2008年11月25日
地域の代弁者
古い地方都市には、総代会といった伝統的な地域の代表があり、これまで市政に大きな影響力を持っていたようです。それは地域ごとの利権代表であり、調整役でもあります。また、地域の代表である総代ごとにその情熱や発言力が異なり、継続性や地域の全体性、ヴィジョンを持ちえていないように感じられます。
しかし、今日では、彼ら地域の代表が集まると60代以上の男性ばかりが結集することにもなり、地域の偏った情勢を表わすことにもなりかねないようです。
また、近代的な地域の代表として市議会議員がいます。37万人くらいの地方の中核都市でも、2500票も獲得すれば当選できるくらいであり、当然、支援される地域の団体の利権を代表せざるを得ないのでもあるようです。
しかも、代表としての議員も、当選回数によって、訴える力が異なるという、不合理性を持ち、意気盛んな新人議員も団体に飲み込まれてしまします。もちろん、地域をかけずりまわって、その声を集めている大切な議員もなかにはいますが、一部の議員は市政に巻き込まれ、既成の事実に追随するように議会答弁するようなことにもなっています。とても地域全体の利益やビジョンを目指すことのできる代弁者ではありません。
それゆえ、市民自ら声を上げる時代がそこに来ているのではないかと感じられます。
次は市民の時代であり、市民協働の時代と言われる所以です。しかし、市民協働といっても、行政のおかかえとなっていたり、出先機関となっているNPO を通じて、市民を集め、市民を強制し、結論の決まった、既成の事実へと市民を誘導するだけなのではないでしょうか。
地域の伝統的システムでもなく、近代的システムでもなく、次は市民協働であるという時、市民を誘導することでむしろ行政の独善的市政が行われようとしているとも言えるでしょう。
市民協働の時代において、市民は強いメッセージを発信することが不可欠です。そして、そのための基盤となるプラットフォームを構築する必要に迫られているのです。
2008年11月24日
二度と起こらないために
「二度と起こさせない」という決意はただ危ういだけのものでしかありません。言葉ではなく、具体的な処方が必要です。
社会にはいろいろのチェック機能が働き、事故や事件を未然に防いでいます。一つの大きな事故の背後には、その何倍もの多くの事故や事件の要因がすでに社会や組織に潜んでいるのだと思います。それらが飽和し、またチェックの網の目を逃れてきたからこそ、ひとつの大きな事故として現れたのではないかと感じるからです。
「二度と事故は起こさせない」 そこでは責任をきちんと問いただすことはめったにない。しかし、「二度目が起こらない」その保証はないはずです。
2008年11月23日
旧本多邸を岡崎へ移築しようとする建築史研究家への手紙
問題の背後には様々な思いと利権があるようです。
この保存・移築に携わる建築史研究家へ、地域の事実と真実を伝え、思いを伝えた手紙に地域運営の課題を表わしました。
===
〇〇様
昨日、旧本多邸活用のための市民会議が開かれました。そのテーマが直前になって「活用のアイデアを考える」ことから「旧本多邸活用の夢を語る」と変更されています。活用の既成事実があり、工事が始まろうとする今の時点で「夢を語る」などと本質をずらした、市民会議を愚弄するようなやり方だと皆が反対をしておりました。20名ほどが参加したようですが、昨日の会議も賛成派と反対派をテーブルごとに分けて議論を行うような姑息な手段を取ろうとしたようです。市民会議やワークショップのいつものやりかたです。市民の考える枠組みを最小限に限定し、分断し、意見の方向を定めようとするものです。
しかし、多くの反対にあい、頓挫し、全体を一つの場として意見交換が行われたようです。活用委員会の委員も3,4名参加されていたようで、旧本多邸活用委員会で現実の生の様子が報告されることと信じています。また、会議のなかで6つほどの提案がなされ、賛成派も反対派も賛同し、議事録に書き加えることが決定したようです。しかし、議事録に書くことを約束しなければならないということは、議事録も主催者側できれいに作られたものだということです。よくよくご注意ください。
> 私自身が、島崎さんのお考えや活動に理解できたとしても、どう接点をもてばよいかもむずかしいところですね。
私たち建築家には職能倫理が要求されてきました。自分自身の創造意欲だけではなく、それ以上に社会性や第三者性が不可欠とされるのです。市民は「本当に岡崎(自分たち)のためになるかどうか」を考えています。その考えを共有し、それを真摯に考えていただくことが接点となるのではないかと思います。
1.
何故、世田谷区にあった本多邸を、岡崎市で保存しなければならないかという点です。しかも、財政規模も世田谷区は岡崎市の2倍あります(19年度で2000億と4000億の違いがあります。)。岡崎市では財政悪化が叫ばれ、33億もの減収が見込まれています。また、今年度は豪雨で被災した人も数多いですし、市に一つしかない市民病院も赤字が続き、有能な医者と患者が離れつつあるようです。
2.
あなたは本多邸の価値は高いとおっしゃいました。しかし、岡崎には素晴らしい文化資産、江戸期も明治期も昭和期も含めて数多くあります。先日も電話でお話しさせていただきました。それらは市民の生活に密着した身近な文化資産なのです。
江戸期のコミュニティを伝える、常夜燈や石碑なども多いですし、数多くの神社仏閣だけではなく、カフェ兼町の拠点として、市民によって手作りで経営されている古い庄屋なども残っています。明治期には額田郡としてとても豊かな文化が栄え、いなか歌舞伎の舞台となった奈落を持った回り舞台の劇場が複数残っていますし、りっぱな木造の村役場や公民館など、全体的素晴らしさだけではなく、コテで製作した漆喰のレリーフも見事です。また、煉瓦造の紡績工場もありました。岡崎の紡績は全国的にもすばらしく、ガラ紡という古いスタイルの紡績機も文化として今も活用しています。煉瓦の工場は解体されてしまいましたが、地域には木造の工場や水車がまだまだ数多く点在し、岡崎の文化として、実際の紡績に使用しながら残していこうという活動もあります。昭和期でも地域の拠点として、古い木造の建築が残されてきました。木造の音楽喫茶や古い公会堂や婦人会館などごく最近解体されてしまいましたが、地域の活動の拠点となり、市民に愛されていました。
私は、それらが本多邸に劣るとは考えられません。5億を使うならそれにこそ使って欲しいと思う市民は多いです。しかも、それらは公園などでテーマパークのように残されるのではなく、地域に密着し、地域の生活のなりわいのなかでこそ、残されるべきなのです。
先日、旧本多邸の保存がそれらの先駆となって岡崎の意識を変えられるものになればいいとおっしゃいましたが、それは本末転倒ではないでしょうか。仮に一歩譲ったとしても意識を変えるための授業料が5億もかかるというのは一般的に考えれば、倫理観を疑わざるを得ません。
3.
