2008年4月22日
コミュニティシンクタンク「moco」誕生
コミュニティシンクタンク「moco」と組織の名称を決定し、5月から月2回、第2および第4金曜日夜にギャザリングと名づけた定例会を行います。また、6月22日には「岡崎の再生とは」をテーマに岡崎市竜美丘会館でシンポジウムを開催します。ぜひ、ご参加ください。
「moco=もこ」とは、三河地方の古い方言で「水が地下水道を通って出てくる所」を意味します。地層の豊かな水が溢れでてくるように市民やその豊かな活動と交流してゆきたいと考えます。
また、「moco」はMothership of Community /地域の母体機能を担う拠点として、市民のネットワークを築き、市民と市民、市民と行政や社会との間に立って連携し、協働する中間性触媒組織として活動します。
「moco」とはコミュニティシンクタンクです。その設立の理念は次のように考えています。
「岡崎市では多くの市民活動が活発に行われ、豊かな町であると実感しています。しかし、その多くは具体的な成果が見えなかったり、まちづくりに生かされていなかったり、また、活動そのものが困難な状況に追い込まれています。それは市民にとってはもちろん、行政や企業にとっても不幸なことと言えます。
私たちはこの豊かな市民活動を行政や社会に直結した有意義なものとし、その豊かな活動や柔らかな発想を大切にし、多様で人間的なまちづくりを実現したいと考え、私たち市民が自ら立ち上がり、市民と行政や社会とを真に、有機的につなぐコミュニティシンクタンク「moco」を設立しました。
私たち「moco」は市民や市民活動団体と交流し、支援し、その活動を推進させる触媒的組織、コミュニティシンクタンクです。これまでのような最大公約数としての市民でもなく、地方という画一的視点でまちを俯瞰するのでもなく、一人ひとりの市民の視点から地域の多様な課題を探求し、市民自らその解決する方向性を発見できるよう協働します。
私たちは「岡崎からコミュニティを考える市民グループ」です。社会の課題を地域から発信します。」
2008年4月8日
琵琶湖の小さな島の小学校
「琵琶湖・沖島の滋賀県近江八幡市立沖島小学校に新学期から、開校以来初めて、6年生1人が同市内から転校し、船で通学を始める。同市教委が、児童数が激減した同小に、新年度から通学区域を緩和して転校を認めることにした。船通学の転入生により、8日に始業する同小は、久しぶりに児童数が2ケタを回復した。」(asahicom)古い環濠の残る豊かな町である滋賀県近江八幡市は宣教師であり建築家であったヴォーリズによる近代建築もまた数多く残されています。また、周辺の豊郷町には近年その保存が期待され大きく取り上げられたヴォーリズ設計の小学校が残されています。
沖島小学校は写真に現れているように木造のすばらしい、堂々とした建築です。松本市の開智学校のような先進的な雰囲気も感じられます。沖島は琵琶湖に浮かぶ小さな島のようですが、こんなところにも当時の教育に対するまちの意欲や先進性が窺われます。
近江地域は古い街並みが残り、また図書館行政もとても豊かで先進的な地域です。ヴォーリズのようなすばらしい宣教師のもたらした新しい文化を受け入れ、またその次に現れる新たな価値に目を開く力を持っていたのではないかと感じられます。社会や地域が豊かであるためには価値を共存させる力、絶えず新たな価値を掘り起こしながら古いものと新たなものを共存させる、想像力と先見性が不可欠です。
先進性とはすべてを解体して、新たな開発することではないのですね。
2008年4月7日
市民によるコミュニティバス
「多くの学校で新学期が始まった7日、東京都東村山市の学校と駅を結ぶ新しいバス路線ができた。地元の酒店の一人息子、山本宏昭さん(44)が9年前、「夢だけで作った」という小さなバス会社「銀河鉄道」の初の独自路線だ。大手会社も苦戦している路線バス事業。それでも自分で思い描いた道の上を走りたいと、自らもハンドルを握る。地域を元気にするという大きな夢も乗せて、発車オーライ。」(asahi com)多くのまちでコミュニティバスという名のバスが運行され始めていますが、その多くは行政が運行会社に補助金を与えて運行させたり、委託したりすることによるもので大きな違いが明確にはなっていないように感じられます。また、一般の路線バスでも経営が難しいなか、コミュニティバスの企画はどのような方向へ向かうのでしょうか。
この場合のコミュニティとは「地域限定の」、「地域独自の」というような意味を持ったものかもしれません。しかし、既存の路線と競合する部分を避けたり、市役所を発着点にこだわることなどによって本当に必要な部分にバスを走らせることができない事例も多いのではないでしょうか。名前や形だけのコミュニティバスであり、目的は市民の利便性や地域の活性化などを真剣に考えたものとは別のところにあるような気がします。
本来の地域のなかを小さなバスが縫って走るというきめ細かなケースはどれだけあるのでしょうか。
金沢市では観光のための金沢駅と中心地とをつなぐループ状の路線に加えて、地域のための「ふらっとバス」なるコミュニティバスが配備されています。それは中心地の周辺に3つの環状ルートを持つものであり、それぞれが相互につながりながら、既存の路線とも融合しているように感じられます。病院や美術館、公共施設や市場をつなぎ、さらに地域の商店街の中にまで入ってゆくようです。
また、金沢市では、これらの計画を更に一歩踏み込んだ形で車に依存しない新たな社会システムの試み:パークアンドライドシステムが実践されています。
それは、郊外の自宅から車でコミュニティバス路線までアクセスし、市中心部周辺の所業施設などの駐車場(Kパーク)に駐車し、そこから割安のバス定期によってコミュニティバスを利用できるシステムで、市中心部の交通システムと通勤システムを根本から考えようとする意欲と真摯な姿勢が見えてきます。
そこには規制のバス路線との妥協のなかから生まれるものではなく、そのような既成のシステムなどつくり変えてしまうような新たな交通システムが社会に要求されているのだと感じます。それが真に利便性を与え、経営が困難と言われるバス経営をも再生し、まちに活気をもたらすものとなるのではないでしょうか。
2008年4月4日
地方議会の役割
政治とは社会のしくみを考え、つくりあげることです。それは法律の文面、と社会の意識を作り上げることによって成し遂げられるものではないでしょうか。
地方議員の議会での役割とは何でしょうか。質問権や議決権行使、動議の提出など、首長や行政のチェック機関としての機能しか見えてこないようにも感じられます。
また、議員の活動を見ていると、中心地域再活性化などについては、地域の状況や歴史に関わらず、政府が一律に声高に唱えることが地方にとって大きな問題となっているのに、批評なく中央政府の宣言をそのまま掲げている人も見かけられます。現実が見えていません。
