2009年7月24日

選択的認知と選択的非認知

「問題が起きていることを認めないと、「選択的認知」といって、自分に都合のいい情報ばかり認識するようになって、問題解決からどんどん遠ざかってしまいます。虫歯の例はその典型で、初期なら、ほんの少し歯を削るだけで済んだはずなのに、悪化させて神経を抜かなければならなくなったりするのです。

それでは、問題を認めると、どのような、いいことがあるのでしょうか。
問題を認めると、逆に、それを解決するための「選択的認知」を始めるようになります。なぜなら、その問題は不快なので、なるべく早く解決しようとするためです。 」

問題は当事者が認めるまで悪化するのだと勝間和代さんは書いています。

(http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.htmlahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.htmlahi.com/business/topics/katsuma/TKY200907190104.html より)

問題が起きていることを認めていながら、それゆえにその問題を隠蔽したり、正当化しようとする動きが多々あります。 むしろ、選択的非認知。

それは自閉性組織の末路です。そこにはいくつものベールに包まれ、真実を覆い隠している何かがあります。専門家や有識者で構成されるお雇い委員会の所在です。閉鎖性回路をさらに強固にしてゆきます。

「公共事業の無駄の判断は難しいものです。東京に住んでいる身としては、静岡空港は無駄に見えますが、静岡県の何人かの住民にとっては必要不可欠なインフラなのかもしれません。」(JMMへの投稿より抜粋/メリルリンチ ストラテジスト菊地正俊氏)と言われる、 先月開港した「人と自然にやさしい」人工台地のような富士山静岡空港。これだけの環境破壊をやれば1900億円くらいはかかったでしょう。専門家もその数字の妥当性を認めています。

何人かにとって必要不可欠であることは間違いないでしょう。しかし、何人の住民がどこへ行くためのインフラなのでしょうか。一日12-3便、それも千歳、小松、福岡、熊本、鹿児島、那覇、ソウル、シャンハイ行きだけで利用者の要求を満たすことができたのでしょうか。

空港建設の経緯は、昭和62年 12月 空港建設予定地を榛原・島田に決定し、平成10年 11月 本体工事起工式 がとり行われたにもかかわらず、ここで県民から反対運動がおこり、平成13年 9月 臨時県議会にて住民投票条例案を否決し、平成14年 1月 空港タウンミーティング、空港専門家委員会での検討を経て空港の必要性を検証し、そして、開港しました。

その空港専門家委員会では様々な検討がなされていますが、問題は1点、1900億円に対する需要効果のはず。(報告書 https://www2.pref.shizuoka.jp/all/file_download1130.nsf/7DBA66CFCC0F65E849257398002C6F13/$FILE/iinkaitorimatome.pdf
空港専門委員会 http://www.pref.shizuoka.jp/kuukou/contents/ayumi/kaigi/senmon/index.html )

突っ走る閉鎖性組織、それを諌め、止めるのは倫理観を持った有能な専門家であるはず、、、、、。彼らの役割は静岡のアイデンティティを常に発掘し、その確かなビジョンを構築することにあります。それを社会に還元することが専門家や有識者の大切な役割です。

僕は東海道新幹線で毎週東京と愛知を往復していますが、通り過ぎる駅はと言えば、掛川も静岡も富士も三島もどの駅もみな同じ形、さびしい駅ばかりです。しかも静岡のアイデンティティ富士山、その山麓の工場地帯のひどさは相変わらずです。これでは誰も寄り付かない。弥次さんも喜多さんも嘆いていることでしょう。

東京と関西を新幹線で往復する観光客も、ビジネスマンも驚くほど多いはずです。いつの時代においても日本の重要なインフラであることは間違いでしょう。その東海道を豊かにし、活性化させることが江戸期以来のこの地域の役割であり、課題なのではないのでしょうか。そこに静岡の生き残る道がある、、、、。普通に選択的認知を行えば、そうなるはずなのですが。

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