市民会議や文化財審議委員会など、行政の運営の問題も指摘しなければなりません。結果ありきの手続きばかりであり、プロセスがなっていないのです。今回の問題の本質はすべてここにあり、反対や賛成という視点ではなく、プロセスとしくみをきちんと確立することがコミュニティシンクタンクmocoの使命だと悟りました。
そのため、私たちのスタンスは原点に戻り、本来の市民の声を受け取り、本来あるべき姿へ向かうことにあります。本多邸だけの問題ではありませんが、そのためのプラットフォームづくりをします。
この問題は、あなたがおっしゃっていたような、単に市民に周知すればいいという問題ではありません。市民と共に考えるということです。市民は気づいています。旧本多邸の本質も、結果ありきの行政のことも、NPOでありながらその出先機関となってそれを無理に推し進めようとする組織のことも。
プラットフォームとは、市民にとって大切な資産とは何か、文化とは何か、町とは何かを考え、実践に移す土台であり基盤であるものと考えています。そこでビジョンをつくり、戦略を策定し、その上で、プライオリティを決定してゆくべきであるのです。市民はそのように考えています。その上で本多邸のプライオリティが高いのであれば、本多邸の復元を実施すればいいと思いますし、きちんと事実と真実を知り、本当に必要なものから始めればいいのです。岡崎市にはそうした、利権や私権にとらわれない中間的な考える場が必要なのです。それが私たちmocoの使命だと思っています。
これまでもそのプラットフォームづくりを提唱してきましたが、反対派と称する人たちは目先の対応にこだわってきました。しかし、何度かのmocoでのギャザリングや昨日の市民会議を経て、市民自ら主導する市民会議を開催してゆく動きが高まりました。それが先ほど申し上げたプラットフォームとなります。ビジョンを作り、真を問うてゆこうと考えています。
2008年11月10日
町の執行機関としての町長と職員/ニセコ町づくり基本条例
町長は、「町政の代表者としてこの条例の理念を実現するため、公正かつ誠実に町政の執行に当たり、まちづくりの推進に努め」とあり、職員については、「その権限と責任において、公正かつ誠実に職務の執行に当たらなければならず、」「まちづくりの専門スタッフとして、誠実かつ効率的に職務を執行する」こと、「まちづくりにおける町民相互の連携が常に図られるよう努める」こととされています。
まちづくりは市民が主体であり、その意向を議会が形あるものとし、執行機関がそれらを実践すること、と明らかにされています。このように明快な組織においては「町の組織は、町民に分かりやすく機能的なものであると同時に、社会や経済の情勢に応じ、かつ、相互の連携が保たれるよう柔軟に編成されなければならない。」ことも同時に具現化されることでしょう。
多くの地方都市では市民をないがしろにした、結果ありきの市政が行われています。その結果を作ろうとするから、ますます、市民とかけ離れてくる。施政は議会が構築し、市民がそこに協働する、、、まちづくりとは本来、そんな単純なものであるはずです。
2008年11月9日
町の意思決定機関としての議会/ニセコ町づくり基本条例
地方議会では議員の役割が質疑の応答に偏り、市政のチェック機関としての役割しか果たされていないように感じます。本来は立法を行う役割は議会と首長に与えられているはずなのですが、首長の立法権限はとても大きいものであり、それはつまり、行政の管理に携わる職員からの立法につながっているのではないでしょうか。
立法に携わる行政職員とその管理に専念する議員、そこには施政のプロセスの逆転現象が起こっています。しかも、議会で通してしまったことを市民に報告などしないものなのです。立法にかかわる能力がなければ、せめて、その程度の活動は行うべきと思うのですが、、、、。
ニセコ町では、議会を、「町民の代表から構成される町の意思決定機関である」と定め、「議決機関として、町の政策の意思決定及び行政活動の監視並びに条例を制定する権限を有すること」、「議決機関としての責任を常に自覚し、将来に向けたまちづくりの展望をもって活動し、広く町民から意見を求め、議会における意思決定の内容及びその経過を説明する責務を有する」とその役割と責務を明らかにしています。
また、「そのための政策会議を設置し、まちづくりに関する政策を議論する」とあり、「議員は政策提言及び立法活動に努めなければならない」と結んでいます。
ここには、市民とつながり、その代弁者としての役割を持った立法や政策のための大切な機関とその能力が描かれています。
2008年10月25日
自らが考え行動するという自治の理念/ニセコ町まちづくり基本条例
「情報共有」と「住民参加」を基盤とし、「市民」として主体的に考え、主体的に行動する、町づくりが方向づけられています。
第1章では、
まず、まちづくりの目的が「町民の権利と責任を明らかにし、自治の実現を図ること」と明確に市民の立場から述べられています。
この1章で提起された、町人の権利と責任とは4章において、町民は「まちづくりの主体であり、まちづくりに参加する権利を有し」、「その参加においてお互いが平等であり」、同時に、「町の不当な関与を受けない自主性及び自立性が尊重される」権利を持つこと、「まちづくりの主体であることを認識し、総合的視点に立ち、まちづくりの活動において自らの発言と行動する」責任に触れられています。
第2章では、
その目的を実現するため、町民がまちづくりに関する情報を共有することを基本原則とし、
町人は情報の提供を受け、自ら取得する権利を有する、一方で、町は、その企画立案、実施及び評価のそれぞれの過程において、その経過、内容、効果及び手続を町民に明らかにし、分かりやすく説明する責務を有するとされ、それぞれの過程において、町民の参加を保障しています。
つまり、「町は、町政に関する意思決定の過程を明らかにすることにより、町の仕事の内容が町民に理解されるよう努めなければならない」とされ、まちづくりの意思決定が市民と共にあることが明確に定められているのです。(第3章 情報共有の推進)
現在、多くの地方行政が自分たちだけで町の方向を決定し、議会で早々に決定し、その既決事項を粛々と、みせかけの市民会議や市民ワークショップやパブリックコメントにより市民を誘導してゆくやり方とは大きな違いがあります。また、市民協働のためのルール作りが推進されようとしていますが、それは情報を公開せず、市民の権利をないがしろにした上で、市民に責務だけを課す、一方的なやり方とも大きな違いがありますね。
○ニセコ町まちづくり基本条例 平成12年12月27日 条例第45号
目次
前文
第1章 目的(第1条)
第2章 まちづくりの基本原則(第2条―第5条)
第3章 情報共有の推進(第6条―第9条)
第4章 まちづくりへの参加の推進(第10条―第13条)
第5章 コミュニティ(第14条―第16条)
第6章 議会の役割と責務(第17条―第24条)
第7章 町の役割と責務(第25条―第35条)
第8章 まちづくりの協働過程(第36条―第39条)
第9章 財政(第40条―第45条)
第10章 評価(第46条・第47条)
第11章 町民投票制度(第48条・第49条)
第12章 連携(第50条―第53条)
第13章 条例制定等の手続(第54条)
第14章 まちづくり基本条例の位置付け等(第55条・第56条)
第15章 この条例の検討及び見直し(第57条)
2008年10月20日
矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」
「町民とともに立たん」と宣言された矢祭町議会の決意です。http://www.town.yamatsuri.fukushima.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020004&WIT_oid=icityv2_004::Contents::1270
国の目線によって、ふらふらとぶれる多くの地方都市に比べ、そこにはぶれないビジョンとその方向を見極めるべき議会の役割が明確に刻まれています。
矢祭町議会は平成13年10月31日、議員提案により、「合併しない矢祭町宣言」を全国に先駆けて全会一致で議決した。町の羅針盤を高らかに宣言したこの檄文は、全国の地方自治体への励ましとなり、目標となり続けている。
「その当たり前の議員の姿勢と哲学がきしみを上げ始めていることを、我々は痛憤の思いで受け止める。だが、我々は看過しはしない。すべての地方議員に対して、自身の立ち位置とあるべき姿を改めて問い直し、警鐘を乱打するものである。
我々矢祭町議は、町民とともに立たんの決意をここに宣言する。今、議員たるのその原点に帰る。 国主導による「平成の合併」が雪崩を打つ中、我々の「合併しない宣言」は全国に熱烈な感動をもって受け入れられた。
だが、旬日を置かない同年11月13日、総務省行政体制整備室長が来町し、翻意を促された。室長曰く、「合併の何たるかを矢祭町の多くの町民に説明し、合併の方向へ翻ることを期待する」と。室長の語る合併のメリットは、「首長や特別職、議員などを削減することによって大きな財源が生まれ、その削減によって生まれた大きな余財を高齢化社会の軍資金できる」という内容だった。
だが、その言質からは、地方自治が担うべき民主主義をいかに為すべきかについて、ただの一言も言及されなかった。そして、国は我々の方向性を「町民に対する背信行為」「首長や議員の保身のため」などと、時に面罵し、時に誹謗した。我々が目指すのは、きめ細かな行政であり、住民の目線に立った行政である。かかる哲学以外に、行政のあり方を指し示す松明はない。「合併しない宣言」によって、我々矢祭町議は松明を手にした。この松明をたやすことは町民への背信行為である。もしこの松明の灯を消すことがあるとするならば、それは有権者たる町民の判断によってのみであり、その他の何者によっても妨げられるものではない。
今、日本の国全体に暗雲が立ちこめている。それは、指導者が国民の立場に立っておらず、自分本位の判断に終始しているからにほかならない。このことは国民にとって非常に辛いことだ。だが、ここ矢祭町に限っては、役場、議会、町民が三位一体となって町づくりを進めてきた。それを体現したものが、平成18年度から始まった「矢祭町第3次総合計画」である。「郷土愛」をうたい、共に支え合いながら暮らせる町づくりを推進し、「元気な子どもの声が聞こえる町づくり」を政策の中心に据えた。また、それを貫くために、町の憲法たる自治基本条例を制定し、平成18年1月1日から施行された。その第7条には町議の責務として「町議会議員は、町民の信託を受けた町民の代表である。議員は、町民の声を代表して、矢祭町の発展、町民の幸せのために議会活動に努める」とうたわれている。我々は常に町民の一人ひとりの立場に立って町政に参画しなければならない。町民の生活こそが、日々の議員活動の中で、最も気に掛けねばならない問題である。
我々が受ける報酬は、町民が汗を流してかせいだ税金であることを忘れてはならない。・・・・・・・・・・50年後、100年後もびくともしない矢祭町を作り上げるためには、議会はもう一度原点に帰らなければならない。我々議員は、町民の艱難辛苦を憂い、嘆く声を聞き、見たとき、現在の報酬制度にあぐらをかいているわけにはいかない。そして、我々は報酬制度を根本から考え直すことを決意した。その際、我々は世間一般の常識にとらわれない。矢祭町はいかにあるべきか、矢祭町議会はいかにあるべきか―― ここが我々の議論の出発点であり、すべてである。
何よりも経費の削減によって生まれる余財を、町民生活を豊かにする町民密着の政策に差し向けることができることを我々は何よりも喜ぶ。この問題に真正面から取り組むことは、決して地方自治を卑しめるものではない。むしろ地方自治の本来の姿を体現するもので、全国の地方自治体に範を垂れることになると確信している。「合併しない宣言」を決議した矢祭町議会だからこそ、陋習に凝り固まった堅固な壁に風穴を開けることができる自負を持っている。今回の我々の決断が郷土を愛する全国の人たちに全的に歓迎されるに違いないと確信をもっている。今、我々矢祭町議は宣言する。町民とともに立たん。」(抜粋)
2008年10月19日
場当たり地方行政
次は新市民会館です。しかし、担当者なる行政マンは次のように語っているようです。
「まだ場所も決まっていないので、何も面白いことが言えない段階です」
「来年には土地を決め、だいたいの予算を決めてからパブリックコメントを出したいと思っています。」
「現在の市民会館からそう遠くないところで、具体的な候補地がないので案が進まない。」
「改築と新築のどちらがいいですか?」
「33億円の減収もあり、大規模なホールは考えていません。」
図書館も文化財も、そして市民会館にも、ビジョンすらないことがわかりますね。地域を見つめ、それらを再構築し、将来構想を企画する必要がある。それらがない限り、場所も予算も規模も、改築か新築かなど決まるはずはない。
市民劇場へ向けて、プラットフォームづくりを市民自ら始める必要があります。
2008年10月18日
政治の戦略
拉致問題を声高に語る自民党、独裁国家にはこちらの短絡的な意図を見せないことが必要だし、早期の解散を迫る民主党、解散を迫ることによって弱みも弱さも見せることになるように思うのです。もっと、もっと、次の次を考える必要があるのではないかなぁ、、、、、、、めぐみさんのことなど忘れるよ、選挙なんていつでもいいよ、くらいのことをあからさまにし、その陰でそれぞれ奪還計画を練る必要があるのじゃないかな。欲しいものを欲しいといって得られるほど甘くないと思うのですが、、、、、。
市民にも自治を奪還する戦略が必要なのです。
ストリートビユー
ここには日本の都市空間の本質とは別の、いつのまにか閉じられてしまった都市の、道の空間のあり方が見えてくるのではないかと感じられます。
西洋の都市空間は日本とは異なり、公私がはっきりと区別されていると言われます。しかし、道においても、公園においても明るく、オープンで、誰もが集い、豊かなコミュニティが繰り広げられています。
コミュニティとは人と人がつくるいわば「なわばり」として考えられるでしょう。しかし、それは個人の空間だけではなく、個人と個人が重なり、重なりのなかの領域であり、その境界です。それら、境界はまた次の境界が重なり合って、まちが生まれてゆきます。そこを曖昧にするから、公園はひっそりとした誰も憩わない暗い場所となり、道には人の目が行き届かない危険な場所になってしまうのではないでしょうか。
かつては、日本の路地にも豊かな私が溢れ、開かれた私空間が公共をつくっていました。左の写真は細かな路地に溢れる古いまちの姿です。かろうじてコミュニティの原点が残されていますが、ここにも解体の波が押し寄せています。閉鎖性からはまちの豊かさも、安全性も、生まれないことでしょう。
いつものことですが、黒船が日本の公共性を鍛えなおしてくれるのではないかと感じています。
2008年10月17日
NPOまちぽっと
その設立趣旨は次のように表明されています。
「新たに誕生する特定非営利活動法人「特定非営利活動法人 ローカルアクション-シンクポッツ・まち未来」(Local Action-Think Pots まち未来)は、地域社会に住み、暮らす市民の視点から、市民の参加による持続可能な市民社会づくり、豊かな地域社会づくりを目指して、それに関わる政策および事業の提案を行い、その実現に向けて市民、市民団体と協働して取り組むとともに、そうした市民社会・地域社会づくりを担う市民活動を支援するために、調査研究・提案、市民活動・市民事業の支援、情報の発信などの事業を行います。 私たちは、地域を基盤に市民、市民団体自身が、政策を考え、提案し、その実現に取り組む市民活動・事業が、地域に育ち、発展することを願っています。団体の名称をシンクタンクではなく、シンクポッツにしたのは、政策提案と、その実現に向けた市民活動・事業を地域の市民を主体としてつくりあげていくということを意味しています。 シンクタンクからイメージされる1つの大きな器に地域資源を集中して提案していく形ではなく、器としては小さな、タンクではなくポットとしての地域の市民組織が連携して、ネットワークで結び合うことで、市民参加による、より地域の課題に即した政策提案ができると考えています。 ローカルアクション-シンクポッツ・まち未来が目指すのは、地域のポットが結び合うことでつくる政策提案の活動です。」
コミュニティシンクタンクといっても、行政が主導し、3セクのような組織が多いなかで、その弊害は市民に確実に広がり、それらが誘導するワークショップ難民や市民会議難民が溢れている一方で、会員による会費と業務委託費(だからといって独立した組織とは簡単に判断できないのですが)によって運営がなされているようです。
こういった情報は公開されていない組織が多いのですが、このNPOまちぽっとの前身である東京ランポ時代の2006年度収支予算書が公開されていて、具体的な活動がどのように行われているかうかがい知ることができます。とても参考になります。(( )内は前年度実績)
収入は
1.会費収入 1,510,000(3,257,000)
正団体会員 850,000(2,630,000)
個人正会員 350,000(345,000)
団体賛助会員 110,000(105,000)
個人賛助会員 200,000(177,000)
2.寄付金 520,000(960,500)
3.事業収入 5,650,000(5,672,345)
調査研究 50,000(10,600)=資料代
セミナー・研修 150,000(84,500)
出版 400,000(300,600)
活動支援など 1,500,000(1,509,845)=講師・パネリスト謝礼、相談料など
受託事業 3,500,000(3,756,000)
その他 50,000 (10,800)
4.助成金 1,500,000 (0)
5.雑収入 10,000 (1,138)
6.預り金 200,000 (172,783)=源泉徴収次期繰越し分
当期収入計(a) 9,390,000(10,063,766)
前年度繰越収支差額 2,600,648(3,668,020)
収入合計(b) 11,990,648(13,731,786)
支出は
1.事業費 2,800,000(3,062,088)
調査研究 600,000(121,152)=助成事業
セミナー・研修 100,000(74,608)講師謝礼など
出版 750,000(946,709)=季刊まちぽっと制作費など
活動支援など 500,000(578,473)=講師謝礼など
受託事業 800,000(1,341,146)=講師謝礼、交通費、資料作成費など
その他 50,000(0)
2.管理運営費 8,130,000(7,866,174)
給与費 5,900,000(5,875,000)=職員2名、パート職員1名
通勤費 300,000(285,080)=職員2名、パート職員1名
交通費 10,000(5,390)
通信運搬費 120,000(114,389)
事務消耗品費 100,000(108,659)
備品費 30,000(0)
広報費 80,000(78,700)=季刊まちぽっと郵送費など
事務所費 450,000(283,500)=月額31500円(前年2か月分を加え14か月分)
会議費 20,000(14,790)=理事会、三役会議など
図書資料費 100,000(139,218)=雑誌・新聞定期購読費など
諸会費 70,000(65,000)=シーズなど会費
法定福利厚生費 800,000(774,308)=社会保険、労災保険など
租税公課 100,000(71,200)=住民税(均等割り)
その他 50,000(50,940)=パソコン管理費、振込手数料、コピー代など
3.予備費 20,000(0)
4.預り金 200,000(202,876)=源泉徴収前期繰越分支払金
当期支出計(c) 11,250,000(11,131,138)
当期収支差額 ▽1,860,000(▽1,067,372)=(a)-(c)
次期繰越収支差額 840,648(2,600,648)=(b)-(c)
また、その中期事業計画が次のように提示されており、コミュニティシンクタンク活動の目標値を示しているのではないかと感じられます。
<市民社会構想・政策の提案>
(1)10年後の市民社会政策研究会(調査研究・提案 07年10月~09年12月 )
(2)東京構想研究(調査研究・提案07年10月~08年6月)
(3)もう一つの住まい方・暮らし方研究・交流(調査研究・提案08年4月~09年3月)
<情報の発信・提供の体制整備と充実>
(4)市民・自治体政策情報会議(情報の収集・発信07年10月~10年3月)
(5)地域情報ネットワークの構築(情報の収集・発信07年10月~09年3月)
<市民自治・参加・分権の制度・仕組みの提案>
(6)分権・自治研究(調査研究・提案07年10月~08年6月)
(7)市民主体まちづくり 政策研究(調査研究・提案08年4月~09年3月)
(8)市民参加・協働研究(調査研究・提案07年10月~08年3月)
<自治・参加の機会の拡大と機会活用の支援>
(9)市民自治、市民参加・協働への支援、協力(市民活動支援07年10月~10年3月)
情報の発信・提供の体制整備と充実
(10)セミナー・研修(情報の収集・発信07年10月~10年3月)
(11)HP開設・更新(情報の収集・発信07年10月~10年3月)
(12)季刊誌、ニュースレター、書籍発行(情報の収集・発信07年10月~10年3月)
<市民活動助成、市民事業支援の拡大>
(13)草の根市民基金助成・交流(市民活動助成07年10月~10年3月)
(14)東京CPB支援(市民活動支援07年10月~10年3月)
(15)相談助言、企画協力、講師派遣など(市民活動支援07年10月~10年3月)
<市民活動・市民事業を支援基盤整備の提案>
(16)非営利市民事業体の金融と地域資源研究会(調査研究・提案07年10月~10年3月)
2008年9月28日
市民と議員の条例づくり交流会議
この中間支援組織のありかたが地域の姿を決めると言ってもいいかもしれません。多数の市民という保守的な面からしか市民を見ることができない行政と、一方で、さまざまな思惑や権益を持った多様な市民、、、、、そこをつなぐ、組織が重要となります。
ひどい自治体ではここに目をつけ、官製に近い、おかかえ、御用NPOを立ち上げ、行政のやりたい放題を市民に押し付ける役目を彼らに担わせています。擬似ワークショップや霊感商法のような夢見心地のスライド会などが使われます。
市民は自ら為政者を選んでいるはずなのですが、、市長と市議とを別々に選ぶ必要があり、、、、ややもすると、市長選には注目が集まるが、市議選は関心が少ない、といった状況にならないでしょうか。市議の方だって、「どこどこの渋滞を解消する」なんてことを公約にするレベルでもあります。
市議会の正常化、実効化が市民には最も近い道かもしれません。
この夏、市民と議員の条例づくり交流会議2008(第8回)が開催されていました。
http://www.citizens-i.org/jourei/index.htm
「市民と議員の条例づくり交流会議は、2001年から、各地で地域の課題解決に取り組み、条例づくりをめざす、市民や議員、自治体職員や研究者らが、知恵や経験を共有し、互いに学びあい提起しあう交流の場として、毎年夏に開催してきました。
8回目を迎える今年は、市民自治体をめざした、市民と議員の政策づくりを支える仕組みづくり、自治体財政・決算の改革、議会基本条例の現在・さらなる議会改革へ向けて、二元代表制における市民・議会・行政の関係―等々について、各地の実践を共有しながら、幅広い議論・交流を行っていきます。ぜひ、ご参加ください。 」
多くの人たちが市民自治体をめざして、市民と議員の政策づくりへ向かい始めているようです。
2008年9月27日
「地方議会を立法機関に」
「地方分権を進めるため、国と対等な「地方政府」が必要と強調。現状では「地方議会が(行政の)追認機関になっている」と指摘し、「監視機関だけでなく立法機関でなければならない」と述べた。議員には、議会のあり方を定める「議会基本条例」などの条例制定に取り組むよう促した。」http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/43407
条例とは、憲法により自治立法権に基づき定めたもので、条例は市民の代表である議員が議会で決定したもので、規則は市長が定めるものであり、また、条例の提案権は市長に専属するものと議員に専属しているものでもあります。条例案を作成後は議会の中の委員会で審議し、公布、施行となるようです。
どの程度の立法が地方議会議員によって立案されているのでしょうか。市民の目線で立案された条例はどの程度あるのでしょうか。
条例とは、市民が選択した市長によるものであるし、また、市民が選択した議員によるものである、、、、、にもかかわらず、議会で追認、承認してしまえば、後は一人歩きの部分でもあります。市民に近いものでもないように感じられます。
日本有数の豪雪地帯、新潟県旧中里村にはかつて、「雪国はつらつ条例」という条例がありました。
