「ワークショップ 偶然をデザインする技術」には、ワークショップの現在の目的が自己啓発、身体表現、社会的合意、創造力開発系の4つの方向性により説明されています。
工房(ワークショップ)での多くの人の活動を通して行われた意見の収集や創作活動が、今や多様化し、様々な分野で応用されてきたのでしょう。
しかし、まちづくりなど一部の分野では市民の総意を表わす手段であるはずのワークショップに大きな猜疑心が投げかけられています。行政の思惑、その強者にすりよるコーディネーター、それによりかかる極一部の市民など、問題は見えつつあります。
「ワークショップ 偶然をデザインする技術」では、ワークショップの本質が創作のプロセスになぞらえることによりうまく説明されています。
創作においてはまず、様々な検討を行う、つまり多くの情報をインプットする。そのまま、それらの中からどちらかの方向を選ぶのではなく、それらを一旦、おいて、自由な気分や別の作業にふける時に、新たなアイデアが浮かんで来ることも多い。
遊んでいるとき、何かにふけっているときに現れるインスピレーション、ひらめき。それを生み出すシステム、それがワークショップなのかもしれません。
いろいろなアイデアを出していった時にそれは既成の価値観のなかで考えていても新たなものは出てこない。でアイデアを生み出していても、 だから創作活動を行うということはひとつのアイデアを考えることではなく、別の新たな社会の価値観を生み出すことなのである。
それと、同様に、ワークショップでの重要なことは、多様な意見が生じてきたときに、枠を緩めることが必要です。規制の枠を変えない限り、ワークショップの多様な情報は生かされない。拘束ではなく、自由。既成のこだわりを捨て、いろんな過去の意味を捨て中立的立場に立って、進めてゆくことが必要である。
緩めたときに多くの情報が生きた形に生まれ変わる。そこにこそワークショップの意味がある。
古い価値観を守ろうとする組織には不向きだなぁ。大学も行政もNPOも。
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