2007年10月31日

商店街の公園計画

岡崎市の中心部、康生通りの中に籠田公園があります。地下は駐車場にはなっているのですが、特に特徴のない、市民の顔の見えない公園のように感じられます。

夏以来、この公園のあり方が問題になっているようで、3年生の学生の課題のテーマとしたところ、多様な視点による公園計画が提出されました。人間環境大学住環境デザイン研究室のゼミ日誌http://jkd-uhe.blogspot.com/2007/10/blog-post_25.html にアップロードしています。


建築士の専門コースを履修している学生も、デザインに興味があり、幅広い視点からデザインを学んでいる学生もいるのですが、彼らは2年生から専門教育を受けているので、1年半くらいで、公園デザインの成果を上げたことになります。こうした成果を考えると、ある程度の準備期間を設ければ市民自ら、多くの市民が協働する必要がありますが、市民によるデザインができるのではないでしょうか。


そうした市民の試みは80年代後半から行われ始め、東京都世田谷区などでは大きな成果も上げています。ヘンリーサノフ著「まちづくりゲーム」にもその実例が紹介されています。

それは、通常多くの行政で行われているような、市民の声を集めながら取捨選択、都合のいい意見だけを選別するような擬似ワークショップではなく、できるだけ多くの可能性から新たな方向を見出そうとする本当のワークショップから生まれたデザイン手法です。

市民による市民のまちづくりを目指すには市民の声と意欲が欠かせません、しかし、その方向がどのような方向へ行っても、まとめあげる能力を有し、どのような方向へ行こうともそれこそが求めるデザインなのだと、考えうる、真に市民をバックアップする本当のコーディネーターも必要となるものです。

2007年10月30日

下山学区推進委員会

岡崎市の郊外、豊田市との境に下山町はあります。近年、岡崎市と合併した額田町のなかにあり、深田正義氏が郷土の歴史をつづった「風・醸す」の最初の項に出てくる古い集落です。

来月、まちづくりに向けた講演会実施のため、2回にわたり、集落の周囲をめぐり、また地元の推進委員会にも立ち会ってきました。

岡崎市の郊外は周囲を山麓に囲まれていて、まちのすぐ、北東部に山が連なり、豊かな後背部が広がっています。緑が生き、水資源地となり、また農業や林業に携わる集落も多くあります。また、車で15分くらいの地域が自然に恵まれたセカンドハウス、避暑地のような性格を持った地域のようにも感じられます。

市街地はこうした豊かな後背地によって生み出されていると言えるのです。(写真の緑と市街地の境界線の中心が岡崎市中心部です。)

下山地区は山が広がり、まちづくりなどという手がかりなどないようにも感じられますが、たった、1時間ほどの会議の会話の中にも意気込みや手がかりを感じることができました。どこにもまちづくり、コミュニティのつながりを作っている「なにか」はあるものです。そしてそれはそこに住まう人が必ず持っているものであり、それを汲みとることがまちづくりの第1歩であるということを再確認してきました。

2007年10月29日

市民の視点と伝統

伝統とは、新しいものを付け加えてこそ伝統である、という歌舞伎役者も多い。そして、多くの(アイデアという意味で)引き出しがその新しさを支えるのですが、何より、観客の要求する目が舞台の新しさを作ると言います。

けっこう斬新なのですね。

観客の目を意識するかしないか、できるかできないか、そこに大きな岐路があります。伝統と言って閉ざしてはいけないのですね。そう言えば小泉時代の劇場型政治を揶揄する人もいますが、やはり観客の目が舞台に新しさをもたらしていたように感じられます。

観客の、そして、すなわち市民のそれぞれの目、こそ、時代を作るエンジンと思うのです。歌舞伎のような古いしきたりの世界ですら、むしろ、古いしきたりの世界だからこそ、新しさを求めて、多様な目を意識するのではないかと感じています。

市民の目、それも古いしきたりの世界を解体する契機となることでしょう。

2007年10月19日

コミュニティシンクタンクの役割

それはデザイナーの役割と同じです。

あるひらめきやインスピレーションで何か面白いもので飾ることがデザインではありません。デザインとはモノの本質を表現すること。相手の考えていることを描いて見せ、共に考えてゆくことがデザインの出発です。



具体的なアイデアを介して語り合う、デザインとはそんな道具のようなものでもあります。相手の欲するもの、その声を聞きながら常に形に表してゆきます。



コミュニティシンクタンクもそのように社会の声を形にしてゆくことがその役割であり、そこに現れた形の中に社会の本質があるのだと考えています。



デザインもコミュニティシンクタンクもコミュニケーションのひとつのあり方なのです。

2007年10月18日

市民マップ

授業でいつも、世界地図を簡単に描いて、世界観を養っている高校の先生がおられます。僕自身も知多半島と渥美半島がくわがたの角のようになって三河湾があるのを思い描けるようになって、愛知県のどこにいるのか、どことつながりがあるのか、自分の居場所が正確に把握できるようになって来ました。 心理学の分野でもマインドマップやソーシャルマップが描かれ、その人のありようを具体的に知ることができるようです。

描いて表してみることが重要なのと感じています。ウォーキングマップもその一環としてやっています。

もっと、まちの地図、マップを描いてゆくべきです。 まちのマップ、その根幹を成すものは、市民活動のマップ、それは人のつながりを描くことになります。人を描くのにもマップが必要となり、それはまた、同時に町の問題のありかも示してくれることになるでしょう。

市民マップが描かれるとき、自分がどこに位置するのか、周りにどのような力になる活動があるのか、障害となるものがどのように存在するのか、自然とわかってくるのではないでしょうか。また、自分自身の居場所がどのようになっているのか自覚することで、活動の視野がもっと大きく開かれることでしょう。

それは市民に支えられたコミュニティシンクタンクの重要な働きであると考えています。

2007年10月17日

文化による活性化

文化によるまちの活性化が言われています。しかし、それは大型ショッピングセンターによる再開発が失敗に終わった後、経済か文化かという幼稚な二者択一の後、今度は大型文化センターによる活性化へとつなげようとするもので、むろん、その先は見えています。多くの町がそんなことは遠い過去に見据えているはずなのに、、、、、、。

文化とは何かというかということは難しい。文化とは何かを問い続けることが重要であるという意見もあるでしょう。しかし、そんなことをしていると市民は疲弊してしまいます。言葉を上げただけで、あとは知らないと逃げてゆくコーディネーターの無責任な発言に振り回されるのも市民です。

迷路のような哲学から逃れ、もっと肩の力を抜き、自然体でできる状況を作る必要があるようです。文化とは市民の発意による、自由で、柔らかな活動の中から生まれてくるもののような気がします。そして、そのような市民ボランティアも数多いです。その活動を規制するのでもなく、また無関心であるのでもなく、背後から支援し、時には舞台に押しあげることが必要であって、それこそがまちを作るのだと思います。

