2008年7月21日

昇任試験

「名古屋市役所の係長の昇任試験を受ける職員が減り続けている。98年度に1357人いた「行政事務」分野の受験者数は、07年度には522人と、ほぼ3分の1に落ち込んだ。出世より、自分の時間を優先する生活スタイルの変化が大きな理由と市はみている。
「昇任試験のための受験勉強より、子どもとの時間を持ちたい」 ある管理職は部下に係長試験の受験を勧めたところ、こう断られた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50歳代のある幹部は「最近の若手は責任を負わなければいけないということにばかり目がいくのかもしれない」とこぼす。市が懸念するのは、市全体を引っ張ろうという職員と、それ以外とで二極化してしまうと組織力が落ちるのではないか、という点だ。」http://www.asahi.com/national/update/0714/NGY200807140003.html?ref=rss

職場こそが実践の場として最も大切な場であると考える人も多いのではないかと思います。仕事を自ら遂行することで、PCDAという仕事のサイクルや、「準備」、「熟成」、「啓示」、「検証」というクリエイティブなプロセスを体験することで、自分でできることを増やしてゆく、、、、山を見つけ、山を乗り越えることで、また、次の大きな山を乗り越える能力が身につくのであり、そして、社会の矛盾を正面から見据えることができるようになるのだと思います。それがキャリアの向上と考えてきました。

昇任試験は与えられた答えを一元的視野で身につけることにつながりませんか?

昇任試験に合格して、幹部と言われる職員が社会に、地域に、何を貢献しているか?、、、、、、、若い世代はそれに気がついているのではありませんか?

それを「生活スタイルの変化」と推測するのは的がはずれていませんか。

社会へ出ても、役所に入っても、決められた答えのある試験が必要なこの特別の社会、、、、、この旧態然とした制度を改革し、本当にやる気と実力ある人が意欲を持って働き、その能力を認めていかないと、お役所仕事は改まっていかないのではないでしょうか。

「市民が本を盗まないように窓が開かない図書館」を推進する職員(うそのような話ですが、、、、、)、「15mもの大きなはぜの木や土手の大きな桜並木」をいとも簡単に伐採し、30年たったら同じような大木に育つと言い切る職員、企画書の「想像性」という言葉を「創造性」の間違いだと言い訳する職員(想像力のないものに創造性など生まれるはずはないと思いますが、、、、、)、「一部の市民に広場の樹木がうっとおしいと言われたら、すべての樹木を伐採してしまおう」と考える職員、「根回ししないで大切な樹木を5月に移植しようとする」職員(季節と準備を考えないで移植が成功するはずがありません)、、、、、、彼らも昇任試験は合格しているのかもしれませんね。

地域の何が大切な価値かを知り、どこに価値が眠っているかを知ろうとする、、、それを守り、発掘し、継承する、、、、その役割を魂に刻むことが、、、、行政マンのプロたる職能だと考えます。

(ポジティブシンキングしなくては、、、、、)

2008年7月20日

誇大広告と美化

今、キャンパスのあり方を考えています。 15年間、明治学院のキャンパスの再開発に携わり、次代の教育空間とは何かを考え、あり方を模索しているのです。もうそろそろ、戦後の復興期に開発された横並び式のキャンパスの次を考えなくてはなりません。(しかし、信じられないことですが、文科省の推奨プランは今でもそのようなものなのです、、、)

キャンパスを考えるには教育そのものを考える必要があり、高校生と高校教員の本当の関係、、、、それを新たにする必要があります。そのためには古い教員や制度も同時に改革する必要があるかもしれませんが、それが、内部から改革が起きない原因なのでしょう。

しかし、地域との連携の中で、地域の人たちが学校に入ってきます。高大連携が叫ばれ、新たな高等教育が始まります。常に改革を進めるための可変性を持った豊かな空間が必要になります。その可変性が実力ある教師を選別します。エコロジカルな社会に向けて、人と人、人と自然、人と社会の関係が社会生態系の中で混在してゆくはずです。

文科省の推奨する横並び式の制度とキャンパスは近いうちに、このような外部の力によって瓦解することでしょう。

そんなことを考えながら、学校教育を考えていたら、以下のようなサイトに出会いました。どこでも現状を肯定することで、瓦解を防いでいるようです。 教育も、まちづくりも同じですね。

「誇張や美化はやめましょう  (教育 / 2008-07-19 )」
http://blog.goo.ne.jp/madographos/e/7bd16681be1cbca2edaaf47f450c1df6

学校から発信する文書に,誇張や美化はありませんか?
学校の姿を,本当に見えている姿以上によく描いてはいませんか?
学校がこぞってホームページを開設し,色刷りのパンフレットを作成します。そこにも商業主義の波が押し寄せます。誇大広告になっていませんか?

ことばは,大切にしなければなりません。できるだけ,真実を包み隠さず伝えなければなりません。それがたとえ,学校にとって不利なことであったとしても。ただ,残念なことに,今の世の中では,誇張や美化のない誠実な学校に,生徒は集まらないのです。

2008年7月19日

PCDAからの脱却

PDCAサイクルは、第二次大戦後に、品質管理を構築したウォルター・シューハート(Walter A. Shewhart)、エドワーズ・デミング(W. Edwards Deming)らによって提唱された。PDCAサイクルという名称は、サイクルを構成する次の4段階の頭文字をつなげたものである。
Plan (計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
Do  (実施・実行):計画に沿って業務を行う。
Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する。
Act (処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする。
この4段階を順次行って1周したら、最後のActを次のPDCAサイクルにつなげ、螺旋を描くように一周ごとにサイクルを向上(スパイラルアップ、spiral up)させて、継続的な業務改善をしていく。

(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)


コミュニティにかかわる運営や業務の形態を調べていて、コミュニティビジネスやコミュニティシンクタンクなどにおいても、このサイクルが援用されていることが多いことに気がつきました。


それは、とにかく、「DO」、何かを一方向的に進めることになりがちではないでしょうか。効率性や管理性においては、その方向でいいかもしれませんが、現代の多様で、複層的な事象を進めてゆくには、もっと、DOの部分を真剣に取り組む必要があるかもしれません。

「クリエイティブ資本論」では、社会をクリエイティブという視点からその趨勢を解明しています。


クリエイティビティとは統合する力。情報と知覚と素材を取捨選択して新たな価値を生み出す組み合わせを表すものであり、一人の天才の領分ではなく、普通の力、、、、つまり、気づくこと、聞くこと、言葉を理解すること、そして共通点を見出すことである、、、

それは、これまでの時代においても生産性や成長をもたらしてきたものであるが、技術革新や新しいビジネスの分野だけではなく、多元的、多面的なものであり、現代の時代においては創造の過程は個人的なものだけではなく、社会的なものであり、創造する組織が必要とされる説く。クリエイティビティを促す新しい構造が生まれつつあるというのです。

クリエイティブな思考は4つの段階、「準備」、「熟成」、「啓示」、「検証」、から生まれ、
「準備」では意識して課題に取り組み、正攻法で論理的に取り組む、、、「熟成」段階は意識下の精神と無意識がつくる方法によって問題について熟考、(つまり、想像力のことかな、)、、そして啓示段階でひらめき、新しい統合が見える段階となり、、、「検証」はその評価と修正となる。

ちょうど、それはデザインや創造行為と同じプロセス、しくみです。社会の多くの事業や活動においても、実際にはこのように神の啓示を待っているようです。技術も経済も、芸術も皆同じなのであり、さらに言えば、僕はまちづくりにおける集団的活動もPLAN-DO、そしてACTのような直線的方向ではなく、共有による創造性が大切だと考えてきました。それが啓示であり、共有する課題の発見につながります。