目的 - この条例は、雪の障害を克服し、雪と共存するとともに、雪を資源として積極的に活用する施策の基本となる事項を定めることにより、雪対策の総合的推進を図り、もって村民生活の安定向上と活力ある地域社会の形成に寄与することを目的とする。(第1条)
基本理念 - 雪対策は、村と村民が一体となって、克雪、利雪、親雪等の施策を長期的かつ総合的に推進することにより、すべての村民がはつらつとした活力ある村づくりを目指すものとする。(第2条)
村の責務 - 村は、総合的な雪対策を策定し、その施策の実施に努めるとともに、村民が実施する雪対策に対して適切な支援及び調整を行うものとする。(第3条)
村民の役割 - 村民は、お互いに力をあわせ、雪対策に創意と勇気を持って積極的に参加し、自ら雪による支障を克服するとともに、雪の資源を活用して他に誇れる雪国づくりに努めるものとする。(第4条)
かわいい、のどかな、でも切実とした条例ですが、、、
村民の責務を描いたものでもあるようです。村民の知らないところでこんな責務が決められたとするなら大変です。
2008年9月23日
市民協働の根底
本来は、市民が自ら活動を行うことが地域の活性化につながり、また、その活動が、硬直化し、分断化した市民サービスを補完し、つないでゆくことにその意義があるのではないかと感じます。その大切な活動を行政がバックアップすると同時に協働して推進してゆくことが必要とされるのだと考えています。
こうした活動を通じて、本当の意味での市民としての自覚や役割も生まれてくるものだと思います。もちろん、行政マンが市民にサービスするのだという自覚と役割も芽生えてくることでしょう。
対等な関係性を築く、その方向性を円滑にし、いつでも誰でも協働できるような基盤(フォーマットやプラットフォーム)がいま求められているのではないでしょうか。
しかし、制度化することによって、自由な活動を阻害する要因にもなりかねません。ましてや、一部の市民会議の中では、、、、、市民に市民としての義務を自覚させ、行政サービスの一端を負わせるもののように変化してきたようです。
ましてや、「基本的には、あなたはこの社会の主体であり、責任持って一緒に生きていくということを問い正す条例」などと暴論が吹き荒れている状況を僕たちはどう考えればいいでしょう。
https://mobile.city.okazaki.aichi.jp/auto/www.city.okazaki.aichi.jp/yakusho/ka2605/pdf/19sikumi12.pdf
2008年9月22日
本物の市民参加とは
しかし、ややもすると仕組みや制度の形式面を先行しがちです。「岡崎市協働の仕組みを考える市民会議(18年度)」の議事経過を見ていると、他地域の条例を下敷きに、既成の枠組みの中で進めていこうとする行政マンと、理念やこれまでの協働のルールをきめ細かく見ることから「地域独自の協働理念とは何か」というところへ踏み込もうとする専門家との大きな乖離が見られています。それは7回の会議による議論の後でも何も変わっていないようです。https://mobile.city.okazaki.aichi.jp/auto/www.city.okazaki.aichi.jp/yakusho/ka2605/ka2601.htm
市民協働といっても、市民と行政の間にもいつもこのような状況が現れています。行政サイドはさっさと制度を決めて、身動きならないようにしたいのかと疑わざるを得ないのです。また、制度を改善しても、制度ありきの運用ではなく、協働を促進するための本物の運用をどのように考えるかは、この基本理念を議論するプロセスから生まれてくるはずです。
でも、いつも条文ありきの議論であり、制度のための条例しか描けないようであれば、「地域独自の協働理念とは何か」などとても生み出すことはできません。自分の町の状況をしっかりと把握する想像力に欠けるのであり、それを具体化する創造力に欠けているのです。
しかし、地域独自の素晴らしい理念を形に表している町もあります。
北海道、半島の中心に位置するニセコは自然環境に恵まれた住民4600人ほどの小さな町ですが、全国に先駆けて、平成13年4月1日、自治基本条例を制定、施行しています。ニセコにとってまちづくりとは町の運営そのものであって、自治そのものです。そして、その基盤を「情報共有」と「住民参加」においています。
「世の中の動きに合わせて」程度の意識で住民参加に取り組む自治体が、情報を閉ざし、限定した状況下で意味のない、成果の見えない市民協働や市民会議を横行させてしまうのと大きな違いがあります。
ニセコ町では、基本理念は次のように表わされています。
■町の「ミニ憲法」 ~ニセコ町のまちづくりすべてにかかわる条例(自治基本条例)
この条例は、ニセコのまちづくりを進める上での町民共通ルールです。このルールは、日本国憲法や地方自治法などの法の精神に基づき、わたしたち町民がまちづくりの主役(主体)として行動するためのものです。 条例の名前にある「まちづくり」とは、道路や上下水道の整備、市街景観形成などの目に見える「ハード」の側面だけではなく、情報共有や住民参加などの仕組みづくりといった目に見えない「ソフト」の側面も含んでいます。そこから、町民が住むことそのものが誇りに思える「暮らしづくり」を発展させること、それが「まちづくり」に込められた思いです。
■2つの柱 ~「情報共有」と「住民参加」
まちづくりの大切な基盤が「情報共有」です。まちづくりにかかわる情報は、町民の共有財産です。町民の間でまちづくりに関する情報が共有されていなければ、住民参加も意味をなしません。そのため、町が積極的に自らの説明責任を常に果たしていくことが最低限必要なことです。 この条例では、「情報共有」と「住民参加」を車の両輪に同じと考え、一体のものとして、まちづくりのための重要な原則と考えます。同時に、これらにかかわる基本的な権利の保護に努めます。
■自治の実践 ~町民の主体的行動と自治の基盤
『まちづくりは、町民一人ひとりが自ら考え、行動することによる「自治」が基本です。わたしたち町民は「情報共有」の実践により、この自治が実現できることを学びました。』(条例前文より引用) この前文では、「自治」の手ごたえを感じています。この自治をより本物の自治に発展させることが最終目的です。そのために、この条例を自治のための基本となる条例として、わたしたち自身のツール(道具)として使いながら、わたしたち自身が「市民」として主体的に考え主体的に行動します。その中では、町民のまちづくりへの参加が、自治を守り、自治を進めるものと考えています。 また、自治の発展は、町民の暮らしや経済産業の発展にも寄与すると考えます。各種統計調査においてニセコ町の人口が増加傾向にあること、起業や雇用が増えていることなどの背景には、自治の基盤が大きく影響していると考えられます。
■育てる条例 ~自治の発展
この条例は、最低4年に1回の見直しを行います。平成17年12月にその1次見直しを終えました。 情報共有や住民参加などをとりまく考え方や社会情勢は刻々変化しています。自治のための新たな発想や枠組みも生まれています。国内外における時代の動きを常に捉えながら、その一歩先の将来を考えていくことが必要です。その意味で、町民が将来にわたり育てていく条例として、この条例を位置付けています。条例見直しのタイミングごとに、自治の方向性やさまざまな制度の点検、見直し を行うことができます。
2008年9月15日
市民の資産
その概要には次のように書かれています。
「目的・概要, 最後の岡崎城主子孫の自邸として昭和初期に建築され、歴史的・文化的価値も高い旧本多邸を復元し、有効活用を図ります。 」
実は現存地であった世田谷区でも保存できなかった家屋を岡崎市が譲り受けて、5億モノ費用をかけて、修復するのですが、今年度は設計と造成を行い、来年度には着工するということです。
ヴィジョンもなく、計画を進める、ヴィジョンがないからこそ、市民ではない誰かの権益で進行してしまうのでしょう。そして進んでしまったものを後から正当化しようとする。そのための市民会議なのですが、、、それゆえ紛糾してしまうのですね。
そしてお決まりのように行政直属のNPOによるワークショップを行い、お決まりの方向へ持ってゆく、、、、。小さな個人の邸宅を丘の上に移築したって、活用の内容など限られてしまいます。幻灯会などでどこか遠くの楽しげな風景を照らし出し、参加者を幻惑しているようです。多くの参加者が霊感商法のように感じています。
ガス抜きのために行われる、と考えざるを得ない市民会議ですが、不満がたまる一方です。