まちを運営するべき組織がやらないのなら、市民自ら行うより他ありません。

2007年10月14日

TQC

1980年代より、建設業界でもTQC(トータル・クォリティ・コントロール)が積極的に実践されました。建設業界、ゼネコンの場合には、多くの専門業者(下請けと呼ばれるものですが、世間で言われる丸投げのようなものではなく、一つ一つの異なる専門の異業種の集積によって建設会社、ゼネコンは成り立っています。)のネットワークのあらゆる部分で、それまでの経験的な現場での管理から、数値による管理へと意識が向けられていました。ゼネコンにとって、現場での不具合は会社の信頼性だけではなく、オーナーの快適性に直結する重大なことでもあったように思います。


品質の向上と同時にそこには、意識の向上が目指されていたのだと思います。それでないと一人ひとりの職員、職人の膨大な量とネットワーク自体の能力を上げてゆくことは不可能に近いからです。

一つ一つのものの品質にこだわったTQCは当然、業務や経営全体の品質向上運動であるTQM(トータル・クォリテイ・マネージメント)につながっています。

TQCやそれを成立させる基盤TQMはどの分野にも必要なものでしょう。自らが対面する一つ一つの品質を高めてゆくことでしか、全体の意識や経営の質を高めてゆくことはできません。

市民の活動の様々な場面で不満を聞きますが、どれほど深刻に伝わっているでしょうか。製造業における品質とはサービス業においては快適性であるはずです。

今、盛んに行われている市民活動、それを支援する(するはずの)行政のサービスにも、市民それぞれの快適性を指標として、それを品質ととらえるTQCの理念が必要ではないでしょうか。

品質の向上と意識の向上が今不可欠です。

2007年10月10日

市民の言葉

裁判員制度が導入されることで、法廷の中の世界も変わってくるようです。市民に説明をする、理解を求める必要があることから、法曹界の言葉を視覚的に表わし、日常の言葉を使用するようになる、、、。

かつて、弁護士の書く答弁書を読んだことがありましたが、でも何が書いてあるかよく理解できません。それは事件の事実を明らかにするためのものですが、まず、書き方というものがあるらしいと感じます。

しかし、事実を追うなら時系列の比較表を作るとか、状況が複雑ならば、表やモデルする、などし書き方を、表現方法を変えれば、事実など簡単に証明できると思ったものでしたが、弁護士は既成の書き方を変えることはなかったようです。

言葉は思想そのものだし、書くこと、表わすことは思考のプロセスそのものと思うのですが、そのわかりにくさは、閉鎖性をあらわすものでしょう。組織のあり方は表現する言葉の使い方にも現れてくるようです。

しかし、その閉鎖性社会、といってもどの社会も閉鎖性を持っているものであって、他の社会と交わることで初めてその閉鎖性が実感できるものではないでしょうか。

他の社会と交わることができる柔軟性を持っているかどうか、そしてその時どのように対応できるかが、その社会の価値となることでしょう。

まちの言葉、条例や規約、あるいは通達、また本来想像性あるべき企画書なども硬く古めかしいはずである。それら、まちを語る言葉を市民の言葉で語ってみてはどうだろうか。また、市民の組織を役所の一部署として向かい入れてはどうだろうか。

必ずや、やわらかく、わかりやすく変わるはずである。市民の言葉で語り、市民のやり方を受け入れる、ここにこそ、協働の意味があり、協働の機会を生み出してゆくことこそ、コミュニティシンクタンクの役割があると考えています。

2007年10月9日

報道の大切さ

前線でがんばっている無名のジャーナリストが倒れて、はじめて真実が見えてきます。彼らによって世界には多くのまだ見えていない非合理な、非人間的な(ただ、合理的、人間的といっても様々ですが)状況があることや、また逆に僕たちの目の前から消えてしまった大切なものを知ることもできます。

ジャーナリズム、この暗部も明部も照らしてくれるジャーナリズムの精神が必要です。僕たちの遠いところでは、ジャーナリズムの使命を帯びた一握りの特別の人たちが命をかけています。

ジャーナリストの目が外に向けられてゆく中で、他方、僕たちの身近な周りの社会でも、むしろ非合理性や非人間性がいたるところで横行しています。僕たちこそ、自分たちの周りに見える、その真実を知ることが必要です。

それは一握りの特別の人たちによってもたらされるものではなくて、コミュニティにおいては、人、ひとりひとりの活動の中から生まれてくる、活動の現場の中に見えているのではないでしょうか。

市民一人ひとりが活動するなかで、様々な問題を抱え、そして、時は挫折し、また時に突き進み、社会に貢献する、その経験がまちのジャーナリズムになるのです。

そうした真実の情報は市民にとって重要なものですが、本当は行政にとってもかけがえのない情報であるはずなのです。それは真摯に耳を傾けるべき顧客の声なのですね。

その声を明らかにすること、そのために、コミュニティに潜む、このそれぞれのジャーナリズムを終結することこそ、コミュニティシンクタンクの役割ではないかと考えています。

2007年10月3日

商店街の悩み

10月1日から始まる「駐車監視員による、路上駐車取り締まり強化」があって、商店街での駐車が問題になっています。商店だけではなく、まち全体の活性化にも大きくかかわることです。

店の前には駐車スペースが買い物客に必要だという意見、対して路上駐車は数分でも迷惑で危険だという意見。、、、、、、、、、制度上、当然後者に軍配は上がります。
このように考えてゆくと、駐車場はまとめてどこかに確保するしか商店街の人たちには道はありません。現実にも、(地下も含めて)まちのある部分にまとめて大きな有料駐車場がつくられています。地方都市ではこの駐車場が不可欠でしょう。
しかし、現実と制度があっていないから悩みは尽きないかもしれません。

これはOKACOMMUという岡崎市にあるネット上のコミュニティでの議論です。とても身近な視線で議論が沸きあがり、とても心地よいです。たぶん、こうした市民による本当の意味ある議論が今必要とされているのだと思います。

横浜に元町という有名な商店街があります。小さな道路に面しただけの商店街だったのですが、彼らも活性化のために、30年前からいろいろな試みを行ってきました。








彼らはまず、自分たちの店の1階部分だけを削って、歩道をつくりました。2階はそのままなので雨にぬれない歩道です。すべての商店が同じように歩道を提供しないといけないので、簡単なことではなかったと思いますが、この安全な歩道は商売を進める上で不可欠のことだったようです。

その後、道は一方通行となり、歩道に面して片側にパーキングメーターが置かれ、周囲にはベンチやストリートファーニチャーが整備されました。パーキングとファーニチャーが交互に置かれ、車で来て、店の前で降りてショッピングする、周辺も歩いたり、休んだりでき、楽しいみちの空間が生まれています。

ひとつのきっかけでまちは生まれ変わると思います。その意見を切り捨てないことですね。路上駐車をさせるかさせないかのような画一的な議論ではなく、それらを総合する、総合して新たな方向へ進む必要があるようです。
この総合性を展開できる柔軟さと想像力がまちには求められているのだと思います。市民の柔らかな議論からは何かが必ず生まれるに違いありません。

