、必要な情報も受けられます。(医療機関を選択する権利)
・医療上の個人情報は保護されます。(プライバシーが保護される権利)
・医療関係者と力を合わせ、患者さんにも治療に参加していただきます。(医療に協力する責任)
                                  病院長」

嘘っぽさも、責任放棄にも見える部分はありますが、、、、これが責任を積極的に取り込まない一般的な公立病院の姿かもしれません。岡崎市民病院でも赤字経営の問題と同時に医師離れが大きな問題となっているようです。しかも、有能な医師が離れてゆけば、同時に患者も離れてゆきます。離れてゆく先は周辺市町村の優秀な医師のいる病院ということになってしまいます。

ところが、同じ公立病院でも大きな理念ときめ細やかな対応を行っているところもまた多くあります。
兵庫県北部の八鹿病院では、地域医療の再生に向けて、地域の医療ネットワークを整備するとともに医師の働く環境を整えているようです。多くのメディアにも取り上げられています。

http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/

そこには医療のあるべき姿を、とれる姿を、1歩も2歩も踏み込んで、具体的、かつ自分たちの言葉で、考えられています。戦略と戦術のコンセプトがたっぷり含まれていて、とても、おもしろいですね。

強いリーダーシップがあるべき姿を描き出すのだとあらためて感じています。

オープン外来
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=99361badae5463c4e85af41a01c835e9
医療機器の共同利用
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=f2f5c784e9dddd8ba3c13f6c9249a2ec
小児科休日診療(ドクターバンクによる)
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=7b2421b8b4fd6a92e9fcae3d64573673
診察の予約(FAXによる)
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=2b20f0f4bfabc813c8787373a7db493e
救急受診
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=e0cb446422bbd8fa29443bf73d931e1d

また、研修医に向けての広報や
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/kensyui/qa/qa.html
その理念を書いた募集要項、
http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/kensyui/kouki/tokutyo/index.html
患者に向けた意見箱によって、きめ細かな意見にも応えています。http://www.hosp.yoka.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=305f57666e1d053156c3a64b3a6c0b4f


NPO法人「蕗の薹」の理事長である栗木宏美さんは岡崎で、医療行為のできるケア施設設立に向けて、多くの壁にぶつかっています。しかし、この八鹿病院のことを考えると、やりたいことやらねばならないことは何でも出来るように見えてしまいます。

地域にとってのあるべき戦略とそれを実現するための具体的な戦術とに取り組む必要があります。「患者さんの権利と『責任』」など、、、どこにも書いてはいませんね。

2008年12月22日

グリーンスポーツ鳥取

グリーンスポーツ鳥取(GST)の活動は、広場や校庭を芝生化してゆくことでよく知られています。それは、これまでのような日本の芝によるものでもなく、また、これまでの造園手法によるものでもなく、西洋芝の一種であるティフトン芝の苗のポットを一定の間隔で植え、茎が延びてゆく芝自体の成長力によって、つくりあげるものです。数か月で全体が芝生の広場になっています。また、芝生化の過程で、市民自ら集い、芝生をつくりあげるものです。 http://www.greensportstottori.org/lawn/modules/myalbum/

日本各地における芝生化の動きに合わせて、メディアでも取り上げられ、注目を集めています。

しかし、彼らの活動の紹介には、芝生化に多くの視線が集まっていますが、むしろその根本は地域のスポーツ活動の場を提供してゆくことで、地域の運営を進めてゆこうとするもののようです。その事業活動が次のように示されています。

・スポーツの啓発普及に関する事業
・競技者、指導者及びボランティアの育成に関する事業
・スポーツ大会、スクール等の主催及び運営、その受託に関する事業
・地域代表競技チームへの支援
・新しいスポーツの普及活動(ペタンク等)
・幼稚園、学校や企業の運動会の支援
・野外音楽演奏やイベントの支援
・地元住民が企画したイベントの支援(例えば盆踊りや地元祭り)

