2007年11月1日

知ることと知らないこと

一般的なまちやひとのこと、風土や歴史のことだけで、まちを分析する**総合研究所など中央のシンクタンク。


まちの情報が**総合研究所の自社のフォーマットに書き込んでゆかれるのだろう。まちを研究し、分析する手法には共通の理念もあるし、類似性もあるでしょう。どこの町にも共通する本質的な問題も確かにある。しかし、それは個別の地域固有の問題を語り合う中から、共通の概念として得られるのであり、フォーマット化された書類の上での出来事ではないと思うのです。

しかも、この中心市街地再活性化構想はいったんつくられると、若干の見直しはするもののそれを無条件に推進されることも多い。自分たちの歴史や風土など巨視的、抽象的視点によって吹っ飛んでしまうのである。


しかし、一方で、まちづくりにおいて、さまざまな関係を知りすぎているから、まちづくりにはかかわれない、という人に出会うことがあります。 僕たちがどれだけ市民や行政の動向-市場調査を深く行いたいのか、行わなければならないのかがわかっていないのですね。まちや地域、その市民を知るということがどれだけ尊いことかが見えていないように感じられます。

さまざまな関係を知りすぎているといっても、行政に委託されていると行政サイドの関係しか知り得なかったり、企業サイドの関係しか知り得なかったりするものです。しかし、基本は市民サイドであるはずです。

まちづくりとはまちに潜むそうした関係を十分知った上で、なおかつその関係(利害や利権に関係する人たち、専門家にはステイクホルダーと呼ばれています。)の中立にたって、かかわることこそ、まちづくりの基本精神なのではないでしょうか。

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