まちづくりという多数による集団による創造行為もまさにこのような熟成から啓示を待っている。PLAN-DOなど、ベルトコンベアに乗っかったような、それを検品するような、単純なサイクルでは、現代の複雑な社会や多数の市民や、新たな答えを求める活動にはむしろ、ブレーキとなるものではないかと感じます。

新たな創造、、それは難しいものではなく、「普通の力、、、、つまり、気づくこと、聞くこと、言葉を理解すること、そして共通点を見出すことである」ことのようです。

2008年7月18日

条例か機構か

条例などをいくら立法しても市民によるまちづくりは推進できないでしょう。まず、条例を制定することではなく、まず、市民中心の組織やしくみを考え、試行してみることです。法律は後からついてくるものではないでしょうか。首長も議員も法律をつくれば、いいと思っているようでなりません。そんな記事とブログに出会いました。法律をつくってから、しくみの検討なんてありえないだろうと、、、、、、どこでも行われていることなのでしょう。

「花巻市は、四月一日に施行したまちづくり基本条例に基づいて市民参画・協働推進委員会を設置した。委員十五人を決定し、十四日に初会合を開く。市民による市政への参画と協働のまちづくりに向けた環境づくりのほか、参画の方法や参画状況の評価など市民参画の具体的な仕組みについての検討がスタートする。 

同条例は、市政運営の基本ルールを定めたもので、市民が主体となって参画し行政や議会と協働してまちづくりを進める内容をルール化。同委員会の設置は十五条で規定されており、市民の市政への参画や協働が適正に推進されるよう活動する。メンバーは団体からの推薦者や学識経験者、公募委員の計十五人。 

条例には、市政への参画方法としてまちづくりにかかわる重要な計画の策定や条例の制定には、意向調査やパブリック・コメント(意見公募)、ワークショップ、意見交換会などを行って、市民の意見が反映されるよう配慮することを明記している。

委員会では、実施した市民からの意見吸い上げの方法が良かったかどうか評価するなどしながら、より良い市民参画の在り方を模索していく。初会合となる十四日は、市側が委員会の役割などについて説明するほか、今年度の市民参画と協働の推進方策について意見交換する。」
(岩手日日新聞社より:市民主体のまちづくり 委員15人を決定~花巻市 (07/07))

新聞社という公共の組織が本当に物事の本質をつかまえているのか、、、、、。記者のジャーナリストとしてのプロ意識はどこへ行ったのか。誰が真実を伝えるのか、、、、。
市民によるまじめな報告(ブログ)の方が真実を率直に明らかにしているように感じてならないのです。

こんなことは全国で行われているのだろう。どうしたら、本当の民主主義が生まれるのか、、、、、。市民受けを目指す市長と利権の代表で表面だけを理解する議員とルーティンワークをこなすだけの職員からは生まれないだろうな、、、、、、、、、、、、、。

この市民参画・協働推進委員会は3回だけ、開かれるようです。

市民のブログより⇒
花巻市役所本館303号室。午後2時~午後4時半。第一回「花巻市市民参画・協働推進委員会」の見学に行ってきました。委員の出席は、15名のうち、大学の勉強があるからとの理由で2名欠席の13名。傍聴人は6名。報道機関から2名。市からの出席は3名。

委員15名のうちわけ。市からの要請で、農協代表、商工会代表、福祉協議会代表、PTA代表、老人クラブ代表、婦人会代表、区長代表の7名と、学識経験者3名の10名。公募委員はわずか5名。そのうち2名が授業のために欠席なので、いわば本当の意味の市民代表は3名だけだった。

市長挨拶で、「この委員会は、まちづくり基本条例の実質的な推進のエンジンになる・・・自分達の町は自分達のもの、自分で作っていくまちづくりの意識を、多くの市民が持てば持つほど良くなっていく・・・そういう市民を育てるのが・・・批判だけのオンブズマンだとかの市民じゃなく、自分達で町を作っていく、行政と一緒になって作り上げていく。そういう市民を・・・・・」と。

Q:公募委員のMさん(前回の基本条例作成の委員長)  2人の委員は、学業のため欠席、と言いましたが学生さんですか?今回は仕方ないとしても、今後も出席できないのであれば、早めに他の応募して落選した人に変わってもらった方がいいのではないですか?

Q:公募委員のSさん 委員を募集してる記事を見て、応募したが。募集しているという事しか、情報がかかれていなくて、いつ頃、何回あるのか、(交通費とかの)手当ては出るのかそれとも無償のボランティアなのか、どういう内容を審議する委員会なのかが、探したがまったく情報がなかった。こういう情報の無い公募は、応募しようとすると負担が大きくてためらってしまうが、わざと情報公開しないでのは無いのか。市に近い、委員会の情報を持っている人以外を排除するために、情報公開しないでの公募は、一般市民を締め出す一種のフィルターがけじゃないのか、と思ってしまう。


この委員会の目的について、市の説明「花巻市市民参画・協働推進委員会」の目的第2条 委員会は、次に掲げる事項について、執行機関の諮問に応じ調査及び審議し、または執行機関に意見を述べるものとする。
(1)市政への参画方法の研究や改善に関する事項(ここが一番大切な部分です。の説明あり)
(2)市民参画と協働の推進に関する事項
(3)市民参画の評価に関する事項(この3つがこの委員会の協議の核心部分ですの説明あり)
(4)条例の見直しに関する事項第3条 委員の構成について(略)第4条 委員長・副委員長について(略)第5条 委員会は、委員長が招集する。第6条 庶務は地方振興部で処理する市の説明の中で、市政への参画方法の研究や改善、について審議すると最初に言いながら、審議する回数は年3回のみ。次回は10月、その次は2月の3回のみ。

そしてできれば今日、平成20年度市民参画手続き6案件、
「国土利用計画花巻市計画の策定」
「花巻市公共交通実施計画の策定」
「花巻市都市計画マスタープランの策定」
「花巻市高齢者保健福祉計画・第4期介護保険事業計画の策定」
「第2期花巻市生涯福祉計画の策定」
「岩手中部地域水道ビジョンの策定」
を審議(承認?)してもらいたい、と言うので、

M委員が質問。
Q1 年3回では(1)市政への参画方法の研究や改善に関する事項ができない
Q2 市民参画手続き6案件 は、1つ案件に1日かけて良いのではないのか。市民へのアンケートやパブリックコメントにどう言う意見が寄せられてるか、それらがどう反映されているか検証するには、1案件に1日かかると思うが。

A1 3回というのは目処で、増やすのは委員長の考えでいくらでもできますが。みなさん忙しそうなので、多くする事はできないと思います。
   Q:M委員 委員長の一存で増やせるそうですが、委員長どうでしょうか?
   A 委員長は、市の職員の席を見るが、返答はなし。
A2 市の回答なし。かわりに公募委員のHさんが、市民参画手続き6案件については、市がアンケートをとり、パブリックコメントを集め、各種委員会の有識者に意見を聞いてまとめたものを、もう一度審議するというのは、市に対して失礼じゃないのか、と意見を述べた。

