2008年1月30日

助成金の行方

岡崎市には二大ゼミがあると言われています。市民によるゼミナールの企画であり、自ら市民講座を企画し、市民を対象に実践しているもので、将来的にはもっと大きな市民大学のような生涯学習環境となることでしょう。

ひとつは中心商店街の商店主が自ら講師となって開いている「得する街のゼミナール(通称まちゼミ)」http://www.city.okazaki.aichi.jp/sisei/sisei1_15/bosyu1.htm

もうひとつが昨年は今村克彦氏をゲストに迎えて行われた「100セミ」、地元の高校キャンパスを会場に盛大に開催されています。http://100semi.jp/


しかし、助成金が半減し、その活動の可能性が危ぶまれています。助成金とは(中央政府と地方行政との関係も同じですが)金も口も出し、市民の自主、自立をないがしろにするものかもしれません。支援だけもらってあとは自由にやればいいと思うのですが、そうはできないのか、やらせてもらえないのか。


市民に任せられない行政と、行政を推量ってしまう市民との協働は無残な結果になります。行政が手を引いたとたん、その運営基盤は何だったのか、見えなくなってしまったのではないでしょうか。


助成によりどんな形であろうと、そのノウハウと課題が得られた今、市民自らが自立して企画し、活動を推進する好機でもあるように思われます。それには何事も情熱とそれを推進する仕組みの確立が必要です。組織を企画すること、それをつなぐこと、そのことにより多くの支援も可能となります。運営基盤を再び目に見える形に表せばいいのではないでしょうか。


まちゼミと100セミの行く末に、市民活動の未来がかかっています。わずかな助成で、逆にその動機や成果が縛られてしまっている多くの活動の先鞭となるためにも。

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