2007年10月2日

指定管理者という名の公営化

指定管理者制度とは、また、きめ細かなサービスや人間的なマネージメントを市民に提供するのがその本来の理念であり、同時にそのことにより、民間企業や市民運動の活性化も達成されるのです。

しかし、その理念から果てしなく遠ざかるような制度の運用がどこでも見受けられます。本来の豊かな業務を実践するためではなく、コスト削減のためだけに行われているのだと批判もされていますが、もっと隠された大きなデメリットもあるのではないでしょうか。


それは民営化といい、指定管理者制度をとりながら、管理や運営を行政の外郭団体や行政と見まごうNPOに委託されています。

市民ホームや公民館、市民センターなど、まちにはコミュニテイの拠点となるべき施設が数多く点在しています。しかし、こうした施設のそれほどの部分がまちやコミュニティの自治として、運営されていることでしょう。


こうした方向は運営資金も不透明だし、ましてや拠点としての積極的な使命などどこにないだろう。

管理といって、ほとんどが日常的なメンテナンスだけを行い、新たな業務をつくりだしていないのではないでしょうか。



こうした、怠慢がコミュニティの運営力、企画力、実行力を衰退させ、まちを解体して行くのです。一方でまちの自治を衰退させ、一方で市民協働の名の下に市民活動をあおり、管理下におく。

市民とまち、本来の理念を目指すことができれば、必ずうまくゆくのではないでしょうか。

2007年10月1日

指定管理者という名の民営化

東京では多くの、そして多様な劇場が開館を迎えているようです。


中でも、杉並区高円寺に300席の小劇場を備えた「杉並芸術会館」は2009年春に開館の予定ですが、区内在住の演劇人による非営利組織(NPO)が指定管理者となり、「杉並ならではの文化的個性を備えた劇場」を目指すようです。


これまで公的施設においては行政やその外郭団体により運営が行われてきたわけですが、管理運営制度が改革されて、行政から指定を受けた民間の法人にも公的施設の管理運営を委託されるようになりました。

高円寺会館のような新しい演劇空間には柔軟な運営と豊かな企画力が不可欠であり、総合的な事務的能力ではなく、また、舞台装置や照明装置の管理など専門的な能力でもなく、新しい企画や展開性をつくりだせる能力とセンスが必要とされるからではないでしょうか。


このように劇場では企画や運営を期待されて、新たな民営化組織が要求されてきている一方で、逆に図書館の民営化とは、これまで管理運営を行ってきた司書という専門職員を排除して、大手の販売管理会社への丸投げであることが多いようです。


劇場と図書館、この違いはどこにあるのでしょうか。

図書館を本の管理を行う専門的業務の場と考えるからではないでしょうか。だから、本の管理会社でいいのだという安易な考えが生じしてしまう。

劇場が舞台装置や照明装置の管理場所でないように、図書館も本の管理の場所ではありません。そう考えるとき、司書という独自の豊かなオリジナリティを持った職能が見えてくるはずです。


そのオリジナリティを見つけることこそ、公募することこそ、民営化のもっとも大切なことではないでしょうか。

2007年9月28日

問題のありか

多くの問題がどのように自らにどのようにマイナスになるかは容易に判断がつくかもしれませんが、しかし、その問題が何なのか、を客観的に見極めることは難しいものです。


特に、マスコミやメディアも簡単に騒ぐ、結果的にあおることになることも多く、問題にはとにかく非常に敏感になるものです。しかし、敏感になることで、あるいはもう少し言えばヒステリックになってしまうことで、見失うものも多くなってしまいます。



例えば、行政の問題。さまざまな不満があることでしょう。しかし、それが何に、そしてどこに起因するのかはっきりさせることは難しいことです。市民からは、相手がどのようになっているのかはわからない、複雑怪奇な組織に見えてしまっているのではないでしょうか。そして、何より、行政自らが巨大な組織において、何がどのように運営されているか、内部の人たちも、誰も全貌をつかめてはいないのではないかと感じられます。

例えば、歴史や伝統の問題。伝統だからとアンタッチャブルな領域もあるでしょうし、歴史は大切にしなければならないのは明白ですね。しかし、守るべきか新しく突き進むか、この判断は難しいものです。何のための、誰のための歴史なのか。

例えば、制度の問題。目的を果たすために制度がつくられます。すると、制度を守らせることが目的となってしまい、制度を目的に合わせて修正してゆくことが忘れられてしまいます。

2007年9月25日

図書館長公募

長野県小布施町で図書館建設の構想があり、建築計画と同時に、図書館長が公募されています。

小布施町は長野市から長野電鉄で30分ほど北へ行ったところにあり、30年ほど前から、地元の事業家が地元の建築家宮本忠長氏と共に、古い町並みの雰囲気を生かし、展開しながら新たな建築を整備し続け、いい町の雰囲気を持ち続けています。すばらしいまちです。

ここで、新しい図書館建設が進められており、構想が出来上がっています。これから。建築家が選定されるところですが、同時に図書館長も公募されてます。図書館づくりには有能な建築家と図書館長が不可欠なのです。

以下が応募要項です。30歳以上をターゲットに募集されているようです。有能な、創造力あふれる人材は来るでしょうか?
任期付というのはどこでも採用されることが多くなりましたが、3年はちょっと???。
また、給与はどんなものでしょう。
どの程度の権限があるのでしょうか。

「新しい図書館長の募集について交流と創造を楽しむ、文化の拠点となる図書館(交流センター)にするために、中心的に従事する館長の役割は大変重要です。

小布施町では「新しい小布施町立図書館」基本構想を策定し、「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」を4つの柱として、それらを具現化する方法など準備段階から館長に関わっていただきたく考えています。図書館(交流センター)の果たすべき役割や理念を大事にし、運営に積極的に取り組む、意欲・熱意のある人を募集します。
□募集人員 図書館長 1人
□応募資格
 (1)年 齢 昭和53年4月1日以前に生まれた人
 (2)住 所 採用後小布施町内に居住できる人
□勤務条件
 (1)勤務地 小布施町
 (2)給料等 月額376,000円(他に通勤・期末・業績・寒冷地手当あり)
 (3)勤務 日数:定数内職員(一般職員)と同様(休日は不定期)時間:週40時間でフレックスタイム制
 (4)任用期間 平成19年11月1日~平成23年3月31日※任期満了後、更に2年延長の可能性があります。
 (5)その他 年次休暇等は定数内職員と同様
□試験内容 小論文と面接試験を行います。(履歴書、小論文による書類選考後、面接試験を実施)
 (1)小論文 題目「私ならこうする、協働のまち小布施の図書館」※400字詰原稿用紙3枚程度で10月15日までに願書とともに提出してください。※書類選考合格者には10月19日、本人あてに電話で通知いたします。
 (2)面接試験 平成19年10月22日(月)※試験会場時間等の詳細は書類選考合格者に追って通知いたします。
□応募方法 下記のものを願書受付期間中に持参または郵送してください。(郵送の場合締切日必着)
 (1)申込書 教育委員会にあります。(町ホームページからもダウンロードできます。) (http://www.town.obuse.nagano.jp)※「志望の動機」を必ず記載してください。
 (2)履歴書 市販のもの、写真付き
 (3)小論文□願書受付期        」

