2009年5月26日

協働から生まれる形とは

閉鎖的であったり、また開かれていても同じ志向を持つ組織からは豊かな、多面的な思考は生まれてこないものです。そうした貧困さを打開するために協働という組織の形態が生まれてきました。

デザインや設計の世界では昔から多くの人との協働で、そして屈託のない意見交換により、新たな発想を生み出してきたのです。今そのような方向がコミュニティにおいても重要となってきています。縦割りの閉鎖的な行政組織では様々な利用者である市民や専門家の期待にとても応えられないからです。
しかし、協働の中で市民の声を聞いてつくるとはどういうことかがまだわからないようです。市民の多様な声を聞いて、アイデアを膨らませて作れば、そっけない、何もない、すました、ガラス張りの図書館にはならないのが一般的です。

岡崎市図書館交流施設。このさびしい施設の状況は協働を拒否した悲しい結果なのではないでしょうか。建築とは人の思いが込められたものなのです。その思いは訪れた人にもわかってしまいます。

また、窓のないガラス面は、近くのせせらぎの川風を引き込むことなく、鳥のさえずりを異次元のものとしてしまいますし、ましてや、窓のない理由が、利用者が本を外に盗み出さないようにとの配慮からだと聞くとあきれるばかりになります。建築家の倫理はどこへ行ってしまったのか。。。

本来はそこ、ここに市民の居場所となるいろいろの、行政マンには想像もつかないような、抽象論しか語らない設計者には思いもつかないような豊かな場所と場面が用意されているはずなのです。

このようながらんどうの図書館は声を聞かなかったことの象徴でもあります。

広まってきた市民協働、官民協働とも言いますが、形だけで終わっているようです。かけ声、ないしはポーズ、あるいはガス抜き、、、、、。

協働によって生まれてくる形とは、統一された既成の完成美などではなく、多くの価値観にあふれ、多面的でむしろ雑然としたような人間的な様相を持ったものになるはずなのです。統一的、抽象的秩序が市民にとって必要であるならば、市民の声など最初から聞く必要はないのです。

悲しいことに、どこの町でも中心地の整備された歩道は単調でさびしい舗装となっていたり、樹木も貧相な様相を呈していたりで、人間性に欠けています。それは緑政課や土木課が実際の町そのものや人や樹木や敷石を見ないで、ユンボで掘って、固めただけの代物だからなのです。

しかし、協働によって生まれる形とは、それは古くからある住民が自ら育ててきた街並みのようなものです。なんとなく統一が取れているようで、でも、個性は至る所に溢れている。それが町のエネルギーになり、生命力になると思うのです。

福岡で会った小さな町の職員は話し合いの相手が見つからないから、町に出向いていく、営業や取材に出掛けて行くと自ら語ってくれます。対話によって豊かなものが生まれてくるものなのです。

2 件のコメント:

くろきち さんのコメント...

表面的にはとても素晴らしい物に見えるのに、人間味・温かみが感じられない物があります。
そこに愛着は湧かないし、心が感じられませんよね。
一度造ってしまった物は、何十年もそこに存在することになるのですから、市民の本当の声がもっと取り入れてもらえたらいいですね。

島崎義治 さんのコメント...

くろきちさんありがとうございます。
「まちづくりは鍋物のように」と言って、市民を集めるのですが、、、、多くの具のなかからひとつの具だけを食べているのですね。本来豊かなアイデアを募るためのワークショップもコーディネーターを使って、市民に納得させるだけのものになっています。無力さも感じてしまいます。

しかし、この無力感ゆえ多くの市民もワークショップから離れてしまいますが、この状況も官製コーディネーターにかかれば、「岡崎は反対から次第に賛成する町になるんだ」と言われてしまい、見下されているようにも感じてしまいます。

残念ですが。。。。。。。