まちづくりの現場でははからずも、かつての旧日本軍のように、いつも大本営発表が行なわれています。
人が集まってなかろうが、活気にあふれていなかろうが、人々が冷めていこうが、「多くの人の活気にあふれた」「意識が次第に高まってきた」、「意欲的にまとめられた」、、、、、、、。行政に雇われたファシリテーターの常套句です。市民はもちろん、雇っている行政までもが騙されているのです。
ワークショップでは何が行なわれているのだろう。どのように行なわれているのだろう。人々は次もまた参加してくるのだろうか。本当に疑問に感じます。ワークショップで示される人々のきめ細かな感情を感じ取らないとワークショップなど成果は上がらないはずです。
そこではまちの何かが作られ、知らないうちに、それはいやおうなく進んでいきます。ここには、メディアがその場に入り込み、一部始終を客観的に報道する必要があるでしょう。それには市民によるジャーナリストやコラムニスト、カメラマンがミニコミ誌を作るようにまちを探っていかなければなりません。
実はまちにはフリーペーパーやタウン誌など様々な情報誌がいたるところに置かれて、まちの情報が市民に提供されています。それに多くの市民ボランティや学生が奔走し、今豊かな情報社会ができています。しかし、そのターゲットを店舗や飲食店だけではなくて、まちで活動する人々へ、まちづくりの現場へ向けることで、自らのまちへ視点を開くことで、自分たちのまちの本当の姿、今起こっていることの真実が得られると思うのです。
それにはこれまでの報道という形式を変えねばならないでしょう。市民自ら、今日の自分を語るのです。そのなかに、「今日もワークショップで裏切られた。次は行かないぞ。」とか、「いつも同じ議論が堂々巡りしていて、、、、」とか「何か知らないうちに決まっていたね、、、」とか、真実を公に語ることで、まちの本当の姿が明らかになる。真実の、生の情報からしかまちの将来は築けないと思うのです。
情報の手段が多くの人に解放された今こそ、市民たちがそれぞれメディアとなって、真実を伝えるジャーナリストとなって活躍することができるのではないでしょうか。自分たちの目で自分たちのまちを知る必要があります。
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