市政への参画方法の研究や改善に関する話し合いと言いながら、実際は市民参画手続き6案件をドサクサ紛れに通してしまおう、というわかりやすいたくらみにはあきれる。

M委員:10点 市の推薦委員からの攻撃の孤立無援の中で、市側の隠された本音を引き出した活躍は、満点だろう
推薦委員7名:残念ながら3点 何より、基本条例も、参画条例も知らないで出てきたのが分かる。今回は顔合わせだけだろうと思ってきた人が多いみたいなので、分からなくても仕方の無いところもあるが、発言も無く質問も無いのは、いないのと同じ。メモをとってる人もほとんどいなかった。明らかに、来たくは無いが仕方なく時間つぶしに来た、としか見えなかった。 ただ、婦人会の代表は、女性の議員とこういう委員会に女性を増やすために来た、という積極さは見えたので4点。
学識経験者:4点 言動から、基本条例や参画条例について分かっている事は明らか。ただし、発言がほとんど無かったし質問も無かった。いくら頭がよく、知識が豊富でも発言が無いのはいないのと同じ。学識経験者を委員に入れるのは、豊富な知識と頭のよさで委員会を良い方向に誘導してもらいたい意図があるのに、リーダーシップもとれずただ座って時間つぶしをしていたので、4点。
委員長:4点 市の職員の顔色ばかり気にして、リーダーシップが取れなかった。H委員:6点 基本条例・参画条例について分かっていないで来たのは明らかだが。積極的な発言が多く会議を活性化させた、ので6点。
S委員:7点 今回の委員会で、積極的な発言をしたのは公募委員の3名だけだった。S委員は、基本条例・参画条例についてよく勉強していたし、会議を良い方向に導こうとしての発言が目に付いた。欠席学生2名:0点 言うまでもないが、勉強している他の公募した人たちが落とされ、意見を言う機会を奪われたのですから、欠席は自分だけの問題ではないのです。2回目の委員会で、委員の皆さんがどれほど勉強しなおして来るか、楽しみです。

2008年7月17日

市民研究員募集します。

「吹田市は平成20年6月、まちの個性や魅力を発揮するため、先進的で実現性の高い政策提言を行う「吹田市まちづくり創造政策研究所」を設立しました。市民を中心に学識経験者、市職員が「研究チーム」を結成し、市政を取り巻く課題の解決に一丸となって取り組みます。」

行政主導の市民参加型のまちづくり活動がまた、ひとつ生まれたようです。どのように運営されているのか、市民の立場と権限、自由はどのように与えられているのか、、、、興味がつきません。

その吹田市まちづくり創造政策研究所が市民研究員を募集しています。
市民研究員が5 つテーマからなる研究チームを構成し、運営されるようですが、それ以外の詳しい活動内容は公表されていません。

地方都市の場合は、市民を巻き込みながらも、しかし、制限を設けたり、管理性を強くし、一定の枠の中に押し込め、形だけは市民参加を謳うことが多い中で、大都市近郊の吹田市で、様々な思惑を持った市民をどのように惹き付けてゆくか、巻き込んでゆくか、どのように提言してゆくのか、注目したいと思います。

http://www.city.suita.osaka.jp/var/rev0/0001/1524/guide2008.pdf

2008年7月15日

ひつまぶし

名古屋の神宮前でひつまぶしを初めて食しました。名古屋のうなぎは関西系?と感じました。味の濃さは関東系?、、、ゼミの学生はマイたこ焼きプレートでパーティをします。となると、関西系ですね。

関西で育ち、学び、東京へ出てきたときに、多くの文化の違いに驚きました。西と東、常に2元的に語られてきましたが、関西にとっては2元論でも、東京から見れば多元論の一つであったのです。

今、愛知から社会を見るようになっています。その視点はいくつかの2元論が混在しているようにさえ感じられます。

名古屋では愛地球博以来、市民活動の活発な動きがそのままの勢いを保っているようにも見えます。この市民活動を統括してRCE、つまり、持続可能な開発における教育の拠点を名古屋に作ろうとして、ユネスコに認められたようです。しかし、その内実は、アカデミックと企業との先導の上に生まれ、上からの統制はうまく展開できないようです。

僕は京都のようなアカデミック中心でもない、東京のような企業の利益中心でもない、第3の方向性、すなわち、市民自ら、自らをつないでゆく、自立的組織を提案したのですが、、、、、。大きな力を必要と考え、先を急ぎたい人たちにはまったく見えなかったようです。

名古屋という都会でありながら、ちょっと田舎っぽい、それだからこそ、その特性をもっと強く表し、2元論からの脱却を図る必要があるのではないでしょうか。洗練された2元論ではなく、その泥臭い多元的発想が次代をつくるはずですが、、、、、。

次は名古屋のモーニングセット。と思っています。

2008年7月14日

まちづくり市民委員会

釧路市総合計画の策定等の基本的事項に関し、広く市民から意見を求めるため、釧路市まちづくり市民委員会が市長の要請のもとに開設されていたようです。

平成18年2月に、開会のための委員会が開催され、8月にはまとめの委員会が開かれ、要請者である市長に提言を行っています。また、委員会は公募を中心とした100人ほどの市民を中心に運営され、産業経済・都市基盤、市民生活・健康福祉、都市整備・生活環境、教育文化・生涯学習、市民交流・地域づくり、の5つの分野において、2月から7月にわたり月2回程度、7回の小委員会が開かれています。

100人の市民が集められ、短期間にどのような提言が行われたのか興味のわくところです。
コミュニティシンクタンクも、次第に輪が広まってゆくときには、どのように意見を集約し、どのように提言してゆくか、同じような問題を抱えてゆくことになるでしょう。

その運営は次のように説明されています。ここでも多数決が採用されています。民主主義といえば簡単に同意が得られるものかもしれませんが、、、また、未来を語ると言っても、今の社会の本質を見抜けないと、未来さえわからないものなのですが、、、、。果たして、成果はいかがなものなのでしょうか。

(1) 貴重な時間を大切に
 ・「市民100人委員会」は、委員皆さんの貴重な時間で成り立っていますので、会議に遅刻や欠席をする場合は、必ず事前連絡をお願いします。
 ・もしも、ひとりの委員が長話をはじめてしまうと、貴重な時間が直ぐに無くなってしまいますので、発言は要点をまとめて手短にお願いします。
 ・また、スムーズな会議進行のため、議題にそった発言をお願いします。
(2) 他人の夢も大切に、譲り合いの精神で
 ・「市民100人委員会」は、それぞれの委員が釧路市の将来に対する夢を語り、それを実現するための計画を作るものですので、相手の意見を良く聞くことはもちろん、相手の夢を否定したり、相手を問い詰めたりしてはいけません。
 ・また、議論が白熱したときも、常に冷静にお互いを尊重し、譲り合いの精神を忘れないようにお願いします。
(3) 将来につながる発言を
 ・「市民100人委員会」は、委員の自由な発言や発想を最大限尊重しますが、同時に発言の「言いっぱなし」をするのではなく、問題点の解決に向けた対策も検討できるような会議を心がけてください。
(4) 意見がまとまらないときは
 ・「市民100人委員会」は、たくさんの委員の集まりで、それぞれの委員の思いがあり、一つにまとめることは難しいと思いますので、委員会の意思決定は、多数決の原理を基本とします。
(5) 市民に開かれた会議に
 ・「市民100人委員会」は、市民みんなのものですので、会議は原則公開とします。
(6) 委員と行政はまちづくりのパートナー
 ・「市民100人委員会」は、委員と行政が対峙するするのではなく、お互いが「まちづくりのパートナー」という意識を持って会議を進めます。

2008年7月13日

生きている図書館

今、「生きている図書館 Living-Library」が話題です。http://living-library.org/readers-reports.html

元マフィア、移民、性転換者、、、、。市民が普段近づきにくいと感じている人たちを図書館に招き、話を聴きたい入館者に「本」として貸し出す。「生きている図書館」と名づけられた活動が欧州から世界各地へ広がっている。

偏見や人権と言った視点からの本物の教育活動かもしれませんが、実はあまり驚きませんでした。

それは、東近江市図書館長だった才津原哲弘さんが展開していた図書館は一人ひとりの利用者を見つめ、彼らに本の背後の世界、本当の世界を提供するために、様々な人たちを図書館に招き、講演や講座、展示会など、多様な生きた図書館の姿を作っていたからです。

日本には本物の図書館はほんの数パーセントと言われています。その他は本を並べてあるだけの施設になっています。生きた情報や世界として、それらを提供しようとする意識に欠けているのです。

