2007年8月3日

2002年8月3日内井昭蔵死す

今日はとても大切な日です。5年前の今日、僕の師、内井昭蔵は明治学院のキャンパスの成果を建築学会大会に発表を行うために金沢へ向かう羽田空港で突然亡くなったのです。学会での発表の成果はその前の1ヶ月、僕と内井さんとが長い間話し合って作ったものだったので、朝、死亡連絡の電話が来た時には、資料を追加するための要請の電話だと思ってしまったくらいでした。

内井さんが亡くなった半年後、17年かかった明治学院大学のプロジェクトがすべて完成し、僕は独立しました。

内井さんは愛地球博でもプロデューサーとなった菊竹清訓氏の一番弟子で、YMCA野辺山高原センターや世田谷美術館、高円宮邸や今上天皇の吹上新御所、明治学院大学や国際日本文化研究センター(日文研)などの設計担当建築家としても有名です。東海地方では一宮博物館や高浜かわら美術館を設計しています。

内井さんはいつも、スタッフの姿を見つめ、そして、建築の(もちろん町でも同じですが)主役であるそこで活動する人たちの姿から、建築空間を思い描いていました。大上段に構想や哲学を振りかざすのではなく、小さな一つ一つの部分の問題から、不合理を戒め、新しい何かを見つけるべく、徹底した個の部分からのアイデアを積み上げ、大きな構想を作り上げる建築家でした。

内井さんは葉っぱを描きながら、枝を付け加え、知らないうちに太い大きな幹を描きあげるように進めていました。葉から枝、枝から幹を、太い幹を描く類まれな建築家でした。今では、僕も葉から幹を思い描くようになっています。

また、自分の中にしっかりと答えを見据えていても、周りの意見を聴き、「ねぇ、どう思う?」が口癖でした。事務所の中でスタッフとやりとりしても、また、外部で多くの建築家をコーディネートする時も、まったく同じであったろうと感じます。

建築においてもまちづくりにおいても、「ゆるやかな統一」が内井さんの哲学でした。ゆるやかな統一の背後にある、個の自由性、独自性を生かすことこそが彼のデザインでありました。そうした彼の遺志を継ぐため、今日、8月3日はいつもにまして、仕事に励まなければと思っています。

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