2008年6月14日

コンパクトシティ

コンパクトシティと言うとすべてが許されるようになってきました。

ウィキペディア(Wikipedia)によれば、「都市郊外化・スプロール化を抑制し、市街地のスケールを小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするのがコンパクトシティの発想である。再開発や再生などの事業を通し、ヒューマンスケールな職住近接型まちづくりを目指すものである。」と説明されています。

雪国青森市では成功しているとも言われています。しかし、声を発する中央官庁とそれに無思慮に従う地方都市があって、人口3万人の村にも、10万人の町にも、40万人の都市にも同じように、中心市街地再活性化構想がうごめいています。

小さな独立したひとつの生活圏が自立し、まちを自ら運営してゆくことが重要なはずです。人口の拡大によって拡散した施設群をまた、旧市街地に戻すことしか考えが及ばなくて、まちの孤立化を助長することになるだけです。中心地までの交通や施設のネットワークも破壊し、旧商店街の人間的なスケールまでも壊滅に追いやってゆきます。

中心市街地の活性化はその周辺の町の豊かさによって保障されるのです。その周辺住民のことを考えずに中心だけを考えてもまちは豊かにはなりません。人も戻ってはきません。

郊外のショッピングセンターは中心市街地の古ぼけた商店街の数百倍の売り上げがあるとも言われていますが、そのショッピングセンターさえ生き残りに大変です。商店主が高齢化しようとも住民のニーズを的確に捉え、新たなマーケットを開拓していかない限り、まちは活性化しないでしょう。

国がゆとりといえば、郊外に施設を展開し、国がコンパクトといえば、それを中心地に戻す。その繰り返しを行っている限り、地方都市の未来はないと感じます。国の施策に従う地方都市、地方都市の政策に巻き込まれ、利用され、NPO団体まで結成させられる中心市街地の商店主たち。この膠着した図式からはとても自由な商業による生きた町など生まれないでしょう。

0 件のコメント: