2007年8月18日

町を描くことから7

地図といっても、さまざまなものがあります。町でよく見かけるのは、商店街や駅前に設置されている看板に描いた地図。方位も、道の名前や方向も、また、自分がどこにいるのかさえ、よくわからないけれど、商店の名前だけはびっしりと書いてあり、人間的な雰囲気が混在した活気ある様子はありありとわかります。地図とはその表現方法によって、まったく異なるものとなります。

単に海抜からの高さをプロットしただけでは、数字の配列したものだけでは、土地を理解することはできませんが、同じ高さの地点を結んだ地図、等高線による地形図を表すことによって、地域の地形をイメージすることができるのです。

このように何をどのように描くかによって、得られるものは違ってきます。僕はまちから感じたその実感したものをそのまま素直に描き表せないか、そこにこそ、本物の町の姿が潜んでいるのではないかと考えています。

今日は第一部、第7回 6月29日掲載分を紹介します。


「7.ウォーキングマップとは


ウォーキングマップとは住環境デザイン論演習課題の一つとして実施している「岡崎の町を描く試み」である。

それは町を歩き、その場所のデータを収集し、記録するフィールドワークと得られたデータを研究室に持ち帰り、地図に配列しながら、その意味するものを考察するワークショップの二段階のプロセスからなる。得られたデータから特別の領域や形状を認識できるまでデータ収集と考察とを繰り返してゆく。

学生たちは岡崎の町を歩くことから始めるが、彼らの多様で自由な視点をそのまま生かすため、特別の約束事は設けず、できるだけ事前の知識や先入観のない状態で町の興味のある部分を探しながら歩いてゆく。それぞれの感性によって、自らの視点を特別に持って、自らの意思で歩く。歩きながらテーマを見つけ、町の気になる場所や場面をデジカメに撮影し、歩いた道のりや特別の感情やポイント、コメントなどを地図上に記録しながら、歩いた軌跡や町の形を表わす情報をプロットしてゆく。

こうして町で得られた情報は研究室に持ち帰り、それぞれの断片をマップに配列し、その意味を考えてゆく。ワークショップ形式で、何に惹かれたのか、どこが面白かったのか、自らのマップを説明しながら、共に考えてゆくのである。最初は見えていなくても、自分自身が町に惹かれ、記録した動機は学生たち自身の中に必ずあり、そこに町の特性が隠されている。そうして、マップのテーマや現れている意味や特性が見つかるまでは何度も議論し、考察とデータ収集とを繰り返し、ウォーキングマップとして完成させる。マップづくりはプロセスと表現方法が重要である。

学生たちの、あるいは市民の柔らかで多様な視線を町に向け、町をそのまま記録することにより、生きた町の多様な姿をありのままに描くことになる。多様な視線を導き出し、取捨選択や淘汰を行わないで、むしろすべてを取り込む姿勢で町を描くことにより、そこには豊かな町の多様な姿がそのまま描かれる。それは複雑で、混沌としているように見えるかもしれない。しかし、学生たちが、あるいは市民が多様な視線を向けていければ、後はその描かれたものの中にそれらの共有性を表し出せればいいのである。多様な価値観を生かしながら、進むべき方向が見えてくる。この生きた町の姿のなかに本当の固有の特性が現れてくるのである。

ウォーキングマップとは自ら歩いた道のりを記録した地図ではあるが、しかし、その表すものは歩くべき、進むべき道のり、すなわち、町づくりの指針を示すものとなる。今回の試みにおいても多くの町の断片が浮かび上がってきたが、この岡崎の町は特に空間的面白さ、豊かさに溢れていると感じる。この豊かな断片を、パズルを完成させるようにピースをつなぎ、組み合わせてゆくことで、それらのつながりが町のコンテクストとなって現れる。そこに町の姿が見えてくる。ウォーキングマップとはそのコンテクストを探索し、その可能性を発見する試みである。その試みは始まったばかりであるが、町を記録し、デッサンするように描くマップの可能性を発見できたのではないかと感じている。感覚や感性によって認識される町のイメージは、とらえどころのない、はかないもののように見えるかもしれない。しかし、それこそが、着実で、リアルな生きた町の姿なのである。」

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