2007年8月17日

町を描くことから6

思い描かれたことが書き記されることによってはっきりと自覚できることは多い。
http://community-thinktank.blogspot.com/2007/07/blog-post_20.html 
模写やスケッチもそのひとつです。その書き記したものが、自ら見た、感じたそのままを描き、表すことが必要です。しかし、ありのまま描くということが思いのほか難しいものです。

ウォーキングマップでは観察者である学生たちが、見て、感じて、ある人は聴いてきたものを、研究室の僕や仲間に語ることで、自ら見てきたもの、そのものに客観的に触れることができるのです。

今日は第一部第6回、6月28日掲載分の紹介です。

「6.町を記録する


町を記録すること-視覚化することで町の様々な姿が見えてくる。ばらばらだった姿が何かはっきりと意図を持ったものに見えてくるのである。例えば、防災マップや防犯マップなどのように描いてみて、今まで見えていなかった空間や地域の状況が改めてわかるものなど特に多い。このように視覚的に表すことで見えていなかったものが現れてくる。

絵を描く時にはまず、デッサンする。そうすることによって対象物の輪郭をなぞってゆく。輪郭をなぞりながらその形を把握してゆくと、次第に描く対象物がはっきりと見えてくるのである。町づくりにおいても実際の町の形を追いながら、町の断片を記録し、地図の上でもその姿をなぞってゆくことによって町の形をはっきり認識することできるようになる。町を巡り、それを記録してゆくことは町をデッサンすることと同じ行為である。デッサンを重ねてゆくことで、おぼろげであった町の輪郭が次第にはっきりとしてくるはずである。デッサンを重ね、次々と町を描いてゆくことにより、多様な断片が互いにつながり、それらの関係や共通の意味を表しだす。つまり、埋もれている町の形の意味するものが見え、町の隠れた構造を表しだすことができるのだ。このようにして町に視線を向けることによって、いつもは見えていない町の姿が現れてくる。

町をデッサンする、記録してゆく時、描く側は自分自身で意図を持って描いてゆく。そうでないと描けないのだ。町を描くということは多様な意図を持って、それぞれが何かを感じながら、町の多様な側面を見てゆくのである。つまり、町を記録し、町の形をなぞるという行為は様々な町の断片を集めると同時に、描く人々の多くの視点や意識までも集めることになる。

町を記録することで、町を考える視点が市民や学生など現実の町に住まう人たちすべてに移行してゆくのである。記号や数値などの抽象的な表現から人の視線によるビジュアルな表現へ、巨視的でバーチャルな視点から現実の町の現場の視点へ、無名性を表すだけの客観性から個人の感覚に基づく確かな主観性へと、すなわち抽象から実践へ、全体から個へ、そして、公から私へと町がその重心を移してゆくのである。それは町とそこに住まう人たちすべてを取り込んだ動的な町解析と言える。

今の町、町の今を表す新しい理論を、町を描いたマップから考えたい。それは身近な、自らの感性に現われた町を記録してゆくことであり、同時に、町に触れ、町を表現することでもある。また、現実の町から町独自の形を描くことが必要なのであり、自らの感覚と感性を持ち、意欲と意図を持って町を見る、探し出すというデザイン的視野が必要となる。デッサンを行うように町の輪郭を描くことが大切であり、それによって形は次第に現れてくる。

マップづくりは町の輪郭を視覚化し、町の形を具体化させる重要な機能を持っている。それは町に住まい、活動する人たち、一人ひとりに開かれた、町づくりの新たな方向性を期待させるものなのである。町づくりには市民の身近かで多様な視線を町に注ぐことが不可欠であり、この多様な視線を抽出し、どのように構築するかということが重要である。町に立ち、見えてくる町そのものを描くことが求められるのである。それには市民の多様な視線をそのまま描けばいいのであり、描くことによって町づくりは見えてくる。私たちの課題は「いかに描くか」という町を描く行為そのものの中にある。」

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