2009年9月23日

フィンランドの教育

フィンランドメソッドと言われるその教育方法に注目が集まっています。

福田誠治氏の「驚きのフィンランド教育  格差をなくせば子どもの学力は伸びる」を見てゆくと、格差をなくすというそのテーマより、多様な生徒を一つのクラスに混在させ、それぞれを多面的に指導するその驚くべき風景が描かれていることがわかります。それはメソッドというような一つのやり方ではないし、表面的な方法論でもありません。

授業の進め方は学校ごとに、教員ごとに決められている。複数の学年が20-30人程度の一つのクラスであり、家庭のような雰囲気と空間を持った教室のどこでも好きな席で授業を受ける。生徒の進行状況や意欲など、その時々の状況に合わせて、いくつもの授業が一つのクラスで同時並行で行われているかのようです。
標準化された教室、30-40人ほどの生徒が整然と机を並べ、TOPで決められた教科書や教材によって、ひとりの教員が一斉に全員の生徒に話しかける日本の授業風景。そこでは、余計な声や視線や関心はそこには無用のものであり、クラスを一つにまとめ、統括することが教員の務めのような印象もあります。
フィンランドの授業風景はかなりそれとは異なっています。グループで勉強する生徒、一人で考え込む生徒、一人で先に進む生徒、もちろん理解のスピードも、学んでいる内容自体も生徒によって様々です。
教員の視線と支援はその一人ひとりに注がれ、一人ずつ異なる支援を同時にいくつも行わなければならない、、、、その能力は日本の教員のそれとは大きな隔たりがありそうです。
一つのことを全員に同時に教えることさえままならないわけですから、、、、。しかし、よく考えてみると、むしろ、一つの枠に押し込め、一つのシステムで対応しようとするそのようなことの方が難しいことかもしれません。かつては学校や教員を聖域化、聖職化することで、そのような困難でかつ不思議なことができるような錯覚を与えてきたのかもしれません。
フィンランドの授業は大学でのゼミの授業のようなものに感じます。今僕は、3,4年の2学年20人ほどに一つの設計課題を与え、学生それぞれ自ら課題に取り組むことで授業を進めています。設計課題に対するそれぞれの答え、答え方はかなり方向の違ったものですし、それぞれの方向に特化するように個別にアドバイスをしなければなりません。だから同時に20の課題を勉強していることになるし、20の取り組むスタイルがそこにはある。
「高校までは、まわりと同じことをしないと親が心配し、他人と同じことができないと教員から評価されなかった。また、他人と同じでないと目立ってまわりからいじめにも遭っただろう。しかし、これからの社会では他人と同じだったら評価されないよ。」毎年、入学してくる大学1年生に僕はこのように伝えています。
フィンランドでは小学校からそのように教えられ、自ら学び、自ら行動しているかのようです。学校社会という特別の、聖域化したものではなく、HOUSEのような居心地のよさとHOMEの雰囲気の中で、COMMUNITYの多面性を持ったいつもと同じ普通の社会の中に学校はあるのでしょう。

2009年9月21日

「ビーチ図書館」

「大学生が「ビーチ図書館」開設プロジェクト/横浜

砂浜で読書の秋?-。ビーチの利用の幅を広げようと取り組んでいる東海大学の学生による「ビーチライフ創生プロジェクト」(高市慎太郎代表)のイベント「砂浜の図書館」が20日、横浜市金沢区の海の公園に開設され、親子連れらが砂浜での読書を楽しんだ。今年で2回目。21日、10月4日も開設される。 

同プロジェクトは東海大学の学生が中心となって取り組み、「秋のビーチの楽しみ方」を提案するもの。書籍は市民などから寄せられた小説や絵本など約350冊を用意。砂浜には、シートを敷き、背もたれ用の板を砂浜に差し込んで作った座いす約40個で観光客を出迎えた。 砂浜にずらりと並ぶライムグリーンの座いすに当初は困惑気味だった観光客も、趣旨を説明されると、興味のある本を持って靴を脱いで着席。心地よい潮風が吹き抜ける中、足の下の砂の感触を楽しみながら、本を読みふけっていた。 

近所に住む主婦の小林英代さん(40)は「風がとても気持ちいい」と話し、長男の優人君(11)も「家では読まないけど、ここだったら読書も気持ちいい」と満足した様子。 高市代表は「一年を通してビーチが楽しめるよう取り組んでいきたい」と話している。 」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000023-kana-l14 より)