また、地域の人のネットワークづくりに腐心し、地域の現実に目を向けている人も多いです。しかし、その声をマスタープランとして、政策としてどのように具現化しようとしているのか。構想力、戦略がいまいち見えてきません。
矢祭町議会の現実は地方自治にはチェック機関としての議会のみを必要とし、立法政治を行なうための議員は不要なのではないかと感じざるを得ません。
地域の自治とは、案外創造性を欠如したものかもしれません。
2008年4月3日
CTTの組織化
市民活動団体の中心に位置すべく、まず、5月よりギャザリングを開催することによって、それぞれの問題点や成功体験を共有することを試みます。何かを指示するわけでも、支援するわけでもなく、それぞれが、自ら自覚することによって、その方向性を探求し、発見してゆくものです。
このギャザリングという集会(月例会)がCTTの基盤をなすものとなります。その広報を始めたのです。
ただ、名称と具体的な組織化が目下の検討事項ですが、、、
その組織化の方向が最重要課題です。僕たちは自らソーシャルベンチャーたる立場を確立しようと考えているのですが、またベンチャーたりえない限り、CTTなど運営できないと考えていますが、NPO法人化を想定すればするほど、組織が見えなくなってしまいます。
僕たちは6人の個人が自立して連携し、協働する集まりです。それはNPO法人の理事でも、事務局でもありません。それを同人と呼び続けています。NPO法人が適当なのか、LLPやLLCが適当なのか、その組織のかたちは確定できていませんが、同人の自由な集まりをかたちにした組織化を模索中です。
しかし、こうして活動の理念をかたちにするべく考えていると、世のNPO法人は組織化がうまくいっているのやらと心配になってきます。果たして、NPO法人とは形骸化した理事の集まりなのか、あるいは理事に仕える、理念や倫理を捨てた事務局員の集まりなのか、、、、、。
もちろん、どちらにも流れないようにしなければなりません。
2008年3月27日
答えを求めるということ
しかし、実際には答えを求めながら、前提となる条件を捜し求めているように思います。条件とは決まったものではありません。条件もまた多様にあり、そのなかから、どこに価値を見出すのか、どれが最適なのか、、むしろ、答えを求めるよりも、条件を求めています。
こうして、複数の答えと、また複数の条件が出揃ったとき、そして、それらに対する既成概念が解かれたとき、新たな組み合わせが生まれてきます。それがひらめきと言うのかもしれませんし、創造と呼ぶものかもしれません。
条件が動かないまま、議論しても、努力しても、解答を探しても見つからないでしょう。常に答えと条件とをいくつも用意しながら、進める必要があるのです。
内井昭蔵事務所での建築デザインはいつもそのようなものでしたし、先進的な多くの企業でもまた同じなのではないでしょうか。
地域のワークショップも、公共の計画も答えが一つしかないから出口がなくなるのです。すべて同じ原理で進んでいるのですね。他のいくつもの道を提示すると、行政マンからは「きびしい意見」と言われることになります。それは「きびしい」のではなく、「やわらか」なのです、、、、、。この硬いやり方で文化だの、創造だの、交流だの、と言ってもできるわけがありません。
これからの時代、どれも素敵な答えをいくつも用意しながら、邁進するほかありません。それをオルタナティブデザインと呼んでいます。
2008年3月26日
市民立法
だから地方行政は専横的になってしまうのでしょうか。もちろん議会は運営されていますし、そこでの様々なチェックは行政の最も気になる部分ですが、、、、、。ただ、単なるチェックだけでは限界もありますね。
地方では影の薄い立法府のあり方を模索する動きもあります。
それが市民立法機構です。
「現状の社会と既存の制度には大きなズレが存在しています。このズレを修正するはずの本来の立法活動が停滞しているために、ズレから生じる様々な問題が噴出しています。
そこで、この停滞する立法活動を活性化させる手段として、市民がみずから政策およびその具体化である法・条例を提案していく方法が〈市民立法〉です。市民立法機構は、市民が各自治体、そして国政へ主体的に参加していく流れと仕組みを応援し、21世紀を“多様な世紀”“平和の世紀”“環境の世紀”と呼べる、新しい市民社会として築き上げていくことを目指します。」
地方行政にはそれを推進する核心が見出せなかったのだけれども、その課題が見えてきたように感じます。それを担うのが、議会なのか、行政マンなのか、あるいは市民なのか、地方自治を市民の立場から考える時期が来たようです。
2008年3月24日
市民活動の視線
行政も市民活動との連携に興味を抱くようになりました。その真意はどのようなものかはわからないですが、業務を人的に支援し、助成金を供出し、また、活動の主催者になって名前を出すこともしばしばです。連携し、協働することは不可欠ですし、つかず離れずその微妙な対応も市民活動が真に自立するためには大切なことと考えます。
しかし、今問題と考えられるのは、市民活動が、市民のため、社会のためというより、行政との協働や支援されることの方に目が向いていることではないでしょうか。本来市民の方へ向くべき視線が分断され、むしろ行政へ向きつつあるのではないかと危惧します。自己満足的活動です。
市民に向かわない自己満足的な活動は自分たちの狭い領域のなかで閉じてゆきます。それも心地よいことかもしれませんが、、、しかし、市民相互が開き、交わることで互いに大きな社会とつながることができます。活動が次の活動を生み出し、活動の成果は社会に還元されてゆきます。
地域で独自に自らの活動を展開している市民ボランティアは驚くほど数多くいらっしゃいます。行政の近くにいて行政のお仕着せのコーディネートやわずかの助成金で動いているボランティアではなく、地域で活動する彼らこそがまちの資産となり、活力となって真の市民社会をつくるのです。市民活動は自立し、社会へ目を向けてゆかなければならないのではないでしょうか。
2008年3月23日
共有型の組織へ
すなわち、過去を継承しながら、市民の現在とまちの将来とを同時に描くことといえます。そのためには市民一人ひとりの状況を深く理解し、対応できる組織形態が必要であり、それは例外や多様化に対応できる組織といえます。民間の企業の一般的な組織とは異なる、特異な形態が必要になるはずです。
しかしながら、どこの都市も同じような組織形態をとって、どれも縦割り行政と言われます。縦割りにして、部門ごとに集中することは、本来、責任の明確化へつながるはずなのですが、、、、。どこも均質化するのは中央政府の指導があるからでしょうか?
