2009年8月12日

ローカルマニフェスト

福岡県大木町、石川潤一町長のマニフェストは、どちらともとれるあいまいな表現ではなく、行間に真実が隠されたようなまがいものでもなく、町の推進政策として、簡潔かつ具体的に、また秩序だてて書かれています。

町長のリーダーシップがよく表わされています。
(http://www.town.oki.fukuoka.jp/chouchou/chouchou_7.htm より)

「大木町のビジョン
・行財政改革を通して未来へ投資
無駄なものはすべてなくし、切り詰めるところはきちんと切り詰め、情報公開を通して住民の皆さんにしっかりと評価してもらう仕組みをつくります。 行財政改革は最重要課題ですが、切り詰めるだけ切り詰めて、「その先には何もない」では夢も希望も持てません。地域の活力、人の元気まで削ぎ落とすことになってしまいます。 行財政改革の最終目標は、住民一人ひとりが未来に夢や希望を持って暮らしてもらい、その夢や希望を住民の皆さんと一緒になって実現していくことです。そのために、コスト削減は徹底的に行い、そこで生み出された財源は、大木町の未来のため、そして、未来を担う子どもたちに、しっかりと投資をしていきます。 行財政改革を進めていくためには、エンジンが必要となります。そのエンジンとなるのが町職員であり、その職員のやる気を引き出すことが私の最大の役割です。職員一人ひとりにきちんと向き合って、できない職員には徹底的に指導します。100人程度の職員数だからやれるのです。
・世界に誇れる循環のまちづくり
高額の税金をかけてごみ処理する方法は、地球温暖化などの深刻な環境問題を起こし、子どもたちの未来に大きなつけを残しています。大木町は住民との協働により、ごみを資源として地域の中で循環利用し、環境を壊さない持続可能な暮らしを築いて次の世代に引き継ぎます。そして大木町で暮らすことが、住民一人ひとりの誇りになるような世界に誇れる循環のまちづくりを目指します。

すぐに行う重要施策
1.着実な行財政改革の実現
2.子育て支援の充実
3.住民視点によるサービスの向上

4年間で行う重要施策
1.図書施設・ホールの整備
2.「もったいない(ごみを出さない)宣言」を通した循環のまちづくりと財源づくりの実現
3.地域のがんばりをしっかり町が応援する制度の創設 
各小学校区に、地元の町職員を中心に校区担当職員を置き、誰でも参加できる「校区まちづくり会議」をつくります。地域課題を掘り起こし、地域計画をつくり、その事業に予算を付けていく制度をつくります。「自ら考え・自ら行動する」ことを通して、地域に愛着と誇りを持ってもらうまちづくりを目指します。

行財政改革の具体策
1.町長の報酬・賞与の削減、交際費の削減
2.職員の管理の徹底、助役の廃止
決済規程の見直しと住民視点による現場の決定権を大きくし、併せて各課で目標をつくり公表することで責任を明らかにするとともに、職員の「やる気」を最大限発揮させます。
3.職員の人件費、物件費の削減

大木町の地域活性化のための具体策
1.町の強みを活かした交流人口の増加
2.高齢者や障がいを持った方の社会参加の促進
3.環境にやさしく、人が元気になる農業の推進

・・・・・・・」

ローカルマニフェスト進捗状況が公開されていますが、まだまだ、定量的な成果であり、その成果も各部署ごとの報告になっています。(http://www.town.oki.fukuoka.jp/chouchou/chouchou_22.htm

「そのエンジンとなるのが町職員であり、その職員のやる気を引き出すことが私の最大の役割です。職員一人ひとりにきちんと向き合って、できない職員には徹底的に指導します。100人程度の職員数だからやれるのです。」

しかし、こうした活動を真摯に遂行してゆく時、一つの部署ではとても取り組むことはできず、融合的、有機的組織へと移行してゆくのではないかと期待します。

どのような大きな都市も一つひとつの町が集積して構築されているように、また、どのような組織も単位となる数人のチームから組織が組みあがっているように、数千人、数万人にも上る肥大化した組織も、100人程度の組織が可能とする改革から始めてゆくことができるはずです。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「エセ地方分権的“道州制”では、日本は変わらない!」
慶応義塾大学 片山善博教授
核心インタビュー 第14回 2009年08月12日

http://diamond.jp/series/dol_report/10014/ (ダイヤモンド・オンライン)全文はここで

・・・・・・省略
民主党は“中央集権的エセ地方分権” から“草の根型地方分権”へ

――― 一方の民主党は、地方分権改革についてどのように考えているのか?