2007年9月22日

非営利組織の経営

組織に大切なもの。それは活動をある方向へ促すもの、すべてが同時に合理的に、効果的に動いてゆくための戦略ではないでしょうか。

そして、それは、非営利組織だから、利益追求を第一としないからこそ、忘れられがちです。ここに、活動非営利組織に運営、経営という概念を与えてくれた考え方があります。

P.F.Drucker 。
彼はアメリカ的と言われる非営利組織を日本にも古くからあると指摘しています。寺やPTA、各種の法人組織、、、、大学、病院、役所。
図書館や美術館も非営利組織と言えますね。

ミッション、ビジョン、イノベーション、マーケテッィング、リーダーシップ、、、そしてファンド、、。しかし、それらはまだまだ日本では一般的ではないようです。利潤を追求する、生きるか死ぬかを争う企業には当然備わっているべきものが、忌み嫌われているようです。 そこには経営的視野、つまりマネージメント能力が排除されています。

募金というボランティア業務も日本では認知されていないでしょう。しかし、そのような行為さえも、市民、支援者一人ひとりにビジョンをメッセージとして伝え、一人ひとりとつながるものであり、マーケットが何を期待しているかを敏感に感じ取る大きな機会なのであり、それはメディアを通じたメッセージ伝達ではとてもなしえない重要な戦略であるのだそうです。


それは市民という抽象的な全体ではなく、市民一人ひとりという考え方につながる、マーケットとビジョンを密接につなぐ戦略を生み出す役目を果たすものなのでしょう。

2007年9月21日

クライアント

クライアント、古い建築の世界では施主とも言われます。若干ニュアンスが違うように思いますが、クライアントと呼ぶほうが、クリアでオープンで広がりがありそうです。

私たちはクライアントから期待を受けます。だから、クライアントのニーズを実現することが業務であるかのように思われます。もちろん、クライアントの利益は守る必要がありますが、そのニーズに従うというより、「ニーズを発見する」ことが重要なのではないかと考えます。それは既知のニーズだけではなく、まだ見ぬ新たなニーズが求められているのだろうと思うのです。

それはクライアントの今に存在するというより、少し未来に隠れていると言えるでしょう。

まだ見ぬものを具体化することはとても困難なことで、想像力が不可欠ですね。だからこそ、そのためにはクライアントの声を徹底して聞く、ことが必要となるのです。聞いて、今の自分が取捨選択するのではなく、未来の自分が考え、未来のクライアントが評価するのだということを想像すべきなのです。

それはまちにも同じようにいうことができるでしょう。まちの今を語るためには、まちの少し未来を見極める必要があるのであり、そこに想像力という見えていないものを描く力が要求されるのです。しかし、その見えないものとはクライアントのすぐ後ろに隠れているものなのではないかと考えています。

僕たちにとって、まちにとって、クライアントとは人そのものと言えます。

2007年9月20日

法令順守

今、コンプライアンス、法令順守ということが盛んに言われます。法を守るということは大切なことですが、このことにより法に沿っていればいいというようになることも逆に心配です。つまり、法に沿うというマニュアル化が問題です。法とはそれほど完璧に何から何まで決めてあるものではありませんし、仮に事細かく決められていれば、それに沿うことも非常に難しくなります。少なくとも人間性が失われてしまうのではないかと感じます。

かつて、まだ国鉄時代に順法闘争という労働争議が行われていましたが、それは、厳密に法に従うととんでもないことになるという、何が悪いのかわからなくなるような行為でした。法が悪いのか、人が悪いのか。

僕たち、設計事務所はとてもまともな労働状況で働いてはいなかった、ものづくり優先、人よりももの(ここではデザインのアイデア)優先で進んでいましたので、ちょっと手を抜こうものなら、冗句で順法闘争だとよく言われていました。

こうした、「法」はさまざまに身近に存在しています。そして、その法が大きく振りかかって、身動きが取れない状況に落ちることもよくあることです。

法や約束事に縛らないことも、豊かなマネージメントをする上では考えねばならないことですね。法など吹き飛ばすほどの戦略が求められていると言えます。

2007年9月19日

個と公の関係

ホールやラウンジの片隅に電話を設置してあるスペースがかつてどこにもありました。しかも、周りから見えないように、しかし、その場所がほのかにわかるように、また、話す人の声が隣に直接響かないように、そのデザインには、工夫を凝らしたものでした。


しかし、今や携帯電話の普及でそうした個を露出させないような奥ゆかしさは陰を潜めてきました。

先日、東京への帰りののぞみの中はまるで新橋の飲み屋のように(実際に新橋で飲んだことはありませんが)、仕事(出張)帰りのサラリーマンの憩いの場となり、個が、プライベートが前面にでてきていました。

最初に話し出した二人組の話はやけにプライバシーが気になったものですが、また、うるさいなぁと思ったものでしたが、そうした会話が車内全体に広がるにつれて、気にならなくなり、むしろ活気のある、ピンクノイズのように心地よい空間を作り出していました。そこには静かに本を読む人も、仕事に疲れて休む人も含めて、多様な生活、活動があふれていたはずです。

パブリック、人の集まる公の空間とは、つまり町や広場や街路や、、、私たちの身近な多くの空間がパブリックと考えられていますが、程度の差はあれ、それは個の空間の重なりでもあります。また、それは音だけではなく、においや視覚情報、空気、雰囲気なども重なり合った壮大な世界となっています。


そうしてこそ、抽象的な、無性格な空間ではなく、魅力ある身近な公的スペースが生まれるのではないでしょうか。そこに、市民の集まる意味が出てくる。それがパブリック。

そのパブリックな空間を程よく、関係付ける、バランスをとるのがコミュニティであり、文化であるのだろうと考えています。ピンクノイズのようなパブリックを目指して。

2007年9月18日

入り口としての図書館

静岡市の図書館をよくする会(草谷代表)との交流の中で図書館協議会の代表を努める平野雅文氏とお会いしました。静岡では図書館行政において、同じビジョンを持つ、多くの同士がいろいろな側面から協働することで、大きな成果を挙げています。

彼らの主催する昨年度の講演会の資料を聞かせていただきました。
ひとつは平野氏の「動物園の入り口を、図書館と考える」、もうひとつはこの平野氏と阿曽千代子氏、常世田良氏の鼎談、「図書館って本当に必要ですか?」と題する講演でした。

平野氏は、動物園へ行くときに、いろいろと情報を調べていく、書籍や絵本、音の入ったCD、写真集などから動物園を想像してでかけていくそうです。用意周到、知識欲の旺盛な方です。つまり、いろいろな情報から「仮想動物園」を描いてゆくことで、本物の動物園以上の大きな楽しみを堪能されているようです。

彼にとっては、図書館とは仮想の動物園であり、同時に仮想のさまざまな可能性を持ったものなのです。入り口としての図書館の向こうには膨大な世界が広がっている、使いようによっては膨大な活動の場所となるのですね。