部門化しすぎていることによって、それに当てはまらない業務が出てくること、その部門化が重複していることによって、責任が明確ではないこと、業務に無駄が出ることが生じています。
小さな都市公園ひとつ整備するにも、複数の部署が連携できず、協働する市民の声は分断されてしまっています。
同じような部門が重なり、責任は明確にならず、市民がたらいまわしになることもしばしばです。また、説明責任が他の部門の責任になり果たされないこともしばしばです。この硬直化した業務形態は働く職員にとっても、サービスを受ける市民にとっても、不本意なことではないでしょうか。
内部においても問題が噴出しているはずなのですが、、、。組織のリデザインが、センスある再配分が不可欠のようです。事業の分野を中心に配置され、それを継続することは重視されていない。しかし、その分野は社会の変化に伴い、絶えず変化するのですから、対応できないのは当然です。
縦割りではなく、水平に考えてゆくことが必要であり、それに合わせて直線的な昇任制度を廃すべきと考えます。
地方中核と言われる37万人都市の岡崎市の行政組織です。地方に権限が委譲される時、何となく動くいている組織ではなく、確固としたブレインが必要となるはずです。
■企画政策部
企画課 政策推進課 秘書課 広報広聴課 IT推進課
■総務部
総務文書課 行政改革推進課 人事課 防災課 契約課
■財務部
財政課 財産管理課 市民税課 資産税課 納税課
■市民文化部
市民課 市民協働推進課 安全安心課 文化国際課 青少年女性課 国保年金課 額田支所(総務課・市民生活課・維持管理課)
■福祉保健部
福祉総務課 社会福祉課 児童家庭課 保育課 長寿課 介護サービス課 健康づくり拠点推進室 保健所総務課 生活衛生課 保健予防課 福祉事業団 社会福祉協議会
■環境部
環境総務課 環境保全課 自然共生課 廃棄物対策課 ごみ対策課
■経済振興部
商工労政課 観光課 農務課 農地整備課
■土木建設部
技術管理課 土木用地課 道路維持課 道路建設課 公園緑地課 河川課
■都市整備部
都市計画課 高規格道路推進室 区画整理課 組合指導室 建築課 市営住宅課 建築指導課
■下水道部
下水総務課 下水施設課 下水工事課
■岡崎市民病院
額田宮崎診療所 額田北部診療所 看護専門学校
■消防本部
総務課 予防課 消防課 通信指令室 中消防署 東消防署 西消防署
■水道局
総務課 営業課 工務課 浄水課
■出納室
出納室
■議会事務局
総務課 議事課 議員控室
■教育委員会
総務課 施設課 保健給食課 学校指導課 スポーツ振興課 生涯学習課 康生地区拠点開設準備室 中央図書館
■その他
監査委員事務局 農業委員会事務局
2008年3月22日
企業家精神
この企業内における企業家精神を賞賛したこの本は内井昭蔵事務所に所属しながら、独自にコンペや独立意識を持たせてくれた貴重な啓蒙書です。いまやその意識は企業よりも、ソーシャルベンチャーたる市民活動に不可欠なものであり、同時に豊かな社会の基盤を担う行政に不可欠なものといえます。
行政と企業家精神、そこにこそ、未だ複層的なピラミッド型組織を形成する行政組織のこれからのあり方があるのではないかと思えます。
企業家精神とは戦略的思考が必要です。つねに目の前に意味を見出し、方向を見定めてゆくあり方です。
ここには、組織の階層を少なくし、遊撃的で独立した、連携を持てる組織をつくること、組織を安定させるべき制度を組織から切り離し、個人に独立したものとすること、経営資源を分割、分類するのではなく、共有化へ向かうことが示されています。
立法府のあり方があいまいで、外部にシンクタンクを持たない地方行政は中央政府よりもずっと官僚化が進んでいるのではないでしょうか。戦略なき戦術を展開する地方行政にはこの企業家精神による組織改革が不可欠ではないでしょうか。
そこには行政にかかわる専門家が個人レベルにおいて、政治性を持って、戦略的に行政に参画することが必要なのであり、コミュニティシンンクタンクこそが彼らに政治性と思想性を与えるものなのではないかと考えています。
2008年3月21日
連携と協働のダイナミズム
つまり、つながりが解体を生み出し、また新たなつながりを導くように、次第に大きく展開することでしょう、それがダイナミズムです。運動力学、市民活動の力学ではないかと考えます。
そのためには市民が独自性を持って、独立した意識を持って、個々のつながりを築きながら、集結することが必要になります。それがコミュニティシンクタンクの基本的な姿です。
それは社会のありようを決めてゆきます。そこには市民だけではなく、行政にかかわる職員や専門家それぞれが、個々の立場を持ってつながってゆくことも必要になります。それがコミュニティシンクタンクの次の目標であり、そうした人的資源を有効に活用、引き込むのがその先の、もうひとつの姿なのです。
先日文化財課でおきた自由なワークショップのような意見の交流から感じ始めたことですが、行政サイドを市民のなかに巻き込んで、僕たちの真っ正直な、熱い議論の中にいったん取り込んだことがきっかけで、協働の本当の目指す方向が見えてきました。
協働や連携とは、市民活動と職員としての、職務としての表面的業務が問題なのではなく、個人として参画し、社会のなかで協働することが真に求められていることではないでしょうか。組織に所属しながら、個々の個性のつながりを持ち、個の力を、能力を社会に還元するのです。それは市民にも行政にも求められることです。
このように一人ひとりを巻き込みながら、渦を巻き起こしてゆくことがコミュニティシンクタンク形成へのスタートになります。それは戦術と戦略、管理と企画、今と未来、とが混在した行政のシステムをゆるやかに解体へと向かわせ、真の創造意的組織へと引き上げるに違いありません。
2008年3月14日
価値のフロー
しかし、経済とはある意味で搾取である、だから、地域、コミュニティにおいては、利益を生まないもの、ないしは利益は社会に還元するというのが基本的姿勢とされているのではないでしょうか。NPOの趣旨もそこにあります。(たまにコミュニティで搾取が行われる場合もありますが、、、、、。)
先日、地域の市民図書館企画を持ち込んで、銀行マン(といっても地域の政策にかかわる銀行の職員でしたが、)からあっさりと断られてしまいました。そこには多様な価値よりも単純な方程式が必要とされていたのです。利益を生むか生まないか。回収-投資=利益となる、、、これが地域ファンドと思われている金融ファンドの基本姿勢です。
繊維工業で発展してきた地域がその紡績工場を閉鎖する。その業績が下火になったからといって、簡単に解体し、新たにショッピングモールをつくる。利益は生みだされるかもしれませんが、そこに価値は生まれるのでしょうか。でも数年で最新のショッピングモールは古びてゆきます。単純な方程式では価値が下がってゆきます。
地域には、キャッシュフローではなく、価値のフロー、価値が価値を生み出す新しいしくみが必要なのではないでしょうか。
