2008年5月25日

組織による創造力


創造力とは魅力的に聞こえる言葉です。その言葉によって、自分がかかわる業務が魅力的であると思えてしまったり、魅力的な成果を生み出すのだと、勘違いし、企画書や提案書のいたるところにその言葉をばら撒きがちです。

しかし、創造力とは、個人の能力であるように考えられてきましたが、今組織にこそ、創造力が求められているようです。

組織の創造力を高めるためこと、つまりコーポレート・クリエイティビティとは特定のクリエイティビティを持っていると予測できる人材にだけを期待するのではなく、誰にでも持っている資質としてそれを受け入れる可能性が必要であると言われています。それは一部の特別な業務にだけ現れるのではなく、日常の定型業務にも、標準化された業務にも現れる、、、、。だから、クリエイティビティ、創造力ある行為は固定観念を持って、その機会を狭めることがあってはならないと、「企業創造力」には書かれています。

ここには、クリエイティビティを生みだす(というよりそれを阻害しない、というほうが適切かもしれません)6つの条件が記されています。
1.意識のベクトルを合わせること
2.自発的な行動を促すこと
3.非公式な活動を認めること
4.意外な発見(セレンディピティという造語で表現されています)を誘発すること
5.多様な刺激を生みだすこと(拡散的思考)
6.社内コミュニケーションを活性化すること

特に日本企業においては多様な刺激を生みだす、拡散的思考という視点に取り組むべきとも書かれています。

「拡散的思考」により生みだされるもの、それは「いくつもの答えを導きだす力」を持った組織ではないでしょうか。それはこれまで、ブレインストーミング、ワークショップ、、、、、など、様々な手法によって試行され、どこにもない答えが求められてきました。果たして、それらはどこまで多様性を持ち続けることができたでしょうか

これからは、いくつもの答えを共存させ、絶えず新たな答えを生みだし続けることが必要で、そのような包容力と多様性を持った組織こそが、創造性を持った次なる可能性を見出すことができるように感じています。

そして、それは一人の英雄でも天才でもなく、個人の集合から始まる「いくつもの答えを導きだす力」を持った組織こそが生みだすことができるのではないかと考えています。

2008年5月23日

冷蔵庫から

先日、明治学院大学の図書館でお目にかかった、写真家潮田登久子さんが作品集を送って下さいました。
10年間かけて、冷蔵庫を撮り続けたもので、フラットな画面から、その奥行きが感じられてきます。しかも、小さなディテールまで生々しく描かれています。彼女の作品はモノに迫るところから社会を現しだそうとするものではないかと感じられます。
明治学院大学の図書館での、書籍に迫り、全体像と細かなディテールを同時に描き出している写真からもそれはうかがわれました。
ファインダーという自由の窓から、写真家はモノの、社会の本質を描いてゆくのです。
潮田さんの写真を見ていて、対象を正方形に切り取っていることにも惹かれました。長年、レンズは円形なのに写真は何故円形ではないのだろう、また何故正方形ではないのだろうと不思議に思っていたので、とても新鮮でした。実はデジカメを使うようになって、僕のセカンドカメラであるリコーGX100は正方形の写真をとることができるのです、、。
一見不自由と思っていたファインダーという媒体ですが、そこから社会の本質が覗けるのですね。こうした媒体こそが社会を見る目を与えてくれるのかもしれません。

2008年5月18日

アップルとグーグル


PCとは、番頭さんのようなものであると考えていましたし、実際、僕の使う設計CADはマイクロGDSといってWIN上でしか動きませんので僕はWIN派でした。しかし、先日、店頭に並べられているマックを見て、かっこよさ、動きのよさ、MACとWINの共存できることなどを考え、マック派へ転向する気になってしまいました。

すでにインターネットでは検索もメールも専らグーグルを使っています。Gmailではメールをやりとりしていると、大学からのメールの横にはeラーニングなど関連するスポンサーの広告が、PCのことが書いてあるメールの横にはリナックスやサーバーのスポンサーの広告が表示されています。そのきめ細かさは脅威と感じていたので、この「アップルとグーグル」にはすぐにひきつけられました。

マーケティング戦略において、差別化が重要であると言われるなかで、アップルとグーグルは相対指向ではなく絶対指向を目指してきたと述べられています。

「本当にいい決断をするためには今の時点の常識に捉われず、本来どうあるべきかを根本から考える必要がある。アップルやグーグルは、そうした発想で、モノをつくる。」

アップルも創業者であるスティーブ・ジョブ不在でWINとのシェア争いをしていた1990年代は落ち込んでいたが、彼らは些細な違いや優越性ではなく、根本的な発想の違いによる本質を追究することで、ライバルを圧倒しているようです。日本ではいつからか、差別性ばかりを問題にし、西洋のあとを追いかけるようになってしまいました。

しかし、彼らのほうが日本的かもしれません。徹底的にこだわりを持って働き(もちろん誰もネクタイなど締めていませんが)、職場環境の質を保ち、株価が上がろうが下がろうか、株主よりも社員を大切にし、他社の性能やサービスにも心を動かされず、、、競合企業や株式市場にも振り回されない独自の姿勢を貫いています。