すべてのものに、こうした入り口を考えてゆくとき、多様に積み重なった豊かな図書館の働きが見えてきます。今、仮想の膨大な可能性を自ら狭めるのではなく、広げてゆくことが必要のようです。

社会と自分との接点はいろいろとあります。社会へ入る入り口、をみつけること、そして用意しておくことがとても重要なことです。そのひとつが動物園である。

でも動物を語りだす時の彼の熱意は、それはもしかしたら図書館の司書ような役割を持ったものと感じられました。

読むための図書館ではなく、「語ること」 そこにこそ図書館の使命があるのではないでしょうか。

2007年9月11日

組織の意思

報道番組はどこのTV局でも力を注ぎ、それぞれ、独自性を持っています。一人のキャスターの個性がその方向性を描いているようにも見えますが、キャスターをプロデュースし、番組の方向性を生み出している、生み出し続けているバックオフィスが大切なのだと思っています。そのオフィスの中にこそ、リーダーが存在し、チームでの活動の中から独自の政策が生まれてくるのではないでしょうか。

一人の個性や演技によって作られるのではなく、その背後の集団の能力によって、大きな活動が推進されることが不可欠のようです。

かつて、硬直化した大きな企業は部門を越えたプロジェクトチームやプロフィットセンターをつくり、独立させ、自律させ、自らのイノベーションを行いました。

今こそ、そうした組織体の中にあってメリハリのある、独自の政策を生み出せるチームを抱え、育成する必要があるのです。それは行政や大きな組織体のトップではなく、実際に活動の中心となっている中間的な組織、行政でいえば、図書館長、企画課長、市民協働課長など、中間的リーダーに不可欠とされるものになります。

単純な一方向的な組織体ではなく、考え、行動する組織体、組織としての図書館長によって、どのような館長が来ようとも豊かな活動が保障されるのではないかと考えています。逆に言えば、組織としての図書館長が自ら館長を厳選すればいいのです。

それは誰がどのように入れ替わっても存在し続ける「モー娘。」のようでもあります。

2007年9月10日

リーダーシップ

昨今、ボトムアップということが言われます。とても、心地よい言葉であり、社会にとっても、組織にとってはとても大切なことです。それは組織がフラットで横につながる、とても創造的な組織といえるでしょう。


僕の身近な組織や社会にも、ボトムアップといわれ、一生懸命に動いているスタッフが大勢います。誰が責任を持って将来を見据え、今を語るのか。そこが問題なのではないかと考えますが、しかし、このことによって、責任者がいなくなってしまったかのようにも感じます。責任といっても職を賭してという意欲のことを言ってるのではなく、自らの行動をどのように評価し、次の一手をどこへ向けるかという実践的な側面が大切なのです。

リーダーが将来像なく、スタッフへやるべきことを丸投げし、同時に責任をも丸投げしているように感じることもしばしばです。それをボトムアップといっていないでしょうか。

ボトムアップで、任されたスタッフは意欲にあふれるはずですが、しかし、大変な責任を負っているはずなのです。この部分が中途半端になっている組織は多いですが、ここからはビジョンは生まれてこないでしょう。

大学という組織もそのような中途半端な組織ですが、また、行政も同様にそのようなものではないかと感じています。リーダーシップが必要とされながら排除されているのです。でも、個々のリーダーシップ、そしてそれを束ねるリーダー、今どちらの組織にも必要なのではないでしょうか。

2007年9月7日

縦割り組織をつなぐもの

役所で担当してくれる部署が見つからず、結局なにも出来なかった経験のある方は多いと思います。行政だけではなく、大きな企業においても同様かもしれません。

「私は三年前から二月二十二日のランチタイムに市役所の職員の方及びお昼にたまたま市役所に訪れて下さった市民の方に向けてロビーコンサートをしていますが…、第一回を行うのは、とても大変でした。ロビーは、どの課が担当するのかが解らず、まず生涯教育の講師登録をさせて頂いているので、生涯教育課に相談に行くと→コンサートだから広報へ→と言われて広報に行くと→建物の使用許可は財産管理課へと言われ→財産管理に行くと、ロビーにも、色々あって、正面ロビーは複数の課が管理しているので、たぶん駄目ですが、奥の情報ネットワークセンター、一階ロビーはIT課が管理しているので、IT課へと言われ→IT課に行くと、ロビーの使用には財産管理へと言われ…でも今財産管理からIT課に行く様に言われたと…、生涯教育から始まって、あっちこっちと言われて、いったい何処でどなたに伺えばよろしいでしょうか?!と…くたびれてしまった私は、せっかくお話しを聞いて下さってるIT課の当時係長さんに、半ば怒って質問した所…『あちこちへと…それはお気の毒に…解りました情報ネットワークセンター一階ロビーでしたら私の判断でお貸ししましょう(^-^)vと、話が決まり、千人のハープコンサート予定の2016年まで毎年、行える様になりました(^-^)v」

というような大変な思い、理不尽な思い、半ば不信感のような思いを感じた人も多いでしょう。しかし、むしろこのような経験を通してこそ、行政の複雑な(というほどではありませんが)分業システムに風穴を開けることが出来るのではないでしょうか。

長年積み重ねられた旧態然とした役割の分担では扱いきれなくなってしまった行政の縦割りをつなぐもの市民独自の多様な活動ではないでしょうか。この有能なIT課の係長さんのおかげで一つの活動は日の目を見たかもしれませんが、実際には各課が反発し、衝突した方が次ぎにつながったかもしれません。

しかし、このことはどのような組織や企業でも同じかもしれません。
進んだ企業ならば、プロジェクトチームを作り、新たな遊撃的なチーム、たとえばプロフィットセンターがつくられて、各部門を超えた業務が推進されたことでしょう。

まちづくりにおいては市民の部門を超えて、内部に入り込むことによって、つないで行くしか道はないのです。ここに、真の市民と行政との協働の意義があるのだと感じています。

2007年9月4日

メディアの役割

メディアとは、MEDIUMの複数形であるMEDIAのことであり、それが示すとおり、中間に位置するもの、媒体を表わしています。しかし、この中間的立場にいることが非常に難しく、試験体、被写体、に大きな影響を与えてしまうことはよく言われている問題でもあります。


昨今のメディアの報道や取材においては異常な状況が生じていますし、また、たとえ、メディアが客観的で無色透明であったとしても、逆にその価値を見出すこともできないのではないかと感じられます。生の姿を描写すること、それがとても難しいと感じられます。


メディア、媒体とは中間に位置するというだけではなく、少し視点を変えると、何かと何かをつなぐことが重要なのですね。では何をつないでいるのでしょうか。メディアが成熟すればするほどわからなくなってくることもしばしばです。新聞社はそのスタイルが昔のあまり変わらず、伝えたいことはシンプルに見えますが、TVは多様化が進み、その主張はあいまいになっているように感じます。