「図書館の自由に関する宣言」には、
「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。
第1 図書館は資料収集の自由を有する
第2 図書館は資料提供の自由を有する
第3 図書館は利用者の秘密を守る
第4 図書館はすべての検閲に反対する
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」と宣言されています。

どこにも書物とは書かれていません。つまらない既成概念によって、自ら枠を決めてしまっているのです。書物の本当の姿とは、紙の上のインクのしみ(文字のことですが)のことではなく、読まれることにより、浮かび上がるその背後の豊かな世界のことであると思います。

そして、予算が削られようと、職員が不安定で不合理な非常勤職員で占められようと、指定管理者制度が導入されることにより業務が丸投げされようと、、、、、すなわち、自由が侵害されようと、それと闘う館長はごくわずかです。そのごくわずかの本物の館長だけが本物の図書館をつくっているのだと言えます。

「生きている図書館」はコミュニティシンクタンクだと感じました。図書館の社会的役割はコミュニティシンクタンクが担ってゆくのでしょう。

2008年7月12日

社会の縮図

コミュニティシンクタンクの役割のひとつに市民活動を行う人々によって地域の課題を共有することがあげられます。そこには課題を解決する何かを求めて、多くの人たちが集まります。どれだけの課題が共有できるかがコミュニティシンクタンクの能力であり、また発信力となります。同時に推進力にもなるのです。

彼らは目の前の現象に真摯に取り組んでいます。しかし、それだけだは、自らの活動はスムーズに進んでいきません。彼らの多くは、地域の風土や歴史だけではなく、現実の社会の制度やしばりによって、その活動を制限されていることもわかってきます。彼らの背後には社会のしくみが見えてくるのです。そのしくみから課題を発信してゆく必要があると考えています。

ボランティアセンターで、ニーズとボランティアをつなぐコーディネーターの背後には、ボランティアの不足という表に現れる現象の陰に上部組織の意識の少なさが見えてきます。

市民と制度をつなぐもの、あるいは縛るもの、それは制度を定義する法律だけではなく、むしろ、それを運用する機構であると考えられます。ここにすべての人材と資金がフローしてゆきます。社会のありようを決めるもの、そのひとつが、様々な形で存在する中間支援的機構であり、大きな役割を担っています。

ある地方都市の福祉機構の現況と事業予算を取り上げてみます。職員の少なさと役員の多さに驚かされますが、、、また、事業予算にも驚かされます。この機構の5億3500万円もの事業計画20項目の内、1000万円以上の事業項目を予算の順に並べてゆくと、、、、、。

「岡崎市社会福祉協議会は、岡崎市福祉会館(岡崎市朝日町)及びぬかた会館(岡崎市樫山町)に事務所があり、職員47名、役員48名(平成19年5月31日現在)で構成されています。
(事務局)
会 長-事務局長-事務局次長-
・庶務係  庶務・経理等
・地域組織係  ボランティアの育成・啓発 等  手話通訳・要約筆記者派遣事業 等
・介護支援推進係 (地域福祉サービスセンター) (在宅介護支援センター)  在宅介護の相談・地域生活自立支援事業 等
・介護サービス係  ホームヘルパーの派遣、ケアプラン作成 等
・額田支所  額田地区内各種事業(相談、訪問等)  ふれあいデイサービス事業 等」

19年度事業予算項目です。(上から順に1000万円以上を列記)
1 法人運営 148,561,000
2 介護保険サービス事業 133,616,000
3 地域福祉サービスセンター事業 58,560,000
4 共同募金配分金 48,420,000
5 障がい福祉サービス事業 28,487,000
6 老人介護支援センター事業 22,942,000
7 ボランティア事業 22,147,000
8 退職金積立事業 20,888,000
9 福祉サービス利用援助事業 10,907,000

2008年7月2日

ノーマライゼーション

日本では、公共性のある建物を高齢者や障害者が円滑に、安全に利用出来るような整備の促進を目的として、平成6年にハートビル法が制定されています。その後、その主旨をより積極的に進めるべく平成15年4月1日に改正法が施行され、また、平成18年12月に同法(不特定多数利用の建物が対象)と交通バリアフリー法(駅や空港等の旅客施設が対象)が統合されバリアフリー新法として施行されました。

こうした法令による上からの約束事は、課す立場のものも守る立場のものも、とにかく、やっておけばいい、ハードだけが先行しがちです。人の思いや介助のないハード面のみの設備だけでは、現実的にはほとんど役に立たないものです。どこでもよく見かけることですが、曲がりくねった点字ブロックの上を、およそ考えられないようなルートを視覚障害者は歩かされています。

詩人の栗木宏美さんは自ら手足に障害を持ち、医療行為のできるケア施設建設を目指しています。彼女は幼いころより、さまざまな偏見によって、社会と大きな壁で隔てられていたと言います。

彼女は心のバリアフリーを心がけて欲しいと訴えます。同じ心を持ち、共通の認識を持つことが必要となります。その共通の認識の部分で法律が多くの人の意識をマネージメントできれば、真のノーマライゼーションをもった社会を築くことができるのではないでしょうか。簡単なことではないかもしれませんが、、、。

なにも目に見えて障害のわかる人たちだけではありません。ちょっとした心と身体のわずかの違いは誰にでもあるものです。少数派の彼女たちのことを考える余裕を持つことこそ、すべての人に優しいまちづくりができるのではないかと考えます。この夏、北欧3国へ、行ってみるつもりです。

2008年7月1日

報道がヒステリックに

最近報道番組がヒステリックになっていたように感じられてなりません。


地球温暖化、、、社会の崩壊、、、、キャスターが声を張り上げます。まるでかつてのプロレス中継のようです。

報道やメディアの役割、それはヒステリックに、声高にメッセージを語ることではなく、、、、温暖化といわれるその現象、社会の崩壊といわれるその状況を的確に冷静に伝えることではないでしょうか。そして日本のあまねく、広い地域で、丹念に取り上げてゆくことではないでしょうか。

しかし、もはや、その絶叫はステレオタイプのごとくになって、本当の原因はどこにあるのか、どのように存在しているのかなど、見失わせてしまい、また、地球温暖化や社会の崩壊、とステレオタイプに打ち出される報道の陰で身近な大切な問題がカモフラージュされてしまっているのではないかと危惧しています。
かつてのプロレス中継のようにショー化してしまっては、地球温暖化も社会の崩壊も止まらないように強く感じています。

2008年6月17日

情報力

「市民シンクタンクのすすめ」の著者、高原氏は市民力とは市民の調査力であり、情報力であると書いています。

情報をどのように収集し、編集し、発信するか。情報を区切り、経路を限定することにより、市民を誘導したり、情報を隠してしまうこともできます。
一部の市民やファシリテーターにのみ情報を開示し、まちづくりを検討させておいたために、プロムナードができたら、既存の樹木も見事に伐採されてしまい、木も何もないさびしい空間ができてしまい、通りがかった市民がびっくり、ということもたびたびありますね。
しかし、そのような小さな出来事も市民の目は的確にとらえています。毎日、まちを見ている市民の目があるのです。
1.抱える問題・課題の解決にヒントとなる情報
2.潜在する問題をあぶりだて可視化し、気づきを促す情報
3.複雑に絡み合う事柄を解きほぐして対話への意欲や相互理解を促す情報
4.特定の問題にかかわる人々の「本心」
「市民シンクタンクのすすめ」では、情報の重要な内容はこの4つの視点であると書かれています。しかし、こうした視点は外部の組織による鳥瞰的調査ではとても浮かび上がらないものであり、市民自らが情報を集積することの成果であり、市民の大きな役割となってゆくでしょう。
そして、情報に組み込むべき、7つの枠組み-<時期の設定>(WHEN)、<実践主体の設定>(WHO)、<中心となるフィールド>(WHERE)、<目的や目標>(WHAT)、<実践に到った理由や背景>(WHY)、<実践の主たる対象>(WHICH)、<実践のプログラムや体制>(HOW)が語られています。それらは情報を実現するための枠組みです。
市民力による情報に、7つの枠組みを組み込むことで、情報がダイナミズム(推進力と方向性)を持ち、具体的な政策としてリアルになってゆくのではないかと期待します。市民力によって、実現化と実践力を構築する道が見えてきたように思います。
地域の自治力や市民の行政力が情報力によって生み出されてくる、市民はその入り口に立っているのですね。