 今の自民党と同様に、従来民主党は、「自治体を300にする」といった『上から目線』の手法による自治体再編・権限委譲を発想していた。

 ところが、今回の選挙からその考え方を転換している。『インデックス2009』という政権公約では、「自治体が自発的・自主的に成長するのを支援し、自然に規模が大きくなる際に、その延長として道州制も考えたらいいのではないか」という意図を読み取ることができる。
 これは、上から強引に再編の音頭をとるのではなく、草の根から自治体を支え、自治体が自立的に成長するよう支援する、「本来の地方自治や地方分権」に根ざした発想だ。

次のページ
「道州制導入」は知事会の総意ではない

たとえば、「住民投票法の制定」だ。これは、議会がもっと機能するよう、定数などを自由に決められ、柔軟で多様な選択肢のある議会制度を目指すものだ。地味だが、「草の根から地方自治を発展させよう」とする姿勢がみられる。

 民主党は、“中央集権的エセ地方分権”から“草の根型地方分権”へ転換したと言ってもよい。
 彼らのマニフェストに「道州制や自治体再編という文言が入っていないから評価できない」という人がいれば、「地方分権を理解していない」と言わざるを得ないだろう。
 未知数ではあるが、民主党政権が成立すれば、場合によっては地方自治のあり方が大きく変化するかもしれない。民主党は霞が関改革を謳っており、それが実現できれば、国と地方の関係も変化する。
 そうなれば、国が上から自治体を再編しようとするのではなく、住民が自発的に自治を行なう地方分権スタイルになるのではないか。
 本当の地方自治というのは、「必要なものを自分たちで日々選択して行くこと」である。そういう選択ができる仕組みを整備していくのが、真の地方分権改革と言えよう。

省略
「住民自治」を無視した知事会の意向は
住民の意思ではない

――― 道州制以外で、地方分権の仕組みとして考えられるものはあるのか?
 現在の47都道府県・約1700の市町村を前提としても、地方分権を行なうことはできる。

 究極の地方分権とは、住民の政治参加機会の拡大、つまり住民の意向・意識ができるだけ自治体行政に反映される仕組み作りであり、再編をすることではないからだ。それを実現させるためのポイントが2つある。

次のページ
地方自治とは、本来非効率なもの

 1つは、自治体へ権限を委譲し、霞が関の関与を廃止することだ。遥か遠方の霞が関に権限があるよりは、自治体にあったほうが住民の意向は反映し易い。

 もう1つは、住民にとって意向が反映され易い体質の自治体にすることだ。国と自治体との関係だけでなく、自治体内部の問題としてもそういう仕組みが必要である。
 たとえば、巨額の資金を使ったハコモノ建設は住民投票で決めるようにするなど、議会や首長を正し、場合によっては引きずり下ろせる仕組みだ。

 1点目の権限委譲を「団体自治」、2点目の住民の意思を反映し易くすることを「住民自治」という。その2つを進めるのは、今でも可能である。

しかし、今知事会が騒いでいる“地方分権”とは、前者の「団体自治」だけだ。要するに、国と自治体との関係だけで「自治体を自由にせよ、権限と金をよこせ」というのが「知事会的な地方分権」だ。
 ということは、団体自治の根本がずれていたら、住民にとってはなんの意味もない。だからこそ、自治体を正せる住民投票や、議会へのチェック能力を高めるような改革が必要であろう。その両方があって、初めて地方分権と言える。

 道州制や地方分権の議論について、「知事会の言っていることが“是”であり、住民の総意だ」という印象を与える報道も多い。しかし前述のように、それは間違いであり、「住民に誤解を与えるのではないか」と懸念している。