メディアのこちら側には視聴者がいて、市民や国民があり、向こう側には社会や情報が潜んでいると言えるかもしれません。ただ、メディアの向こう側にある存在を社会や情報であるというのは簡単ですが、何を、どのように伝えるか、伝える側の姿勢がメディアの、そして同時にコミュニティシンクタンクの課題でもあると考えています。

2007年9月3日

図書館とまちづくり

図書館づくりとまちづくり、そこにはただならぬ関係の存在が見えてきます。

図書館づくりを真剣に考えてゆくと、地域に浸透するネットワークを考えることになります。市民一人ひとりに情報を提供するのだという強い姿勢が図書館の生命であり、そのことによって逆に図書館には町のさまざまな情報が集積することにもなるのです。

また、生涯学習拠点や福祉施設や病院においても、どのような施設においても、あるいは組織においても、同様に、市民一人ひとりを考えてゆくことで、そのつながりの中に組み込まれてゆくことができるのでしょう。市民一人ひとりとつながりを持とうとする時、そのつながりによって、まちのつながりの中に組み込まれてゆきます。

だからこそ、図書館を考えることは、まちを考えることであり、それはCITYHALLを考えることにもなります。(庁舎というべきですが、日本にはそのほとんどが行政上の手続きを行い、管理業務を行うだけの事務所であるので、行政本来の、また市民本来の活動拠点としての庁舎が必要と考えています。)

図書館とCITYHALL(庁舎)のあり方は共通の方向性を持っているのではないと考えるようになりました。また、同時にそれは図書館長と行政の長(各部署の責任者くらいの意味ですが)の役割にも共通することで、マネージメント力、プロデュース力を発揮できるそのしくみと場が不可欠です。

一人ひとりの市民を考えてゆくとき、中央、周縁、拠点、移動、訪問、さまざまに必要となる形態が展開してゆきます。それが図書館の基本であり、同時にそれはまちづくりの基本であると感じられるのです。

未来の図書館の形を考えるとき、同時にまちのあり方、まちづくりのあり方をも提言することになり、そこに社会的な役割が生まれてくるのではないかと考えています。

中間性媒体としての図書館長

前原の辻氏を訪れて、今回も2つの図書館を訪問しました。
前原市図書館は辻氏が活動して生まれた図書館です。図書館自体はまだまだ、小さく、これから新たな運動を進めてゆくということですが、ここには、参考なるネットワークが作られていました。
公民館を中心に、その一部を市民が借り受ける形で小学校区ごとに文庫が開かれています。地元の活動家が長い間の活動の中で育んできたもの、地域の均衡化のために望まれて生まれたもの、その出発点はそれぞれですが、連絡協議会儀によって、横にも、図書館ともつながれているようです。
その将来は困難な問題も抱えているかもしれませんが、市民の独自の図書館の将来像となる萌芽を感じてきました。
また、伊万里市民図書館、犬塚まゆみ館長にお話を伺ってきました。質問事項をいくつか用意し訪問したのですが、お会いした途端、細かな質問より、犬塚氏ご自身の考えを聞きだそうと方向を改めました。


すばらしい図書館にはこのような、しっかりした考えとそれを語ってくれる館長がいるものです。また、いづれも、訪問者を暖かく迎えてくれます。今回も時間を忘れるくらいに語っていただきましたし、私たちの考えもじっくり聞いていただきました。
彼女はもちろん、伊万里市の市職員です。しかし、言葉の端々には、行政と図書館と市民という独立した図式が感じられました。その言葉通り、今やどこの図書館の悩みである非常勤職員の任期を行政と闘い20年としたそうです。
こうした背景の下、リーダーとして、スタッフに考えさせる余地を残し、スタッフを育てながら図書館運営が行われています。

また、伊万里市民図書館の館長室は貸出カウンターのすぐ横、ガラス張りの部屋になって、誰でも入れるようになっているし、また、全館を身近に見渡せるようになっています。館長室が前線基地のようになっているのです。



しかし、このように闘っている館長は多くはないようです。むしろ、行政を代弁し、職員としての立場を守り、市民と闘っているのが多くの図書館長なのではないでしょうか。

予算を確保する、やりたいことをやる、スタッフの待遇を確保する、、スタッフを育てる、選書を自ら行う、、、、、など。つまり、図書館長もひとつの中間性媒体として、独立した行動をとっているのです。そうした図書館長の下にこそ、本物の図書館は生まれるのだろうと思います。



こうした本物の図書館こそ、まちのさまざまな情報が集まり、拠点となって、まちをつないでゆくのです。
それこそ、図書館。
市民が図書館をつくると言いますが、しかし、図書館長こそが図書館をつくるのです。

2007年9月2日

中心と周縁/前原記

いくつかの仕事が重なっていた8月の後半、図書館活動家で、真夜中の図書館の著者、辻桂子氏と交流を進めるため、福岡県前原(まえばる)市を訪問しました。 前原市は福岡市の中心部から地下鉄空港線で約40分くらいの位置にあります。今は福岡市のベッドタウンにもなっていますが、近くの糸島は僕自身はずっとあこがれていた「海の階段」と名づけられた篠原一男の設計となる住宅があることで記憶の中にあったところでしたが、入り江や半島が重なり、別荘地やマリーナが点在する豊かな景勝の地で、 居住環境としてもすばらしいところです。












前原市は後背地を山で囲まれ、そこから地形の流れが中心部から半島の平地部へ、その先の海も感じられる、すばらしい町でした。山側はベッドタウン化による宅地化が進んでいますが、その流れが今中心部の高層マンション乱立へつながり始め、この前原も町の将来構想を考えるときが来たように感じられます。山から海への大きな流れをこの開発が台無しにしているようです。町の中心地に立つと地形の流れに沿って、風の道を感じることができます。

町の特性を見極める必要があるのですね。 中心部と周辺地、海に向かって広がる周辺地をどのように関係付けるか、同時に地元住民と新規住民のコミュニティをどうつなげるか、問題のようです。

辻氏は前原市で長い間、図書館建設活動を進められて、小さな図書館建設後も更に図書館のあり方を研究されています。

図書館のあるべき形、前原市での図書館の構想、そうしたものを語るうちに、それは町自身を語ることが必要になることがわかってきます。図書館もその姿を変えつつあります、変えてゆかねばなりません。しかし、それをしっかり考えることがまちづくりにつながるように改めて感じてきました。

中心部、周縁部、そのまちのつながりをつくるのは、そうした多くの市民を受け入れる図書館ではないでしょうか。

新しい未来の図書館を形づくる構想が協働で始まりました。

2007年8月19日

阿久悠の世界3/詞のできあがる時

阿久悠はスタジオでの録音によく立ち会ったと聞きます。歌の完成をいつと考えていたか、がよく現れている行動です。作詞家にもかかわらず、彼は声を出た瞬間に、歌ができあがるのだと考えていたのではないでしょうか。