それは金融や銀行に所属する人たちとは異なるデザイナーの、イノベーターの直感が必要となります。それは価値の発見と言えるでしょう。
地域においては、価値を見いだすことができるかどうか、そこが問題です。もう一度価値のフローを廻し始めなければならないのです。薄っぺらな倉庫のようなショッピングモールではなく、重厚なミュージアムのような倉庫、ここにこそ価値の新たな転換が生まれてくるのです。
町の進むべきイメージと、その素材、、、そこにギャップがあってもいけないし、思い込みがあってもいけない。まちづくりとはそれらの再生だと言えるでしょう。価値のフローと再生。そこにコミュニティシンクタンクの役割があり、本当の地域ファンドを生み出す可能性もあるのではないかと考えます。
ソーシャルイメージ
今、橋下知事がメディアによってとりあげられ、大阪の疲弊した問題点が浮かび上がっています。しかし、商都大阪の知事は横山ノック知事と橋下知事を除いて、これまで官僚出身者が担ってきたそうです。ここに間違いの一因があるようです。
都市計画的にも、大阪は東京の姿を目指したのではないかと感じられます。例えば、山手線と環状線。ループによってまちを一巡りすることはとてもシンボリックなイメージを生みだします。しかし、地勢的にも、トポロジカルにも、皇居のような中心性があって、求心性に大きな意味を持つ放射状のネットワークをもった東京ではなく、均質な碁盤目状で、どこでも等価値の資本主義的都市であるニューヨークを目指すべきではなかったでしょうか。商都大阪の目標はニューヨークであったと感じます。東京を対象とするから目標や夢を間違えてしまった、あるいは目標や夢を矮小化してしまった、のではないでしょうか。
一方で地方都市は江戸期以来の藩政による独自の文化と気質が根付いています。僕は大阪で生まれ、京都で学び、東京で実践してきましたので、この地方独自の藩政の雰囲気はまったく感じ取ることができませんでした。
しかし、このすばらしさも、現代ではその多くが中央政府の気分を敏感に感じ取り、それにストレートに従うようになってしまいました。中央政府が分散化といえば、まちを拡散化し、郊外の山の上に中央病院や美術館をつくる。中央政府が中心市街地といえば再び集めだす。自治がないのです。
そして、それらの致命的なことは、それに伴い、知らないうちに歴史や文化、人の活動、、、、様々なものを解体してしまうことではないでしょうか。ここにはセンスもオリジナリティも、意地もありません。少なくとも矢祭町の自治の意気込みを感じてみましょう。
イメージもなく、マスタープランを語るから、まちの将来像が見えてこないのです。これにかかわる専門家もマスタープランという巨大で抽象的で、つかみどころのないものでしかまちを語らないから、何も伝えられないのです。イメージの貧困なところに将来は見えてこないように感じます。
お決まりのマスタープランではまちは滅びます。まちのソーシャルイメージを語りませんか。
2008年3月13日
講堂の保存活動に向けて
昨日、岡崎市教育委員会生涯学習課文化財班へ有志で宣言した嘆願書を持って、岡崎市の日清紡工場地内の旧愛知二中、ならびに近代的建築群の保存交渉に行ってきました。2008年3月12日
イマジネーション
この自由な発想とは突然、あるひらめきのようにわが身に降りかかってくるのものです。それがイノベーションやデザインをうみだす素なのではないでしょうか。
絶え間のない、無限のような、無尽蔵な発想の中から、、、いったん、既成の枠組み、しがらみ、規制、自制を開放することで何かが動き出します。こうした無尽蔵の発想のなかから、規制の枠組みをいったん留保するときにこれまでにないアイデアが浮かび、またそこに新たな価値を見いだすのです。遊びのなかから新たな発想が得られるのもこの転機によるものです。(現象学的哲学でアポケー(判断停止、ポケーっとすること)と言いますが)
現代社会で必要とされているのはこうしたイノベーションやデザインを一人の天才ではなくて、集団として、遂行できる組織体なのではないでしょうか。規制の枠組みを視野に入れながら、その視野を大きく広げることのできる、自由性が不可欠です。そこに新しい祖機体の存在価値があるようです。
それは一人だからやりたいようにやれる、のではなく、一人でも集団でもコンセンサスを得ながら、でも新たなトライを進めてゆくのです。そうした自由な発想の集合体が今必要とされています。ワークショップも本当はそのひとつです。不特定多数による創造です。(いつも言っていますが今の行政などのワークショップは枠組みを解放するものではなく、押しつけるものになっています。)
コミュニテシシンクタンクとは柔らかな、集合による想像力をもち、そうしたイノベーション(新しいしくみづくり)とデザイン(新しいかたちづくり)をうみだす集団的創造組織なのです。楽しくなくてはいけません。
2008年3月11日
政策連携
政策連携Public-Private Partnerships とは、上山信一氏の言葉です。ここでは、単なる組織の連携ではなく、また市民運動でもなく、次代の組織のあり方を提案されています。
その構成は、組織ではなく個人、つまり、エンジニアやコンサルタント、弁護士や会計士、ジャーナリストや研究者など、、、専門的スキルを持ったプロ意識を持った専門家に帰すものであり、自身の所属する組織にも所属しながら、独立した意識を持って、個人の自由な発想を引き出す環境を持つものであるという。
問題解決のために自由な才能が集まりあうイメージです。
一般には組織は「継続的にまちづくり活動のできる、自律した組織として活動し、かつ各セクターとの連携の下、 一体的な事業の推進を行うべく、、、、」という一般的かつ陳腐な方向へと向かい、たいていは継続的事業推進のためにNPO法人化されることになる。それは、長老などを理事に迎え体裁を整えることになる、、、だいたい筋書きは決められています。
「それは問題の解決策が決まっているとき、単なるロビーイングのときには有効であるが、問題の分析はできても解決策を持ち得ない。しょせんは既得権益の擁護機関であり、イノベーションに不可欠な現状否定能力を持たないからである。」というのが既存組織に対する上山氏の発想であります。
上山氏の説く政策連携はとても専門的で大きな領域を考えておられるようです。しかし、専門家という個人を真摯に活動を行なう市民に置き換えてみることが必要のように感じます。市民も一人の専門家としての経験と、そして倫理観と誇りを持っています。
このように考えてゆくとき、上山氏の政策連携Public-Private Partnerships は僕たちの考えるコミュニティシンクタンク、つまりCommunity Partnershipをつくりあげる組織に形を変えてゆきます。
広い意味での専門家としての個人が自由に、そして同じ志を持って、やわらかな価値観を統合することがコミュニティシンクタンクのかたちです。それは市民政策集団とも言えるものになるはずです。
2008年3月10日
旧講堂の保存