 というのも、知事会の一番の悲願は、「消費税の税率を上げ、その分け前である地方消費税をもらうこと」だからだ。それは住民にとってありがたいことだろうか。「そんな増税をするくらいなら、もっと無駄をなくして身軽になり、行革をしろ」というのが、住民のホンネだろう。

 現在、知事会は各党のマニフェストを採点しているが、それは決して国民のためではなく、彼らのための採点基準に過ぎないのだ。増税論などをはじめ、知事会の地方分権は、住民と利害がバッティングすることが多い。名付けて「知事会の知事会による知事会のための地方分権」と言えるだろう。

省略
多少非効率でも、「自分たちのことは自分たちで決められる満足度の高い状態を」作ることこそ、地方自治の原理なのだ。

匿名 さんのコメント...

自治体改革が成功している例が少しずつ姿を現してきていますね
身近な自治体も、「経費節減」と「普通の住民の生活の質の向上」が並立するようにもっと努力して欲しいもです

錦の御旗の「地方分権」(1/3)

あらたにす    新聞案内人
http://allatanys.jp/B001/UGC020005220090813COK00362.html

栗田 亘 コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者 経歴はこちら>>

「この紋所が目に入らぬか!」と突きつけられた印籠には、葵の紋にあらず、「地方分権」と大書されている。

 総選挙の公示を間近に控え、全国知事会の積極さが目を引く。知事会の代表格として、大阪・橋下徹、宮崎・東国原英夫の両知事が繰り返しテレビ画面、紙面に登場し、「地方分権改革の促進」を各党に迫っている。
 受ける与野党は、相撲でいえば押されっぱなし。土俵際で発表したマニフェストをあわてて修正するなど、あたふた感は否めない。

 この国の行政で、中央集権が過ぎることは事実である。霞が関官僚の机上で税金の行方が左右されてきたのも周知のこと。「地方分権改革」を急がなければいけないのは言を俟(ま)たない。
 それにしても行け行けドンドン。知事たち、あるいは指定市長会などの鼻息の荒いことよ。泣く子も黙る地方分権、泣く子と地方分権には勝てぬ、の趣が際立つ。

 私のようなヘソの曲がっている者は、ここまでくると、オイオイちょっと待てよ、と立ち止まってみたくなる。
 立ち止まって、ぼんやりテレビを見ていたら、どこの局だか忘れたが、鳥取県知事を務めた片山善博・慶応大学大学院教授が大意こんなことを言っていた。
 「霞が関が国民から遠い距離にあることは事実です。しかし、県庁や市役所といった地方の行政機関もしばしば、住民から遠い存在、ともすると住民不在の存在になっている、もしくはそうなりがちであることを忘れてはいけません」
 地方行政の取材経験、住民としての体験などから、そうだそうだ、と私は頷く。

  東京発行の新聞の記者たちは、採用されるとまず全国の県庁所在地の支局に赴任して、取材をABCから習得する。
 県庁や市役所は霞が関の、県警は警視庁・大阪府警などのミニ版、という見立てからだ。そして、その想定はまあ間違っていない、と私は思う。

 →次ページに続く(酒まずくなった巨大都市の“天下り”話)

以下省略・・・・・・    HPで、お読みください

島崎義治 さんのコメント...

いつもありがとうございます。

「地方分権化」「道州制」という掛け声は聞こえてきますが、本当に地方に権限が移行するのか、また権限が移行して、それが地方の手に負えるものなのか、市民は見極める必要がありますね。

一部の有力知事によって「知事会」なるものの様子が公になりましたが、そのほとんどは官僚の延長のような知事なのではないでしょうか。

また、2党のマニフェストを評価をすると言ったって、あんなに曖昧に書かれているものをどう評価しているのでしょうか?不思議でなりません。

また、評価側の知事のマニフェストと言えば「小学校の生徒会」くらいのものしか公表していない、、、、、かわいくて、とてもプロ仕様とは言えません。
http://www.pref.aichi.jp/chiji/manifesto/index.html

やはり、政策による政治が必要であり、市民がその政策にかかわる必要があるのではないかと思うのです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。