ミシュラン東京が刊行されて、東京の「食」事情が世界的であることが証明されたといっている専門家、批評家も多いようです。果たしてそうなのでしょうか。案外、フランス文化はアメリカ的であるより、ずっと日本的であるだけかもしれません。
しかし、権威によって明らかになった「食」の序列ですが、その権威を打ち破るようなケンケンガクガクのコメントが、もうすでにWEBネットワークを駆け巡っています。アナログの権威と民衆によるデジタルでの評価。そのギャップが生まれています。当然ですが、、、。
近年、この民衆によるデジタルでの活動が社会を変えつつあります。僕たちのコミュニティシンクタンクもその趨勢に支えられていきます。
このようにアナログの権威を簡単に打破し、情報をあまねく、そして即座に伝えるデジタルネットワークがそのひとつです。この新たな情報ネットワークによって、市民と市民は簡単につながり、情報を共有しています。情報の共有が権威を揺るがし、打ち破るのです。
もうひとつは、上から与えられると考えていた国家の予算、行政の予算が実は民衆の税金の積み重ねであったと理解したとたん、それは与えられるものではなくて、預けてあるものだというような認識が生まれ、漠然とした政策というものを、市民一人ひとりが身近に感じるようになったのではないでしょうか。
このWEBネットワークの時代において、情報と金が市民に開放され、さまざまな既成の権威を打ち破ってきました。
あと、小選挙区制度で幾分デジタル的になってきた(白か黒か、右か左か、二者択一的になったのですね。)政治の世界が市民の手に落ちれば社会は市民のものになるような気がします。
この選挙制度が全面的にデジタル化され、すべての市民に開かれれば(今でも建前的には20歳以上のすべての市民に開かれていますが)、市民は政治を手にして社会を変えることができるように感じられます。
21世紀は肥大化した権威の時代ではなく、もっとやわらかな市民の時代なのではないでしょうか。
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