2008年9月10日
メディアの視線
あるメディアは5人の候補をそろえ、さまざま質問を投げかけます。そして、最も重要な質問であろう、市民のファックスによる質問を用意していました。「格差の大きくなる中で消費税を上げるのではなく、なぜ、一般税を上げないのか」、「地元の病院では出産できなくて、何時間もかかる大学病院へ行くことになる」、、、、、、。
そこには具体的かつ基本的な、国民の生の声があげられていたのですが、キャスターは「福祉や年金の財源はどうするのか」「消費税はいつ上がるのか」、、、、など抽象的で陳腐な質問を投げかけてしまう。抽象的で陳腐な質問にはそれ相当の答えしか返ってきません。まるで、あらかじめ、質問の内容があらかじめ決まっているかのような、報道番組でした。
一方で、隣のメディアでは候補者の姿などありませんでした、、、、、が、もっと、もっと先を見ていました。
メディアの乱立によって、情報もあふれています。
2008年8月19日
情報の伝わり方
でも、視聴者はインターネットからの情報によって、そのことをすでに知っているのです。だから必要としているソースのありかをもっと的確に、正確に、知りたいのです。また、自分自身の判断とどこに違いがあるか、に注目しているのです。
自由に情報を得ることができるようになった視聴者から、今度は、情報を独占していたメディアがその能力を試される時代となったのではないでしょうか。
これまで、情報を持っていることがその権威のよりどころとなっていました。それはメディアだけではなく、為政者もしかり、教師もしかり、、、、、、、他の都市のサービスの内容を詳しく知ることができたり、市の基本構想に忠実でない行政マンを指摘したり、ネットの詳細情報によって小学生が教師をやりこめることもできるでしょう。地方政治の停滞、教育の腐敗、、、、、。どちらも中央からの命令に忠実でありつづけ、制度を見直すことなく、自立性を失ってしまった付けが回ってきているのではないでしょうか。これまでの権威がその情報に対する古い体制のために、疲弊しているようです。伝えるものが伝わらず、隠したいことが隠せなくなってきています。
すべてを開放し、双方向へ、、、、、、、伝え、伝えあう立場へ、管理を開放し運営しあう立場へ、教え、教えあう立場へと変貌するしか道はないのではないでしょうか。
そう言えば、旅行代理店の窓口でのやりとりもかなり変わってきましたね。詳しい航空機情報も持っているし、お勧めのホテルなどあてにしないで、WEBSITEで直接海の向こうのホテルと契約することもできるようになりました。自己責任で。
2008年8月18日
祈りの痕跡
最初に痕をつけたのは、誰か。5000年前、シュメール人が粘土板に楔形文字を刻んだ瞬間、人間の思考、感情、芸術、科学は記録という行いによる永遠の生命を獲得した。「書く」という人類最大の発明から生まれる芸術や文化は、過去から未来に、個人から集団に伝染する軌跡の痕跡である。
21_21 DESIGN SIGHTの舞台に登場するこれらの痕跡は、現代人の意識に新たな痕跡を刻みつけるだろう。文字通り、浅葉克己が脚で探した地球発の表現を目撃するエキジビジョン。(WEBSITEより)
魂のように刻まれる、言葉やさまざまな人間の活動の痕跡に私たちは魅せられます。
会場には『西夏文字』という作品があります。 「縁者の言は剛けれど、心は日より熱く、郷主の声は柔らかなれど、心は月より冷たし」 言葉の本当の真実が試されます。
言葉やもので様々に伝えられる真実に近づくことが何より必要です。真実や真実の活動によって励まされ、刺激を受け、次の真実が生まれてくると思うのです。
2008年8月17日
価値の方向
これまでは、自分たちのサイクルを外部に外延化して、その価値を生み出してきましたようです。外部からのフロー、外部へのフローを積極的に推し進めれば、活性化は簡単なことのようにも見えますが、、、、、、自律した活動とは言えないかもしれません。また、どこかだけが外部とのフローによって大きな利益を得ることは難しい時代になったようにも思います。
今、もう一度自らの内部のフローを動かすきっかけをつくりだす必要があるのではないでしょうか。自らの周りの、自らの地域の価値がどこにあるのか、その方向はどちらなのか、、、、、、そして、フローが回らなくなって、沈静する原因は何なのか、、、、、、。
価値がないのではなく、価値が変位しているのでしょう、、、、、、古い慣習や制度によって、フローが進まなくなる、しかし、あるところでは別の価値が生まれつつあるはずです。そして、それは地域のさまざまな関係の中から生まれているのではないかと感じています。地域の価値のフローを見直し、新たな価値へ置き換えること、地域に密着し、それらを内側から見いだすことがコミュニティシンクタンクの役割ではないかと考えています。
2008年8月16日
市民による評価
こうした評価の手段には、これまでの経営戦略にかかわる手段が採用されていることが多いように感じられます。CS、SWOT、4P、、、しかし、マニュアル化された分析手段はいずれも現状分析のためのものであり、多くの現状の要素から、分類や切り口を検討することで、それらがどのような方向性や価値を持っているのかを認識することです。
しかし、それらは現状分析であって、評価ではありません。ややもすると、現状を分析して、それで終わっている事例も多いのではないでしょうか。しかも、現状分析法を活用した評価法は現状を肯定するものでしかないのではないでしょうか。
しかし、経営者の手腕はむしろ、現状分析のどこに目をつけ、どのような経営戦略を構築し、コンセプトや目標を明確にするかにかかっています。これは大きな違いです。
市民による、公共施設や組織への評価は、まずそれらの経営戦略をはじめ、コンセプトや目標がどのようなものか、を多くの視点から検討する必要があります。そして、それが実行されているのかどうか、さらに、どのような結果と成果をもたらしているのか、、、、を評価しなければなりません。
評価とは、この経営上のプロセスをトレースすることから始まるのではないでしょうか。
そして、そのプロセスには考えられていなかった要素こそをとりあげて、評価しなければならないのではないでしょうか。
つまり、コンセプトや目標のないものに評価を下すことはできないのであり、また、現状にない新たな要件から評価の基準を作り上げることこそ、評価であると考えています。
2008年8月15日
学校評価
現代の学校システムや教育の現場は、1.硬直的、画一的、柔軟性に乏しい、
2.閉鎖的、地域や保護者との連携が不十分、
3.自ら改革に取り組む意欲が不足している、 と言われています。
しかし、教育特区なども設けられ、ほんのわずかですが、少しずつ改革の道が開かれてきたように感じられます。
その原点は「顧客起点」と「成果起点」にあると言われ、それらの情報を共有するための学校評価が大切であると考えられています。こうした評価を共有するという視点は、学校だけではなく、行政や立法や市民活動においても大切な視点です。
しかし、どの分野でも特に公共的な分野では評価の客観性を大切にするあまり、定量化、指標化することが大きな問題となっているのではないでしょうか。数値化しにくい活動を評価することは永遠の課題かもしれません。数値化することが目的ではなく、課題がどこにあるのか、どのような方向に将来性があるのかを考える必要がありそうです。
ここでは、イギリスのNPMにかかわる教育改革や教育への評価と共に、ポートランドの学校と地域のパートナーシップによる学校支援と学校評価の取り組み、SUN(School Uniting Neighborhood)イニシアチブが紹介されています。
その特徴のひとつに、評価の視点として、アウトプット(結果)だけではなく、アウトカム(成果)を重視し、評価することが上げられています。それは学校教育が教室や学校の中だけではなく、コミュニティ全体の中での学校の役割を明らかにしようとするものです。
学校や図書館、、、、どのような施設や組織においても、その内部の活動や役割を評価するだけでは不十分です。自己満足に陥ることになるでしょう。もっと視野を広げて、それらの周辺にある大切なもの、それはこれまでの学校や図書館にはなかったものかもしれませんが、その大切なものこそ、焦点を当て、取り上げてゆく必要がありそうです。
そして、そのためには、学校や図書館をお決まりのものとみなすのではなく、市民自ら、それらの周辺にある大切なものを絶えずチェックしておく必要があります。それらこそが最大の評価項目となるのですから。