その場を芝生にすることで、目に見える形で地域の拠点が生まれます。活動の場所となる芝生の広場やグラウンドを作り、その場所の利用を生み出すと同時に、日常の生活の場としても活用する、、、市民が集いつながりを持つための場が必要なのです。

また、ペットの管理やゴルフの練習など社会で問題になっていることを、それを締め出すのではなく、受け入れることで、そのルール作りをすることでコミュニティの再生を目指しているようです。混在することをあらかじめ避けたり、そのような場所を作らないことへ向かう、行政や行政の出先機関NPOのやり方とは大きく異なっています。
多くの地域では市民を豊かにする活動の芽は生まれ始めています、この活動を持続させる場の提供、成熟が今望まれているのではないでしょうか。


それは、GSTではすでに始められていて、彼らの活動の特色に表れています。
・豊かで美しい地域社会は地元住民が行政任せではなく、自らの努力で築き上げることを活動の基本としていること
・県が公有土地を市民団体(NPO)に長期間無償で貸し付けるわが国初の事例であること
・安全に遊べて,スポーツの練習が出来る芝の管理は会員(GSTや傘下クラブ)が自ら作業することで維持管理コストの大幅削減を目指していること
・除草剤などの農薬を一切使用しないで,安全性,環境保全を重視していること
・地域の子供からお年寄りまでが安全、健康的,かつ趣味としてスポーツを楽しめる新しい「地域密着型」の交流拠点を目指していること
・住民が地域社会の主役であるとの自覚を持って、行政官庁としっかり対話できるパートナーシップの確立を目指していること

行政の柔軟な役割も必要ですし、市民の高い意識も必要のようです。

2008年12月21日

円高

円高が進み、日本の屋台骨を支える企業の根本が揺らいでいる、と言われています。


かつて、日本は資源がないから、資源を輸入し、製品を輸出するのであると教えられてきました。製品を輸出する、すなわち、外部社会から利益をフローする、ことで国が豊かになるということでした。しかし、製品を輸出することを優先し、内部の多くの資源を失ってしまったのではないでしょうか。内側からの豊かな利益がかけてしまっていることに今気づいたようです。

経済とは、内側からの利益は同じ経済地域の中ではエンタルピーが変わらないので、利益も経済においては、著しい効果は見られず、外部の地域から利益を導入することで、言い換えれば搾取することでしか、著しい成果を得ることができなかったのではないかと感じています。

この外部から内部へのフロー、を重視することで、内部でのフローが止まってしまったようです。このフローを再び生み出すことが、今見直されています。それは地域に目を向け、これまでのやり方を変え、新たなフローとプロセスとなって現れるものではないかと考えています。地域を拠点とし、地域のつながりを生み出してゆくことで、渦を巻いてゆきます。その一部はベンチャーとなって、社会起業家として、チェンジメーカーとして注目され始めています。

2008年12月20日

官僚組織考察へ

官僚の天下りシステムに問題を提起されていますが、その改革は全く進んでいないようです。
http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200812180387.html

官僚という、ピラミッド型の組織に対して、終身雇用の雇用システムが効果的ではなかったということですね。底辺×高さ÷2が三角形(ピラミッド)の面積ですから、ちょうど半数が不要の人材ということになります。この余剰人員、不要人員をどうするのかではなく、システムそのものの形を考えないといけないのではないでしょうか。

社会ではなく、上司の指示に従いかねない、上意下達型の指示系統型を独立型、協働型、ゲリラ型のシステムに変えねばなりません。ピラミッドからアメーバ―へ。 (ただ、決められた答えを競う国家公務員上級試験から変えねばなりませんが)

ところで、地方の公務員はどのように余剰人員を処理しているのでしょう。

2008年12月19日

地方自治法

地方自治のあり方を表わしているのが、地方自治法であると言われます。

さまざまに書きすぎていると感じられますし、同時に地方の自治については何も書いていないとも感じられます。地方の自治の基本理念が描かれているであろう、地方自治法について少し俯瞰してゆきたいと思っています。

「第一条
この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。 」

その総則の第1編、第1条には上のように書かれていて、地方行政と市民との関係を描いたものではなく、地方行政と国との関係を描いたものであることがわかります。だから、ルーティンワークのことが延々と書き連ねてあるのですね。

また、第2編、2章には住民のことも簡単に描写されていますが、、、生きている生の姿ではないですが、ある程度の権利も描かれているようです。

地方自治法 第二編 第二章 住民

第十条
市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。
住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。

第十一条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の選挙に参与する権利を有する。

第十二条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の条例(地方税の賦課徴収並びに分担金、使用料及び手数料の徴収に関するものを除く。)の制定又は改廃を請求する権利を有する。
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の事務の監査を請求する権利を有する。

第十三条
日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の議会の解散を請求する権利を有する。

日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の議会の議員、長、副知事若しくは副市町村長、選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会の委員の解職を請求する権利を有する。

日本国民たる普通地方公共団体の住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の教育委員会の委員の解職を請求する権利を有する。

第十三条の二
市町村は、別に法律の定めるところにより、その住民につき、住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならない。

2008年12月18日

フリーターからハケンヘ

今話題の非正規雇用社員。派遣社員、契約社員、嘱託雇用など今日、多様な雇用(雇用と呼べるものかどうかは怪しいですが)が問題となっています。

かつて、バブル前夜には、多様で独立的な立場をもった、フリーターという言葉が生み出されました。フリーターとは小杉礼子氏によると 、1980年後半、アルバイト情報誌『フロム・エー 』によって造られた新語であり、初めは「フリー・アルバイター」といっていたが、略して「フリーター」と呼ばれるようになったということです。

フリーター以前、私の学生時代は自らをモラトリアムと呼んでいました。何もしないでいるというよりは建築を目指して、自らの立場と価値観とを模索していた時代でもあったように感じられます。大学院に進み、留学する人も多かったのではないでしょうか。

モラトリアムとは、もともとは経済学の用語で、「支払猶予期間」のことを指すそうですが、心理学の用語として、「大事なことを引き延ばしに引き延ばして、やらない状態」のことをいうようになったようです。しかし、人間のとしての成長の中で社会的責任を猶予されると同時にそれをを育む大切な期間であったと感じられます。

まだ、建築家の修業時代であった私たちは、このフリーという言葉にあこがれたものでした。フリーランス、フリーアーキテクト、それらは私たちの目指したものでありました。

本来のフリーターと現在のハケン、その違いはそのフリーランスたる独立性と強さにあるのではないかと感じられます。

地域での市民活動にもフリーランスが求められています。

2008年12月17日

インターチェンジのごとき駅前再開発

1960年代、ペデストリアンデッキを縦横に配した新たな都市の形が構想されました。

その都市構想の手段は時代遅れとなりながらも多くの地方都市でいまだ作り続けられています。その多くはモータリゼーションを、これも死語になってしまった感はあるのですが、モータリゼーションを中心とした区画の整理(非人間化)によって、人間的な地域の形を破壊してきました。

そのモータリゼーションの行きついた形が、インターチェンジのような車用の道路を中心とした新たな駅の構想となって現れました。名鉄東岡崎駅です。
駅前は新たな区画整理によって作られ、大きな道路に疎外されたアイランドとなっています。この時代錯誤は設計者の勉強不足なのか、企画の側の価値観なのか、自動車関係業者の圧力なのか、、、、、、、。

今この開発の是非が問われています。しかし、論点がゆがんでいます。賛成派はもちろん現在の古く老朽化した時代遅れの駅を変えたい、反対派は街を破壊するような独善的、前時代的な開発を回避したいという思いです。賛成派と反対派との利害が真っ向からぶつかっているわけではありません。

