豊かな町には、古いが人間的な町並みが潜んでいるものです。どこの町にも見られるのだと思います。
しかし、その多くの町は道路の拡幅などで解体の恐れがありますし、それが当然のように行われます。それを審議するはずの有識者でさえ、道路は法規の上の広さが必要であり、町の解体も当然であるという認識です。彼らにとって道とは昭和25年に制定された建築基準法による幅4.0m以上の平坦な通路ことでしかないようです。
道とは向かい合い、隣り合い、コミュニティを育むものであって、車のシステムに人の生活を合わせるのではなく、人の生活に合わせて道をつくり、町をつくるべきなのです。
防災のために道を広げられ、結果的にコミュニティは解体されてゆきますが、豊かに住まう人やコミュニティの安全を守るのが防災であるはずです。
町のスケールに消防ポンプ車やゴミ収集車を合わせればいいのです。高層ビルができれば新たにはしご車が購入されるのですから、小さな町には小さな車があればいいのです。
消防バイク、ミニ消防車、小型消防車、、、消防車も多様化しています。
http://www.signalos.co.jp/html_sharyou/sharyou_index.html
消防車とは消防ポンプ車のことです。地域の消火栓や消火水槽から放水するために駆けつけるのです。地域には水槽や消火栓があればいいのではないでしょうか。ポンプを配送すればいいだけです。常備していてもいいでしょう。
災害から人を守るのは濃密な人と人の関係、コミュニティであることは神戸の大震災から私たちが学んだことではなかったのでしょうか。やるべきことは道を広げてコミュニティを解体することではないはずです。
イタリアの小さな町、ロコロトンドでは、こんなかわいいごみ収集車に出会いました。
2 件のコメント:
戦後、区画整理などで開発された街の味気なさを感じますが、行政は、大型消防自動車の通行できる道路をつくることを、お題目のように言います。全国一律の基準を適用することには、無理があるのでは。
岡崎市立図書館にあった本から、転記します
『21世紀の都市を考える』 社会的共通資本としての都市―――2
Economic Affairs―――8 日本政策投資銀行設備投資研究所
6. ジェーン・ジェイコブスと『アメリカ大都市の死と生』
1961年に刊行されたジェーン・ジェイコブス(Jane Jacobs)のDeath and Life of American Citys (『アメリカ大都市の死と生』)は,20世紀を通じて支配的であったアメリカにおける都市再開発のあり方に対して根元的な批判を展開し,人間的な都市の基本的性格をジェイコブスの四大原則として特徴づけた.ジェイコブスの考え方は,若い都市計画者たちの間で革命的ともいうべき影響を与え,数多くの都市,あるいは公共的空間が,彼女の理念にもとついてつくられてきた.20世紀の世紀末に入って,地球環境問題が大きくクローズアップされようとしているとき,ジェイコブスの考え方は観光学的視点に立った新しい地域開発のあり方を基礎づけるものとして,21世紀のZeit Geistを果たすことになるであろう.ジェイコブスの考え方を観光学的というのは,っぎのような意味においてである.
ツァイトガイスト ( 発音 [ t͡saɪtgaɪst ] ( 役立つ 情報 ) )は、ドイツ語の表現を文字通り翻訳: Zeit 、 時間 ; ガイスト 、精神は、 "時代とその社会の精神"という意味です 。 時代精神という言葉を記載されている知的、倫理的、政治的な気候、環境、文化的にも一時代の道徳やも傾向 。 ドイツでは、その言葉は、英語の翻訳よりも、過去の事実ツァイトガイストのみ観察できるなど、イベントの意味をさらに重ねている。
20世紀の初頭,アメリカには,数多くの魅力的な大都市があった.それらの大都市には,幅の狭い,曲がりくねった街路が隅々にまで行き渡っていて,人口密度も高く,人々がおおぜい,絶えず行き交っていた.主な交通手段は路面電車であって,これもまた隅々にまで敷かれていて,人間的な営みを可能にしていた.ところが,1950年代の終わり頃には,これらの大都市の大部分は「死んで」しまった.
アメリカの大都市が「死んで」しまったのは,ル・コルビュジエの「輝ける都市」に代表される近代的都市の考え方にもとついて,都市の再開発が行われてきたからだと,ジェイコブスは考えた.ジェイコブスは自らの足で,アメリカ中の都市を歩きまわり,数多くの住みやすく,人間的な魅力をそなえた町並みが残っているのを発見した.そして,これらの魅力的で,人間的な町並みに共通した特徴を探し出し,それらをジェーン・ジェイコブスの四大原則――新しい都市をっくるさいの基本的な考え方――としてまとめたのである.
ジェイコブスの四大原則の第1は,都市の街路は必ずせまくて,折れ曲がっていて,1つ1つのブロックが短くなければならないという原則である.幅がひろく,まっすぐな街路を決してつくってはいけない.自動車の通行を中心とした,幾何学的な道路が縦横に張りめぐらされたル・コルビュジエの「輝ける都市」とまさに正反対のことをジェイコブスは主張したのである.
第1章 社会的共通資本としての都市 19ページ
精緻なコメントをありがとうございます。
また、このころの都市計画のアイデアであるペデストリアンデッキによって今も駅がつくられていることにびっくりしますし、非人間的な様相を示しています。
東岡崎駅で「も」インターチェンジのような車の駅の構想が出来上がりつつあります。
今日はあるところで
駅とは
周辺の商店主たちの利害でつくるものではなく、
駅とは
外部の人たちにとってはこれから訪れる岡崎の町をわくわくしながら降り立つところであり、住民にとっては外から帰って来て我が町、我が家に帰ってきたと感じる場所でなければならず、それはまちそのものであり、風土や歴史、緑や風や光や、周辺の寺社を取り込んで全体が人の広場となるように考えるべきだと話してきました。構想計画も広げてきました。
ぜひ、これからもよろしくお願いします。
コメントを投稿