2007年9月19日

個と公の関係

ホールやラウンジの片隅に電話を設置してあるスペースがかつてどこにもありました。しかも、周りから見えないように、しかし、その場所がほのかにわかるように、また、話す人の声が隣に直接響かないように、そのデザインには、工夫を凝らしたものでした。


しかし、今や携帯電話の普及でそうした個を露出させないような奥ゆかしさは陰を潜めてきました。

先日、東京への帰りののぞみの中はまるで新橋の飲み屋のように(実際に新橋で飲んだことはありませんが)、仕事(出張)帰りのサラリーマンの憩いの場となり、個が、プライベートが前面にでてきていました。

最初に話し出した二人組の話はやけにプライバシーが気になったものですが、また、うるさいなぁと思ったものでしたが、そうした会話が車内全体に広がるにつれて、気にならなくなり、むしろ活気のある、ピンクノイズのように心地よい空間を作り出していました。そこには静かに本を読む人も、仕事に疲れて休む人も含めて、多様な生活、活動があふれていたはずです。

パブリック、人の集まる公の空間とは、つまり町や広場や街路や、、、私たちの身近な多くの空間がパブリックと考えられていますが、程度の差はあれ、それは個の空間の重なりでもあります。また、それは音だけではなく、においや視覚情報、空気、雰囲気なども重なり合った壮大な世界となっています。


そうしてこそ、抽象的な、無性格な空間ではなく、魅力ある身近な公的スペースが生まれるのではないでしょうか。そこに、市民の集まる意味が出てくる。それがパブリック。

そのパブリックな空間を程よく、関係付ける、バランスをとるのがコミュニティであり、文化であるのだろうと考えています。ピンクノイズのようなパブリックを目指して。

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