2007年8月10日

一宮市博物館

大学の同僚と一宮市へ行った帰りに僕のかかわった一宮市博物館に行きましょう、ということになって、久しぶりに訪ねてきました。閉館間際の突然の訪問にかかわらず、学芸員主査の伊藤和彦氏に丁寧に案内していただきました。 よくできた施設にはどこでも例外なく、このように熱意があり、施設を愛するスタッフがいらっしゃいます。












一宮市博物館は妙興寺に隣接し、緑あふれるものの、道路からは小さなみちを通り抜けるように配置され、町からは少し入りこんで位置していたため、大きな円弧状の展示室を二つつなげることで、人を引き込むアプローチを作っています。外部の市松模様となった凹凸状のスクラッチタイルも、内部のホール壁面を彩る絹谷幸二氏のフレスコ画もとてもきれいで完成後20年を超える建築とは思えませんでした。

内井事務所ではすべてのプロジェクトを二人で責任を持って行うというペアシステムで設計が行われていました。1985年の設計当時は一宮市博物館のほか、大きなプロジェクトが高円宮邸、熊本テクノポリスセンター、横浜市少年自然の家(宿泊棟)はじめ多数進められており、忙しさと充実さが交じり合う1年でした。僕は高円宮邸に専従しながら、時々この一宮市博物館にかかわりながら進めていたので、少なからず心に残っています。

伊藤氏によると、外装のリニューアルと同時に内部の展示方法も再検討を予定しているとのことでした。当時は毛織物の町として古い織機などを主とした常設展示が中心でしたが、市民のさまざまな活動に向けた大きな企画展示室の必要性や織機よりももっと新しい一宮の姿も紹介して欲しいという要望が高まってきたそうです。

市民が自らの町の歴史を知り、その拠点を作るという第1段階から、そこで自ら、今の町に対して活動を行う次の段階へと公共施設の役割が変わってきたようです。

このようにいい建築を作るためには、設計段階から発注運営者側に熱意のある協力的な強力なスタッフがいることが不可欠ですが、建築が完成し、運営段階においても、そのような体制が引き継がれることで、理念や情熱は引き継がれ、絶えずいい状態を保ち、町の状況の変化にも対応できるものなのです。それが愛され、長く生きながらえる建築となる手がかりなのです。

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