2009年8月8日

旧峯岸水車場/三鷹市

「20年の研究実る 立川・小坂教諭 昨年申請、先月認定

三鷹市大沢の「旧峯岸水車場」が、今年度の機械遺産に認定された。認定に向けた陰の功労者が、立川市錦町の小学校教諭小坂克信さん(60)だ。約20年前から社会科の授業を通じて関心を持ち、研究を始めた。このほど研究をまとめた冊子も完成し、二重の喜びに包まれている。


同水車場は江戸時代後期から、野川の河川改修で取水できなくなる1968年までの約160年間稼働。


明治30年(1897年)当時、都内には水車が710台あったが、同水車場は当時の状態で保存されている唯一の存在とされる。98年には都有形民俗文化財に指定された。通称「新車(しんぐるま)」と呼ばれ、現在の所有者の三鷹市が一般公開している。


小坂さんは約20年前、社会科授業に関連して玉川上水を調べた際、都内に多くの水車があったことを知った。「水車に見られる木工の技術の高さや芸術性、自然エネルギーや地域の食生活という観点から学ぶ点が多い」ことが研究を始めたきっかけだった。」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news/20090805-OYT8T01094.htm?from=dmst3 より)



地域の資源やエネルギーによって社会が動いていたころ、多くの町で水車がその活動を担っていたようです。繊維の地域、岡崎など三河地方もすぐれた産業の町でした。そのころの遺構が残っていたり、今も動いていたりします。思っている以上に多くが残されていますが、そのほぼすべてが顧みられず、解体を待っている状態です。そこには煉瓦の工場や煙突、川に寄り添って作られた個人経営の工場や水車、そこで稼働していたがら紡など固有の紡績機械など、それら大切な資産もすべて同じ運命をたどってしまいます。

先進的地域では、古くは1970年代紡績工場を保存し、新たな施設、アイビースクエアとして継承した倉敷市をはじめ、今ではどこの町でも自らのアイデンティティを探し求めて、試行を始めています。価値がどこに見いだせるか、見出さなければならないか、必死の思いなのです。


一方で、未だ地域の資産を理解できずに解体し、東京の古い洋風木造邸宅を移築保存しようとする岡崎市。民意を無視し、まち育てセンターなるGONPOを使い、東京の建築史研究者に翻弄されています。→ref:岡崎市旧本多邸活用検討委員会議事録

彼らは結果ありきの活用検討委員会や市民会議で自らのアイデンティティを解体させようと自虐行為に取り組んでいるかのようです。地域の文化や歴史が理解できないだけではなく、それらによって生じる経済のシーズすらも放棄しています。


こういうニュースが流れるたびに、このまま地方分権してゆけるのか、疑問を感じます。地方自治が自立するために不可欠なもの、弱者や市民に強く、権力や権威に弱いその体質を改めてゆく必要があるようです。


江戸時代末期、志に燃え独自の視点を持ったいくつかの藩と、そのような時代においてすら、それでも時代に翻弄され揺れた藩、、、、。その構図は地方自治の時代になった時に再び浮かび上がってくるのではないかと案じています。

地方分権時代とは地域平等の時代ではなく、リーダーや市民のありようによって地域格差が広がる時代と言えそうです。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「ナショナルミニマム」という言葉を国会などでよく見聞きしていたのに、いつの間にか忘れ去られたような気がします
自治体の格差が「ナショナルミニマム」を維持できなくなったからではと思い
「夕張市」で検索したら4番目にこんなのがありました
1. 「皆で渡れば・・・」――夕張の財政破綻では終わらない「集団的無責任 ...
しかし、その夕張が財政破綻したのです。夕張市は先週、企業で言えば会社更生法にあたる財政再建団体の指定を申請すると表明しました。 ... これこそ夕張市の財政破綻までの心理的な道のりです。「赤信号、皆で渡れば怖くない」なのです。 ...
it.nikkei.co.jp/business/column/sou_tanto.aspx?n...


http://it.nikkei.co.jp/business/column/sou_tanto.aspx?n=MMITzv000023062006
『宋文洲の単刀直入』 [2006年6月26日]
「皆で渡れば・・・」――夕張の財政破綻では終わらない「集団的無責任」