言葉としての詞とはイメージの共有のための手段でもあり、「上野を出発し、今ともに青函連絡船で函館に渡る」というイメージを共有させられた時から、詞は、歌は、誕生するのではないかと感じるのですが、言葉の意味することだけで終わらないところがただの作詞家ではなかったと言われるひとつの原因ではないでしょうか。

言葉の本質。それは「あー」、「いー」、「うー」、「えー」、「おー」、、母音を発すること、あるいは叫ぶことと言われます。それは、また、言葉の原点です。この母音は、詞の言葉の中には表されませんが、この母音を声として発することが歌にとって重要なことではないでしょうか。

言葉やメロディによって伝えられる情景や情感などよりも、この身体の奥底の叫びのような言葉を発することが歌の本質です。その身体の奥底の叫びを聴かなければ、感じなければ、歌にならないのだと阿久悠は考えていたのではないかと思います。

それは演歌だけではなく、ポップスも彼にとっては同じことだったのです。大人の歌手には大人の叫びを、少女の歌手には少女の叫びを求めていたのだろうと思うのです。詩を作る作詞家ではなく、歌を歌わせる作詞家だったのですね。

「あなた、お願いよ~お~、席をたたないで~え~。息がかかるほど~お~、そばに居て欲しい~い~、、、」(岩崎宏美 ロマンス)

言葉を発する本当の意味を社会に伝えたかったのだと思う。それが詩ではない、詞と歌の魅力であり、それでこそ、世は歌につれと言われるのだろう。次の世を予見することは難しいが、それは今を歌うことでしか、生まれてこないように思う。

そして、この身体の叫びのなかにこそ、歌の真髄がある。建築も発想のなかから誕生しますが、それはつくってゆく現場のなかで本当の姿をあらわにしてゆきます。最後の最後までこだわりを持って、作りきることが要求されているのです。

自分のかかわることが、そこにかかわる身体と強く通じること、そこがとても大切なことだと感じます。建築づくりも、まちづくりも、ものづくりも。

2007年8月18日

町を描くことから7

地図といっても、さまざまなものがあります。町でよく見かけるのは、商店街や駅前に設置されている看板に描いた地図。方位も、道の名前や方向も、また、自分がどこにいるのかさえ、よくわからないけれど、商店の名前だけはびっしりと書いてあり、人間的な雰囲気が混在した活気ある様子はありありとわかります。地図とはその表現方法によって、まったく異なるものとなります。

単に海抜からの高さをプロットしただけでは、数字の配列したものだけでは、土地を理解することはできませんが、同じ高さの地点を結んだ地図、等高線による地形図を表すことによって、地域の地形をイメージすることができるのです。

このように何をどのように描くかによって、得られるものは違ってきます。僕はまちから感じたその実感したものをそのまま素直に描き表せないか、そこにこそ、本物の町の姿が潜んでいるのではないかと考えています。

今日は第一部、第7回 6月29日掲載分を紹介します。


「7.ウォーキングマップとは


ウォーキングマップとは住環境デザイン論演習課題の一つとして実施している「岡崎の町を描く試み」である。

それは町を歩き、その場所のデータを収集し、記録するフィールドワークと得られたデータを研究室に持ち帰り、地図に配列しながら、その意味するものを考察するワークショップの二段階のプロセスからなる。得られたデータから特別の領域や形状を認識できるまでデータ収集と考察とを繰り返してゆく。

学生たちは岡崎の町を歩くことから始めるが、彼らの多様で自由な視点をそのまま生かすため、特別の約束事は設けず、できるだけ事前の知識や先入観のない状態で町の興味のある部分を探しながら歩いてゆく。それぞれの感性によって、自らの視点を特別に持って、自らの意思で歩く。歩きながらテーマを見つけ、町の気になる場所や場面をデジカメに撮影し、歩いた道のりや特別の感情やポイント、コメントなどを地図上に記録しながら、歩いた軌跡や町の形を表わす情報をプロットしてゆく。

こうして町で得られた情報は研究室に持ち帰り、それぞれの断片をマップに配列し、その意味を考えてゆく。ワークショップ形式で、何に惹かれたのか、どこが面白かったのか、自らのマップを説明しながら、共に考えてゆくのである。最初は見えていなくても、自分自身が町に惹かれ、記録した動機は学生たち自身の中に必ずあり、そこに町の特性が隠されている。そうして、マップのテーマや現れている意味や特性が見つかるまでは何度も議論し、考察とデータ収集とを繰り返し、ウォーキングマップとして完成させる。マップづくりはプロセスと表現方法が重要である。

学生たちの、あるいは市民の柔らかで多様な視線を町に向け、町をそのまま記録することにより、生きた町の多様な姿をありのままに描くことになる。多様な視線を導き出し、取捨選択や淘汰を行わないで、むしろすべてを取り込む姿勢で町を描くことにより、そこには豊かな町の多様な姿がそのまま描かれる。それは複雑で、混沌としているように見えるかもしれない。しかし、学生たちが、あるいは市民が多様な視線を向けていければ、後はその描かれたものの中にそれらの共有性を表し出せればいいのである。多様な価値観を生かしながら、進むべき方向が見えてくる。この生きた町の姿のなかに本当の固有の特性が現れてくるのである。

ウォーキングマップとは自ら歩いた道のりを記録した地図ではあるが、しかし、その表すものは歩くべき、進むべき道のり、すなわち、町づくりの指針を示すものとなる。今回の試みにおいても多くの町の断片が浮かび上がってきたが、この岡崎の町は特に空間的面白さ、豊かさに溢れていると感じる。この豊かな断片を、パズルを完成させるようにピースをつなぎ、組み合わせてゆくことで、それらのつながりが町のコンテクストとなって現れる。そこに町の姿が見えてくる。ウォーキングマップとはそのコンテクストを探索し、その可能性を発見する試みである。その試みは始まったばかりであるが、町を記録し、デッサンするように描くマップの可能性を発見できたのではないかと感じている。感覚や感性によって認識される町のイメージは、とらえどころのない、はかないもののように見えるかもしれない。しかし、それこそが、着実で、リアルな生きた町の姿なのである。」

2007年8月17日

町を描くことから6

思い描かれたことが書き記されることによってはっきりと自覚できることは多い。
http://community-thinktank.blogspot.com/2007/07/blog-post_20.html 
模写やスケッチもそのひとつです。その書き記したものが、自ら見た、感じたそのままを描き、表すことが必要です。しかし、ありのまま描くということが思いのほか難しいものです。

ウォーキングマップでは観察者である学生たちが、見て、感じて、ある人は聴いてきたものを、研究室の僕や仲間に語ることで、自ら見てきたもの、そのものに客観的に触れることができるのです。

今日は第一部第6回、6月28日掲載分の紹介です。

「6.町を記録する


町を記録すること-視覚化することで町の様々な姿が見えてくる。ばらばらだった姿が何かはっきりと意図を持ったものに見えてくるのである。例えば、防災マップや防犯マップなどのように描いてみて、今まで見えていなかった空間や地域の状況が改めてわかるものなど特に多い。このように視覚的に表すことで見えていなかったものが現れてくる。