2008年8月10日
綿とジャズの町
今、かつての綿のまちを再び綿畑でいっぱいにし、人々の心の中に綿を再現しようと活動が行われています。世界の綿の産地「メンフィス」にならい、「綿フィス化計画」と呼ばれています。地元の三河木綿企業家である稲垣氏に推進され、市民に広がり始めています。
成功を急ぐのならば、綿の新たな製品化を行い、かっこいい宣伝文句、キャッチフレーズで人の心に訴え、その事業の成功に結びつけるものですが、、、、、まず、地域のなかに綿を受け入れられる基盤づくりを積極的に行い、地域の人々の、木綿に対する意識が広まり、熟成することから手がけているのです。
情報発信側の掛け声だけで広がるとは限らないのが世の常です。むしろ地道に市民の目に綿畑を根付かせてゆくことの方が着実で息の長いものになるかもしれません。歴史はそのようにしてつくられていたわけですから。石油に始まる、社会の危機の中で、衣の自給率を問う中で、あるいは地方の文化を問う中で、もう一度岡崎が綿畑に埋まる日も来るでしょう。
一方、「ジャズのまち岡崎」と言われて3年。岡崎市とジャズの関係は市民である内田修氏のジャズコレクションが市に寄贈されたことにより始まります。一人の岡崎市民のコレクションを元につくられたイベントです。全国の多くの町でジャズをキーワードにまちづくりが進められています。どこも、ジャズによって、市民の一体化をはかり、お祭りとなることを目指しているようです。
「内田氏は、レコード収集を続けながら、ジャズクラブ「ナゴヤホットクラブ」をはじめ、世界でも例のない33年間150回以上の長期にわたり行われた「ナゴヤ・ヤマハジャズクラブ」を主宰されるなど、日本ジャズ界の発展に多大な情熱を傾けられました。
また、才能があってもなかなか日の目を見ない若手ジャズメンたちを応援し、ときには岡崎の病院で長期にわたる滞在をこころよく引き受けることもありました。「ドクターズ・スタジオ」と呼ばれた病院内のスタジオで、練習やリハーサルに汗を流した若き日の日本のトッププレーヤーたちも多いと聞いています。」(内田修ジャズコレクションWEBSITEより)
この内田氏の活動からは、地域での本物の活動こそが地域を刺激し、何かを行う人たちを刺激を与え、力づけるものなのですね。情報の発信者の自己満足ではなく、受信側の多様で豊かな反応が、情報の発信力として必要であることがわかります。
情報の受信側の基盤整備が、近い将来、綿のまちとして知られ、特別の風景と文化を岡崎にもたらすことになるのではないでしょうか。
2008年8月8日
市議会の代表質問から
市議会の記録が公開されていますが、市民病院に対する、その質問の内容からは、深い内容をうかがい知ることはできません。「お伺いします」、「お尋ねします」、「お聞きします」が延々と続きますが、議員自ら分析や提言する必要はないでしょうか。
今、岡崎市の市民病院は負債が定常化しています。詳しい内訳はわかりませんが、
平成17年度の収 入、15,472,880,492 、支 出 、16,500,874,041 、△ 1,027,993,549 、平成18年度の収入 15,822,965,469に対し、支出、16,841,084,314、△ 1,018,118,845、平成19年度 は収入、15,806,423,897に対し、支出、16,968,576,840 、△ 1,162,152,943 となっているようです。収支率がおおそよ93%です。(全国の病院の収支の動向についてはhttp://www.ajha.or.jp/topnews/backnumber/2004/04_12_01_1.html に紹介されています。)
また、数値に現れていること以外にも、福祉の充実した近隣都市の市民病院へ患者が流れ、また、有能な医師も離れているという見方が市民のなかで噂されています。市民自ら、地元の医療施設(市民病院ではありません)と近隣の優秀な病院との連携の重要性もすでに自覚しているのです。
かつて、地域の中心にあった市民病院を市域北部の丘の上に配置した時点で市民という視点を排除してしまったのではないでしょうか。
以下に掲載する代表質問とそれに対する事務局長の回答をよくよく読んでみると、地域の医師会の方がよほど深く深く考えていることもわかります。医療もネットワークなのですね。
平成20年3月岡崎市議会会議録第2号から
◆45番 皆さん、おはようございます。・・・・議長のお許しを得ましたので、代表質問をさせていただきます。・・・・ 私どもの会派の要望に対し御理解をいただき、丁寧な対応をしていただきました点につきまして、まずもって感謝申し上げます。
・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
4、保健・医療・福祉の充実について。
(2)市民病院の適正規模。 本市の市民病院は、西三河南部医療圏の第3次病院としての機能を果たすとともに、病床数650床、そしてその利用率は97%以上で推移しています。十分な医療活動を続けていると思います。 本市の人口推移を見ますと、昭和35年より増加の一途であります。また、工業団地等設置により昼間人口も増加しています。そして、近隣市町の人口も同じように増加しております。本市の人口増加は平成37年まで続くと推測されております。このような状況で、現在の岡崎市民病院一つでよいのか、行政の見解を聞かせてください。 市民の中には、南部地域に総合病院が必要だとの声も聞かれております。何らかの対応、計画を立てるときが来ているのではないかと思いますが、御意見をお聞かせください。
◎病院事務局長 私からは、4の(2)の市民病院の適正規模ということでお答えをさせていただきます。 市民病院は、地域医療の中核的機能を果たします基幹病院として、緊急もしくは重度の患者さんを中心に、高度で専門的な医療を24時間体制で行う急性期の医療を担っておるところでございまして、現在23診療科、650床で、病床利用率では御指摘にありましたとおり97%を超える状況で運営をしているところでございます。 この規模は、37万都市である岡崎市立の自治体病院といたしましては、自治体病院を持たない市町村もあるわけですが、他市町村との比較においても一定以上の規模、レベルにはあるというふうに考えております。 そして、自治体病院の新増設に関しましては、国の状況から申しますと、国にあっては自治体病院の経営形態のあり方の検討を求めておりまして、統廃合等を促すことも含めた政策が進められておる状況下でございます。つまり、自治体の病院経営そのものの是非が問われる社会状況になっておるというふうに理解をしております。 また一方、現実に目を向けますと、勤務医不足から、病院、病棟の閉鎖が話題となっておりまして、さらに最近では看護師不足から病棟閉鎖を検討する病院も出ておりまして、実際にここ二、三日の間でも、具体的に看護師不足から100床単位の病棟閉鎖という発表もされておるところでございます。 こうした状況と考え合わせまして、当院も現状の規模、機能を維持すること自体が大きな課題となっている状況でございます。こうした状況下では、現在のところ市民病院としては大きな規模拡大は当面困難ではないかというふうに考えているところでございます。 当院としては病診連携、病病連携、つまり病院と診療所、開業医さんとの連携、そして病院と病院との連携、これを強化いたしまして、地域の医療資源を最大限に活用することに努力を傾注してまいりたいと考えております。 しかしながら、本地域においてベッド数等が充足されているかというような質問趣旨に対しましては、当院が急性期を過ぎた患者さんの転院先に苦慮していますように、必ずしも充足されていないと考えております。 また、医師会さんからも、今後は療養病床等の不足が大きな社会問題に発展するのではないかと、こういった問題提起もあったところでございます。この問題は、経営主体の問題、つまり公がするのか、民がするのかといったことを初め、基本的な多くの課題が検討、整理される必要がありまして、この検討には岡崎市全体、さらに西三河南部医療圏、こうした広い範囲ですべての医療機関と行政が参加するような形で検討を進める必要があり、最終的には国の理解も必要になってくるものと考えます。 昨年、医師会保健所が中心となりまして、地域医療全体の検討の場も設けられたところでもあります。当院としても、地域の基幹病院として、これに積極的に参加、協力をしてまいりたいと思いますので、御理解を賜りたいと存じます。
