汐留で開催していたヴォーリズ展に行ってきました。 図面やモデルも豊富にあり、ヴォーリズという建築家の哲学がよく見えてきた展覧会でした。
私はその建築哲学が具体的に何に、どのように現れるのか、今考え始めています。建築の現れる時を建築家の側から見てゆこうとするものです。
ヴォーリズは明治学院大学のチャペルの設計者であり、キャンパスの設計を担当していた頃からずいぶんと魅かれていました。キャンパスの再開発計画が終わって振り返った時に、ヴォーリズと私の建築の師、内井昭蔵は似ているなぁと実感したものでした。
ヴォーリズはミッション建築家ですから、キリスト教精神にあふれていたのでしょう。その精神性という言葉は明治学院の白金キャンパスの再開発にも考えていたことでした。
私たちも「キリスト教精神に基づき」をテーマに設計してきたわけですが、近年、精神性という抽象的な言葉が具体的に何を指すのかをずっと考えてきました。
ヴォーリズの精神性、心とは何を指すのか。それは建築の形に現れるものでしょうか。
展覧会のパンフレット「ヴォーリズ建築の100年」に掲載されている、ヴォーリズ事務所の代表を務めていた石田忠範氏の論考「ヴォーリズ建築のこころとかたち」には興味深い言葉が残されていました。
「当事務所はただ一人の舞台(one-man-show)でないことは今更贅言を要しないことである。・・・・・いつも統制のとれた団体(well-articulated)で必要な専門家達が各自の専門の受持を担当し、、、、」というヴォーリズの言葉に対し、
統制のとれた団体(well-articulated)とは上からの統制ではなく適切に分節された組織体であって、各人は単独ではなく、全体との関連において成立している存在であった。ヴォーリズは人を組み合わせて建てあげることにおいて、真に建築家であったのであると、説明しています。
建築が、それを設計する組織のありかたによるものと考えていたことも、多くのスタッフをうまく組み合わせ、それらの意見をよく聴いた内井と同じです。そうしてつくるからこそ、きびしい表情の建築ではなく、いろいろのものが混在した、柔らかな建築となるのだと感じています。
「日常生活の使用に対して、住み心地のよい、健康を守るによい、能率的な建築を求める、熱心な建築依頼者の求めに応じて、その意をくむ奉仕者となるべきである」という基本的な設計態度や、
「人と人をつなぐディテール」として床と壁の取り合いは掃除をしやすく丸く収めたり、腰には汚れにくい木製パネルとしたり、チェアーレールをつけたり、壁と天井は一体的空間に見えるようにモールでつないでいたりしたディテールの考え方も述べています。
ヴォーリズの心のありようは、建築家のスタンスとなって、しっかりと具体的な建築の形として現わされています。 きめ細かな人の居場所としての建築を私たちはここから感じ取っていたのでしょう。
建築のありようを伝えるもの、それは具体的な建築の素材であり、それらと私たちとをつなぐディテールなんだと改めて気づかされました。ヴォーリズも内井もそこに共通点があるのではないでしょうか。(ref→ySAS Yoshiharu Shimazaki Architect Studio)
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