「コヤケの小言(つぶやき)」とは僕の高校時代の恩師のことばです。
http://nostalz.exblog.jp/
『「コヤケ」は奈良方言。「小宅」、貧しい家のこと。「オホヤケ(大宅=財産家)」に対していう。「小言」は親とか大家さんのように上に立つもの、権威あるものが言えば「コゴト」になるが、ここでは「小さな物言い」というぐらいの意味。肩書きも権威も持たない庶民のことばは「つぶやき」にしか聞こえないだろう。 』
当時はことばよりも、文字や記号があり、数字や公式があり、多くのものがことばよりも先に表れてきていました。ことばがコミュニケーションのためなどというものではなかったのですね。しかし、今の彼のことばを読むと、人とことばがつながれていることがわかってきます。言葉の向こうには発する人が必ず見えてくると実感します。
ことばがひとつひとつをつなぎ、意味をうみだす。そのすぐ向こうに一人ひとりの人がいる。一人ひとりの言葉のすぐ向こうには、ひとつひとつの社会があり、そのすぐ向こうにあるのが「環境」というこれからの社会ではないでしょうか。
つまり、一人ひとりの言葉のそばに環境がある。
数値や記号じゃない言葉のそばには、数値や記号じゃない人がいて、そのそばには一人ひとりの環境があるのではないかと考えるのです。
今、多くの問題や提言が寄せられだし、コミュニティシンクタンクはもうすぐ離陸します。その声の一つ一つに、それぞれに向かい合って、対峙しなければなりません。ひるまず、こびず、その判断する基準は一つ一つの言葉であり、人であります。
地域ファンドって、何だろうと考え始めました。コミュニティの基本となることばなのかな、と感じています。
0 件のコメント:
コメントを投稿