2007年8月11日

町を描くことから4

僕たちが実際の町を感じるとき、自分自身から奥行きを感じながら、目の前の、少し向こうに見える家々の形を認識することになります。その奥行きや広がりとは、自身の体、手や足の一部を見ながら、道路や街路樹、壁、の実際の表情を感じながら、その距離を追って広さを感じています。とても当たり前のように感じることですが、目の前の町の姿を突然目の前に現れた、意味の持たない対象物としてとらえていることも多いようです。自分自身との関係から距離や奥行き、広がりを感じ、具体的な意味のある対象として考えることよって、町の発信する情報を感じとり、語りかけている町の姿を実感することになります。それが僕たちの町なのだと考えています。

今日は第一部、第4回、6月23日掲載分を紹介します。


「4.語りかける町

町はそれぞれ多様な表情を持っている。町を歩いていても、柔らかな家並み、入ってみようと思わせる店舗、その奥に引き込まれる路地など次々にそうした魅力ある場所がつながり、何か心地よい感情をつくりだし、全体がひとつの雰囲気に包まれることがある。凹凸、ニッチ、曲がり、ふくらみ、シンボルツリー、ゲート、パブリックアート、神社、空地、ショーウィンドウ、バス停、彫刻、民家の板塀など、それぞれに様々な表情があり、どれもが人に語りかけてくるはずである。

実際には人が町に対して働きかけているのであるが、町が人に働きかけてくる、語りかけてくると感じる。それは町から受ける印象というよりも、もっと動的な心に入ってくる感情である。
町とは動きや働きが翻訳され、場面や場所などが目に見える形として表わされたものではないだろうか。普通のなにげない風景の中に人の活動と町との接点が生まれることによって、何かを表す人と町とをつなぐ特別の景観が現れて、私たちは初めて町を気づくことができる。私たちが町と考えているのはこの人と町との接点となってつないでいる様々な広がりなのである。

私たちは2点を測るようにして距離を測定し、その広がりや奥行きを認識するのではない。町では立っているその場から、道路の形状、舗装のパターンを認識しながら視線を延ばし、空間を広げ、樹木やベンチ、電柱や電線、外壁や屋根などを実感することによって空間の広さや領域を感じとっている。また、入り口や窓、バルコニーや縁側から人の動きを感じ、明かりや看板やプラントボックス、柵や塀から町の人間らしさを感じるのである。

私たちは町を構成する具体的な一つ一つの場面をつなぐことによって実際の距離や広さを感じているのであり、また、様々に見える対象物を予め決められた機能や役割に従って行動するのではなく、その対象物が持っている意味を人本来の行動から瞬時に判断し、柔軟に活動を行うと考えるのがアフォーダンスという新たな空間認知論の方向である。町を決まったもの、あるべきものと考えるのではなく、実際に町に入って、町に接すると、膨大な町の情報がそれぞれ意味を持って語りかけてくるのがわかる。

ここに大きな意味がある。私たちが町に住まい、語りかけてくる町を感じるということはその場面の距離や広がりを感じるだけではなく、生活や文化を感じる人間のもうひとつの感覚によって、それが何を表しているか、私たちにどのような意味をもたらすか、解析しているのである。このようにして、町に住まいながら様々な断片の中に豊かな生活や文化、歴史や風土を実感し、町への親近感、共有感を獲得しているのである。そうした場所が町なのである。重要なことは町の様々な情報に気づくこと、そして、アンテナのような、人と町との接点をつくってゆくことである。現代はこの町のアンテナが急速に姿を消してゆき、そのことにより町が見えなくなってしまっているのである。人と町とをつなぐ接点を持ちうることにより町はある特別の景観となって現れるのであり、それは地域に共有され、町づくりへとつながってゆく。町の多様な表情に潜むこうしたアンテナや接点を具体的な表情の奥に発見してゆくことで生きた町が見えてくる。町が語りかけてくるのである。」

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