ホームスクーリングは、学校に通学せず、家庭を拠点に在宅で学習を行うことをいうそうです。アメリカではホームスクール在学生も多く、成績もいいようです。
日本でも大学検定試験(現在は高等学校卒業程度認定試験と改定されました)を経て大学へ入学してくる学生も多くなってきました。高校生の大学AO入試に立ち会うと、高校へ通学できないでいる高校生もかなりの数に上るようです。それぞれのスタイルで多くの人が頑張っていることは一つのステレオタイプしか認めない日本では大切なことのようにも感じられます。
日本ホームスクール支援協会http://www.homeschool.ne.jp/hosa/なども設立されています。
そのうち、高校には通学する必要がなくなるかもしれません。むしろ、大学進学には高校へ行くよりもホームスクールで、社会性を学ぶのであればコミュニティスクールで学習することが一般的になるかもしれません。
では、多くの高校が進学先へ進むためのものになっている今、高校とは何でしょうか。
また、教師の存在も見直す必要もでてくるでしょう。教育とは知識や情報を伝えるもの、ではないことは明らかです。インターネットの普及で教師よりも知識や情報の豊かな生徒も数多く生まれています。
本質ではなく、制度やマニュアルを与え続けてきた結果、集団化教育や画一化教育とは、教育とは何かを見失わせるものだったかも知れません。
例えば、それは教員の意識の中にも存在しています。高校の教育とは特殊なものだという意見があります。生徒と教師と、学生と教授とは異なる関係にあるという意見です。しかし、特殊なものにしてしまって外部に目を開かないのは、旧態然とした視野の教師自らの責任なのではないでしょうか。
新しい高校のあり方を考える構想を進めていますが、それは内部から改革を進めるには難題が山積しています。しかしながら、画一化した学校教育ではなく、本物の教育を一生涯に渡って継続するという発想に立つとき、中学も高校も大学も、、、企業も地域も、、、すべてをつなげて、考え直す必要があるように感じます。そこにこそ、教育の進むべき道、改革の道があるように考えています。
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