まずは著者自身も断っている。こういうことを書くからといってCO2削減や省エネルギー自体を問題にしているのではないと、、、、。
最近こちらの方が本物のような気がしてきました。
空気は窒素と酸素でほぼできていて、窒素が3/4、酸素が1/4であり、組成率は99%ほど、小学校の理科の時間に習いましたが、その後も大きな変化はないようです。一方CO2は0.054%。それほど少ないCO2が地球に影響を与えるのか不思議です。わずかなCO2によって温暖化が起こっているのなら、気温の上昇が海水温上昇によるCO2の増加を引き起こし、さらにそのCO2が温暖化を引き起こしてゆく、更なる温暖化を呼びCO2の生じる割合は加速度的に大きくなり、不可逆的なサイクルに陥ります。46億年のこれまでの歴史のなかでそういうことはなかったのでしょうか。
本書は科学のいろいろの側面を描いてあります。CO2温暖化論とは、スーパーコンピューターを使ったシミュレーションによる警告です。気温の変化にもっと重大な影響を持つ雲の発生は発生量を定量化できないゆえにネグレクトされているそうです。温暖化により、グリーンランドの氷がすべて解けて海面が6m上昇するという予測も、一元的な入力だけだは、スーパーコンピューターの神話的側面と言えるだけでシミュレーションとは言えないでしょう。
CO2削減論やその戦術には単なる経済的視野のもの、自己広告的なものも多数含まれています。バイオマスの専門家である私の友人は低炭素化社会に向けた運動や事業には玉石混淆、嘘も多く、「見分ける目を持たねばならない」と言っています。
一元的で盲目的な加速度の行く先はどうなるのでしょうか。科学者が言っているのだから間違いがないというのは間違いでしょう。むしろ。まだまだわからないことの方が多いのではないかと思います。わからないことをわかったことのように決めつけてゆく、脚色してゆくことの方が怖いことです。
科学といえど、政治的な、あるいは経済的な政略に理論を誇張することもあるのではないかと感じられます。科学理論もいろいろの理論を無節操につまみ食いしてゆけば、新たな、そして歪んだ理論も構築できてしまうのではないでしょうか。
世界で政治的リーダーシップを取れない日本が唯一取れるテーマ、それが「京都議定書」の遵守であり、地球温暖化防止に向けた活動かもしれません。環境省もここぞとばかり驚くほど強い口調で不安を駆り立てるかのように主張しています。宗教的ですらあります。テーマが抽象的でステイクホルダーが見当たらないのかもしれません。http://www.env.go.jp/earth/ondanka/stop2008/full.pdf
一元的な犯人探しで、一度決めたら一途に邁進。それがどのような意味を持とうが家計簿の1円までもそぎ落としてゆくように取り組む。不要なものは落とせばいいが、却ってデメリットもあるはず。
ここに大きな問題が潜んでいるようでなりません。もっと、根本的なエコロジーの考えや生活スタイルが重要だろうと感じます。
一心不乱にCO2の削減に取り組んでゆく姿は百鬼夜行のようでもあり、もっとゆるやかに社会と接する必要があるのではないでしょうか。低炭素化社会を語る一部の経済至上主義者に騙されずに、本当のエコロジーを見つめてゆきませんか。
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