2009年7月23日

衆議院解散

「衆院は21日午後、解散された。 政府は21日午前8時の定例閣議で、憲法7条(天皇の国事行為)に基づく衆院解散を閣議決定した。

皇居で天皇陛下から解散詔書への署名を得た後、午後1時からの衆院本会議で、河野衆院議長が詔書を朗読して、衆院は解散された。

これを受け、政府は臨時閣議を開き、第45回総選挙を「8月18日公示―30日投開票」の日程とすることを正式決定する。

衆院の定数は480(小選挙区300、比例代表180)。 総選挙は、小泉政権下で自民党が圧勝した2005年9月以来、4年ぶりの実施となる。8月の衆院選は戦後初めてだ。」(http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090721-OYT1T00410.htm?from=top より)

衆議院本会議場で万歳を表明する各議員。全会一致で賛同されたようです。

議長を中心に500名近い議員が居並ぶ本会議場はギリシャ劇場や大学の円形教室のようでもあり、建築空間的にはとても議論を行う場ではありません。大学でなら、とても授業にはなりません。

議長がすべてを見渡すことができ、YESかNOか、確実に判断できることにその空間的意義があります。そこでは居眠りをしているかどうかなど問題ではなく、必要な時に意思を表明しさえすればいい場なのです。

その意思を表明する場も、入場した時にはその意思すら決められていて、欠席や退場によってしか自分自身の意思を表明できない非情の場なのです。

国会の本会議場を見ていつも思うことですが、そろそろ、議会の形を変えねばなりません。固定座席を解体し、円卓があちこちに散らばるような形式が必要です。そう、披露宴やドラフト会議のスタイルです。六カ国協議もそうです。(円卓ではなく6角形ですが)

ある時には一つのテーブルに各党首が席を並べ、また、ある時には党の幹部が顔を突き合わせる。そんな、ダイナミックな議場が必要になるのではないかと思うのです。

でも、万歳三唱したり、3本締めしたりする儀式の場なのですね。もう少し、エレガントにテーブルを囲みませんか。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いままでは選挙になる「投票しても変わらない」というインタビュー映像がよく流がされていましたが。これからは、みんなで投票率を上げ、多くの市民の立場が政策によく反映される。
「投票したら変わる」日本になることを望みます。
衆議院選挙も政策をよく吟味して候補者を選び投票しましょう
今日の朝日新聞に 「投票用紙で武装し、蜂起せよ」 という投稿記事がありました

先に、コメントを書かずに記事の抜粋を送信してしまいました
(タイトルがよくて頭に置きたかったのかな?)

匿名 さんのコメント...

こんな、「エレガントな会議」の様子を書いた本がありました

『日本国の正体』  政治家・官僚・メディア ――- 本当の権力者は誰か
 長谷川幸洋 著  講談社  2009年6月30日 第一刷 発行
33~37ページの一部を貼り付けます

転向の理由

・・・・・・前省略  当時の私は増税の旗を振る、いわゆる「財政タカ派」だった。
だが、私は途中で意見を変えてしまう。
増税の前に、政府は歳出削減を徹底し、無駄と非効率をなくすべきだ、と考えるようになったのである。その後、安倍政権になって手がけた公務員制度改革にかかわるようになって、官僚がいかに既得権益の維持に汲々としているか、目の当たりにした。
国民の目に見えるところでは、天下りのあっせんについて理論武装して「引き受け先の要望に応えるために、相手に情報提供しているだけ」といったように答える。だが、官僚だけが集まった席では「天下りを廃止したら、役所の人事秩序が保てない」という本音があからさまに語られた。官僚が「敵」とみなした相手を桐喝する様を具体的に知ったのも、このころである。
たとえば、ある官僚は改革を進めようとした同僚に対して「君にも将来があるだろう。これ以上やったら、本省に戻れなくなるぞ」と冷や飯食いをちらつかせた。大臣すら脅迫する。当時の的場順三官房副長官は渡辺喜美行革相に対して、「公務員制度改革をこれ以上やったら『倒閣運動』が起きるかもしれませんよ」と脅したのである。こうした内幕は前著『官僚との死闘七〇〇日』でも触れたので、この程度にとどめておく。                                                35
 
財政審の実態に触れて、次第に息苦しさを覚えた面もある。
財政審は財務省主計局が牛耳っている「審議会中の審議会」といっていい。6月と11月の年2回、財務相に対して予算編成に対する基本的考え方(6月)や建議(11月)を提出するのが仕事である。その前に、それぞれ数回ずつ会議を開いて議論を交わすのだが、この議論はほとんど「儀式」に近い。
主計局が議論してもらいたい論点について、主計官が事前に委員を訪ねて「ご説明」する。あらかじめ質問や答弁内容について打ち合わせするのである。私のところにも、よく主計官が事前説明にやってきた。
会議自体もあらかじめ予行演習している。副大臣が財政審会長役を務め、主計官や主計局次長らが出席し、事前に委員からの質問と主計官の答弁を練習するのだ。本番での質問は、もちろん適当な委員に事前に振り分けてある。質問も答弁も同じ主計官が書いている
のだから、答弁はよどみなく完壁になる。                                        36
私は最初のころ、答弁のよどみなさに文字通り、感嘆したものだ。「これほどまでに、質問に完壁に答えられるとは、さすがは財務省の主計官だ。とてもほかではマネができない」と素朴に思い込んでいた。実際には、シナリオが事前に用意されて練習しているのだから、当たり前である。
会議には進行の時間表もある。毎回、委員の机の前には、進行表が配付されていて「このテーマで10分、あのテーマで20分」などと書かれている。実際には、主計官の説明時間が長くなったりするので、委員同士の討議の時間は少なくなる。
ある主計官は「私はストップウオッチで時間を計りながら、事前に説明の音読練習をしている。先輩の主計官が『おれの説明で7分半使うから、おまえは2分半でいい』と言うので、時間をオーバーできないんです」と嘆いていた。
財務官僚にとっては、財政審の議論を無事にこなしていくのは、本人の能力評価に直結する最重要事項なのだ。
だから、不規則発言のようなガチンコ質問は当然、歓迎されない。
私は宗旨替えしてから、そうした主計官が嫌がる不規則質問を繰り返してみた。すると、それなりに答えが返ってくる。それくらいの能力はある。会議が儀式になっているのは、個人の能力を信頼していないというより、官僚にとって審議会は議論の場ではなく「有識者のご意見も拝聴しました」と形式を整えて、実行しようとする政策を権威付け、正当化するための手段と位置づけられているからだ。
政策や議論の方向性はあらかじめ決まっている。だから審議会委員の一人や二人が異論を唱えても無駄だ。そんな意見で政策が変わることはありえない。
財務省の目標は増税の実現である。財務省は経済危機に直面して、財政再建を棚上げした格好だが、増税をけっしてあきらめていない。      以下省略・・・・・・

島崎義治 さんのコメント...

貴重な資料、ご意見ありがとうございます。

プロ野球でも権力志向の某1球団の寡占化を防ぐためにくじによるドラフト会議が開かれるようになりました。

国政の場でも、偶発性をとり入れることが必要かもしれません。

いつもありがとうございます。ご支援よろしくお願いいたします。