2008年2月6日

わからないままの議論

中国生産の冷凍食品の安全性が話題になっています。
昨年の12月28日に症状が出て後、1月28日に公表されました。1ヶ月放置されていたことも驚きですが、毒薬品がどこに付着していたのかさえ、わからないまま議論が白熱しています。場所は具と皮とパッケージしかない餃子で理解に苦しみます。当事者はすべてをわかっていて、メディアや国民を右往左往することに価値があるのかもしれません。

問題のありかがどこにあるかがわからない場合は多々あります。また、それを明らかにしないまま、明らかにさせないまま議論させることも多々あります。もちろん、議論することによって、問題が現れたり、その原因を知る場合もあります。しかし、情報開示が不十分のままの議論は不毛な結果にしかなりえないのではないでしょうか。

こうした結果は僕たちの周りにもしばしば起こっていることです。

それは起こっている事象を正確に記録できないことになるのではないでしょうか。(そうでなければ、人を欺こうとするものですが、)

問題が起こった場合にその場に居合わせることのできる人は限られていますが、多くの人や分野の人たちがそれを共有することで、むしろそのことによってしか、問題の解決はないと考えています。それがコミュニティシンクタンクの原点です。

大学もその記録する能力はまったく欠けています。偽装の発覚した企業も同じようです。まちづくりにかかわる市民も同じです。自らの現場で起こっている問題を記録する、記録すれば自然と課題は明らかになると思うのです。

現場に立ち、起こっているさまをありのまま記録する、記述する、それがコミュニティシンクタンクの最初の役割ではないかと考えます。

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