しかし、工場が閉鎖され、その行方が危うくなっています。3月末をめどに解体される恐れも大きく、その保存への行動を起こすことになり、協働している稲垣氏が現場を訪れてこられました。
「日清紡構内には講堂のほかにも、巨大な煙突(15メートルに縮めて保存予定)や、大正13年建築のレンガ造りの倉庫群や、木造の事務所、1950年代の自家発電機など、産業遺産として価値の高そうなものがありますが、ほとんどがこの4月に失われるそうです。・・・・残念です!」
そう、その古い歴史的建築だけではなく、そこにはそれぞれが素晴らしい歴史となってたたずんでいます。そうした身近な資産や歴史を忘れたままで、また中心市街地で行われているように身近に眠るかつての堀の石垣を解体していて、
まちの豊かさが継続できるわけはありません。
まちの本当の資産を放っておいて、かつての街道の跡を再現したところで、うわついた観光主義でしかありませんし、今やそのような贋物に騙される観光客もいないでしょう。
人々の意識、企業の意識を鋭く、敏感にし、その意識を革めてまちの資産をつないでゆく必要があります。そこには同時にまちで活躍する企業家の姿もつなぐことができるでしょう。本物に出会うことで見えてくるものって多いです。その出会いこそが本物のまちづくりへとつながり、本物の観光=ツーリズムへとつながるはずです。
2008年3月9日
大本営の発表
人が集まってなかろうが、活気にあふれていなかろうが、人々が冷めていこうが、「多くの人の活気にあふれた」「意識が次第に高まってきた」、「意欲的にまとめられた」、、、、、、、。行政に雇われたファシリテーターの常套句です。市民はもちろん、雇っている行政までもが騙されているのです。
ワークショップでは何が行なわれているのだろう。どのように行なわれているのだろう。人々は次もまた参加してくるのだろうか。本当に疑問に感じます。ワークショップで示される人々のきめ細かな感情を感じ取らないとワークショップなど成果は上がらないはずです。
そこではまちの何かが作られ、知らないうちに、それはいやおうなく進んでいきます。ここには、メディアがその場に入り込み、一部始終を客観的に報道する必要があるでしょう。それには市民によるジャーナリストやコラムニスト、カメラマンがミニコミ誌を作るようにまちを探っていかなければなりません。
実はまちにはフリーペーパーやタウン誌など様々な情報誌がいたるところに置かれて、まちの情報が市民に提供されています。それに多くの市民ボランティや学生が奔走し、今豊かな情報社会ができています。しかし、そのターゲットを店舗や飲食店だけではなくて、まちで活動する人々へ、まちづくりの現場へ向けることで、自らのまちへ視点を開くことで、自分たちのまちの本当の姿、今起こっていることの真実が得られると思うのです。
それにはこれまでの報道という形式を変えねばならないでしょう。市民自ら、今日の自分を語るのです。そのなかに、「今日もワークショップで裏切られた。次は行かないぞ。」とか、「いつも同じ議論が堂々巡りしていて、、、、」とか「何か知らないうちに決まっていたね、、、」とか、真実を公に語ることで、まちの本当の姿が明らかになる。真実の、生の情報からしかまちの将来は築けないと思うのです。
情報の手段が多くの人に解放された今こそ、市民たちがそれぞれメディアとなって、真実を伝えるジャーナリストとなって活躍することができるのではないでしょうか。自分たちの目で自分たちのまちを知る必要があります。
2008年3月5日
コヤケの小言
http://nostalz.exblog.jp/
『「コヤケ」は奈良方言。「小宅」、貧しい家のこと。「オホヤケ(大宅=財産家)」に対していう。「小言」は親とか大家さんのように上に立つもの、権威あるものが言えば「コゴト」になるが、ここでは「小さな物言い」というぐらいの意味。肩書きも権威も持たない庶民のことばは「つぶやき」にしか聞こえないだろう。 』
当時はことばよりも、文字や記号があり、数字や公式があり、多くのものがことばよりも先に表れてきていました。ことばがコミュニケーションのためなどというものではなかったのですね。しかし、今の彼のことばを読むと、人とことばがつながれていることがわかってきます。言葉の向こうには発する人が必ず見えてくると実感します。
ことばがひとつひとつをつなぎ、意味をうみだす。そのすぐ向こうに一人ひとりの人がいる。一人ひとりの言葉のすぐ向こうには、ひとつひとつの社会があり、そのすぐ向こうにあるのが「環境」というこれからの社会ではないでしょうか。
つまり、一人ひとりの言葉のそばに環境がある。
数値や記号じゃない言葉のそばには、数値や記号じゃない人がいて、そのそばには一人ひとりの環境があるのではないかと考えるのです。
今、多くの問題や提言が寄せられだし、コミュニティシンクタンクはもうすぐ離陸します。その声の一つ一つに、それぞれに向かい合って、対峙しなければなりません。ひるまず、こびず、その判断する基準は一つ一つの言葉であり、人であります。
地域ファンドって、何だろうと考え始めました。コミュニティの基本となることばなのかな、と感じています。
2008年3月2日
ベンチャーとしてのNPO
NPOはその社会的、非営利的性格から「経営の透明性」を確保しています。そのため、特に意思決定と監督の責任を持つ理事会と事業を展開する事務局とがはっきりと分離されています。理事会の責任としては
1.明確な目的と目標の設定とその事業計画の管理
2.事務局長を選出とその活動の評価
3.事務局活動の確認と評価
4.3~5年程度の長期戦略や計画の策定
5.主要事業の実施計画の承認
6.財政計画や人事計画の策定とその実施支援
7.資金調達、資提供者の紹介
8.対社会的な広報
9.理事会の自己評価
10.労働環境の整備等法令遵守の確認
一方、事業を展開する事務局の役割としては
1.1年の活動計画の策定と進捗状況の管理
2.業務体制や顧客満足度など事業評価
3.ニーズの把握と事業展開の検討
4.資金調達と資金源の開発のための広報活動
5.財務、会計の管理
6.人材配置や活動場所の確保など日常業務活動の運営管理
7.理事会との連携活動
8.他組織や他地域NPOとの連携、協働
があげられており、理事会と事務局とは明確に役割分担がなされなければならないようです。
しかし、NPOがその活動を志したとき、どの企業もそうであるように、経営者が同時に実践していたと思います。経営と実践は一体のものだったのではないでしょうか。しかし、このように多くの責任を理事や理事会に頼らざるを得ないとするとその活動は誰のためのものなのでしょうか。
逆に、その多くは理事とは形式化、形骸化したものであって、実質は経営も実践も事務局が担っているということなのでしょうか。
志あふれる、しかし、基盤が脆弱なベンチャーにはNPOという組織形態は適切ではないのではないかと危惧しています。どこかで無理をしている、フットワークが重い、コミュニケーションがとりにくい、戦略を立てる理事会の言いなりになってしまう、、、、などなど志を持って始めた事業のその意味がなさないのではないかと心配します。
