2007年12月20日

賞味期限

07年最大の話題かもしれません。そして、今後日本の重大な課題のようにも感じられます。


かつては自ら、あるいは年長者に聞きながら、恐る恐る判断していたものをこのデッドラインのおかげではっきりと自信を持って判別できています。しかし、はたして、それは正しいのでしょうか。あるいは正確なのでしょうか。



明確なデッドラインなど設定できるということは、たぶん、昔の手作りの品から、工業製品のように精度の高い、均質の商品になってしまったのかもしれません。


牛乳もかつて手づくりの生の品だったものが、ホモジニアスな、均質な加工乳になって、多くの人に親しまれるようになったようです。また、卵も工場のような人工環境の下で鶏を生む機械のようにして製造され、鶏肉もブロイラーから均質な肉を生産されています。しかし、そのホモ牛乳もノンホモ牛乳が望まれ、本当の自然の卵や鶏肉も望まれるようになっています。それらは季節や牛や鶏の体調によって品質が変わってくるようです。


あいまいな人間的なよさを持った生の品を工業製品のように扱えてこそ、デッドラインも意味あるものとなります。言い換えれば生のあいまいなものい厳密なデッドラインを設定することに問題があるように感じます。

むしろ、生の手作りの良さが特性だった日本の様々なものが、どこかの基準のみを取り入れているだけに過ぎないようにも感じられます。

そして、その明確な基準は僕たち消費者のためのものというよりも、むしろプロ意識を失った流通業者、店頭販売者のための基準ではないかと思われるくらいです。すなわち、それは見る目を失ったただの人へのマニュアルなのですね。

そして、それはPL法に縛られた工業製品にも見られるようになってしまいましたし、ISOの認可に走る組織にも同様に見られるでしょう。マニュアルがないと判断できない社会になってきたようです。

そして、そのマニュアルさえも裏切られようとしています。

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