 私が最初に訪ねた日本の観光地は北海道の夕張市でした。中国から北海道大学に留学して、その時の専攻が鉱山だったため、まず日本の鉱山を見てみたかったのです。しかし、機械の騒音も炭鉱夫の煤っぽい顔もありませんでした。私が日本に来る前からすでに炭鉱跡は立派な博物館になっていました。
 夕張はクリーンで静かな町でした。おいしい夕張メロン、国際的に知られる映画祭、素朴な土地柄。私は夕張が大好きでよくデートで行きました。夕張の思い出は夕張メロンのようにスイートです。
 しかし、その夕張が財政破綻したのです。夕張市は先週、企業で言えば会社更生法にあたる財政再建団体の指定を申請すると表明しました。どれだけひどいかというと、「夕張さん」という年収400万円の人が、6000万円近い借金を抱えたようなものです。ゼロ金利政策の助けがなければ金利を払うだけで年収の半分は飛んでしまいます。
 夕張さんは十数年前から既に今のような状況であることを知りながら、借金を重ねていました。そして何の心配もなく散財し続けました。夕張市周辺の道路は立派です。あまり集落のないところにも立派な道路を作りました。
 私はそれをみたときに思いました。日本は素晴らしい国だ。世界中からお金を稼ぎ、お金が余っているからすみずみまで立派な道路が作れると。

博物館などがある石炭の歴史村=夕張市
 しかし、夕張市には輸出企業もなければ炭鉱に代わって税収を担うほどの地場産業もありません。住民は減りましたが役所の人数や補助金はさほど変わりません。頼っているのは全部借金でした。
 夕張市の住民も市役所の職員も、誰一人として借金をするのが好きな人はいないと思います。彼らは個人としては、収入に見合うような支出を行い、返せないような借金はしていないと思います。しかし、皆が集まってしまえば、借金はぜんぜん怖くないようです。
 なぜなら、その借金は必ず誰かがいずれ返してくれると思っているからです。借金を返すお金を、市民からはとらない、市長からも議員からもとらないと知っているからです。その借金は間違いなく全国の人から集められて再分配される税金によって、返されると思っているからです。大阪府も神戸市もその他の自治体も皆が借金しているのに、こちらが借金しないと損をした気分になるのでしょう。

 どうせ後で皆で「ツケ」を払うなら、どうせ皆で借金するなら、どうにもお手上げになるまでは無理して解決する必要もありません。コストを削ることも職員を減らすことも補助金を減額することも、どれもこれも不人気で反発を招きます。しかもやったからといって誰の得にもなりません。だから嫌われてまでやる人がいる方がおかしいのです。
 これこそ夕張市の財政破綻までの心理的な道のりです。「赤信号、皆で渡れば怖くない」なのです。

 子供に金銭を与え続けるといつまでも成人しません。三位一体改革などの議論もありますが、中央が地方の財政に資金を投入し続けると地方はいつになっても自立しません。最後は必ず全国民の税金で始末してもらえると思えば、慌ててコスト管理して、あえて近所の人々の反発を買うことはありません。
 北海道の高速道路も夕張の農道も、東京湾アクアラインも構図は同じだと思います。政治家は地方に税金をばら撒くことで当選を狙い、住民は一票の権利を行使することで地元により多くの権益を要求します。
 民主主義政治ですから、誰も非難しようがありませんが、知らないうちに日本は経済的には社会主義以上の中央集権国家になっています。「全ての道がローマに通ずる」ように全ての税金は中央に集まっていて、それを政治家と官僚の権力を行使する道具にしています。
 本来、政治は触れたくないテーマなのですが、財政破綻を真剣に考える場合、個人と国家との関わり方は避けて通れません。外国人の私は日本の政治に口を挟みたくはないのですが、無機の分析手法としてお許しください。
 日本は多くの点で国家社会主義の特徴をもっています。これは悪いか良いかの議論ではなく、事実です。民主主義だからといって社会主義にならないとは限りません。国民が国家を「お上」として受け入れたときから、政府は民主社会主義の要素を帯びます。国民が一党だけに政権を与え続ければ、政治は民主独裁の特徴を有します。
 個人が国家に頼る以上、必ず集団的無責任が起きます。「赤信号でも皆でわたれば怖くない」は、「借金でも皆で借りれば怖くない」ことになり、「破綻しても国民全体で処理すれば何とかなる」ことになります。
 私の思い出の地の夕張の財政は破綻しました。理由は収入の10倍の借金があるからです。国と地方を考えれば、日本全体ではそれよりもっと重い借金を抱えています。それでも真剣にならない官僚と政治家たち。彼らはきっと同じ本音を持っています。「皆で借りれば怖くない……」。

 「夕張の皆さん、怖いことは何もありません。国の方がもっと借金しているから」。これが大好きな夕張の皆さんへの激励の言葉です。
[2006年6月26日]

島崎義治 さんのコメント...