利益を求めないのではなく、余剰の利益を構成員に分配するのではなく、社会へ還元するという非営利の社会的活動にとって、どのような組織体が、法人化が望ましいのか十分考える必要がありそうです。
2008年3月1日
ファシリテーターの選別
ワークショップといういつも同じ手法、適当にグループに分けて、最後には出てきた意見を模造紙に自分たちの言葉で書き上げてゆきます。しかし、何が決まったのか、どの方向へ行ったかは、何もわからないのですね。そして、次の会は前のことはどこかで決められてしまっていて、また別のことをやらされてしまいます。
そのようなワークショップでは、埋もれた意見を探し出すことやともに何かを決める、といったことが重要なのではなく、彼らにとっては、あらかじめ決まった方向へ、市民を向かわせてゆくことが必要なのです。
そんなものでも「参加者の賛同が大きく、盛り上がりを感じる」などといったファシリテーターの感想が広報されていて、誰もが大いなる疑問を感じざるを得ません。市民を見ていないのか、見えていないのか。見ようとしないのか。誰もが同じようにできるわけではありませんので、これはファシリテーターの能力にも原因があるでしょう。
いつも同じやり方で市民の声でまちをつくっているなどと言って市民を欺いていると、自分自身にも見えなくなってしまうのですね。市民の声を聞き取ろうという技術も高まらないです。市民の声はそのあげ方も、出されたものも多様です。だから、それを聞くにはどうすべきかを常に努力していないと、技術も能力も、倫理観も簡単に失われてしまいます。
今社会では多くの人は自分自身を出せないのではないかと思います。そのため、多くの分野では様々な手法や取り組みが開発されてきています。しかし、人を欺く、まちづくりワークショップだけがいつもの手法を何年も繰り返しています。
だから市民は答えの出ない議論に奔走させられることになるのです。
いつも同じファシリテーターに託するのではなく、常に選別する必要があります。
失われた技術は大きいですよ。市民にとっても、ファシリテーターにとっても。そして、何よりそれを雇っている行政の損失も大きいはずです。
ファシリテーターが市民を選別するのではなく、市民が大きく目を見開いて、ファシリテーターを選別する必要があるのです。
2008年2月28日
双方向的評価
しかし、評価は偏りがちであって、孤立します。評価とは相対的なものであると言えるし、しかし、そのものの絶対評価こそが必要にもなります。
相対的とは、何かと比較し、寄りかからないと、下せないということですね。それはテーマやメッセージやミッションに照らし合わせて、決まるものではないでしょうか。そうした、評価の側面、表裏一体となった評価のあり方をどこかへ置いておいて、どんなに評価をしても、無駄ではないでしょうか。
評価は相対的なものです、しかし、他と比べるのではなく、それ自身のミッションと比べることが必要です。ミッションと成果。そこには互いに双方向の評価が下されなければなりません。点数をつけること自体が間違いを引き起こします。
ミッションのない一方向的な評価が今、社会に横行しています。慎まなければなりません。そのためには自由で、独立し、対等で、表現力豊かな、、そんな視点を持った評価が今要求されています。市民と行政の連携と協働には不可欠です。
評価とは行動のあり方そのもの、と言えるのではないでしょうか。
2008年2月27日
評価への評価
しばしば各項目ごとに◎〇△×をつけたり、5段階で比較することもありますが、正確にその評価を下すことはできないと感じます。更にそれを総計して比較したりもします。ナンセンスですね。
公共施設や市民活動にはそのような評価が今でも行なわれているのではありませんか。あるいは入館者数や貸出数だけを過大にしたり、、、、、。実は大学の授業に対するアンケート評価も同じなのです。無意味とわかっていても必要なのです。評価したという事実があればよいようです。
しかし、大学にはいつも授業に30分遅れてくる教員がいたり(ということはそれを待っている学生がいるわけですが)、板書ばかりでとてもノートが追いつかない授業があったり、やばい映像ばかり流す教員がいたり(実は僕ですが、やばいというのは最近は両面に使うらしいです)、、、そういうことが学生自身の口から直に聞こえたり、WEBサイト「みんなの授業」に書き込まれたりしています。そのような評価のほうがよほど生きた評価です。
つまらない評価を議論し、役に立たない評価を実施しているのは誰でしょうか。そして誰がどのようにそれを利用しているのでしょうか。つまらない評価を議論し、利用している人たちがいる、何より、ここが問題です。
先日のイージス艦の事故でもその後のCGによるリアルなシミュレーションによって、一連の状況が明らかにされています。その明らかになった事実が正確に評価を物語っているはずです。事実を明らかにできたとき、評価は自ずと明らかになります。評価とはやってきたことをきめ細かにシミュレーションすることであり、シミュレーションすることで評価は見えてきます。
仮説、シミュレーション、検証、評価、、、、、、設計やデザインとはこの繰り返しの作業です。何度も繰り返しながら、考えもしなかった評価を生み出すために何度も繰り返します。インスピレーションと言われるとてつもないアイデアが出るまで繰り返します。絶えず、CGやモデル化によって、そしてたいていは想像力によって検証しているのです。
評価とはこのようにして初めて、成果を上げることができるのではないでしょうか。活動を行い、それをシミュレーションし、検証する、絶えず事実を明らかにすることで評価は生きてくるはずです。
2008年2月26日
矢祭町の自治
この言葉は矢祭町「集中改革プラン(平成17~21年度)」の冒頭に書かれています。矢祭町とは「もったいない図書館」で一躍有名になったまちですが、単なる超緊縮財政のまちというわけではないことがわかりました。
そのWEBサイトには自分たちの言葉で綴った自治への取り組みについて書いてあります。タイトルだけをみてもわくわくしてきます。この違いは何なのだろう。
http://www.town.yamatsuri.fukushima.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM040004
市町村合併をしない矢祭町宣言 (2007年5月18日 更新)
自治基本条例 (2007年5月18日 更新)
矢祭町集中改革プラン(平成17~21年度) (2007年5月22日 登録)
矢祭町議会議員の報酬及び費用弁償に関する条例 (2008年1月24日 登録)
矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」 (2008年1月24日 登録)
概要:矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」 矢祭町議会...
