2007年11月2日

経済から文化へという貧困さ

岡崎をこよなく愛し、行政や出先機関のようなNPOの捕虜となっているような市民へいつも危機意識を提言されている建築家北野氏との書信の中でいつもいろいろなことが気づかされます。


「今ふと気づきました。僕は文化が町を活性化するなどということは間違いだと。
それは年金によって生活の安定した高齢者にはそういう場合もあるかもしれませんが、多くの人たちは生活をする必要があります。その生活を豊かにする必要があります。肉体的にも精神的にも、社会的にも、生活のためにも。

かつても30年ほど前、中心商店街の活性化のため、古い木造建築である岡崎藩の藩校「允文館(いんぶんかん)」を壊して、巨大なショッピングセンターである岡崎シビコができた時には、文化や歴史では何もできなくて経済でまちを活性化しようとしたはずです。しかし、それが実を結ばず、しだいに枯れてきました。すると、今度は文化だと言って、大きな文化公共施設を町の真ん中に建てます。無理やり、市民を引き込んで、それは間違いないものだと主張します。市民を巻き込んで一蓮托生にします。市民を豊かにするより、大きな古い木を切ろうが、伊賀川の土手を壊そうが、人が集まろうが、集まらなかろうが、、 そんなことはどうでもよく、とにかく前に進むことが重要なのです。

それはシビコを作る時に、周りの小さな商店街がどのようになろうか眼中になかったのと同じです、、、。
すべて同じ発想です。

経済か文化かではなく、経済も文化も、という発想で、福祉も歴史も同時に町に取り込んでゆく必要があるのではないかと思います。それがコミュニティです。

ところが、岡崎では、文化の次は都心再生です。

今度はこの言葉に振り回されるでしょう。これにかかわる都心ではシンクタンクなどと称する組織を作って利益を誘導するため行政から補助金を集めています。今度はこれで岡崎はずたずたになるでしょう。すでに中央図書館や婦人会館が廃止に追い込まれています。

政府が1万人の町にも、5万人の町にも、10万の町にも、38万の町にも、80万の都市にも同じように、都心再生を促す(金をばら撒いて)からです。また、同じような規模でも岡崎と豊橋ではその状況は大きく違うことでしょう。

(北野氏の推奨するように)これらにかかわらないことも大切ですが、むしろ、市民がなすべきことは文化や経済などと区別せず、団塊の世代などと祭り上げるのでもなく、そうした区別なく、地域のありかたに目を向けるべきではないでしょうか。そのような目を持っていらっしゃる方も大勢います。図書館倶楽部にもいらっしゃいますし、もっと他のところでも活動をされています。それが岡崎の素晴らしいところです。
そういう人たちが活動できるように、活動を展開できるように進めてゆくこと、バックアップすること、協働すること、応援することが大至急に必要のことのように思います。

行政の管理下の元で楽な活動を行うことは容易いです、また、まったく無視をすることも忍耐力があれば容易いことです。ただ、僕が考えていることは行政と反目することではありません。

まず、自分たちが必要と思うことをやりぬく覚悟とその情熱、使命感です。そこにこそ、本当の哲学があるのです。哲学と言うより「人の姿勢」です。それを持っている多くの市民を僕は知っています。彼ら彼女らと意識を同じくすることが必要です。また、有能な、柔軟な行政マン、行政ウーマンにも僕は出会っています。行政もいろいろです。そういう人たちを市民が見つけ、確保してゆくことも必要です。そういう、岡崎を愛する普通の行政マンは支えてくれると思うのです。期待しましょう。」

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