2009年7月1日

エコとはecology ?

エコとは何でしょうか。


日本のエコ住宅って、外壁を密閉化し、内部の空間をできるだけ外気から閉ざし、高効率空間を作ろうとするものなのではないでしょうか。それは単なる省エネルギー住宅であったり、高密閉住宅であったり、徹底した工業製品化された住宅であったりします。

エコカーって、積載したエンジンの稼働力と遠くの町の発電所から送られてくるエネルギーによって動いているだけでは?

エコ家電って、ランニングコスト重視と言い、買い替えばかりを押しつける高度成長期と何ら変わりないのでは?などと考えてしまいます。


最近、どの企業も環境に対してなかよしだとか、やさしさだとか、配慮だとか、声高に語ります。そして、自己の効率度が一番であると社会にアピールします。


しかしながら、一つの交通手段の効率度を強調しても社会は変わらないでしょう。様々な交通体系、交通手段を連携させ、つながりをつくってゆくことが重要なのではないでしょうか。鉄道だけですべてを論じるなんて不可能です。

営業する自らの地域が何故、車社会から逃れられないのかを考えたことはあるのでしょうか。

同じ系列会社であるバスのサービスはどうなっているのでしょう。自らの利益のためにコミュニティバスに制約をかけたり排除しているようなことはないでしょうか。

現在禁止している電車の中にそのまま自転車を持ち込むことを許せば、あふれんばかりの自転車置き場の問題も、環境問題も、そして健康の問題も一気に解決してしまいますね。エコとは単なる企業の利潤追及の場ではないはずです。

どれもこれもエコがecology を起源とするものなのか、economyを起源とするものなのか分からなくなってきました。

エコとエコロジーは全く異なる概念なんだと感じざるを得ません。

エコロジーとは様々なつながりのなかに私たちがいることを認識する研究領域です。太陽の光が明るさを持ち込み、そのエネルギーを与えてくれる。森の緑が風を起こし、空気を浄化する。鳥や木々の生気を運び、人の生活を潤わせる。そうした人の生活はつながって森のようなコミュニティとなり、大きな力となって生態都市となります。

つながりを生み出してゆくこと、永続的に生み出してゆくことが持続可能な社会の始まりであって、エコロジーとはそのような永遠につながる連携のことではないでしょうか。

人の思いはアートと出会って、形を作ってゆく。そのものづくりのストーリーは次々とつながってゆくことでアートは深い形をなしてゆく。ものづくりのストーリーは正直であり、なすがままであり、自然なものであり、恣意的な間違ったプロセスからは素直な形は生まれないものです。

それらの所作は練習と情熱によって自然な形をなすようになる。それがものづくりの精神です。アートやものづくりと自然とはその筋道のところで似ているのだと思うのです。形を崩すのは人間の大げさな所作であったり、エゴであったり、、、、。

今社会を席捲しているエコとはつながりを排除し、つながりを閉ざすことによって高効率化や高エネルギー化を目指し、研ぎ澄ましてゆくものです。エコロジーとは少し異なるものと思う。そう、エコとはエゴ。

2 件のコメント:

くろきち さんのコメント...

同感です。
経済優先の仕組みを変えることこそがecoへと繋がると思います。
メディアがその部分へ踏み込まないことも問題です。

でも市民レベルでは、意識改革が確実に進んでいることを感じるこの頃です。
希望はあると思う。

島崎義治 さんのコメント...

いつもありがとうございます。
小さくてもいいのでどこかで仕組みを変えたいですね。変えねばなりませんね。

くろきちさんがおっしゃっているように言い続けて、言い続けることで市民自らメディアとなるしかないかもしれません。

また、ぜひご支援よろしくお願いいたします。