2008年6月14日

コンパクトシティ

コンパクトシティと言うとすべてが許されるようになってきました。

ウィキペディア(Wikipedia)によれば、「都市郊外化・スプロール化を抑制し、市街地のスケールを小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするのがコンパクトシティの発想である。再開発や再生などの事業を通し、ヒューマンスケールな職住近接型まちづくりを目指すものである。」と説明されています。

雪国青森市では成功しているとも言われています。しかし、声を発する中央官庁とそれに無思慮に従う地方都市があって、人口3万人の村にも、10万人の町にも、40万人の都市にも同じように、中心市街地再活性化構想がうごめいています。

小さな独立したひとつの生活圏が自立し、まちを自ら運営してゆくことが重要なはずです。人口の拡大によって拡散した施設群をまた、旧市街地に戻すことしか考えが及ばなくて、まちの孤立化を助長することになるだけです。中心地までの交通や施設のネットワークも破壊し、旧商店街の人間的なスケールまでも壊滅に追いやってゆきます。

中心市街地の活性化はその周辺の町の豊かさによって保障されるのです。その周辺住民のことを考えずに中心だけを考えてもまちは豊かにはなりません。人も戻ってはきません。

郊外のショッピングセンターは中心市街地の古ぼけた商店街の数百倍の売り上げがあるとも言われていますが、そのショッピングセンターさえ生き残りに大変です。商店主が高齢化しようとも住民のニーズを的確に捉え、新たなマーケットを開拓していかない限り、まちは活性化しないでしょう。

国がゆとりといえば、郊外に施設を展開し、国がコンパクトといえば、それを中心地に戻す。その繰り返しを行っている限り、地方都市の未来はないと感じます。国の施策に従う地方都市、地方都市の政策に巻き込まれ、利用され、NPO団体まで結成させられる中心市街地の商店主たち。この膠着した図式からはとても自由な商業による生きた町など生まれないでしょう。

2008年6月12日

シェアードハウス

日本でも、コレクティブハウジングやコモンハウスが広がってきました。北欧ではすでに20世紀の中期から始まっていた新たな協働社会が日本でも見えてきように思います。
http://www.chc.or.jp/collective/img/20080501bp.pdf

そして、その社会のもっと先には、多様な協働が見えてきます。

友人である建築家北野氏は障害者と健常者が互いに助け合って生活するためのシェアードハウスに取り組んでいて、そこには社会全般に広がるべく本質的な、普遍的な社会が見えてきます。

障害者と健常者の協働から、福祉、高齢化、少子化、ジェンダーなどの現代の問題に向けて、個人の問題から社会で議論すべき、解決すべき多くの問題へとつながります。そこには多様な立場と価値観を大きく変換させて、ともに住まう、生きる本当の地域社会が生まれてくるはずです。

シェアードハウスからシェアードコミュニティへ。

2008年6月11日

ワークショップ難民

地方都市におけるワークショップは危機に瀕しているようです。まるで、羊飼い(ファシリテーター)が柵のなかで羊を遊ばせておくだけのように見えるのです。羊たちは機嫌よさそうに戯れていますが、声を上げると柵の外に追い出されてしまいます。

本来ワークショップとは羊の戯れにあわせて、柵を形づくるものです。また、羊の活動が活発であれば、柵など不要となってしまうかもしれません。羊の本当の姿を知り、その環境はどのようなものがいいのか、その方向を発見することが重要なのですね。

ワークショップの本質とは枠組みを緩めて、身体を使って、求めるものを体現しながら、答えを見つけようとするものです。どこへ行くか分からないけれども、本当の行く先を捜し求めようとするものです。


ワークショップはどこでも、だれでも今や数多くの機会に行われるようになりました。ワークショップはバブルの様相を呈しています。

今、迷いのない、忠実な羊飼いと、従順な羊が地方都市の中で囲い込まれています。

2008年6月10日

インスピレーションをつくる組織

組織や集団によって、何かを成し遂げる、創造行為を行うことについて考えています。

デザインやアイデアが、あるとき突然どっと生まれてくるように、組織や集団によって、ひらめきやインスピレーションのような、イノベーションを引き起こすことはできないか、そのプロセスや合意形成はどのようなものだろうと考えています。

まちづくりにおいて、多くの人の声がどのようなかたちになってゆくのか。その手段の一つとして、市民によるギャザリングを始めました。ギャザリングとは車座のようなものです。

ギャザリングとは、もちろん聴くことも大切ですが、自ら語ることで見えてくるものがあると考えています。仕事でアイデアに行き詰った時、何気なく人に語った時、それまでの疑問やつまらないこだわりが消えていったり、次のアイデアが生まれてきたりします。

声を発することで、ある意味、客観的に自分自身を見ることができるようになるのでしょう。

アイデアやインスピレーションが、いろんな試行錯誤が飽和した時、でも少し視点を変えることで、新しい何かを生み出すことができます。

また、問題を解決するためには、右か左か、盾か矛か、裏か表かというような二者択一の単純な解決方法ではなく、どちらでもない、しかも、どちらの考えとも共有し、解決できる別の第3の方向が必要となるのです。

それを生み出すのが、そこに問題を共有して集まる多くの人たちであり、彼らの持つ多くの切り口(分野や価値観、立場、情熱)が集まって、飽和して、ある新たな方向が生まれるのだと考えています。

アイデアやインスピレーションがある時、偶然生まれてくるときがあると思います。でも、本当は偶然ではなく、考えた挙句に、出尽くした後に、ちょっと視点を変えた時に新しいアイデアが生まれてくるのだと思っています。ギャザリングとは、集団でそういう創造を作る場です。

答えのないものに挑戦しているのです。だから、新しい答えを見つけるために手探りで進んでいます。

さらにギャザリングの機能につながりをつくることがあげられます。地域で活動する人たちは分野は違えどもどこかでつながっています。また、地域は遠く離れていても考え方においてつながっている場合もあります。

実はギャザリングを行って、図書館と子育てと少子化、ジェンダー、高齢化問題、そして障害を持つ人の福祉も、実は同じ根を持っているのだと思ってきました。あつまり、つながることによって、一人で取り組むより遥かにすばらしい成果が期待できるのです。また、地域で活動している人たちはそれぞれ多くの人とつながっていて、多くの人の疑問や問題を持っています。多くの市民の声を集めるというのは市民の全体集会を開くことではなく、こうしたつながり、人と人のネットワークのなかから、市民一人ひとりの声を集めることなのではないかと思っています。

コミュニティシンクタンクとはこのように課題を共有し、つながりを広げてゆくことで、次の何かを生みだす組織であると考えています。

2008年5月25日

組織による創造力


創造力とは魅力的に聞こえる言葉です。その言葉によって、自分がかかわる業務が魅力的であると思えてしまったり、魅力的な成果を生み出すのだと、勘違いし、企画書や提案書のいたるところにその言葉をばら撒きがちです。

しかし、創造力とは、個人の能力であるように考えられてきましたが、今組織にこそ、創造力が求められているようです。

組織の創造力を高めるためこと、つまりコーポレート・クリエイティビティとは特定のクリエイティビティを持っていると予測できる人材にだけを期待するのではなく、誰にでも持っている資質としてそれを受け入れる可能性が必要であると言われています。それは一部の特別な業務にだけ現れるのではなく、日常の定型業務にも、標準化された業務にも現れる、、、、。だから、クリエイティビティ、創造力ある行為は固定観念を持って、その機会を狭めることがあってはならないと、「企業創造力」には書かれています。

ここには、クリエイティビティを生みだす(というよりそれを阻害しない、というほうが適切かもしれません)6つの条件が記されています。
1.意識のベクトルを合わせること
2.自発的な行動を促すこと
3.非公式な活動を認めること
4.意外な発見(セレンディピティという造語で表現されています)を誘発すること
5.多様な刺激を生みだすこと(拡散的思考)
6.社内コミュニケーションを活性化すること

特に日本企業においては多様な刺激を生みだす、拡散的思考という視点に取り組むべきとも書かれています。

「拡散的思考」により生みだされるもの、それは「いくつもの答えを導きだす力」を持った組織ではないでしょうか。それはこれまで、ブレインストーミング、ワークショップ、、、、、など、様々な手法によって試行され、どこにもない答えが求められてきました。果たして、それらはどこまで多様性を持ち続けることができたでしょうか

これからは、いくつもの答えを共存させ、絶えず新たな答えを生みだし続けることが必要で、そのような包容力と多様性を持った組織こそが、創造性を持った次なる可能性を見出すことができるように感じています。

そして、それは一人の英雄でも天才でもなく、個人の集合から始まる「いくつもの答えを導きだす力」を持った組織こそが生みだすことができるのではないかと考えています。

2008年5月23日

冷蔵庫から

先日、明治学院大学の図書館でお目にかかった、写真家潮田登久子さんが作品集を送って下さいました。
10年間かけて、冷蔵庫を撮り続けたもので、フラットな画面から、その奥行きが感じられてきます。しかも、小さなディテールまで生々しく描かれています。彼女の作品はモノに迫るところから社会を現しだそうとするものではないかと感じられます。
明治学院大学の図書館での、書籍に迫り、全体像と細かなディテールを同時に描き出している写真からもそれはうかがわれました。
ファインダーという自由の窓から、写真家はモノの、社会の本質を描いてゆくのです。
潮田さんの写真を見ていて、対象を正方形に切り取っていることにも惹かれました。長年、レンズは円形なのに写真は何故円形ではないのだろう、また何故正方形ではないのだろうと不思議に思っていたので、とても新鮮でした。実はデジカメを使うようになって、僕のセカンドカメラであるリコーGX100は正方形の写真をとることができるのです、、。
一見不自由と思っていたファインダーという媒体ですが、そこから社会の本質が覗けるのですね。こうした媒体こそが社会を見る目を与えてくれるのかもしれません。

2008年5月18日

アップルとグーグル


PCとは、番頭さんのようなものであると考えていましたし、実際、僕の使う設計CADはマイクロGDSといってWIN上でしか動きませんので僕はWIN派でした。しかし、先日、店頭に並べられているマックを見て、かっこよさ、動きのよさ、MACとWINの共存できることなどを考え、マック派へ転向する気になってしまいました。

すでにインターネットでは検索もメールも専らグーグルを使っています。Gmailではメールをやりとりしていると、大学からのメールの横にはeラーニングなど関連するスポンサーの広告が、PCのことが書いてあるメールの横にはリナックスやサーバーのスポンサーの広告が表示されています。そのきめ細かさは脅威と感じていたので、この「アップルとグーグル」にはすぐにひきつけられました。

マーケティング戦略において、差別化が重要であると言われるなかで、アップルとグーグルは相対指向ではなく絶対指向を目指してきたと述べられています。

「本当にいい決断をするためには今の時点の常識に捉われず、本来どうあるべきかを根本から考える必要がある。アップルやグーグルは、そうした発想で、モノをつくる。」

アップルも創業者であるスティーブ・ジョブ不在でWINとのシェア争いをしていた1990年代は落ち込んでいたが、彼らは些細な違いや優越性ではなく、根本的な発想の違いによる本質を追究することで、ライバルを圧倒しているようです。日本ではいつからか、差別性ばかりを問題にし、西洋のあとを追いかけるようになってしまいました。

しかし、彼らのほうが日本的かもしれません。徹底的にこだわりを持って働き(もちろん誰もネクタイなど締めていませんが)、職場環境の質を保ち、株価が上がろうが下がろうか、株主よりも社員を大切にし、他社の性能やサービスにも心を動かされず、、、競合企業や株式市場にも振り回されない独自の姿勢を貫いています。

かつてのウォークマンを生み出したソニーや様々なマガジンを生み出したリクルートのような日本の斬新さはどこへ行ってしまったのでしょうか。

2008年5月17日

ギャザリングスタート

コミュニティシンクタンク「moco」のギャザリングがスタートしました。(内容はhttp://www.mocomoco.ws 見てください。)

ギャザリングとは市民を誘導するワークショップやコーディネートを改革すべく、新たな方向を目指したものです。

語ることで、自ら、見えてくるものがある。
聴くことで、教えられるものがある。
語り合うことで、現場の真実が見えてくる。。。と考えます。

それは、それ自身カウンセリングのようでもあり、また、それは創造の原点でもあるのだと思っています。

そうしてその場に生み出された、多くの人の思いや課題をつなぎ、共有点を見いだしてゆきます。
それは対立の場ではなく、共有の場を生みだします。

そこには多くの人の多面的な価値観が広がって、二者択一でも、多数決でもない、第3の方向を示してくれるように感じています。それは表裏を決めるのでもなく、多面体がころがるように、自由に価値を見つけてゆくことになります。

共有のなかにこそ、新しい道を見つけ出すアイデアや価値観が潜んでいるのです。たくさんの新たな道を素早く、見つけ出せることがコミュニティシンクタンクの力であると考えています。

2008年5月13日

さいたま中央図書館

図書館建築研究会の例会でさいたま中央図書館を視察しました。

JR浦和駅前、パルコの上階部分の「COMUNALE(コムナーレ)」と呼ばれる公共施設の一画にあります。

10階が講演会・コンサート・各種発表会ができる浦和コミュニティセンター、9階が国際交流センター・消費生活センター・市民活動サポートセンターが入っており、さいたま中央図書館は8階に入っています。その下階には映画館も入っています。

1フロアが約5000㎡とかなり広くなっており、空間的には若干まとまりを欠いたものとなっていました。また、先駆的に、自動書庫や自動返却仕分けシステムが導入されています。

しかし、小笠原館長から詳しく内容をお聞きすることができましたが、さいたま市の図書館行政の豊かさが実感できました。さいたま市にはこの中央図書館の他、地域図書館が23館あり、自動図書館、学校図書館と連携した図書館、書庫機能を受け持つ図書館など、、駅前の中央図書館をはじめ、それぞれが特性を持ち、相互に補完しあいながら、全体の運営が行われているようです。

図書館とはこうしたネットワークを持つものであると実感できました。また、運営も正規職員を中心に断片的に外注できる業務を外部委託しているようです。指定管理者制度などまったく話題にもなりませんでした。

自動機械化による膨大な投資を行うよりは、司書という人材を育てるべきではないかと感じましたが、
しかし、今後、COMUNALE(コムナーレ)内での共同企画や下階の映画館との連携などが図られてゆくようで大きな期待感を持つことができました。さいたま市は近年合併してできた新しい市です。そのネットワークづくりが図書館のネットワーク化、多角化を通じてすでに始められたようです。

2008年5月10日

マリオ・ジャコメッリ

マリオ・ジャコメッリは日本ではあまり知られていませんが、イタリア中部の小さな街に生まれ、多くをその地で活動した20世紀後半を代表する写真家と言われています。

先日まで東京都写真美術館で展覧会が行われていました。
これは修道院の司祭たちが戯れる日常のひとときをとらえた「若き司祭たち」シリーズ(1961-1963)という代表作品の中の一枚です。展覧会のポスターにもなっている写真でポスター作成のために背景を白く抜いて編集したのではないかと思ってしまいました。