いつもありがとうございます。

ナショナルミニマムとは国民の、市民の最低限の生活をサービスできることですね。誰かを養うために不要な制度や組織を作り続けた結果、手に負えなくなってしまったかのようです。
ナショナルミニマムを確保した上で借金返済をしなければなりません。破綻の定義をきちんと考える必要がありますね。

しかし、
この期に及んで誰が国債を買っているのでしょうか?
「すぐに分かる、個人向け国債の7つの基本
(http://www.ksirrt.com/)

[1] 国債は国が借り主で、銀行の定期預金と同じく安全性の高い金融商品です。
[2] 個人向け国債には、固定5年と変動10年の2タイプがあります。
[3] インフレリスクなどを考えると、個人向け国債変動10年がより安心できます。
[4] 元本は価格変動のリスクがなく、0.05%の最低金利が保証されています。
[5] 中途換金もできます。
[6] ペーパーレスなので、紛失や盗難の恐れがありません。
[7] 購入先の金融機関が破綻しても、国債は保護されます。」

[8] 国家が破綻すれば、国債は保護されません。

匿名 さんのコメント...

直前の送信がエラーの可能性ありです
再度送らせていただきます
重複していたら、削除
お願いします

郵政改革前までは郵便預金や郵便保険?が集めた百兆単位のお金が財務省指導:指示で?国債で資金運用されていたのでは?
十年ほど前からは個人向け国債のTVコマーシャルがながれていましたよね?
確定利回りの国債は、後で金利が上がればその価値が暴落すると教えられた気がします
幸田真音『日本国債』上・下巻(2000年、文藝春秋)を読みましたが文庫本になったようです

日本国債〈上〉 (講談社文庫) (文庫)
幸田 真音 (著)

商品の説明
Amazon.co.jp
「無能な政府の財政ビジョンが、国債乱発という安易な手段に頼りすぎ、しかもその国債の発行がいかに不安定な現状に依存しているか。そして、それをじっと我慢して支えてきたわれわれを、いかにないがしろにしてきたか。ここらで一発思い知らせてやるんです」。国債の取り引きを担当するトレーダーたちがこぞって入札をボイコット。この「未達」によって国債市場が暴落し、金利は高騰。株式市場はかつてない値崩れを起こし、日本発の金融恐慌として世界を震撼させる。未達によって命を狙われるトレーダー。未達を起こすことで得をするのはいったい誰か――。
外資系金融企業で日本国債のトレーダーも経験した著者による経済小説が本書。分刻みで億単位の取り引きを行うディーリングルームの描写が克明で、市場の激しい動きに対応するトレーダーたちの緊迫感がリアルに伝わる。小説はサスペンスの味つけが施されているので謎解きに引き込まれながら読み進むうちに、素人にもおぼろげながら公債発行のメカニズムや売買形態、そして魔物のような金融マーケットの輪郭が見えてくるしくみだ。
国債という名の借金の先送り。金利の支払いがますます財政悪化を招き、個人や一般企業ならとっくに破綻に追い詰められる状況にもかかわらず、毎年打ち出の小槌が振られ続ける。このツケを払うのはいったい誰なのか。国債売買当事者であるトレーダーたちの強い懸念は、そのまま読者と日本社会への問題提起になっている。(松浦恭子) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

出版社/著者からの内容紹介
「この国が破産する!」
日本経済の危機を予見したベストセラー、最新データによる改訂版!

日本国債のディーラーが遭った不審な交通事故。直属の部下・朝倉多希が任された翌週の入札で異常事態が発生した。未達(みたつ)――国の募集総額に対し応札額が大幅に不足。「この国が破産する」未曾有の危機の背後には壮大な罠が。膨大な取材と卓越した視点が冴える迫真の経済小説。最新データによる待望の改訂版。