絵を描く時にはまず、デッサンする。そうすることによって対象物の輪郭をなぞってゆく。輪郭をなぞりながらその形を把握してゆくと、次第に描く対象物がはっきりと見えてくるのである。町づくりにおいても実際の町の形を追いながら、町の断片を記録し、地図の上でもその姿をなぞってゆくことによって町の形をはっきり認識することできるようになる。町を巡り、それを記録してゆくことは町をデッサンすることと同じ行為である。デッサンを重ねてゆくことで、おぼろげであった町の輪郭が次第にはっきりとしてくるはずである。デッサンを重ね、次々と町を描いてゆくことにより、多様な断片が互いにつながり、それらの関係や共通の意味を表しだす。つまり、埋もれている町の形の意味するものが見え、町の隠れた構造を表しだすことができるのだ。このようにして町に視線を向けることによって、いつもは見えていない町の姿が現れてくる。

町をデッサンする、記録してゆく時、描く側は自分自身で意図を持って描いてゆく。そうでないと描けないのだ。町を描くということは多様な意図を持って、それぞれが何かを感じながら、町の多様な側面を見てゆくのである。つまり、町を記録し、町の形をなぞるという行為は様々な町の断片を集めると同時に、描く人々の多くの視点や意識までも集めることになる。

町を記録することで、町を考える視点が市民や学生など現実の町に住まう人たちすべてに移行してゆくのである。記号や数値などの抽象的な表現から人の視線によるビジュアルな表現へ、巨視的でバーチャルな視点から現実の町の現場の視点へ、無名性を表すだけの客観性から個人の感覚に基づく確かな主観性へと、すなわち抽象から実践へ、全体から個へ、そして、公から私へと町がその重心を移してゆくのである。それは町とそこに住まう人たちすべてを取り込んだ動的な町解析と言える。

今の町、町の今を表す新しい理論を、町を描いたマップから考えたい。それは身近な、自らの感性に現われた町を記録してゆくことであり、同時に、町に触れ、町を表現することでもある。また、現実の町から町独自の形を描くことが必要なのであり、自らの感覚と感性を持ち、意欲と意図を持って町を見る、探し出すというデザイン的視野が必要となる。デッサンを行うように町の輪郭を描くことが大切であり、それによって形は次第に現れてくる。

マップづくりは町の輪郭を視覚化し、町の形を具体化させる重要な機能を持っている。それは町に住まい、活動する人たち、一人ひとりに開かれた、町づくりの新たな方向性を期待させるものなのである。町づくりには市民の身近かで多様な視線を町に注ぐことが不可欠であり、この多様な視線を抽出し、どのように構築するかということが重要である。町に立ち、見えてくる町そのものを描くことが求められるのである。それには市民の多様な視線をそのまま描けばいいのであり、描くことによって町づくりは見えてくる。私たちの課題は「いかに描くか」という町を描く行為そのものの中にある。」

2007年8月16日

木を切ること、切らないこと。

大きな森のような木々を切ってしまうことがあります。鳥の糞、落ち葉、通風の悪さ、虫、いくつかの要因があると思います。木を切ってほしいという人も、切らないで、という人もいます。
好き嫌いや面倒であることで、行政は市民の言うなりになってはいないでしょうか。切ってくれといわれてはまちの財産を切り、切ってほしくないと言われて、では残す。問題の本質が見つからないまま、現実は、まちの大きな緑はこのように個人の強い情熱によって守られています。

こうした、貴重な活動をもっと共有の場に載せる必要があります。行政にとっては利害がかかわると調停、調整が難しいのだろうか、、、。しかし、調停の中にこそ、対話の中にこそ問題の手がかりがあるように思うのです。矛と盾が潜んでいるのです。両者の言い分をよく聞くことによって、利害ではなく、問題の本質が見えているはずです。それはマーケティングでもあり、コミュニケーションでもある。そこをないがしろにしたら、行政の意味がなくなってしまいます。

まちには個人の資産となっている大きな森が突然、ディベロッパーへと売却され、開発されてしまい、なくなってしまうことがよくあります。周辺住民は反対運動を起こし、その森を守ろうとします。でも、多くは、それまで他人の緑の恩恵を受けてきただけで、緑を大切にしていたわけではなかったのですね。木が切られるようになってようやく、コミュニケーションが生まれます。



また、木が管理者の違いによって、道路側の枝が払われてしまったり、悲壮な姿を現している場合もあります。しかし、少し視点を変えれば、これがおかしいものだという視点に立つことができれば、木を守るだけではなく、コミュニケーションが生まれるはずです。

こうした緑豊かな町並みを条例によって守ることも多々あります。共有の概念を文書化することも大切かもしれませんが、規制することではなく、まず、まちのあるべき姿を見出す必要があります。豊かな緑の土手、伝統となった桜のトンネル、大きなはぜの大木、水辺の散策路、街路の豊かな緑、、、そうした、当然の意識を共有することで、その次の緑が育ってゆくのではないでしょうか。

でも、もういい加減、緑は大切なんだというスタンスができてもいいのではないですか。木を切って鳥を追い出したら、その行為は次は僕たち人間に降りかかってくる(もうすでに降りかかっている)ということを実感できる想像力が必要です。

2007年8月15日

風景/まちの視点

岡崎の歴史家、市橋氏の父上である、画家朝井明泉氏の水彩画スケッチが絵葉書となっています。淡い水彩画で丹念に描かれた膨大な岡崎の風景はまちのさまざまなところに、かけがえのない思いが埋め込まれている証です。それらを共有することで、まちの魅力は引き継がれてゆくものです。ひとそれぞれにさまざまな視点があり、それぞれの人に目を向けるように、まちを大切にする、目を向けることはとても重要なことです。


ここには何気ない民家も、毎日通る川岸の桜の木々も、新しい施設も、もちろん木々の豊かな古いお寺もそれぞれ描かれています。驚くべきことに、普通では向けないような異なる視点を持った意外な橋の風景もあります。

こうしたまちの風景を描く試みはまちづくりのひとつの手法としてもとても重要で横浜などでも、地元の商店街や大学研究者、学生たちが協働して、町のいろいろな姿や風景を「横浜パッチワーク」や「まちづくり101の提案カード」として表わし、横浜らしさを発見する試みが行われています。

広重の「名所江戸百選」や北斎の「富岳三十六景」も、一人の浮世絵師の表現としてだけではなく、まちを共有するひとつの手法だったのではないかと思います。

先日、岡崎市民病院についてコメントいただいたmariさんに絵葉書のひとつである岡崎市民病院のものをお送りしました。古いかすかな記憶や両親への思いがあふれてきたそうです。画家朝井氏とmariさんの思いが時代と場所を越えて、ぴったり重なったようです。

一人ひとりの思いは個人的な取るに足らないもの、と思われがちですが、実はそうではなく、案外多くの人に共感を与え、共有のイメージとなっているものなのです。市民すべてのまちを見る、感じる視点を集積してみると、まちを考える視点も変わってくるのではないかと感じます。それこそが市民のまちではないかと考えています。