2007年8月9日

阿久悠の世界2/ホットとクール

「上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中 」

阿久悠さんはその代表作「津軽海峡冬景色」について、たった一文で「上野から青森へ」と舞台を進めたと豪語しています。

詞とはいきなりトップギアで全開の必要があるということであり、詞の大きな特性かもしれません。一方、曲はその多くはイントロダクションがあり、しだいに盛り上がり、エンディングを迎えることになります。

作曲家はイントロから次第に、段階的に曲の中へ引きずり込んでゆきますが、作詞家は限られた文字数の中でイメージやストーリーを伝えなければならず、一気に勝負に出ることが要求されます。紫式部であれば、五文字の枕詞で詩の舞台背景を説明できたわけですが、現代の作詞家は一気にまくし立てる必要があるのです。

いわば。作詞とはホットなのですね。

「ホットとクール」とは挑発的にメディア論に取り組んだ社会科学者であるマクルーハンが立てた仮説です。ホットとは温度、体温が高いという視点もありますが、情報が精緻であり、直接的視点を持ったメディアのことのようです。

ホットとは受け手の情報過多につながり、次第に詩性は薄れていく運命にあり、逆にクールは受け手に情報を考える余地を残し、詩性を内在しているとも考えられます。危うい、ホットな詞の直接的表現は誰にも受け入れられるポップな表現であるものの、1歩間違えば、詩ではなくなる可能性も高いのだと思います。 ホットとクールの微妙な混在の中に歌謡曲の価値があるのかもしれません。

阿久悠さんのホットな表現によって世に出てきた多くのアイドルたちは、その後、成功したその表現方法から距離を置くことになってゆきます。アイドルたちも大人への成長に合わせて、クールへ向かうのです。岩崎宏美は、ロマンス、熱帯魚、、、、思秋期  ホットからクールへ向かい、桜田淳子や山口百恵(阿久悠さんの作詞ではありませんが)は中島みゆきや阿木子へと作詞家を変えることでホットからクールへと変身する。

また、姿勢を変えなかったキャンディーズは「普通の女の子」に戻り、ピンクレディは一気に幕を下ろすことになってしまいました。

ホットとクール、たぶんその区分をはっきり区別することは難しいのだと思います。勅裁性と多義性、わかりやすさとあいまい性、距離感、言葉と行間、、、、、ホットとクールとはメディアの問題、つまり僕たち自身の関係の持ち方であり、それは同時にコミュニティのありかたの問題でもあるでしょう。

0 件のコメント: