2007年12月18日

民度

「ミュージアムが都市を再生する」(上山信一+稲葉郁子)のなかで、民度やソーシャルキャピタルの重要性が述べられています。「民度」とは地域住民の自治参加意識の高さを示す言葉であり、「ソーシャルキャピタル」とは、アメリカでの民主主義の土壌のひとつのして上げられているように、社会で自由に様々なグループをつくることで形成されるとのこと。


本来の民主主義から生まれた市民の活動やその蓄積、資産と日本という地域性を持った閉鎖的な自由主義におけるものとは自ずから異なってしまうかもしれません。


民度が高い、あるいは低い。それらは市民の豊かさ、まちの豊かさを表すものだろうか。市民の民度とは何かを考えようとして、筆が進まなくなってしまったのです。約1ヶ月。

地域には様々なつながり、結びつき、その痕跡があります。それらをマネージメントする力を失わないことが重要のようです。単なる多数決を推進してゆくと答えは簡単です。右か左か、白か黒か、答えを出さずに、新たな別のとるべき方向性が発見することが必要なのだと思います。そうしたマネージメント力こそが民度なのではないでしょうか。表面的な民主主義ではなく。

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