が、そうではありません。雪の上で戯れる司祭たちの姿を的確にとらえたものです。

白い部分は写真の撮影技術でより白く浮かばせているのかもしれません。しかし、対象物に迫るその姿勢は土門拳と同じようでもあり、またまったく異なるようでもあり、しかしながら、同じ姿勢を持っているのではないかと感じました。社会を見る目が備わっているのですね。こうした、誰も持っていない目、視線はとても大切なものです。皆が写真家のようにカメラを構え、社会に向けて、こだわりと驚きをもってファインダーを向ければ、社会は必ずや変わってゆくはずです。

2008年5月4日

呼吸するお寺

今、お寺が元気のようです。もともと、かけがえのない資産である境内やひとのつながりに恵まれているので、あとはそれらを活用できるかどうかにかかっていました。

「呼吸するお寺」は大阪の上町台地、天王寺区下寺町にある應典院のキャッチフレーズです。
そのホームページhttp://www.outenin.com/index.htmlを見ると次のように説明されています。


浄土宗大蓮寺應典院塔頭

大蓮寺三世誓誉在慶の隠棲所として1614年に創建された大蓮寺の塔頭寺院です。1997年に再建される際、一般的な仏事ではなく、かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、〈気づき、学び、遊び〉をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として生まれ変わりました。音響・照明施設を備えた円形型ホール仕様の本堂をはじめ、セミナールームや展示空間を備えており、演劇活動や講演会など様々活動に用いられています。一般に開放された玄関ホールには芝居や講演会のチラシが置かれ、文化情報の発信および人々の交流の場として機能しています。また、應典院寺町倶楽部の拠点施設として、コモンズフェスタや寺子屋トークの舞台となっています。


宗教、つまり葬送を行い、先祖を供養するという古い宗教的組織ではなく、今を生きる寺子屋の精神を持った、むしろそれ以上の人の集まる場所をプロデュースしようとする使命が見えてきます。
ホームページに記されたトピックスの数々にその見事な息使いが現れています。お寺はコンビニよりも数が多いと言われています。コンビニやお寺が町を席巻する日も近いのではないでしょうか。

2008年5月3日

ギャザリング

岡崎市東部地域で図書館活動を中心に活躍している木戸氏のつながりからミーティングを持ちました。西は岡崎市の西端の島坂町から、東は近年市に編入された額田町まで含めて、常に意識のある活動を行っている人たち10人が集まり、食事をとりながら自分たちの活動の紹介を行うだけで予定の時間が迫ってしまいました。

助成金や行政の対応(あるいは非対応)に一喜一憂しない、自由奔放なMrs鈴沖氏、学校などでの読み聞かせ活動を始め、司書の資格をとった石原氏、行政の長と職員との間に立って改革を実行するMr鈴沖氏、、、それぞれの活動を支援する特別の講師ではないですが、その人柄や姿勢に「大きく共感と勇気を覚えることができました。

それらは自分の活動を行う上でうまくいかない人たちを直接、ある方向へ向かわせるものではないかもしれないけれど、しかし、しっかりとした考えを改めて考えさせられ、陰ながらしかるべき方向へ向かわせる力を持ったミーティングでした。

最初からどのような結果がえられるかも、目指すべき方向も持っていなかったけれども、しかし、互いに語り合うことによって、しかるべき方向へ、しかるべきところへ、向かわせるギャザリングの姿を垣間見るようなミーティングでした。

2008年5月2日

政策とは

政策とは何か。しばしば、政策が語られるが、それは何を示すのであろう。

それは夢や言葉だけのものではないはずです。思いや理念を表現するだけではなく、具現化するためのものであるはずです。

それは立法、法律のことなのでしょうか。絶えず理念を掲げ、実現のための方策、現在の日本では、それは法律となるのであろうか、、、。

地方においては、政策を語るそうした行政や議会(それが立法府となるのかどうか。)と市民とはとても近い立場にあって、直結しているのではないでしょうか。だから、市民の意識高まることに意義のある場合が多いのではないかと感じられます。論理的な方策でも具体的なシステムでもなく、市民の意識、雰囲気が重要になるのではないでしょうか。

しかし、地方では政策の主体がはっきりしません。しないと感じられます。知事と市民との間のもやもやした、あいまいな、中間的存在。地方議員や議会の役割、、、それは地方の旧来性を最も背負った部分かもしれません。

2008年5月1日

大学図書館の試み

専門図書館としての特性が大きく、また利用者が特定多数(主に学生)に限られることから、大学図書館の運営は比較的落ち着いたものと考えていました。しかし、僕が設計にかかわった明治学院大学図書館の松岡氏、宮城氏と話をする機会があり、大学図書館の印象が一気に変わりました。


明治学院大学図書館は1990年に大枠の設計を終えているので、ほぼ20年前の仕様なのです。そのため、今後の課題にどう対処するか、相談を受けて、現状の問題を話し合いました。


松岡氏は20年前、大学本館の設計時に大学の諸部門を隅々までまわり、それぞれの関係性を新たに構築した方であり、また宮城氏は学長室から広報、図書館と多くの企画にかかわってこられ、楽しく交流させていただいた方です。二人とも、もともと図書館の専門職ではありません。しかし、そのため、発想が新しいのです。

彼らは図書館に人を集めたいと言います。才津原さんと同じ発想です。

当日も「写真集・冷蔵庫」で有名な写真家の潮田登久子氏が書物を「もの」として撮影していました。また、東京都写真美術館に展示資料を提供したことがきっかけで、自らもそうした展示イベントを開催する企画を持っています。

僕たちが高層の建築の中の6層分を占有する図書館を設計するときに、利用者の活動の大きな手がかり、シンボルになるようにデザインしたエントランスホールの吹き抜けに、潮田氏の作品が展示されています。


また、明治学院卒業生の著書の紹介など、企画が目に見える形で展開されています。活動する職員のセンスや姿さえそこには見えてきます。


20年前の設計思想でつくられた図書館です。「書斎」をつくろうという色あせない本質的な部分もありますが、閉じ込めるだけの「グループ閲覧室」、ノートPCなどなかった時代の個人専用の「AVコーナー」、 利用者を区切る「大きくりっぱなカウンター」など、変わるべきものも数々あります。
大学図書館も変わりだしたようです。

2008年4月22日

コミュニティシンクタンク「moco」誕生

6人の同人と準備を進め、4月からその活動を正式スタートさせたコミュニティシンタンクが次第に姿を現してきました。

コミュニティシンクタンク「moco」と組織の名称を決定し、5月から月2回、第2および第4金曜日夜にギャザリングと名づけた定例会を行います。また、6月22日には「岡崎の再生とは」をテーマに岡崎市竜美丘会館でシンポジウムを開催します。ぜひ、ご参加ください。

「moco=もこ」とは、三河地方の古い方言で「水が地下水道を通って出てくる所」を意味します。地層の豊かな水が溢れでてくるように市民やその豊かな活動と交流してゆきたいと考えます。

また、「moco」はMothership of Community /地域の母体機能を担う拠点として、市民のネットワークを築き、市民と市民、市民と行政や社会との間に立って連携し、協働する中間性触媒組織として活動します。

「moco」とはコミュニティシンクタンクです。その設立の理念は次のように考えています。

「岡崎市では多くの市民活動が活発に行われ、豊かな町であると実感しています。しかし、その多くは具体的な成果が見えなかったり、まちづくりに生かされていなかったり、また、活動そのものが困難な状況に追い込まれています。それは市民にとってはもちろん、行政や企業にとっても不幸なことと言えます。

