2009年8月22日

ドラマティック

ドラマの様相が変わってきたように思います。
それらはTVの画面の中ではなく、いつでもどこでも見れるようになりました。http://youtubetvdoramadouga.blog111.fc2.com/ などで自由に見ることができます。1週間ごとに間を置きながら見るより、むしろ10-12話程度の1クールの全体像やそのストーリーははっきり見えてくるのです。


歌舞伎のように大見えを切るのでもなく、大根役者のように大げさな身振りをさせるのでもなく、多くのドラマがごく自然な姿勢で、私たちの目線から描かれるようになっています。

医師や政治家の倫理問題、脳科学や物理学への興味、チームやプロジェクト室の記述、現代社会の問題がそのままストーリーとなってドラマが制作されています。

ドラマのエンディングには、「このドラマはフィクションです」とテロップが流れてきます。ドラマとはフィクションのはずなのですが、ドラマとドキュメントとの違いが分かりにくくなってきたのかもしれません。そこには社会の中にごく自然にあるストーリーがしっかりと描かれるようになっています。

ドラマとは決してドラマティックなものではありません。むしろドラマとはストーリーであり、ストーリーを秩序立てて構築し、きちんと基盤をつくり、環境を整備することが不可欠です。それこそが新しいドラマティック=劇的様相なのではないでしょうか。

劇場型政治と言われたり、政治は劇的であると言われたりします。小泉もオバマも。しかし、劇的状況とは、劇薬のようなものではなく、それは、ストーリーがあって、基盤が築かれ、環境が整備されて生まれるものではないでしょうか。「CHANGE」はひとつのドラマである。
それは地域をつくる根本でもあって、もちろん建築をつくる根本でもあって、ストーリーだとか、ビジョンだとか、コンセプトだとか呼ばれています。

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