問題はそのやり方なのです。保守的な地域の課題は常に共通しています。
この状況をとりまとめるのではなく、あくまでこのまま前に進めるためにアンケートによる分析も用意されています。しかしながら、広く是非を問うものではなく、狭い視点の中での選択肢を選択するものでしかないようです。アンケートの問いの何番を選んでも結果は変わりはありません。









2008年12月16日

政策プラットフォームに向けて

「地域の代弁者(081125)」で次のコメントをいただきました。

そうですね!!共感します!!!その基盤となるプラットホームはどうやったら構築できるのでしょうか??

プラットフォーム構築に向けて、現在の状況を答えています。

コメントありがとうございます。
コミュニティシンクタンクmoco(http://www.mocomoco.ws/)設立し、実践を開始いたしました。地域の課題に対し、課題を市民の手で解決すべく、その体制を作り上げることではないかと考えています。

現在は岡崎市における課題の一つである「旧本多邸の移築保存の是非」に取り組み、地域の文化資産にかかわる全体構想に取り組み始めました。地域の課題の本質はすべてに共有しているものであり、それゆえ、それは同時に次なる多くの課題に対する第1歩であると考えています。

この構想を、ヴィジョンをいかに市の政策の中に取り込んでゆけるか、、、、構想を実現に移す次の体制作りを思案しているところです。市民組織によって官僚組織のプロセスを、価値観を変えねばならないと考えています。

2008年12月15日

議員の役割

参院決算委員会が開かれていますが、元金メダリストの議員が質問に立っていました。

まず、周辺へ丁寧なくらいにあいさつを行う、これでまず2分ほど。書類を読み上げて、始まりますが、7分ほど数枚のうち2枚は、自分の経歴や、総理の経歴を重ね合わせることで過ぎてゆきます。そして、危機の時こそ、基本立ち返ると言い、競技の基本、公務員の基本、金融の基本と続き、そして、金融対策を総理に「お聞きする」。抽象的質問。ここで7分の総理の答弁。

というより、、、この15分ほどの時間は何だったのだろうか。
基本は信頼、信用、、、、。ここで総理の展開の場となります。この議員の役割は何であったのでしょうか。人と人が対峙していないのです。

そして、この時期にオリンピックにおける日本人の活躍を総理に述べる、、、、、。5分の答弁。この特別の時期に、すべてが金融に集中する必要はありませんが、、、もっと政治に、国民の目線に立って欲しいですね。

そして独立監査法人スポーツ振興事業団の予算の問題へ。ここが本題なのでしょう。しかし、30分ほどの質疑時間のうち、20分ほどがご挨拶程度のレベルのものでした。議員の役割とは何か、国政も地方行政も同じことが繰り返されているようです。

2008年11月26日

シビックトラストへ

シビックトラストいう概念が拡がり始めています。

トラストとはナショナル・トラスト (正式名称は「歴史的名所と自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」 National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)に由来する言葉ですが、それは自然を保護し歴史的建造物を保存するために、広く国民から資金を募って土地を取得し管理を行うことを目的とし、1895年に設立された英国のボランティア団体のことを言います。また、今日ではその運動や理念そのものをナショナルトラストと称することもあるようです。

世田谷区では
1.自然環境や歴史的・文化的環境を保全した美しい風景のあるまちの実現
2.安全に安心して活き活きと住み続けられる共生のまちの創出
3.居住環境を魅力的に守り育む活動やコミュニティの形成    を目的とし、


「世田谷の美しく潤いのある街並みとみどり等の資産を次世代に継承し、地域コミュニティとの連携・協力をさらに進め、環境共生や地域共生の理念に基づくまちづくり」を目指し、財団法人世田谷トラストまちづくりは、2006年、設立されています。(財団法人せたがやトラスト協会と財団法人世田谷区都市整備公社を統合)

