2008年2月4日

ワークショップの課題

ワークショプとはオフィスの紙の上で考えていただけのものを、工房で皆が集まって作っていこうとするものです。様々に活用され、多くの場面で大きな効果を果たしています。大学での一般授業にも取り入れようとしています。(ところが講義ばかりしてきた教員にはそれがとても難しい。)


ワークショップとは身体を共に考え、その考えをコミュニケートする



身体性、能動性、多数性をキーワードに、自己を開示し、表現を行ない、交流を生み出し、開発を目的とするのではないでしょうか。身体性を用いて、表現をつくるのが演劇や即興音楽の世界、能動性を用いて、自己開示を行うのが芸術療法や精神療法、参加の意識がもたらし、多数による解決を図るのがまちづくりに応用されるワークショップではないでしょうか。

しかし、多くの手法として消費され、ワークショップは画一化してきたようです。当初の多様性も創造性もできないまま、自己閉鎖に向かっているような気もします。


参加者は何を成し遂げてきたのか、その記録はすべてコーディネーター、ファシリテーターに委ねられてしまいます。それはいつも自ら模造紙に書き込んでまとめられていきます。書き方、まとめ方が決まっています。せっかく集めた参加の意識も想像性ある方向も皆書く人の能力に、価値観に決め付けられてしまいます。

常に、新しい発想がワークショップの魅力であるはずが、固定化し、マニュアルに従ったワークショップが横行しているのが現実です。そこには参加の意識も、創造力もない、ワークショップとは見せ掛けなのか、あるいは運営する能力がないのか、、、。


それは結果的に参加者の意識をないがしろにすることになるでしょう。

この不毛な作業を打開させることが早急に求められています。参加者自らが記録を行ない、進んでゆくことが必要ではないでしょうか。そこにこそ、身体性と能動性と多数性とを持ったワークショップの本質があります。

そんなものはまとまらない、と言われるでしょう。しかし、最初からシナリオがあり、まとめる方向が用意されているから不毛となるのです。どうなるかがわからないからこそ、ワークショップの価値がある。
いつまでも創造力のないものを創造と詐称するわけにはいかないのです。

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