「本が焼けるから」と言って閉鎖性を高め、「市民が本を盗むから」快適な環境なのに窓をあかない構造にする。落ち着いた空間が欲しいのに規定の明るさを確保するため眩しいくらいの照明を設置する。静かな読書のための空間があればいいと言って、本の世界とつながる多様な生きた活動を放棄する。

今、それが日本の大部分の図書館の姿であり、利用者のニーズではなく、本を管理する側の条件で計画、運営されています。日本がまだ貧しかった時代の過去の図書館像が今でもそのまま現代に引き継がれています。これでは、誰も図書館や本には興味を示さないでしょう。

そうした中で、「本物の図書館」、「生きている図書館」を目指して、いくつかの試みが行われるようになってきました。この「ビーチ図書館」もまさしく、そのひとつです。

こうしたニュースを耳にすると、温めてきた市民による市民のための図書館設立に向けて勇気と意欲と可能性が立ち上がってゆきます。

2009年9月19日

NPO法人東京コミュニティスクール

NPO法人東京コミュニティスクールはコミュニティスクールを推進し、実際に経営するNPO団体です。その設立趣旨がWEBSITEに述べられています。(長い一文ですが、、、)

「特定非営利活動法人東京コミュニティスクールは、子どもたちとその教育に関わる親、教育関係者、学生、地域住民を対象に、コミュニティスクールの運営を通じて「思考と行動のつながり」をベースにして学ぶ学習スタイルとその教育の具体的な進め方についての研究開発、実践、提案、普及を行うとともに、学びの選択肢の多様化とその選択の自由に関する社会的認知・支援を獲得していくためのさまざまな活動を行い、子どもと大人が共に一人一人の市民として豊かな社会生活を創り出していく活力のある社会の実現に寄与していきます。」(http://tokyocs.org/0130_aboutus/npo_3.html より)

まだまだ、私立のフリースクールのようにも感じられますが、何より標準設計の監獄のような校舎の中で整然と机を並べて行う教育ではなく、アットホームな雰囲気の中で独自の教育が行われているようでフィンランドでの授業風景を思い起こさせるようでした。



ただ、学校教育法第1条に定める小学校ではないため、子どもたちは地元の公立小学校に学籍を置いたまま通い、学期ごとに保護者がここでの出席や学習の記録を学校長に提出することで在籍校で公的な出席記録として認められ、卒業の認定が行なわれるようです。


募集要項や教育費用が以下のように記載されています。


【募集人員】 新1年生~新6年生
【定員】 1クラス12名×6学年 合計72名
【対象と時期】 ・原則として小学校1年生から小学校6年生まで。 ・定員に至るまでは随時、生徒の募集を行ないます。
【選考の基準】 ・保護者とスクールの考えに基本的な相違がなく、グリーンシートの内容への同意があること。 ・子どもが、東京コミュニティスクールで学ぶことに対して前向きに考えていること。 ・子どもが、他の子どもたちやナビゲータとのコミュニケーションがとれること。

【入学考査料】 5,000円(入学選考時)
【入学金】 200,000円
【学費】  60,000円/月(720,000円/年)
【寄付金】 一口20万円 
【その他費用】<教材費><研修旅行、校外学習費用><NPO入会費用>

2009年9月18日

コミュニティスクール

コミュニティスクールとは地域がつくる新しいタイプの公立学校です。有志による設立提案を地方自治体が審査して学校を設置し、任命された校長がマネージメントチームを率い、教員採用権と経営権を持って学校経営を行うというものです。



「教育委員会が日常的に監督しないと教育の質が保てない」「有志による教育だと偏向的、反社会的教育の場になる恐れがある」「教員をリクルートするとなると、教育の公平さが保たれない」「特別の教育は私立学校で行うべきである」「特殊なニーズに公立学校は適合しない」・・・・・・・金子郁容氏による「コミュニティスクール構想」には学校を変革させるために経営的概念を持ち込もうとする金子氏と旧態然とした教育関係者との格闘が描かれています。


出版されたのが2000年ですからそれ以来9年がたっています。文科省でもコミュニティスクールの普及をめざしてすでに266校(20年度)の公立学校で実践的研究を始めています。まずは既存の校長をトップとした教員システムのなかに地域有志からなる学校運営協議会を設置しているのですが、、、、。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/community/index.htm