かつてのウォークマンを生み出したソニーや様々なマガジンを生み出したリクルートのような日本の斬新さはどこへ行ってしまったのでしょうか。

2008年5月17日

ギャザリングスタート

コミュニティシンクタンク「moco」のギャザリングがスタートしました。(内容はhttp://www.mocomoco.ws 見てください。)

ギャザリングとは市民を誘導するワークショップやコーディネートを改革すべく、新たな方向を目指したものです。

語ることで、自ら、見えてくるものがある。
聴くことで、教えられるものがある。
語り合うことで、現場の真実が見えてくる。。。と考えます。

それは、それ自身カウンセリングのようでもあり、また、それは創造の原点でもあるのだと思っています。

そうしてその場に生み出された、多くの人の思いや課題をつなぎ、共有点を見いだしてゆきます。
それは対立の場ではなく、共有の場を生みだします。

そこには多くの人の多面的な価値観が広がって、二者択一でも、多数決でもない、第3の方向を示してくれるように感じています。それは表裏を決めるのでもなく、多面体がころがるように、自由に価値を見つけてゆくことになります。

共有のなかにこそ、新しい道を見つけ出すアイデアや価値観が潜んでいるのです。たくさんの新たな道を素早く、見つけ出せることがコミュニティシンクタンクの力であると考えています。

2008年5月13日

さいたま中央図書館

図書館建築研究会の例会でさいたま中央図書館を視察しました。

JR浦和駅前、パルコの上階部分の「COMUNALE(コムナーレ)」と呼ばれる公共施設の一画にあります。

10階が講演会・コンサート・各種発表会ができる浦和コミュニティセンター、9階が国際交流センター・消費生活センター・市民活動サポートセンターが入っており、さいたま中央図書館は8階に入っています。その下階には映画館も入っています。

1フロアが約5000㎡とかなり広くなっており、空間的には若干まとまりを欠いたものとなっていました。また、先駆的に、自動書庫や自動返却仕分けシステムが導入されています。

しかし、小笠原館長から詳しく内容をお聞きすることができましたが、さいたま市の図書館行政の豊かさが実感できました。さいたま市にはこの中央図書館の他、地域図書館が23館あり、自動図書館、学校図書館と連携した図書館、書庫機能を受け持つ図書館など、、駅前の中央図書館をはじめ、それぞれが特性を持ち、相互に補完しあいながら、全体の運営が行われているようです。

図書館とはこうしたネットワークを持つものであると実感できました。また、運営も正規職員を中心に断片的に外注できる業務を外部委託しているようです。指定管理者制度などまったく話題にもなりませんでした。

自動機械化による膨大な投資を行うよりは、司書という人材を育てるべきではないかと感じましたが、
しかし、今後、COMUNALE(コムナーレ)内での共同企画や下階の映画館との連携などが図られてゆくようで大きな期待感を持つことができました。さいたま市は近年合併してできた新しい市です。そのネットワークづくりが図書館のネットワーク化、多角化を通じてすでに始められたようです。

2008年5月10日

マリオ・ジャコメッリ

マリオ・ジャコメッリは日本ではあまり知られていませんが、イタリア中部の小さな街に生まれ、多くをその地で活動した20世紀後半を代表する写真家と言われています。

先日まで東京都写真美術館で展覧会が行われていました。
これは修道院の司祭たちが戯れる日常のひとときをとらえた「若き司祭たち」シリーズ(1961-1963)という代表作品の中の一枚です。展覧会のポスターにもなっている写真でポスター作成のために背景を白く抜いて編集したのではないかと思ってしまいました。

が、そうではありません。雪の上で戯れる司祭たちの姿を的確にとらえたものです。

白い部分は写真の撮影技術でより白く浮かばせているのかもしれません。しかし、対象物に迫るその姿勢は土門拳と同じようでもあり、またまったく異なるようでもあり、しかしながら、同じ姿勢を持っているのではないかと感じました。社会を見る目が備わっているのですね。こうした、誰も持っていない目、視線はとても大切なものです。皆が写真家のようにカメラを構え、社会に向けて、こだわりと驚きをもってファインダーを向ければ、社会は必ずや変わってゆくはずです。

2008年5月4日

呼吸するお寺

今、お寺が元気のようです。もともと、かけがえのない資産である境内やひとのつながりに恵まれているので、あとはそれらを活用できるかどうかにかかっていました。

「呼吸するお寺」は大阪の上町台地、天王寺区下寺町にある應典院のキャッチフレーズです。
そのホームページhttp://www.outenin.com/index.htmlを見ると次のように説明されています。