私たちはこの豊かな市民活動を行政や社会に直結した有意義なものとし、その豊かな活動や柔らかな発想を大切にし、多様で人間的なまちづくりを実現したいと考え、私たち市民が自ら立ち上がり、市民と行政や社会とを真に、有機的につなぐコミュニティシンクタンク「moco」を設立しました。

私たち「moco」は市民や市民活動団体と交流し、支援し、その活動を推進させる触媒的組織、コミュニティシンクタンクです。これまでのような最大公約数としての市民でもなく、地方という画一的視点でまちを俯瞰するのでもなく、一人ひとりの市民の視点から地域の多様な課題を探求し、市民自らその解決する方向性を発見できるよう協働します。

私たちは「岡崎からコミュニティを考える市民グループ」です。社会の課題を地域から発信します。」

2008年4月8日

琵琶湖の小さな島の小学校

「琵琶湖・沖島の滋賀県近江八幡市立沖島小学校に新学期から、開校以来初めて、6年生1人が同市内から転校し、船で通学を始める。同市教委が、児童数が激減した同小に、新年度から通学区域を緩和して転校を認めることにした。船通学の転入生により、8日に始業する同小は、久しぶりに児童数が2ケタを回復した。」(asahicom)


古い環濠の残る豊かな町である滋賀県近江八幡市は宣教師であり建築家であったヴォーリズによる近代建築もまた数多く残されています。また、周辺の豊郷町には近年その保存が期待され大きく取り上げられたヴォーリズ設計の小学校が残されています。


沖島小学校は写真に現れているように木造のすばらしい、堂々とした建築です。松本市の開智学校のような先進的な雰囲気も感じられます。沖島は琵琶湖に浮かぶ小さな島のようですが、こんなところにも当時の教育に対するまちの意欲や先進性が窺われます。

近江地域は古い街並みが残り、また図書館行政もとても豊かで先進的な地域です。ヴォーリズのようなすばらしい宣教師のもたらした新しい文化を受け入れ、またその次に現れる新たな価値に目を開く力を持っていたのではないかと感じられます。社会や地域が豊かであるためには価値を共存させる力、絶えず新たな価値を掘り起こしながら古いものと新たなものを共存させる、想像力と先見性が不可欠です。

先進性とはすべてを解体して、新たな開発することではないのですね。

2008年4月7日

市民によるコミュニティバス

「多くの学校で新学期が始まった7日、東京都東村山市の学校と駅を結ぶ新しいバス路線ができた。地元の酒店の一人息子、山本宏昭さん(44)が9年前、「夢だけで作った」という小さなバス会社「銀河鉄道」の初の独自路線だ。大手会社も苦戦している路線バス事業。それでも自分で思い描いた道の上を走りたいと、自らもハンドルを握る。地域を元気にするという大きな夢も乗せて、発車オーライ。」(asahi com)



多くのまちでコミュニティバスという名のバスが運行され始めていますが、その多くは行政が運行会社に補助金を与えて運行させたり、委託したりすることによるもので大きな違いが明確にはなっていないように感じられます。また、一般の路線バスでも経営が難しいなか、コミュニティバスの企画はどのような方向へ向かうのでしょうか。



この場合のコミュニティとは「地域限定の」、「地域独自の」というような意味を持ったものかもしれません。しかし、既存の路線と競合する部分を避けたり、市役所を発着点にこだわることなどによって本当に必要な部分にバスを走らせることができない事例も多いのではないでしょうか。名前や形だけのコミュニティバスであり、目的は市民の利便性や地域の活性化などを真剣に考えたものとは別のところにあるような気がします。


本来の地域のなかを小さなバスが縫って走るというきめ細かなケースはどれだけあるのでしょうか。



金沢市では観光のための金沢駅と中心地とをつなぐループ状の路線に加えて、地域のための「ふらっとバス」なるコミュニティバスが配備されています。



それは中心地の周辺に3つの環状ルートを持つものであり、それぞれが相互につながりながら、既存の路線とも融合しているように感じられます。病院や美術館、公共施設や市場をつなぎ、さらに地域の商店街の中にまで入ってゆくようです。



また、金沢市では、これらの計画を更に一歩踏み込んだ形で車に依存しない新たな社会システムの試み:パークアンドライドシステムが実践されています。

それは、郊外の自宅から車でコミュニティバス路線までアクセスし、市中心部周辺の所業施設などの駐車場(Kパーク)に駐車し、そこから割安のバス定期によってコミュニティバスを利用できるシステムで、市中心部の交通システムと通勤システムを根本から考えようとする意欲と真摯な姿勢が見えてきます。

そこには規制のバス路線との妥協のなかから生まれるものではなく、そのような既成のシステムなどつくり変えてしまうような新たな交通システムが社会に要求されているのだと感じます。それが真に利便性を与え、経営が困難と言われるバス経営をも再生し、まちに活気をもたらすものとなるのではないでしょうか。

2008年4月4日

地方議会の役割

矢祭町では議員の報酬が議会開催期間だけ支払われるようです。では、議員の役割とは議会に出席している時だけのものなのでしょうか。そうであるならばその役割とは、政治とは大きく隔たりのあるものであるように感じてなりません。

政治とは社会のしくみを考え、つくりあげることです。それは法律の文面、と社会の意識を作り上げることによって成し遂げられるものではないでしょうか。

地方議員の議会での役割とは何でしょうか。質問権や議決権行使、動議の提出など、首長や行政のチェック機関としての機能しか見えてこないようにも感じられます。

また、議員の活動を見ていると、中心地域再活性化などについては、地域の状況や歴史に関わらず、政府が一律に声高に唱えることが地方にとって大きな問題となっているのに、批評なく中央政府の宣言をそのまま掲げている人も見かけられます。現実が見えていません。

また、地域の人のネットワークづくりに腐心し、地域の現実に目を向けている人も多いです。しかし、その声をマスタープランとして、政策としてどのように具現化しようとしているのか。構想力、戦略がいまいち見えてきません。

矢祭町議会の現実は地方自治にはチェック機関としての議会のみを必要とし、立法政治を行なうための議員は不要なのではないかと感じざるを得ません。

地域の自治とは、案外創造性を欠如したものかもしれません。

2008年4月3日

CTTの組織化

準備に約1年かかりましたが、4月より、コミュニティシンクタンクCTTが正式に活動を始めました。6人の市民有志が同士となって、つまり同じ目的と情熱を持ち、独立性と自由性を有した個人の集団として進めて行こうと考えています。

市民活動団体の中心に位置すべく、まず、5月よりギャザリングを開催することによって、それぞれの問題点や成功体験を共有することを試みます。何かを指示するわけでも、支援するわけでもなく、それぞれが、自ら自覚することによって、その方向性を探求し、発見してゆくものです。
このギャザリングという集会(月例会)がCTTの基盤をなすものとなります。その広報を始めたのです。


ただ、名称と具体的な組織化が目下の検討事項ですが、、、

その組織化の方向が最重要課題です。僕たちは自らソーシャルベンチャーたる立場を確立しようと考えているのですが、またベンチャーたりえない限り、CTTなど運営できないと考えていますが、NPO法人化を想定すればするほど、組織が見えなくなってしまいます。


僕たちは6人の個人が自立して連携し、協働する集まりです。それはNPO法人の理事でも、事務局でもありません。それを同人と呼び続けています。NPO法人が適当なのか、LLPやLLCが適当なのか、その組織のかたちは確定できていませんが、同人の自由な集まりをかたちにした組織化を模索中です。

しかし、こうして活動の理念をかたちにするべく考えていると、世のNPO法人は組織化がうまくいっているのやらと心配になってきます。果たして、NPO法人とは形骸化した理事の集まりなのか、あるいは理事に仕える、理念や倫理を捨てた事務局員の集まりなのか、、、、、。

もちろん、どちらにも流れないようにしなければなりません。