2008年9月15日

市民の資産

市民会議なるものが開かれます。例えば、岡崎市では旧本多邸を修復し、活用のアイデアを募るという市民会議が招集されたのです。しかし、冒頭から紛糾したようです。市民会議と言えば本来は、つまり市民のための市民によるかいぎなのに何故なのでしょう。

その概要には次のように書かれています。
「目的・概要, 最後の岡崎城主子孫の自邸として昭和初期に建築され、歴史的・文化的価値も高い旧本多邸を復元し、有効活用を図ります。 」

実は現存地であった世田谷区でも保存できなかった家屋を岡崎市が譲り受けて、5億モノ費用をかけて、修復するのですが、今年度は設計と造成を行い、来年度には着工するということです。

ヴィジョンもなく、計画を進める、ヴィジョンがないからこそ、市民ではない誰かの権益で進行してしまうのでしょう。そして進んでしまったものを後から正当化しようとする。そのための市民会議なのですが、、、それゆえ紛糾してしまうのですね。

そしてお決まりのように行政直属のNPOによるワークショップを行い、お決まりの方向へ持ってゆく、、、、。小さな個人の邸宅を丘の上に移築したって、活用の内容など限られてしまいます。幻灯会などでどこか遠くの楽しげな風景を照らし出し、参加者を幻惑しているようです。多くの参加者が霊感商法のように感じています。

ガス抜きのために行われる、と考えざるを得ない市民会議ですが、不満がたまる一方です。

でも、誰が決めたのだ、ということになると行政マンは「市議会が決めたのだ」と言う。市長がトップで決定し、行政マンが実直に従ったものを3ヶ月ほどの検討で市議会は承認したのです。市議会が決めたというのは、語弊はあるのですが、、、、。しかし、議会は、市民はこの状況をどのように考えるのでしょうか。
岡崎市にはかつて繁栄したレンガ造の工場群や煙突、紡績機などが豊かに残されていましたが、この春、解体されることになってしまいました。そうした市民の資産は地域に数多く埋もれているのであり、それらは地域の風土や歴史、文化、生活を豊かに物語っています。どの地域にも数多く埋もれている、そうした資産を活用することによって、目に見える価値を再現するだけではなく、目に見えない価値にも目を向けることになります。
大切な資産を解体に追い込んでおいて、他所の土地の住宅を移築して公園の一角に残してもどれだけの意味があるのでしょう。ヴィジョンがないから、独断専行となり、市民は反対するのです。
全体構想を描いて文化資産を考えて行くとき、市民自ら一体となって価値の発掘に努めることでしょう。それが市民であり、コミュニティシンクタンクの役割のひとつであると考えています。

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