浄土宗大蓮寺應典院塔頭

大蓮寺三世誓誉在慶の隠棲所として1614年に創建された大蓮寺の塔頭寺院です。1997年に再建される際、一般的な仏事ではなく、かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、〈気づき、学び、遊び〉をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として生まれ変わりました。音響・照明施設を備えた円形型ホール仕様の本堂をはじめ、セミナールームや展示空間を備えており、演劇活動や講演会など様々活動に用いられています。一般に開放された玄関ホールには芝居や講演会のチラシが置かれ、文化情報の発信および人々の交流の場として機能しています。また、應典院寺町倶楽部の拠点施設として、コモンズフェスタや寺子屋トークの舞台となっています。


宗教、つまり葬送を行い、先祖を供養するという古い宗教的組織ではなく、今を生きる寺子屋の精神を持った、むしろそれ以上の人の集まる場所をプロデュースしようとする使命が見えてきます。
ホームページに記されたトピックスの数々にその見事な息使いが現れています。お寺はコンビニよりも数が多いと言われています。コンビニやお寺が町を席巻する日も近いのではないでしょうか。

2008年5月3日

ギャザリング

岡崎市東部地域で図書館活動を中心に活躍している木戸氏のつながりからミーティングを持ちました。西は岡崎市の西端の島坂町から、東は近年市に編入された額田町まで含めて、常に意識のある活動を行っている人たち10人が集まり、食事をとりながら自分たちの活動の紹介を行うだけで予定の時間が迫ってしまいました。

助成金や行政の対応(あるいは非対応)に一喜一憂しない、自由奔放なMrs鈴沖氏、学校などでの読み聞かせ活動を始め、司書の資格をとった石原氏、行政の長と職員との間に立って改革を実行するMr鈴沖氏、、、それぞれの活動を支援する特別の講師ではないですが、その人柄や姿勢に「大きく共感と勇気を覚えることができました。

それらは自分の活動を行う上でうまくいかない人たちを直接、ある方向へ向かわせるものではないかもしれないけれど、しかし、しっかりとした考えを改めて考えさせられ、陰ながらしかるべき方向へ向かわせる力を持ったミーティングでした。

最初からどのような結果がえられるかも、目指すべき方向も持っていなかったけれども、しかし、互いに語り合うことによって、しかるべき方向へ、しかるべきところへ、向かわせるギャザリングの姿を垣間見るようなミーティングでした。

2008年5月2日

政策とは

政策とは何か。しばしば、政策が語られるが、それは何を示すのであろう。

それは夢や言葉だけのものではないはずです。思いや理念を表現するだけではなく、具現化するためのものであるはずです。

それは立法、法律のことなのでしょうか。絶えず理念を掲げ、実現のための方策、現在の日本では、それは法律となるのであろうか、、、。

地方においては、政策を語るそうした行政や議会(それが立法府となるのかどうか。)と市民とはとても近い立場にあって、直結しているのではないでしょうか。だから、市民の意識高まることに意義のある場合が多いのではないかと感じられます。論理的な方策でも具体的なシステムでもなく、市民の意識、雰囲気が重要になるのではないでしょうか。

しかし、地方では政策の主体がはっきりしません。しないと感じられます。知事と市民との間のもやもやした、あいまいな、中間的存在。地方議員や議会の役割、、、それは地方の旧来性を最も背負った部分かもしれません。

2008年5月1日

大学図書館の試み

専門図書館としての特性が大きく、また利用者が特定多数(主に学生)に限られることから、大学図書館の運営は比較的落ち着いたものと考えていました。しかし、僕が設計にかかわった明治学院大学図書館の松岡氏、宮城氏と話をする機会があり、大学図書館の印象が一気に変わりました。


明治学院大学図書館は1990年に大枠の設計を終えているので、ほぼ20年前の仕様なのです。そのため、今後の課題にどう対処するか、相談を受けて、現状の問題を話し合いました。


松岡氏は20年前、大学本館の設計時に大学の諸部門を隅々までまわり、それぞれの関係性を新たに構築した方であり、また宮城氏は学長室から広報、図書館と多くの企画にかかわってこられ、楽しく交流させていただいた方です。二人とも、もともと図書館の専門職ではありません。しかし、そのため、発想が新しいのです。

彼らは図書館に人を集めたいと言います。才津原さんと同じ発想です。

当日も「写真集・冷蔵庫」で有名な写真家の潮田登久子氏が書物を「もの」として撮影していました。また、東京都写真美術館に展示資料を提供したことがきっかけで、自らもそうした展示イベントを開催する企画を持っています。

僕たちが高層の建築の中の6層分を占有する図書館を設計するときに、利用者の活動の大きな手がかり、シンボルになるようにデザインしたエントランスホールの吹き抜けに、潮田氏の作品が展示されています。


また、明治学院卒業生の著書の紹介など、企画が目に見える形で展開されています。活動する職員のセンスや姿さえそこには見えてきます。


20年前の設計思想でつくられた図書館です。「書斎」をつくろうという色あせない本質的な部分もありますが、閉じ込めるだけの「グループ閲覧室」、ノートPCなどなかった時代の個人専用の「AVコーナー」、 利用者を区切る「大きくりっぱなカウンター」など、変わるべきものも数々あります。
大学図書館も変わりだしたようです。