教育大学や教育学部を卒業したばかりの教員の卵が、採用されれば1年目から担任を受け持つなど教育システムの歯車となり、「先生」と呼ばれる。子供との力学的関係は明らかであり、教員には間違えることが許されないとプレッシャーとなるでしょう。また、大切な授業では指導要綱から外れることができずお決まりの解説を続けてゆかねばなりません。


コミュニティスクールとはこうした課題を打破し、教育の本質へ向かうための試みであるはずです。地域の様々な人たちが学校の中に入り、もっと異なる世界観を教員に教えてゆく必要があるのではないでしょうか。それによって閉塞した一元的な関係を打ち破ることができるのではないか、それによってしか改革することはできないのではないかと思うのです。


地域に開くとは、これまでの教員と生徒との一元的な関係によって閉塞した学校社会の中に、新たな価値観を持ち込むことではないでしょうか。「新たな」といっても一般の社会の中では至極当然の価値観なのです。


それが地域に開くこと、学校のオープン化です。コミュニティに開き、コミュニティを受け入れることですね。


1980年代、小学校ではオープンスクール化が実験的に試行され、一部の先進的な学校では成功したかに見えましたが、むしろそれ自体が定番化されてしまい、単に教室の壁を取り外すことのできる学校が定着しただけになってしまいました。


生徒と教員が向かい合うだけの一律の関係を持つ教室、がらんどうで、さびしげで、冷たく、しかも音響性能は悪く声が響き渡る教室や廊下、古い企業の事務室のように机が並べられた教員室、こんなところで豊かな活動や仕事ができるわけがありません。


オープン化とはこれまでの学校という価値観で作られるのではなく、多くの価値観を混在させるような、温かで、居心地がよく、誰もがくつろげるような雰囲気の中でコミュニケーションに溢れる空間となることが不可欠です。


絶えず、地域の誰かが訪れて、地域の拠点ともなって、彼らとともに自然体の中で、生徒と教員が向かい合い、混ざり合う、そのような学校がこれから必要なのではないでしょうか。それがコミュニティスクールなんだと確信していました。


グリーンニューディールと言って、IT環境やソーラーなどエネルギー設備に予算をかけてる場合ではないですね。教育環境そのものに真剣に取り組む必要があります。

2009年9月4日

1勝9敗/ユニクロ

柳井正氏は、ユニクロは失敗ばかり重ねてきたと書いています。

成功ばかりだと、保守的になり、形式化をもたらすのであり、それらは市場の変化へ対応が不可欠な小売業には致命的なものであるようです。
詳細に描かれている起業からのプロセスを読んでいると、試行錯誤の多さとそれから学び、実行することへの素早さが大切であるのだと思わずにいられません。
そこに「1勝9敗」の意味があるようです。
また、組織や人事評価についても語られていて、とても興味深い内容も明かされています。現在の社会にとても有用です。


ひとつは組織のあり方。仕事を組織に合わせるのではなく、仕事を行うための組織をその仕事に合わせることが大切さであり、その構成、つまり人員の配置とその目標を絶え間なく、仕事に合わせて変え続けることであるようです。組織は流動化し、外部からは組織の形さえ見えないこともあるそうです。

また、組織は部長とリーダーと社員の3部構成で成り立っています。リーダーとスタッフとはチームを組み、プロジェクトごとに役割を変えて業務を行っているので、基本的には部長とチームによる大変フラットな運営となっています。

人事権とは経営者やリーダーの職務の一つですが、状況に応じて柔軟に、また確実に対応できている会社は少ないのではないでしょうか。

もうひとつは、集団主義ではなく、実力主義となるきびしい評価。人が働く大きなモチベーションとして正当な評価の必要性があげられています。

その評価は意外にも自己申告によるもので、4半期ごとに人事考課をし、その期間に何をどのように成したか、自分の業績を自分でアピールする、、、、それを、面接に時間をかけて評価するようです。それは人材教育にもなるし、モチベーションも上がるし、何より能力の差を見分けることができるということなのでしょう。

90年代後半、首都圏ではまだディスカウントショップと間違えられることもあったユニクロはその直後、フリーズの販売が成功し、新たなカジュアルなファッションブランドとしてそのデザインが確立されます。そのデザインコンセプトがいつ確立したのか、誰のデザインか、考えていたのですが、、、、このフラットでストレートな経営手腕がカジュアルでユニセックスなファッションを研ぎ澄ませていったのかもしれません。

デザインとはしくみを現わし、描くことなのです。