2009年6月20日

「アニメの殿堂どう思う?」

日本の新しい芸術分野を発信する「国立メディア芸術総合センター」(仮称)の計画に賛否が渦巻いて、政争の道具にも利用され始めました。

発信拠点か予算のムダか?(http://www.asahi.com/politics/update/0614/TKY200906130280.html

このようなステレオタイプの言葉こそが大切なものを見失わせることになります。意図的に見失わせるのではないかとも感じられます。

有能な学芸員/キュレーターが研究を行い企画を推進する美術館では絶えず発信を繰り返し、市民を、利用者を巻き込んでいきます。それは東京都現代美術館、仙台メディアテークなどの活動からも明らかです。地域の子供たちを積極的に受け入れてきた金沢21世紀美術館では金沢アートプラットフォームを立ち上げ、展示空間や活動領域を地域の中へと展開し始めています。

まず117億の建築体が先にあるのではなく、企画運営を行う組織を確立し、適切で有能な館長を確保することです。どのように芸術を支援するのか、それをどう生かすのか、コンセプトを打ち立て、それらの活動を生み出すソフトとハードを具現化する建築を企画する必要があります。

トキワ荘で社会の古い通念を解体し、新たな人間的な夢を表現してきた漫画家たちや日本では限界を感じ、海外で認められたメディアクリエイターたちをこんな固いコンクリートやガラスの箱に閉じ込めては伝えるべきものが伝わらないように感じます。

東京都現代美術館開館時には、現代アートを理解しない多くの利用者から批判も大きかったと聞きます。世界で認められていた絵が漫画だとして認められなかった、、、、。そのような国民や社会に対し、エヴァンゲリオンの社会性を分かってもらう必要がありそうです。

メディアとは常に新しい感性を身にまとってゆくものです。メディアとはいったい何なのか、本当の新しいメディアを伝えてゆくことが不可欠です。

0 件のコメント: