2009年7月26日

公務員の道

「地方公務員の中途採用試験で、年齢制限を撤廃する動きが急速に広がっている。横浜市では、昨年度の「社会人採用試験」で受験可能年齢を31~59歳と広げた結果、この春に50代前半の職員も誕生した。厳しい雇用情勢が続く中、地方自治体に新たな活躍の場を見いだす道も開かれつつある。」

「横浜市では、「組織を活性化し、市政への多様なニーズに応える」(人事委員会事務局任用課)ため、2006年度から実施している社会人採用試験を受験上限年齢59歳に引き上げたところ、2723人の申し込みがあり、95人を採用したといいます。合格者はメーカー、金融、情報システムなど様々な業界からの転職者であり、「自分の能力やキャリアをどのように生かすか明確なビジョン持っていた」という。」(http://job.yomiuri.co.jp/news/special/sp_09072301.htm?from=yoltop より)

民間で鍛えてきた専門的能力を持つ彼らが閉鎖性組織の解体のきっかけとなるのか、それとも硬い殻の中に取り込まれてしまうのか。

肥大化し、硬直化した組織を解きほぐし、再構築することなど至難の業ではないか、むしろ金融マネージメントや情報システム、医療ネットワークや環境保全ネットワークなどこれまで行政にはなかった総合的かつ専門的な領域に携わる職員を特別に配置することでしか、組織の横断と融合とが図れないのではないかと切実に感じています。

組織改革の旗手であるトップと中途採用で組織に組み込まれる触媒体とがどのように地方自治に風穴を開けるか興味深いところです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この頃、目にするフレーズがあります。それが下です
「任せる政治から引き受ける政治へ」

朝日新聞2009年7月22日 (水) オピニオン 「09政権選択」
若い世代が見た争点  座談会  
宮台(みやだい)真司(首都大学東京教授) 氏の発言の一部
 僕は「任せる政治から引き受ける政治へ」だと考えています。官僚や政治家任せの政治を、市民が自分たちで決める政治に変えられるかです。「不完全な市民に代わって霞が関の官僚がコントロールする図式を、市民が自らコントロールする図式に変える。今後はどこの国でも「小さな国家」しかありえません。その代り「大きな社会」、相互扶助的な社会を作れるかどうかが鍵です。 (以下省略」


ダイヤモンドオンライン
【民主党政権が実現すると、何がどう変わるか?】
◆民主党政権の“ディスクロージャー”で問われる市民の覚悟
神保哲生(ジャーナリスト)  【第2回】 2009年07月23日
http://web.diamond.jp/rd/m408189

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社会をよくするのも市民、悪くするのも市民

 前回お伝えした「まかせる政治から引き受ける政治へ」は、まさにこのことを指す。情報公開さえ進めば、自動的に世の中の見える化が進み、結果としてより良い社会が達成されるというほど民主主義は甘くない。そもそもディスクロージャーという考え方自体が、「どこかの誰かがその制度を利用して社会の透明化を進めてくれるに違いない」という他力本願の発想を前提にしているものではないのだ。市民1人ひとりが情報公開の結果を引き受ける覚悟が必要になる。
 むしろ、ディスクロージャーの推進によって、これまで情報を公開しない代わりにすべての責任を引き受けてきた(いざ問題が起きたときは責任逃れをするが)官僚の責任は軽くなり、その分、市民の責任が重くなることを十分に認識しておく必要がある。
 
 情報が公開されているのだから、市民は意思決定に参加することもできるし、異議申し立てをすることも可能だ。つまり、ディスクロージャーが十分に保障された制度の下で行われた政府の意思決定には、自動的に市民も参加していることになる。少なくとも、政府が勝手に決めたことだとは言えなくなる。
 
 ディスクロージャーというのは、一見、よいことづくめに思えるかもしれないが、実は市民に対して重い責任を背負う覚悟を求める制度なのである。ディスクロージャーが進む民主党政権下の日本では、社会が良くなるか悪くなるかを、これまでのように「お上」のせいにすることはできない。社会をよくするのも市民、悪くするのも市民。それがディスクロージャー政治のもう一つの顔なのだ。
 そしてそれこそ、民主党政権が「まかせる政治から引き受ける政治」への転換を意味すると筆者が繰り返し説く理由でもある。

島崎義治 さんのコメント...

いつもありがとうございます。

神保氏というのは市民の弱みにつけこむ、恐怖型ジャーナリストなのでしょうか?

覚悟すべきはまずは市民一人ひとりではなく、メディアや地方自治であり、そこから淘汰されてゆくのではないかと思うのです。

しかし、将来的には地方自治体から市民へと影響は及ぶでしょうし、地方行政マンの硬直性と地方市民の閉鎖性が手を取り合うとき、地方はどうなるのか、、、、、。歴史の速度がゆるやかになって熟成されるかもしれませんし、あるいは取り残されるかもしれませんね。