2007年9月28日

問題のありか

多くの問題がどのように自らにどのようにマイナスになるかは容易に判断がつくかもしれませんが、しかし、その問題が何なのか、を客観的に見極めることは難しいものです。


特に、マスコミやメディアも簡単に騒ぐ、結果的にあおることになることも多く、問題にはとにかく非常に敏感になるものです。しかし、敏感になることで、あるいはもう少し言えばヒステリックになってしまうことで、見失うものも多くなってしまいます。



例えば、行政の問題。さまざまな不満があることでしょう。しかし、それが何に、そしてどこに起因するのかはっきりさせることは難しいことです。市民からは、相手がどのようになっているのかはわからない、複雑怪奇な組織に見えてしまっているのではないでしょうか。そして、何より、行政自らが巨大な組織において、何がどのように運営されているか、内部の人たちも、誰も全貌をつかめてはいないのではないかと感じられます。

例えば、歴史や伝統の問題。伝統だからとアンタッチャブルな領域もあるでしょうし、歴史は大切にしなければならないのは明白ですね。しかし、守るべきか新しく突き進むか、この判断は難しいものです。何のための、誰のための歴史なのか。

例えば、制度の問題。目的を果たすために制度がつくられます。すると、制度を守らせることが目的となってしまい、制度を目的に合わせて修正してゆくことが忘れられてしまいます。

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