2008年8月7日
即興音楽
文学のゼロ度、4分33秒というタイトルの無音の音楽、アンフォルメルという絵の形式、、、、、、など、一旦、打ち立てられた形式や制度から逃れようとする試みは多くの分野で、多くの人たちによって試みられてきました。
そうしたなかで、即興音楽に音楽の本質を求めている人たちも多くいます。「うたの家」で活動する即興からめーる団の赤羽美紀さんと正木恵子さんたちもその活動家のひとりです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20080726/CK2008072602000128.html
彼女たちのさまざまな試みからは、音楽とは、自らがいるその場に存在する音のさまざまなリズムを発見してゆくこと、場に音のリズムを見出すことであるとわかってきます。
場にはさまざまなものが潜んでいるのですね。
場に混在する生活のさまざまな形を見つけ出すのが建築の新しい姿であり、(当然なのですが)
場に集まる人々のさまざまな姿や言葉から、社会の真実を見つけ出す、すなわち、新しい公共の形を見つけ出す試みだと思っています。もちろん、それがコミュニティシンクタンクの形です。
2008年8月6日
ホームスクーリング
日本でも大学検定試験(現在は高等学校卒業程度認定試験と改定されました)を経て大学へ入学してくる学生も多くなってきました。高校生の大学AO入試に立ち会うと、高校へ通学できないでいる高校生もかなりの数に上るようです。それぞれのスタイルで多くの人が頑張っていることは一つのステレオタイプしか認めない日本では大切なことのようにも感じられます。
日本ホームスクール支援協会http://www.homeschool.ne.jp/hosa/なども設立されています。
そのうち、高校には通学する必要がなくなるかもしれません。むしろ、大学進学には高校へ行くよりもホームスクールで、社会性を学ぶのであればコミュニティスクールで学習することが一般的になるかもしれません。
では、多くの高校が進学先へ進むためのものになっている今、高校とは何でしょうか。
また、教師の存在も見直す必要もでてくるでしょう。教育とは知識や情報を伝えるもの、ではないことは明らかです。インターネットの普及で教師よりも知識や情報の豊かな生徒も数多く生まれています。
本質ではなく、制度やマニュアルを与え続けてきた結果、集団化教育や画一化教育とは、教育とは何かを見失わせるものだったかも知れません。
例えば、それは教員の意識の中にも存在しています。高校の教育とは特殊なものだという意見があります。生徒と教師と、学生と教授とは異なる関係にあるという意見です。しかし、特殊なものにしてしまって外部に目を開かないのは、旧態然とした視野の教師自らの責任なのではないでしょうか。
新しい高校のあり方を考える構想を進めていますが、それは内部から改革を進めるには難題が山積しています。しかしながら、画一化した学校教育ではなく、本物の教育を一生涯に渡って継続するという発想に立つとき、中学も高校も大学も、、、企業も地域も、、、すべてをつなげて、考え直す必要があるように感じます。そこにこそ、教育の進むべき道、改革の道があるように考えています。
2008年8月5日
ボランティアのゆくえ
また、ボランティア連絡協議会にはボランティアへのニーズとボランティアのシーズが集まっています。しかし、そのシーズは多くのニーズに応えられず、一部のボランティアにひずみが発生していることもその一因のようです。
何故、シーズとニーズが合わないのか。 また、ニーズに対するボランティアの能力が不足しているのでしょうか、そうであれば、ボランティアに要求される特別の能力とは何でしょうか。
ボランティアとは誰でもが、意欲も持ってできるはずのものですが、今、多くのものがボランティアの手にゆだねられ、手に負えなくなっているものもあるでしょう。また、安易に委ねられているものもあるでしょう。
例えば、介護保険によって、様々な場面で有償であり、専門家による介護が行われるようになりましたが、まだまだ多くの隙間があって、その多くの隙間を埋めているのはボランティアであるようです。ある動作までは有償の専門家が介護し、あるところから無償のボランティアがサポートする。
今、行政の縦割り化によって、ボランティアの対応も縦割り化しています。いろんな部署でボランティアのコーディネートをし始めています。それぞれの部署が成果を競っています。
ボランティアの多様化と縦割り化が始っています。と同時にボランティアの役割は確実に重くなっています。
しかし、ボランティアには無償に対するプライドがあるようです。ベテランのボランティアほどその心意気は高いです。しかし、その孤高さ、融通のなさ、柔軟性のなさ、、、は現代の多様なボランティアの形に対応できていけないのかもしれません。
多くのボランティア必要とする現代では、多様な立場と境遇の人たちが共に社会を協働してゆく必要があります。それがこれからのボランティアと言えます。有償か無償かというボランティアを提供する側の論理ではなく、ボランティアを必要とする側の状況をまず考える必要がありそうです。
2008年8月4日
素人の発言
もともと、狭い住宅地の真ん中の伊丹空港の安全性や騒音問題を機に、神戸沖、泉南沖、淡路島の3つの候補地のなかから、泉南沖が当選し、現在の関空が生まれたのだと記憶しています。、、、、しかし、伊丹空港は未だ騒音を排出し続け、おまけに、神戸沖にも新たに空港ができているではありませんか。
この素人と言われる知事の素人っぽさとは何でしょう。元大臣のプロ意識とは何でしょう。
プロの政治家には色んなしがらみや利権がくっついてきます。どれだけ、多くのしがらみや利権とつなげられるか、が重要であり、そのためには、できるだけ、浅く、広く、かかわることが要求されるのではないかと思いたくなります。身近に聞く政治家の発言は、特に選挙前の多くの政治家の発言は素人の発言のように浅く、広く、本質をつかんでいないものです。
プロとは何か、、、プロの政治とは何か、、、、
ネゴシエーションでの力の関係で落ち着くところに決められてしまう結論の、その力の関係を絶えず見直すことが、プロたる政治家のプロフェッショナルな職能なのではないかと感じます。
関西には、空港は神戸沖にひとつあればよかった、、、利便性も安全性も騒音による問題も、比較すれば、最も可能性の高い空港だった、、、そんなことは当時、大阪の子供だった僕にもなんとなくわかっていた。
素人と言われる政治家のプロ意識。プロを長年やっている政治家の素人っぽさ、危うさ。そろそろ、気がつく必要がありそうです。
2008年8月3日
地域と図書館
滋賀県愛荘町愛知川図書館長渡部幹雄さんもまた地域図書館を推進する有数の図書館長です。彼は地域と図書館の関係を、中学校区ごとに展開する図書館、これをコミュニティ図書館、生活図書館と位置づけ、それらを支援する県立図書館など中央のシステムを構築し、全国に行き渡る図書館網がはりめぐらされることを提言しています。
彼の考える地域とは中学校校区程度の広さのコミュニティであり、このコミュニティがが全国に展開してゆくことが重要であると考えています。
ちょうど、彼の愛知川図書館が人口11500人の全国平均の中学校区の規模となるようです。
その評価は図書の貸出密度だけにとらわれることなく、地域住民の生活を支える役割を果たしているかが重要となる。地域資料を住民から募り、常備し、生涯教育の場として活動の場所を開放し、地域の素材を活用するプロデューサーとなる、、、それが渡部館長の考える地域図書館です。
中央に大きな開架書架の空間、そして、隅々に読書のためのポケット的な空間が配置され、居心地のよい空間を作っています。
2008年8月2日
倍音音楽家
口琴を演奏中の写真です。倍音という意味ははっきりとは認識できませんが、しかし、古い楽器であればあるほど、その奏でられる音の不思議な魅力ははっきりと伝わってきます。
人の身体を共鳴体とした彼の音楽は、最も根源的な音と言えるかもしれません。楽器を使ってはいますが、生の叫びのように聞こえるのです。
音楽が記され、奏でられることによって、音楽のその一部が失われてしまうのでしょう。彼は、それと闘っている音楽家です。
2008年8月1日
耳マーク
聴覚障害者自身が体につけて、外見だけではわかりにくい聴覚障害を表すシンボルであり、手話や筆談などのサービスが受けられる場所を示すサインでもあります。