かつて、弁護士の書く答弁書を読んだことがありましたが、でも何が書いてあるかよく理解できません。それは事件の事実を明らかにするためのものですが、まず、書き方というものがあるらしいと感じます。
しかし、事実を追うなら時系列の比較表を作るとか、状況が複雑ならば、表やモデルする、などし書き方を、表現方法を変えれば、事実など簡単に証明できると思ったものでしたが、弁護士は既成の書き方を変えることはなかったようです。
言葉は思想そのものだし、書くこと、表わすことは思考のプロセスそのものと思うのですが、そのわかりにくさは、閉鎖性をあらわすものでしょう。組織のあり方は表現する言葉の使い方にも現れてくるようです。しかし、その閉鎖性社会、といってもどの社会も閉鎖性を持っているものであって、他の社会と交わることで初めてその閉鎖性が実感できるものではないでしょうか。
他の社会と交わることができる柔軟性を持っているかどうか、そしてその時どのように対応できるかが、その社会の価値となることでしょう。
まちの言葉、条例や規約、あるいは通達、また本来想像性あるべき企画書なども硬く古めかしいはずである。それら、まちを語る言葉を市民の言葉で語ってみてはどうだろうか。また、市民の組織を役所の一部署として向かい入れてはどうだろうか。
必ずや、やわらかく、わかりやすく変わるはずである。市民の言葉で語り、市民のやり方を受け入れる、ここにこそ、協働の意味があり、協働の機会を生み出してゆくことこそ、コミュニティシンクタンクの役割があると考えています。
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