それは地域の豊かなまちづくりを目指した、シビックトラスト活動と言えます。

なかでも市民緑地制度が設けられ、世田谷らしさを残す屋敷林や雑木林をまち並みとして活用する試みが行われています。市民緑地とは、都市に残された民有地のみどりを保全し、みどり豊かな環境を未来へ残していくために都市緑地法によって定められている制度であり、

土地所有者との契約によって、維持管理を行い、地域に公開することによって、地域に解放されると同時に、所有者にはみどりの維持管理や固定資産税・都市計画税・相続税について優遇措置が受けられる制度のようです。

世田谷の自然環境や歴史的文化遺産を調べ、世田谷らしいといわれる環境を次代に引き継いでゆく調査研究事業をはじめとし、ボランティアやまちづくりのための啓蒙育成事業を進め、保全からその継続運営へ向けた活動がおこなわれているようです。



シビックトラスト、、、身近な地域の資産を地域を継承するために生かすことが地域に広がりつつあります。

2008年11月25日

地域の代弁者

地方自治が変わり始めています。

古い地方都市には、総代会といった伝統的な地域の代表があり、これまで市政に大きな影響力を持っていたようです。それは地域ごとの利権代表であり、調整役でもあります。また、地域の代表である総代ごとにその情熱や発言力が異なり、継続性や地域の全体性、ヴィジョンを持ちえていないように感じられます。

しかし、今日では、彼ら地域の代表が集まると60代以上の男性ばかりが結集することにもなり、地域の偏った情勢を表わすことにもなりかねないようです。

また、近代的な地域の代表として市議会議員がいます。37万人くらいの地方の中核都市でも、2500票も獲得すれば当選できるくらいであり、当然、支援される地域の団体の利権を代表せざるを得ないのでもあるようです。

しかも、代表としての議員も、当選回数によって、訴える力が異なるという、不合理性を持ち、意気盛んな新人議員も団体に飲み込まれてしまします。もちろん、地域をかけずりまわって、その声を集めている大切な議員もなかにはいますが、一部の議員は市政に巻き込まれ、既成の事実に追随するように議会答弁するようなことにもなっています。とても地域全体の利益やビジョンを目指すことのできる代弁者ではありません。

それゆえ、市民自ら声を上げる時代がそこに来ているのではないかと感じられます。
次は市民の時代であり、市民協働の時代と言われる所以です。しかし、市民協働といっても、行政のおかかえとなっていたり、出先機関となっているNPO を通じて、市民を集め、市民を強制し、結論の決まった、既成の事実へと市民を誘導するだけなのではないでしょうか。

地域の伝統的システムでもなく、近代的システムでもなく、次は市民協働であるという時、市民を誘導することでむしろ行政の独善的市政が行われようとしているとも言えるでしょう。

市民協働の時代において、市民は強いメッセージを発信することが不可欠です。そして、そのための基盤となるプラットフォームを構築する必要に迫られているのです。

2008年11月24日

二度と起こらないために

事故や事件が起こると、責任者や加害者は必ず「二度と起こさないようにする。」と言い、被害者は「二度と起こらないようにして欲しい。」と言います。それは当然の心情ですが、二度目が起こるかどうかが問題なのではなく、、、、まず、一度目の問題を明らかにしておかなければなりません。


「二度と起こさせない」という決意はただ危ういだけのものでしかありません。言葉ではなく、具体的な処方が必要です。

社会にはいろいろのチェック機能が働き、事故や事件を未然に防いでいます。一つの大きな事故の背後には、その何倍もの多くの事故や事件の要因がすでに社会や組織に潜んでいるのだと思います。それらが飽和し、またチェックの網の目を逃れてきたからこそ、ひとつの大きな事故として現れたのではないかと感じるからです。

「二度と事故は起こさせない」   そこでは責任をきちんと問いただすことはめったにない。しかし、「二度目が起こらない」その保証はないはずです。