自治基本条例には次のように記されています。
矢祭町自治基本条例矢祭町は、平成13年10月31日、平成の大合併の波が押し寄せる前夜、全国に先駆けて「市町村合併しない矢祭町宣言」を行った。これは、矢祭町民の郷土を愛し守ろうとする強い意志の顕示である。私達は、先人から受け継いだ郷土矢祭町を将来にわたって、子々孫々に引継ぎ、真に人間らしい生活を享受できる郷土を築くために、法令を以って命令されない限り合併をせず、自主独立の道を歩むものである。ここに、矢祭町の基本的自治権を遵守するとともに、これからの矢祭町を創造するための理念及び運営の基本を明らかにし、もって町民の福利の向上に寄与するためにこの条例を制定する。
第1章 目 標
(適正規模の共同社会)
第1条 矢祭町は、我が国が歴史始まって以来の人口減少を迎える中でも、自立するためのあらゆる施策を講じ、人口減少に歯止めをかけ、適正規模の共同社会を目指す。(郷土づくりの基本方向)
第2条 子どもは町の宝、国の宝。矢祭町は、恵まれた自然環境の中で、夢をもって子育て・子育ちができる、「元気な子供の声が聞こえる町づくり」に努める。
第3条 矢祭町の青年・壮年の世代は、子や孫達の健やかな成長を願うとともに、社会のために尽くしてきたお年寄りが、尊敬され、大事にされ、安心して生きていける町づくりに努める。
(総合計画等)
第4条 矢祭町は、郷土づくりの基本方向に沿って町の将来の姿を明らかにし、これを総合的かつ計画的に実現するため、議会の議決を経て総合計画を策定する。
第5条 矢祭町は、町基本条例に基づいて運営される町政の基幹的な制度と運営の原則を明らかにするために、行政、議会、町民の役割とその相互関係等を別に定める。
第2章 役 割
(町執行部及び職員の責務)
第6条 町執行部及び職員は、町民の信託に応え、町民の奉仕者であることを肝に銘じ、来たるべき団塊の世代の定年退職にも不補充で臨み、事務事業の執行に努める。
(町議会議員の責務)
第7条 町議会議員は、町民の信託を受けた町民の代表である。議員は、町民の声を代表して、矢祭町の発展、町民の幸せのために議会活動に努める。
(町民のあり方)
第8条 すべての町民は、主権者として町政に参加する権利を有する。町民は、町政の主権者として、郷土愛を高め、自らの自治能力を向上させ、町づくりに参画する。
第3章 態 勢
(町財政の健全化) 第9条 矢祭町は、健全財政を堅持する。人件費や経費の節減をし、以って町民サービスの向上に努め、独立独歩「自立する町づくり」を確立する。
(町民の参加)
第10条 矢祭町の希望ある将来は、すべての町民の連帯と創造的な諸活動によって確立されなければならない。矢祭町は、町民の不断の努力と連携することによって、魅力ある町づくりを推進する。 附 則この条例は、平成18年1月1日から施行する。
ワークショップの枠組み
中立的な立場と思われるファシリテーターが実は行政としっかり結びついていたり、利権を同じくするファシリテーターが陰で手をつないで、市民を包囲しているかもしれないからです。
何となく意見を聞けた、聞いてもらえたと思っていては大変なことになります。同じような議論をエンドレスに繰り返していたり、自由な発想を発揮できないでしまったグループも数多く、また、市民活動に決まったやり方をあてはめたり、その評価方法も数字で表そうとしたり、結論もプロセスもお決まりのものなのです。
多くの市民が彼らのお決まりのやり方に取り込まれてしまって、身動きが取れなくなってしまいます。
単なるアリバイ証明のためだったり、ガス抜きだったり、自己満足のためだったり、、、、。
本当のコミュニティシンクタンクはそうした既成の枠組みを解体し、市民活動本来の姿を提供しようとするものです。本当のワークショップとは集まる人が自由に動き、また記録も自らとって、共有するものです。
市民のやり方でやればいい、その本質を評価すればいい。そこから市民のためのまちづくりが始まるのだと思う。
2008年2月25日
まちづくりのプロ
意欲的な取り組みばかりで、「井の中の蛙ではだめだな」という思いをとても強く感じてきました。
金沢市の竪町商店街の人たちはプロでした。
http://www.tatemachi.com/cgi-bin/WebObjects/WebTatemachi
金沢駅から約2kmの立地ですが、最新のセンスで超広域マーケットを持った若い世代対象のファッションストリートであり、近年は振興組合から株式会社に転換し、経営のプロとして、自己資金を持った株式会社が独自の商店街経営を行なっています。
特に、経営と所有を分離し、オーナーは環境づくりとテナントの選別を行い、通りの通行人数の確保と店舗の新陳代謝に努めていらっしゃいます。通りの通行量とフロアのテナント賃料は密接に関連付けられているようで、ここにもきびしい環境が垣間見れます。
地元商店街と地域の行政との密接な関係は不可欠ですが、反面、狭い世界に閉ざされてしまうのではないでしょうか。社会にはきびしい環境ながら、独自性を持って取り組んでいる地域も数多く、そうした既成概念にとらわれない新しい活動に敏感である必要があります。
できないと思っていたことが、外の世界をちょっと見るだけで、いつもの関係を飛び越えてみることで「意外にやれるんだ!」と気づくことって多いです。
2008年2月22日
同人
http://hoppi.blogzine.jp/blog/2008/02/post_dbad.html
「実体験に基づいた起業論(10)
理念論(4):社員は企業理念に賛同した同志
ベンチャー企業がベンチャーたる所以は何か?
企業は人に始まり、人に終わる。つまり、ベンチャー精神を持った社員がどれだけいるかで、その企業のベンチャー度が計られる。
では、ベンチャー精神とは?多くの先達によって、語り尽されているテーマでもあるが、語り続けるべきテーマでもあろう。
何かを追い求めて、昨日よりも今日、今日よりも明日と、ひたむきに、かつたゆまぬ成長を目指すこと。その目指す先には、何があるのか?
その何かこそが、企業存立の基盤としての企業理念の実現ではないのか。
そして、その企業理念に賛同し、「志」を同じくする者達。
所謂、ベンチャー企業は、そうした「同志」の集まりなのである。」
CTTもソーシャルベンチャー として同じ夢を見ています。そのパートナーを同人と呼んでいます。
2008年2月21日
アウトソーシング
製作を行うということは同時にそれを支える人たち、素材を育てる人たち、それを消費する人たち、様々な人やものと間接的に、直接的に関係を持ちます。持たざるを得なくなります。
運営も同じです。これらの関係がつながり、繰り返されることによって、ノウハウやネットワークとして蓄積され、技術や文化や伝統となって表れてきます。そこには多くの知恵と文化、そしてたくましさがあります。そこにはその組織の本質が蓄えられるはずです。
しかも、コスト削減という一元的な掛け声だけで、アウトソーシングへ頼ることで、本当に大切なものを失うことをになります。
行政の本質はどこか、図書館の本質はどこか、。
業務をアウトソーシングしてもその本質は手放さないだけのしたたかさが必要です。
2008年2月16日
地域シンクタンク
1.目的・役割
政令指定都市としての政策形成能力を確保するため、行政外部に地域シンクタンクを設置し、市民、企業、行政、専門家など、地域の様々な主体の英知やエネルギーを結集して調査研究、合意形成、課題解決を図る体制を構築する。 地域シンクタンクは、地域や行政が取り組むべき新しい政策を提言するほか、まちづくり活動への支援、情報や統計データ等の整備・提供を行い、市民の政策形成への参画を図るとともに、こうした取組みを通じて、職員の政策立案能力、市民協働能力、政策実現化能力の向上を図る。
2.地域シンクタンクの骨格
(1)基本的性格
市民、企業、行政など、浜松地域で活動する様々な主体が地域の持続的発展に向けた課題解決や新政策の創出に取り組む拠点
(2)組織形態
行政外部の独立組織
行政外部に独立した組織として設置し、市民と行政の中間的な立場を確保
産学官民が連携する組織
産学官の協力のもと、各主体が自由に参加でき、連携しやすい組織、運営体制を構築
(3)基本的機能
機能ⅰ自治体政策に係る調査研究及び新政策の提案
機能ⅱ地域づくり・まちづくり活動への支援・協力
機能ⅲ政策関連情報の収集・加工・提供
機能ⅳ人材育成
(4)運営体制
所長、副所長、主任研究員、研究員、非常勤研究員 ※事業の拡大に伴い体制を強化する
3.平成19年度の取組み
経済界や学術研究機関との連携のもと,産学官の共同出資による外部組織として考えられる様々な可能性(財団法人、社団法人、中間法人、株式会社、地方独立行政法人、NPO、任意団体、大学附置組織など)を検討し、平成19年度中の設立を目指す。
(1)検討事項
・設立の理念、組織形態
・機能・研究内容
・運営体制
・産学官とのネットワーク形成と役割分担
(2)事業内容
・検討委員会及び検討部会の開催
・経済界、大学、既存研究機関との調整、庁内調整
・所長、専門研究員の選定・依頼
・法人設立に関する手続き(定款作成、認可申請等)
4.平成19年度事業費 7,792千円
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地域シンクタンクとはコミュニティシンクタンクのことでしょうか。
準備に800万円もの予算があり、順調に推進できるのではないかと思うのですが、行政に構築される組織の重さのようなようなものを感じます。その原因はどこにあるのでしょうか。
市民の姿が見えてきていないように感じます。市民一人ひとりが持っているフットワークの動きが見えていないのではないでしょうか。今、大学の研究者は課題を求めて、成果を検証するため、社会に、町に出て行きます。抽象的、先進的課題より、より身近なフィールドへ飛び出していっているようです。社会の課題、市民のいろんな活動に触れることで、一気に見えてくるように感じます。
浜松での成果を確認しなければなりません。
たぶん、jここにjれているのだと感じます。
「・検討委員会及び検討部会の開催
・経済界、大学、既存研究機関との調整、庁内調整
・所長、専門研究員の選定・依頼
・法人設立に関する手続き(定款作成、認可申請等) 」
2008年2月15日
情報の発信
テレビ討論会 http://mayoto.exblog.jp/5609218/
「今日、僕は図書館に行った。ホールで議会中継をしていた。みんな、三々五々立ち止まりテレビを見ている。議員の質問を聞きながらmemoをとる人、フリップに感想を書いて見せる人、議論を始める人と反応はさまざまだ。最近の一般質問には条例や法律に抵触すると言う問題も少なくない。議員がそんな発言をすると、すぐに条例文が広げられ、解説をする人と質問をする人がいる。議場で傍聴するよりMAYOTOでみんなで聞いたほうが楽しいし、勉強になるらしく議会中継は結構人気がある。政治は継続して見ていないと分かりにくいものだから自治に関心を持つ人が増えるのは、といても良いことだと思う。議会が終わるころには、司書が議会の問題について学ぶための本や情報を並べはじめる。借りて帰る人も多いらしい。」
このように世界が広がるところとはどんな場所だろう。大きなスクリーンがあって社会の姿を映し出し、その真実を語りかける人たちがたたずむ場所。それが情報なのですね。
情報とは真実であり、そしてそれはたえず新鮮でなくてはならないものです。たえず、新鮮で真実の情報を発信する本物の図書館、だから、本物の図書館をつくるのはとても大変で、とても大切なことなのですね。
だから、たえずやり方を検証し、見方を検証し、枠組みを問い続けることが不可欠です。それはCTTの基本理念でもあります。
2008年2月8日
メディアシンクタンク
番組の中でそのままコメントする、それは同時に社会に放映される、その影響はとても大きく、コメンテーターの資質も問われるますが、いやおうなく、社会問題も明らかにしていきます。それらはバラエティといわれるものではなく、社会や行政の問題に限られた方向性を持っています。市民の声がどこにあるかは判断が難しいですが、提言がそのまま、リビングを経由して社会に出てゆきます。その大きな影響力からは、シンクタンクと呼べるものではないでしょうか。
何事も同時進行で問題の本質を明らかにし、真実を流してゆく、そのことが重要なのです。
でも、大阪の問題大きいのかなぁ。
大阪には5兆2486億円の負債があると言われます。
一方で資産が6兆8427億円(ちょっと怪しい気もします、とらぬ狸、、、とも言います)
歳入3兆1229億円で、内税収1兆0852億、府債2427億円。
それに対する一般会計が3兆1229億円、その内、人件費が89285人に対し、9085億円。3セクも含めたたぶんココが最も厄介な部分かな。施設を売却しても人員までは売却できない、、、。
特別会計が1兆1,938億円だけど、特別事業からの収入があるのかどうか。赤字ばかりの事業にしか見えないけれど、、。
ref:http://www.pref.osaka.jp/zaisei/joukyou/08baransu/baransu.pdf
http://nisimura.fugi.jp/h18-yosan.htm
でも、橋下氏の背後には強力なメディアシンクタンクがついているのです。